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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第二話 郡長官と巣作り長虫
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郡長官と巣作り長虫③

 レディア・リオ宮、郡長官執務室。

 ティルトワース湾を背にして、差しこむ陽光が心地いい。

 ニコの好みで、一枚板の机と椅子が据えられている。


 机をはさんで、直立不動で見下ろすのがハガネ。椅子に深く腰掛け見上げるのがニコだ。


「その、つまり、なんだ……迷宮喰めいきゅうぐらいとかいう魔物についてなんだが」

「ああ、昨日の夜に見たぞ。よく飛んだ」

「飛ぶのか!?」

「今、語弊があったな。飛んだというか、飛ばしたんだ」

「は……?」


 ハガネは、昨夜の経緯と、少年野球時代セカンドについていたことを語った。

 ニコの反応はといえば、しばらく口をぽかんと開けてからの、


「あっはっはっはっは!」


 爆笑であった。


「ははは、そうだな! 異世界召喚モノっていうのは、こうでなくてはいけない! そうか、飛ばしたか! あっははははは!」

「うん、あれほどよく飛ぶと気持ちがいいぞ」


 ひとしきり笑ったニコは、まなじりの涙をぬぐうと、まじめな表情をした。


「それで、その、なんだ……私たちは、どうすべきだと思う?」

「小評議会はなんと言っていたんだ」


 問い返すと、ニコはなぜだか、気まずそうに目を泳がせた。


「いや、なんというか眠いし、話もまとまらないし……分からなくなったから、猫の動画を見ていた」

「そうか。仕方ないな」

「な、なんだ? 今のは、その……私への悪口か?」

「そんなつもりはない」


 きっぱりと断言されて、ニコは、乗り出しかけていた体をひっこめた。


「そ、そうか、そうだな。オマエはそういう人間ではないからな。すまない、私ほどの喪女だと、すぐに他人の言葉を悪口だと思ってしまうんだ」

「気のせいだろう」

「分かってはいるんだが、もうどうしようもないんだよ。それでそのつまり……ど、どうすべきなんだ」

「今のところは分からん。フィールドワークからはじめて、生態を知るべきだろう」

「ううう!」


 だしぬけに、ニコが胃をおさえて悲鳴をあげた。


「い、一日に、十万ルースタルの損失だぞ! このままでは、郡民全員が公債を手放す!」

「それがどんなものであれ、未知の生物を見つけ次第絶滅させようとするのはおすすめできないな。どんな生き物と、どんなふうに生物間相互作用を結んでいるのか、分かったものではない。駆除はできたが森は滅んだ、でも構わないのであれば、強硬策も有用だろうが」

「ううー! ううー!」


 泣きべその顔で見上げるハガネがことのほか涼しい顔をしていて、ニコはうつむいた。


「ううう、つらい、帰りたい、だから言ったんだ、私には人間が向いていないんだ……生まれ変わったらマカロンになりたい……」


 美しい髪を一束つかんで、毛先をしゃぐしゃぐと噛みはじめるニコ。奇行である。だが、ハガネは動じた様子を見せない。


「マカロンはおいしいからな。僕も好きだぞ」


 それどころか、こういうことを言うのが、ハガネという男であった。


「ううう、なんでこんなことに……ただ私は、スマホで異世界無双したかっただけなんだ」

「現代人らしい欲望だな」

「見ろこの服を! 私は二十五歳だぞ!」


 ニコが立ち上がった。ブレザー、リボン、ワイシャツ、プリーツスカート。たしかに、二十五歳の服装ではない。


「ルーストリアにやってきた異世界人女性の、伝統的な衣装だそうだ。私の前にどこかの女子高生が無双したのだろうな! いい迷惑だ!」

「年齢は気にしなくていいだろう。似合っているぞ」

「ほあ! 止せ、やめろ! 喪女にそういうことを言うな! 末代までストーキングしてやるからな!」


 顔を真っ赤にしたニコが世迷言を叫ぶ。


「ああー! もうだめだ、限界だ! なあ、この世界に来るまで、私が何をしていたか知っているか? 家の中をぷらぷらすることで時間を潰していたんだぞ!」

「あまり生産的とは言えないな」

「それが異世界に来た! しかも、バッテリーが切れない上、どこに行ってもワイファイフリーなスマホと一緒にだ! そんなもの、無双を試みるに決まっているだろう? そうしたらこのざまだ! 地方の寒村であれよあれよと言う間にまつりあげられ、今や大貴族の養女で郡長官だぞ!」

