郡長官と巣作り長虫⑤
魔力によって生み出した流水で糞を溶かし、内容物をふるいにかけていく。それぞれのふるいに残ったものを分類することで、その生物の食性の一部が分かる。
一部、というのは、食べ物にも消化されやすいものとされにくいものがあるからだ。
昆虫や動物の肉はたんぱく質であり、これはよく溶けるので糞に残りづらい。一方、葉っぱなどの繊維質や、果物のタネなどは溶けづらいので、見つけやすい。
では、迷宮喰いの糞はといえば――
「ふるいに何も残らないとは、想定していなかったな」
糞は全て溶け、流れ去り、地面にしみこんでしまっていた。
「……なんだったんだよ、ここまでのがんばりは」
ディランの一言に、横たわっていたティレットが、弱弱しくうなずく。
「迷宮喰いの成体の糞には、未消化の内容物が含まれていない可能性がある。一つ前進だ」
さすがのメイも、頷くことはできなかった。
「今日中にあと二つか三つは成体の糞を調査したいところだな。付近の植生も併せて調べるか。マーベラス! これこそフィールドワークだ!」
「まだうんこ探すの?」
ディランは自分の弱さを隠そうともせず、半泣きでたずねた。
「どうしてすぐに結果を欲しがるんだ、ディラン。僕たちの前には山盛りの未知が広がっているんだぞ!」
「お、俺は、三歳の頃から、棒切れ振り回して、ドラゴンを……ドラゴンを……」
「泣いた」
さすがのティレットも、驚きを隠せなかった。
「では、この糞の調査から得られる仮説をひとつ披露しよう。それで納得してくれ。
仮に幼体と成体で食性が変わらないとすれば、迷宮喰いは非常に効率の良い消化器官を備えているということになるかもしれない。そうなると、丸呑みにされた人間は、蘇生できないな。どうだ? 伝説の魔物みたいだろう?」
ディランはもっと泣いた。
糞とティレットが肩を並べて宙に浮いていた頃、雪山ニコ郡長官も現地入りを果たしていた。
ティルトワース小議会議員より三名、迷宮保安委員会より二名。ここに、手練れの冒険者四名が随伴する。企業冒険家として、何度となく深層へのアタックを成功させた一流中の一流パーティだ。
「ご安心下さい、長官。この者ら“竜冠組”は、我が“ティルトワースの栄えあるフィッチ家会社”に、莫大な富をもたらしたのですよ。彼らにドラゴン殺しの栄誉を与えることは、我々にも利のある話です」
小評議会議員は自信に溢れ、今回の討伐で得られる名声について早くも空想している。
「リカトル、そうだろう。今日から君たちはドラゴン殺しの英雄だ」
「やり遂げてみせましょう、ディマ・フィッチ」
パーティリーダーらしきカラザスエルフの青年が、小さく頷いた。韜晦も自負もなく、当たり前のことのように。
貴族の太鼓判に、ニコの不安はいや増すばかり。
ここまでの推移を要約すれば、巨大な魔物、官僚的硬直と利権争い、そして貴族が連れてきた『一流の冒険者』である。しかも議員はドラゴンとワームの区別がついていない。物語がこのように展開した際、ろくでもないことが一つも起きなければ、それはなにかの間違いでしかない。
「……どうせカマセ犬が噛まれて一瞬で終わるんだ。私にはそういう流れが分かるんだぞ」
ニコは小声で呟いた。現代日本で暮らしていた時代、彼女は主にごくをつぶしていた。そんな中、大量に摂取したフィクションが彼女の思考や行動に影響を与えていたというのは、妥当な推論だろう。
「ううう、向いてない、長官向いてない……パウンドケーキになりたい……」
しくしくと痛みはじめた胃をさすりながら、猫背でのさのさと歩くニコであった。
「たしかに、いつもと空気が違うわね。少し見てくるわ」
「ああ、頼んだよ、ソウル」
とんがり帽子の女魔法使いが、魔力の触媒たる木靴、そのかかとをこつんと打ち鳴らす。木靴に光の翼が生じ、女魔法使いは地面を一蹴りすると、空を昇っていった。
「ああ、第一犠牲者だ……」
ニコは心中、女魔法使いに黙とうをささげた。
枝葉の絡み合う樹冠を突き抜ければ、果てなく広がるのは、緑の海だ。樹冠に着地した女魔法使いは、魔力を放射状に飛ばして生物の気配を探る。
彼女の探査魔法に、それが触れた。一瞬、女魔法使いは、それを大樹と錯覚した。
「――っ!?」
遥か遠くで、森が揺れる。鳥たちが羽ばたく。木々のへし折れる不愉快な音が、凄まじい速度で近づく。海面すれすれを潜航する獰悪な捕食者のように、樹冠が波と揺れている。
緑の海原を割り、それが姿を現した。
高くそびえ、天にまで届く塔。そのような印象であった。
見上げれば、鋭い口吻と禍々しい嘴を持つ顔だけが、下を向いている。
大きく開いた口の、下顎が二つに別れる。三列の鋸歯が、唾液に濡れている。
「あっ」
次の瞬間、迷宮喰いが一本の矢のごとく垂直に落ちてきて、女魔法使いは自分が死んだことを悟った。
ああ、君は見たか! 大きく開いた口が、一本の大樹を頭から呑みこんでいくその様! 口に入りきらなかった枝葉を打ち払いながら、およそあり得ぬ速度で眼下の大地に迫る!
