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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第二話 郡長官と巣作り長虫
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郡長官と巣作り長虫④

「ほう、これか」


 ややもして銅鉄一家が発見したのは、レディア・リオ宮ほどもある、ばかげて巨大な黒い塊だった。


「た、たぶん、ですけど……」

「間違いないだろう。ありがとう、メイ。どれ、臭いはどうだ?」


 糞を素手で掬って顔に近づけるハガネを見て、ディランは顔を覆った。


「ベンズアルデヒドに、クマリン。懐かしいな、おばあちゃんが作ってくれた桜もちの香りだ。やはり草食か」

「においで、わかるんですか?」


 魔力で水を生み出し手を洗いながら、ハガネはうなずいた。


「昔、知り合いに連れられて、丹沢でアナグマの糞を探し歩いたことがある。肉食動物の糞の悪臭は、一度嗅いだら二度と忘れられない。だが、クマやテンなどの糞は、新鮮であればよい香りがするものだった」

「異世界ってどんなところなんだよ。みんなうんこの臭いを嗅いで回ってんのか?」

「今からこの糞の内容物を分析する。さっきも言った通り、その間は無防備だ。なにかあったら頼んだぞ、ティレット」


 ティレットは、はるか遠くで他人のふりをしていた。


「さあ、はじめようか」


 ハガネの指先が、空中でさっと四角をえがく。すると、二十メートル四方ほどの土がぼこっと盛り上がって、宙に浮いた。

 次に、地面から強烈な炎の柱が噴き上がり、宙に浮いた土を呑みこんだ。


 熱風と閃光に、ディランは気圧される。忘れがちな事実ではあるが、ハガネはティルトワース史上有数の魔法使いであった。


 炎がひっこむと、土に代わって、薄く平たい粘土の容器がそこにある。魔力によって土を焼きながら整形し、ばかげて大きなセラミックの容器となしたのだ。

 うんこをこね回していたハガネに対して他人のふりをしていたティレットも、そのわざに魅了され、陶酔したような表情でふらふら近寄ってくる。


「魔力が、きれい……」


 エルフたる彼女は、ヒトの目に届かぬ波長である魔力のかがやきを、とらえることができる。気まぐれで無限に変化する色彩をとらえ、思うままにさせるようでいて、自らが望むように操るハガネの魔法は、あまりにも美しくティレットの瞳に映った。


 小さく深呼吸したハガネが次にしたのは、空中にいくつもの小さな炎を点すことだった。額を流れる汗が目に入るのを拭おうともせず、ひとつひとつの炎に、はたらきかけていく。

 炎がぐるぐると渦を巻いて、やがて、青、紫と、色調を変えていく。


「オイオイオイオイ……こりゃあ!」


 これはまさに、フェアリーの用いた荷電粒子魔法である。それを同時に、数多く操っている。ときどきディランは、ハガネを心からおそろしく感じた。

 荷電粒子魔法が、セラミックの容器めがけて一斉に降り注ぐ。紫の熱線はたやすく容器を貫通して、無数の穴をあけた。


「よし、これで3・5メッシュのふるいができあがりだ。念のために10メッシュと18メッシュも作っておこう」


 ハガネが並外れた魔法を存分にふるって何をしているのかと言えば、然り、ふるい作りである。それぞれ穴の大きさが違う数種類のふるいは、糞の調査に要りようだ。

 その場の誰もが、ハガネのわざに、驚嘆しつつも呆れていた。だが、いちはやく異変に気付いたのは、ティレットである。


 剣の柄に手をやり、振り向いた時、それはすでに目の前にいた。

 ティレットの身体の半ばほども大きな、飛ぶものであった。


 大きな瞳から脚の先端に至るまで、闇のように黒い、大昆虫である。小さな羽根を目にも留まらぬ速度で羽ばたかせ、宙に静止するかのよう。

 楕円の複眼と一対の大顎の間、わずかな個所に生えるこわそうな毛だけが、水銀のように毒々しく輝いている。


 銅鉄一家は、素早く臨戦態勢に突入した。大盾を構えたディランが前に。一歩分左後ろには、ティレットが立つ。メイはそこから二歩分後ろ。銅ガラスの鈴に手をやって、満月のような瞳孔で大昆虫を見据える。


「ハガネ、おい、ハガネ! 気を付けろ、なんか出て来たぞオイ!」


 大昆虫が大顎を数度、がちがちと鳴らし、すさまじい速度で突進! 大盾を突き出し一撃を受け止めるのは、ディランである。舌を巻くべき反応速度!


「うわっ、なんだこいつ、掴んで……!」


 ディランの大盾に六脚の先端を引っ掛ける大昆虫が、胴を大きく持ち上げ……振り子のように、死神の鎌のように、大盾めがけて打ち付けた!


「うわわわわわ!」


 身も蓋もなく絶叫し、大盾を手放すディラン! ああ、君は見たか! 地に落ちたディランの大盾、その中央に巨大な穴!

 大昆虫の胴、その先端から飛び出しているのは、透明な粘液の滴る鋭き針だ!


「は、ハチだ! こいつ、ハチだぞ! ハガネ! おい!」


 だが、ふるいを作るのに全精力を注ぐハガネは、振り返ろうともしない。一方で、黒いハチはと言えば、耳障りな羽音を振りまきながら、パーティの頭上を旋回している。


「ひゃあああ!」


 メイが悲鳴をあげた。振り返ったディランは、全身が冷たくなるのを感じた。

 木立の中から、次々に姿を現す黒いハチ……その数、三十を超えたところでディランは数えるのを諦める!