「非の打ちどころのない成功物語に聞こえるが」

「ううう、向いてない……もうだめだ……ハガネ、いつものを頼む」

「同郷のよしみだ、いつでも請け負おう」


 ハガネが両手を広げる。背中を丸めたニコが、のそのそと歩いてきて、突進するようにハガネに抱きついた。


「ううう……撫でて」

「まかせておけ」


 ニコの頭をぞんざいに撫でる。ニコはうめきながら、ハガネの胸に頬を押し付けた。


「ああ、落ち着くと同時にこの罪悪感……無垢な青年をなかば騙すようにして撫でられる、この快感……」


 ニコは倒錯していた。

 もとより、ニコがハガネを呼んだ目的と言えば、これだった。ニコとハガネの間には色々あったが、それはいずれ語る機会があろう。ともかくニコはある日、ハガネが男女の機微に完璧に無頓着なことを発見した。

 好みの相手を口説くぐらいだったら、その時間でノコギリクワガタを探したいのが、ハガネという男である。そんな性質を利用すれば、抱きついたり撫でられたりは、容易い。

 これもまた、生物間相互作用と呼ぶべきか。ニコとハガネの関わり方は、アリとアリマキの関係にも似ると言えよう。


 しばらく撫でられていたニコだが、やがて、決然と顔をあげた。


「よし、決めた。オマエの言う通り、まずは現地視察だ。ついてきてくれるな、ハガネ」

「もちろんだ。あの生物は非常に興味深いからな」



「だめです」

「え?」

「吉良議員の現地視察同行は認められません」

「……なんで?」


 再びレディア・リオ宮、アトリウム。

 再び小評議会。

 郡長官現地視察についての会議、その場である。


「そもそも迷宮保安委員会も本件に対応しきれていないんですよ。事務所に冒険者が詰めかけて、そっちへの説明で手一杯ですから。現地視察の行程案を作れって言われても、半刻でぽんと出てくるようなもんじゃありませんわ」

「そ、そんなものは、それは、なんだ、行ってその場その場で対応すればいいというか」

「仮に行程案が上がってきたとして、誰を連れていくのかが問題なんです。小評議会のメンバーから数人、そして同行する冒険者の選定。そういうものは、我々の方でほら、慎重に検討すべき事案ですから」

 

 恐るべきは、数百年の貴族制が生んだややこしい派閥争いと利権争いと縦割り行政である。緊急事態とその対処は、貴族にとって家名をあげるいい機会だ。そこに吉良ハガネなるちっぽけな議員が一枚噛むことなど、決して許されない。

 こういうときばかりは、郡長官にも遠慮などしないのが、ティルトワース貴族というものである。


「ともかく、現地視察の件に関しては討議の上で決定します。行程案はこちらでなんとかしますから。そのほれ、書式だのなんだの、色々ありますからな。郡長官はしばらくお休みになっていてください」


 きっぱりとはねのけられたニコは、スマホで猫の動画を見はじめた。



 かさご屋に戻ったハガネを待っていたのは、箒を抱えたディランであった。


「ハガネ! たまには掃除しろよお前! 窓枠の埃が日焼けしてるじゃないか!」

「ディラン、少し寝ておけ。数刻後には迷宮に発つぞ」


 ネクタイを外して椅子の背に投げつけながら、ハガネが言う。


「はあ?」

「ところで、人に掃除をしろと言うが、君こそ風呂にでも入ったらどうだ。例の樹皮の香りがするぞ」

「は? え? なに? 俺は何に答えればいいの?」

「メイとティレットは?」

「オイオイオイオイ! だから、どういうつもりだよ!」

「郡長官から下された、秘密任務だよ。迷宮喰いについての独自調査をする。なあ、メイとティレットはどこだ?」


 箒を手に突っ立っていたディランは、しばらく、呆けた顔をしていた。

 が、ハガネの言葉を理解するにつれ、じわじわと、表情が変わっていく。

 矜持を含んだ、冒険者の笑顔だ。


「報酬でカルパッチョ食えるかな?」

「何皿でも」


 こうして再び、銅鉄一家は第二層に突入した。


「政治力学的な問題があって、郡長官の現地視察についていくことはできなかった。そこで郡長官は、内密の調査を僕たちに頼んだわけだ」

「オイオイオイオイ! こいつはただごとじゃないな! オイオイオイオイ!」

「うるさい」


 ティレットが顔をしかめた。


「ああ? こいつは極秘の、おえらいさまからの、しかもドラゴン殺しだぞ、ティレット! 三つのころから棒切れ振り回してた俺がだ! オイオイオイオイ! ドラゴン殺しなんだぜ! あのなティレット、俺は、ほら……三つのころには、もう棒きれを振り回してドラゴン殺しごっこをだな!」