鼻先が地面に着くほど下降した迷宮喰いが、その嘴を、牙を、しかと大樹に突き立てた! 鋸歯状の歯が幹に食い込み、砕け散った樹皮が連弩の速度で周囲に撒き散らされる!
そして、ああ、ああ! この悪夢的光景! 呑みこんだ大樹を梃子とし、身体を倒す! ああ、そして、大地を噛んだ根ごと……大樹を強引に引き抜いた!
首を振って大樹を深く呑み、絡みついた岩ごと噛み砕く! 恐るべき捕食風景!
迷宮喰いの振るった暴威は、至近のニコたちを容赦なく襲う。
「ほらー! ほらー! だから……ほらー! うわああああ!」
地べたにはりつくニコは、何が起こったのか了解しえない。いきなり上から大量の枝が落ちてきたかと思えば、次の瞬間、目の前に迷宮喰いの瞳があったのだ。
真っ赤な虹彩の中に浮かぶ、無感情な闇色の瞳孔。己以上に巨大な、火山ガラスの鱗。ぎらつく牙が幹に食い込めば、氷山が砕けるような音がする。
「ああああああ! うわああああああああ!」
全力の悲鳴を振り絞り、息継ぎしようとしたところで、目の前に何かが降ちてきた。女魔法使いの上半身だった。
「あひっひぐっひぐっ!」
吸おうとした息を呑んでしまい、肋骨がまとめて砕けたような痛みが胸に走る。
口をぱくぱくさせていると、迷宮喰いが、大樹を根っこから引き抜いた。土砂と岩石とその他もろもろが、即死の威力の礫となって、ニコたちをめがける。
「竜の怒り!」
竜冠組のパーティリーダーが、咄嗟に魔法を発動した。地面から炎が噴き上がって、ニコたちを守る壁となる。炎の壁に飛び込んだ岩くれや土砂は、たちまちのうちに蒸発した。
「ガルバル!」
「ワシに任せろ!」
リーダーの声に応えたのは、まさかりを担いだカラザスドワーフだ。短躯からは想像もつかぬ素早い動きで、炎の壁を飛び越える。
「組長よ!」
「竜姫の寵愛!」
パーティリーダーの放つ魔法が、カラザスドワーフの身体能力を一時的に強化!
「ぬぅん!」
まさかりの垂直打ち下ろし! 分厚い刃が迷宮喰いの眉間に深々と突き刺さる! 鱗が砕け、肉が裂ける!
地面が震えるほどの咆哮をあげて、迷宮喰いが身をよじった。カラザスドワーフは――ああ、舌を巻くべきドワーフの膂力! その逞しい腕で、迷宮喰いの額にしがみついている!
「ガッハッハ! 頑丈じゃのう! じゃが、ワシのまさかりも負けてはおらんぞ!」
振り上げ、振り下ろす! 鱗を削ぎ、むきだしとなった肉に、鉄塊を叩きつける! 振りほどこうと暴れる迷宮喰いだが、呑みこんだ大樹によって動きが大きく制限されている!
勝利を確信したカラザスドワーフは、不敵な笑みをうかべた。
「ソウルの仇、討たせてもらお」
台詞の半ばで、カラザスドワーフの首が飛んだ! へたりこむニコの両脚の間に落下! 弾んでニコの腕の中に収まる!
「ああああ……あっ」
不敵な笑みを浮かべっぱなしの頭と目が合い、ニコは力いっぱい嘔吐した。
「鱗か……」
パーティリーダー、慧眼! 迷宮喰いは己の鱗を筋肉の力で射出し、確殺の飛び道具としてドワーフの首を刎ねたのである!