「ま、魔法、わたしの魔法で」

「だめ、メイ!」


 ティレットが、メイの腕をつかむ。動転した状態で魔法を放てば魔力の暴走を招き、術者に死をもたらしかねない。


「ハガネ! オイオイオイオイお前目の前にハチがお前!」


 羽ばたきの起こす風に髪がなびくほどの距離でも、ハガネは動じていない。魔法の駆使に没頭している。


「あああもおおお! ほんとに世話焼くことになってるじゃないか!」


 全力疾走したディランが、ハガネを小脇に抱えて横っ飛びに跳んだ。一瞬前までハガネがいた場所を、ハチの針が通り過ぎた。


「おい! ハチが来てるんだよハチ!」


 執拗なハチの追跡から全力で遁走しつつ、ディランが同じことを繰り返す! もちろんハガネは聞いていない!


「あ、あの、ハガネくん! ハチの種類が知りたい、かも!」

「む?」


 メイの言葉に、ハガネが顔をあげる。舌を巻くべきはメイの機転! 自分の知識を語らずにはいられない研究者としての性質を利用する、そのしたたかさ!


「ふむん……メイ、ちょうどよかったな。あれがギングチだ。どうも体積は通常の種の一万倍ほどありそうだが」


 ハガネ、一見によって大ハチの科目を同定! 圧倒的博物力!


「で、どうすりゃいいんだよ!」

「ギングチは木の穴に営巣するんだ。毒針で獲物を麻痺させ巣穴に引きずり込み、幼虫のエサにするぞ。針に気を付けるんだ」

「それは知ってる!」

「そうか。それならば問題はないな」

「あああああああ! もぉおおおおおお!」


 ハガネ、再びふるいづくりに没頭! 間もなく18メッシュのふるいが完成するため、ここは正念場だ!


「ディラン、私がやる」

「頼む、ティレット!」


 ひとつ頷いたティレットが、剣を鞘から引き抜いた。

 おお、瑠璃色の刃の、あくなき薄さよ! 向こう側が透けて見えるほどに厚みを持たぬ刀身、これこそ彼女の氏族に代々伝わる魔法剣、つばくろ丸に他ならない!

 数百年にもわたって魔力をふくませ続けた鞘に収められているのは、押せば砕けるほどに脆い石英の板。この石英が鞘に込められた魔力によって変質したとき、つばくろ丸は類を見ない切れ味の魔法剣と化す!


 ああ、君は見たか! つばくろ丸を手にしたティレット、その身体の変化を! 黒髪が、瞳が、刀身と同じ瑠璃色に変化していく! つばくろ丸に満ちた魔力が、彼女の身体に働きかけている! 彼女もまた、刳岩宮に挑みしつわもの! “飛燕”の二つ名を持つプレーンズ・エルフの魔法剣士、ティレット!


「すぐに、終わらせる」


 一っ跳びしたティレット、大樹の幹を蹴っての三角飛び! 縦回転斬撃で巨大ギングチをまっぷたつに切り裂く! 更に空中前転の勢いで大樹を蹴りムーンサルト跳躍! 眼下のハチめがけて急降下!

 つばくろ丸の切れ味と落下速度! 胸部を貫かれた巨大ギングチはティレットと共に落下、地面に縫いとめられて昆虫標本と化した!


 顔に落ちかかった髪を払ったティレットは、足元のギングチを踏みつけ、剣を引っこ抜いた。瑠璃の色彩を深めた刀身は、禍々しくも蠱惑的な輝きを帯びている。

 ティレットの長髪は、地面との間に小さな稲妻を無数に生じさせていた。つばくろ丸を手にした際、ティレットの髪は、高速移動中に蓄積した静電気を解き放つための放電策としてはたらく。


 宙に位置するギングチたちが、一斉に大あごをがちがちと鳴らした。怒気に満ちた威嚇行動だ。


「無駄」


 ゆるりと脱力したティレットが、冷たい瞳で敵を見上げる。


「怒りは、弱者あなたたちのための武器じゃない」


 ティレット、加速! 瑠璃色の残光を軌跡に刻み、大樹から大樹へと跳び渡る! すれ違う度に切り裂かれ、体液をまき散らしながら地面に落ちていくギングチ! 樹冠が生む深い闇の中、髪からの放電が空中に小さな光の花を咲かせていく!


「オイオイオイオイ……やっぱり、半端じゃねえ……」


 一方で、ハガネの魔法もいよいよ大詰めである。作り終えたふるいを、目の粗い順に空中に固定し、そして、ああ! 迷宮喰いの巨大な糞を、魔力にまかせて宙に持ち上げる! もちろん、枯葉や土などを払い落とし、実験に際し異物が混入しないようにとの気遣いも忘れない! 舌を巻くべき科学精神!


 瑠璃色の煌めき! 放電の花! ゆっくりと容器の上へ移動していく糞!


「メイ」

「は、はい」

「俺、この光景を一生忘れないと思う」

「……わたしも、かも」


 遂に最後の一匹を斬って捨てたティレットが、体重を感じさせない軽やかさで着地する。


「終わった」


 手にしたつばくろ丸、その刀身は、押せば砕ける石英に戻っている。刃にこめられた魔力を使い切ったのだ。

 剣を鞘に戻すなり、ティレットはよろめき、膝をついた。身体強化バフが切れ、肉体酷使の反動が襲ってきた故のことだ。黒に戻った髪が、地面にふわりとひろがった。


「オイオイオイオイ、ティレット」

「平気。このぐらい――」


 大樹に体をあずけ、ずりあがるようにして立ち上がったティレットは、強がりの笑みを浮かべようとしたところで固まった。

 頭上を、巨大な糞が横切っていたからだ。


 中途半端にわらったまま、ティレットは失神した。

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