「うるさい」

「そもそも、ドラゴンと長虫ワームはこの世界では同じものなのか?」

「あ、そ、その、ちがう、かも」

「似たようなもんだろそんなもん! でかくて長くて乱暴で、物騒な生き物なんだからよ!」


 およそ冒険者にとって、ドラゴン殺しといえば最大級の名誉と言えよう。刳岩宮深層にはむろん、ドラゴンも存在する。しかしながら冒険者が日常的に相手をするのは、その眷属たるワイバーン。本物のドラゴンと相対し、生き残れた冒険者は数少ない。


「僕たちがこれから行うのは生態調査だぞ。あれだけの巨体と観測例の少なさだ。あの長虫が二層における生態系の、キーストーン種であってもおかしくはない」


 ハガネには、早口で難しいことを言うくせがある。これは現代日本において、国立大学の学振PDだった頃からそうだ。

 その当時は、周囲にも早口で難しいことを言う人間しかいなかったから、よかった。しかし、今の彼が相手をしているのは、異世界の、三歳からこれまでずっとドラゴン殺しごっこをしてきた冒険者である。

 ディランの表情は、混迷をきわめていた。


「つまりだな、あの長虫が存在することによって、第二層の生態系が保たれている可能性も考えられるというわけだ」


 ハガネがもう一回、早口で難しいことを言った。ディランの表情がますます混迷をきわめた。


「た、たとえば、どういうことなんですか?」


 とは、メイの一言だ。混沌に落ちていくディランの姿を見かねて、助け舟を出した形である。


「君たちも見たばかりだろう。例の、樹皮が香料となる木だよ。あの長虫が、暴れ回って森をめちゃくちゃに破壊したとする。するとそこには陽が差し込み、これまで生長できなかったような植物が茂る。その植物の周辺でしか生きられない昆虫や鳥などが、いるかもしれない。そしてその生き物たちが、受粉や種の移動を助け、この森を作った可能性がある。

 この場合、例の長虫は、キーストーン種の中でも系エンジニアの役割を持っていると言えるだろう」

長虫ワームが消えれば、木も鳥も、絶滅する。やがて、森も」


 ティレットがまとめると、ハガネは目をきらきらさせた。


「マーベラス! ティレット、君も『絶滅』という単語をおぼえたな! 博物学者の素質があるぞ! 僕の研究に協力する気は」

「愚問。それで、私たちは」

「……そうだ! 結局俺たちは何しに来たんだよ! ドラゴン殺しじゃないのかよ!」


 話が終わった雰囲気を察したディランが、割り込んでくる。


「本来ならば時間をかけて調査したいところだが、なにぶん危急の状況だ。まずは糞を調べよう」

「は?」


 これは、メイ、ティレット、ディランが一斉に口にした、純然たる疑問符である。


「メイ。君の嗅覚で、長虫の糞を探してほしい。ティレット、調査の過程で、僕はしばらく無防備になる。その間の護衛を頼む。ディランはいつものように、僕の世話を焼いてくれ」


 ハガネは、全員の絶句にはまったく無頓着にきびきびと指示を出したばかりか、最後にちょっとした冗談を挟んだ。ディランはきょろきょろと周囲を見回した。目の前の男を殴り倒すのに、ちょうどいい大きさの石が欲しくて仕方なかった。


「こ、こっち、かも」


 いち早く混乱から立ち直ったのは、メイである。ハガネの生き様を、誰よりも諦めているゆえの素早さであった。


「あんまり甘やかすと、ろくなことにならないぞ」


 ディランが言った。


「で、でも、ハガネくんの言うことは、まちがってない、かも……」

「だからって、なんでうんこを調べなくちゃならないんだよ! うんこだぞうんこ! 誰がドラゴンのうんこなんか気にするんだよ!」

「愚問。仕事だから」


 ティレットはあくまでも冷静だった。剣の柄に指先を這わせ、周囲を鋭く見回している。


「んひゃっ!」


 かと思ったら、木の根っこに足をひっかけると、怜悧な美貌に似合わぬ悲鳴をあげ、転んだ。

 ディランとメイが、かける言葉もなく見守っていると、ティレットはよろよろ立ち上がり、


「仕事は仕事。はやく終わらせるだけ」


 鼻の先に枯葉をくっつけたまま、すごんでみせた。

 そんなティレットを見て、ディランはいっそ、ほっとしていた。うたわれるようないさおしを求める冒険者が、長虫ワームのうんこを探して迷宮を駆けずりまわることに、疑問を抱かずいられようか。おかしいのはハガネや、その横で糞を調べる意義について詳しく訊ねるメイの方である。


「あのさあティレット。俺さあ、冒険者ってもっと……」

「分かる」


 ディランの呟きに、エルフの電撃的速度でティレットが反応した。二人は顔を見合わせ、今しがた揉みあらいを済ませたばかりの洗濯物同士のような、くたびれはてた連帯感を共有した。

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