「お、終わりだあ……もう終わりだあ……」
“ティルトワースの栄えあるフィッチ家会社”の男が、頭を抱えてうずくまる。竜冠組のパーティリーダーも、立て続けに仲間を失い戦意喪失したのか、ぼんやり突っ立っている。
ニコは、毒づきたくて、逃げ出したくて、泣きたくて、感情の軸足をどこに置いたらいいのか分からなくなっていた。
「だ、だから言ったのにぃ」
口に出せたのは、そんな、涙ながらの恨み節だけである。
迷宮喰いが、鼻先を生き残りたちに寄せた。
野分のような暴風の吐息が、ニコたちに吹き付ける。瞳がニコをじっと見つめている。
「は、ハガネ……」
祈りをこめて、ニコはハガネの名を呼んだ。迷宮喰らいが大きく口を開けた。三列の鋸歯の向こうに、暗黒が広がって――
その時である!
豪風を伴い、ニコの身体のすぐ横を高速飛翔物体が掠めた! 狙いあやまたず、迷宮喰いの眉間、ドワーフが叩き割った頭骨に命中、深々と食い込む!
ノックバックした迷宮喰いが、大樹を薙ぎ払いながら悶え苦しむ! 確実なダメージ!
「ガルバル、犠牲、しない、無駄」
こもった声で呟くのは、無眼の鬼人だ。編んだ鋼線の弦を張る、ばかげて巨大な複合弓を手にしている。竜冠組の生き残りたる盲目の鬼人は、僅かな機会の訪れを待っていた! 舌を巻くべきは仲間を失っても決して動揺せぬ自制心! これぞ一流冒険者の胆力だ!
「行け、リカトル」
「あ、ああ、ドバエル! 喰らえ、鋼鉄の竜心!」
パーティリーダーが駆ける! 蒼い炎に燃え上がる拳を、眉間の矢めがけて叩きつける! 貫通! 生命維持に重要な組織を完全に破壊された迷宮喰いが、血泡を噴きながら激しく痙攣した! 起き上がろうともがくが、適わぬ! 濁流のような吐血と断末魔の声を上げ、遂に地に伏す迷宮喰い!
「や、やったか……?」
呟いたニコは、慌てて口を覆った。常日頃から、どうして物語の登場人物が「やったか」などと口走るのか理解できなかったが、いざ当事者の立場に置かれてみると、呟かざるを得なかった。
「ソウル、ガルバル……終わったよ」
哀悼の声でささやいたパーティリーダーが、膝をついた。全ての魔力を使い切り、遂に彼らは長虫討伐をやってのけたのだ。
戦闘の凄まじさを物語るように、大樹があちこちで倒れていた。見晴らしのよくなってしまった周囲に目をやって、ニコは、長いためいきをつく。
意外な展開ではあったが、とにかくこれで刳岩宮上層も、いつもの静けさを取り戻してくれることだろう。
「あー、その、なんだ。これで、終わあああああああ!?」
ニコは絶叫した。
大樹の幹の間から、次々に、迷宮喰いが這い出してきた。
その数、数十頭を越えている。今しがた殺したものより、はるかに大きな個体もいた。
迷宮喰い、繁殖! あまりにも残酷な真実!
通り道にいたパーティリーダーが轢き殺され、たちまち、泥と土にまみれた肉塊となりはてた。怒り狂った鬼人が弓を捨て、槍を振りかざして突進し、同じく轢き殺された。
「ユニークモンスターじゃないんだなー」
全く温度のない声で、思ったままのことを、ニコは言った。ニコの心からは、もう何の感情も沸いてこなかった。
なぜなにティルトワース
蘇生魔法
蘇生魔法の有効範囲についての実験は、過去に試みられたことがある。
被験者は、ティルトワース史上もっと残忍な快楽殺人者、ジグザロ・グメイ。魔法を駆使して骨すら残らず死体を消滅させる手口で、ティルトワース公安委員会の目を欺き続けた男である。
被害者の身体の一部を持ち去る趣味から辿られて捕まった彼には、ヒトが思いつく限りもっとも残忍な刑罰が要求された。世論に流される形で、ティルトワース司法委員会は、『蘇生実験』という刑を執行した。
衆目の前でまっぷたつに断ち割られたジグザロの、上半身と下半身に同時に蘇生魔法がかけられた。ふたつの体はたちまち二人のジグザロとなった。そしてティルトワース人は、蘇生魔法の限界と自己の同一性について、貴重な知見を得ることとなった。
というのも、生き返った二人のジグザロは、目が合うなりたちまち破滅的な魔法を撃ち合い、両者ともに骨すら残さず消滅したからだ。レディア・リオ宮に焼きついた二つの影に対して蘇生魔法をかけてみたが、ジグザロが復活することはなかった。
今もってレディア・リオ宮に残る二つの影が、ひとつに戻ろうと徐々に近づいているという怪談は、夏になると決まって子どもたちの間で噂される。