郡長官と巣作り長虫②
大いなる長虫、迷宮第二層に出現す!
この報が地上へ届けられるや否や、ティルトワース郡長官以下、ティルトワース小評議会が参集された。
ティルトワース郡長官官邸。幾何学的な方形に切りだした石灰岩を積み、意匠の限りを凝らして建築された、共和国時代の美しき建造物だ。施工はカラザス・ドワーフ。彼らの神話に登場する女神の名前を採って、レディア・リオ宮と呼ばれている。
レディア・リオ宮の、ここはアトリウムである。天窓のガラスは、ルーストリア北方、塩屍山脈から運んだ天然もの。水盤の大理石はカラザス山脈から掘り出した一枚板。ルーストリア中央地方に産出する柑橘の精油が惜しげもなく焚かれ、得もいわれぬ香がただよう。
「その、つまり、なんだ……第二層に、化け物が現れたわけだな?」
口を開いたのは、寝台に横たわる美女……おお、これは如何に! 身にまとっているのは、ブレザー、リボン、ワイシャツ、プリーツスカート、そしてローファーだ! 絵に描いたような女子高生である! しなやかな栗色の髪をサイドテールにして、けだるげな瞳で居並ぶ面子を見下ろしている!
彼女こそはルーストリア本国より派遣されたティルトワース郡長官、雪山ニコ。その名と見てくれの通り、異世界人である。弱冠二十五歳にして、最高の出世コースであるティルトワース郡長官に就任した才女だ。
美貌、知性、決断力。およそ人として望みえる全てを兼ね備えた傑物と目されている。そうでなくては、立法と行政、二つを司る郡長官の立場になど、いられはしまい。
切れ長の鋭い瞳に射竦められて、小評議会のメンバーは、思わず身を竦ませる。
「それで?」
ニコが視線を向けたのは、迷宮保安委員会の面々だ。彼ら官僚は小評議会の面々が集まるまでに情報収集を完了している。
「は、はい! 第二層に現れたとされる魔物ですが、現時点で得られた情報を多角的に検証した結果、迷宮喰いと通称されるものであると断定できます」
一人の官僚が口を開くと、それを皮切りに、迷宮保安委員会のメンバーが、次々に語り出した。
「その全長は天を覆うものであり、一日の内に自らの五倍の重さの木を食べるそうです。二層が丸裸になるのも時間の問題ですな」
「記録にある限り、迷宮喰いは不定期に二層に現れ、その度に我々は計り知れない経済損失を被りました。駆除が一日遅れるごとに、平均して十万ルースタルの損失との試算が出ています」
「そんなにか」
ニコが眉をひそめるのも、無理はない。十万ルースタルといえば、平均的なルーストリア国民の生涯収入の十五倍である。これが一日の内に露と消えるのは、ティルトワースが、経済活動のほぼ全てを刳岩宮に依っているからに他ならない。
ディランら銅鉄一家が得ていた香辛料もそうだが、迷宮の生物・鉱物・遺伝・観光資源は、ティルトワース郡に莫大な収入をもたらしている。その経済活動全てが迷宮喰いによって停止する可能性を、ここで示唆しているのだ。
「となると、駆除っていう方向が妥当かと思われますが……おい、前に現れたときは、どうやって駆除したんだ?」
小評議会の議員が、官僚に声をかける。
「はあ、それがその、駆除に関しての文章というのを当たらせたのですが、詩が数編、出てきた程度でして。黒き矢がどうとか、天から降り注ぐ見えぬ槍がどうとか……」
「なんだそれは! なんだって詩人は現実的にものごとを書けない!」
「詩人ですからねえ」
「まずは人道的見地から、刳岩宮の無期限封鎖について議論すべきではないですか」
「そんなことを提案してみろ! 大評議会のウスノロどもからどんな突き上げを食らうか分かったもんじゃない! 貴様、任期を全うしたくないのか!」
小評議会のメンバーが、らちの明かない怒鳴り合いをはじめる中、ニコがブレザーのポケットから取り出したのは、スペースシルバーに輝く小さな機械。即ち現代文明の利器、スマートフォン!
小さな画面を睨むニコ。沈黙のうちに、議員が、官僚が、その動きを見守る。
これこそ、若き彼女をティルトワース郡長官の立場まで押し上げた魔法である。この小箱にしか見えぬものには、信じ難き叡智が詰まっている。
ふと、ニコが顔をあげた。議員たちが、かたずを呑んでいることに気付いた。
「あー、その、なんだ……ほら、その、大評議会の議員に、異世界人がいただろう。粘菌術師だの、吉良ハガネだの言うの。あいつの話を聞くか」
「は?」
その場の全員が、きょとんとした。
数年前に異世界から迷い込んで、貴族になった男がいる。そんな話は、小評議会議員も聞き及んでいる。粘菌術師だとかいう、敬称か蔑称かも分からぬ二つ名に喜んでいる男だ。
ティルトワース大評議会は、現在、定員が千二百六十人。その中で、派閥に属さず利害に絡まず、わけても取るに足りぬ男である。おまけにコケだの昆虫だのと戯れるばかりで、なにか偉大なる成果をあげたわけでもない。
だというのに、郡長官たるニコは、何を考えて粘菌術師の名を出したというのか。
「お言葉ですが、郡長官。有識者であるなら、官僚の伝手で召集するのが筋というものでしょう。迷宮保安委員会は、ルーストリア大学で学んで来た精鋭で構成されております」
議員のひとりが発言すると、ニコは再びうつむき、スマートフォンの画面に目を移した。
圧迫するような沈黙である。無論、この場において最も力が強いのは、郡長官たるニコだ。人事権を持っているわけではないが、睨まれれば今後の仕事がしづらくなる。
「分かりました。では準備いたします。おい、一刻後に執務室を使えるよう準備しとけ! ハガネとか言うやつを呼んで来い!」
議員に怒鳴りつけられた秘書が、慌てて駆けだした。
「オイオイオイオイ……なんだっていきなり、郡長官様からの呼び出しなんだよ!」
ここはかさご屋の二階、ハガネが借りている部屋だ。
苛立った様子でクローゼットをひっかきまわすのは、ディラン。
「なあ、ディラン。こないだ採ったハネカクシなんだが、標本にするなら展翅するのとしないの、どちらがかっこいいと思う?」
対照的に、机に向かってちっぽけな昆虫と向き合い、悠然としているハガネであった。
「好きにしろ! ああー、もう! お前どこやったんだよ礼服!」
両手に服を握りしめ、ディランが怒鳴る。ウォークインのクローゼットだが、衣服や捕集用の道具や変わった形の石などが詰め込まれ、迷宮の有様を示している。
「あった! しわくちゃだよ馬鹿やろう!」
ようやく探り当てたのは、ぐるぐるに丸められた長衣である。迷宮の蛾がつむぐ繭から作られた、薄くて軽い絹のものだが、しわしわな上に、拭いがたい染みがいくつもついている。
「お前、これ着て麺食ったろ! 啜ったろ麺を!」
「ああ、覚えているぞ。おいしかった」
「馬鹿やろう!」
「しかしディラン、いつもの恰好では駄目なのか?」
ディランはヒマティオンをハガネの顔面に投げつけた。
「礼服着てふんぞり返りたくないんだったら、なんだって貴族なんかになったんだよ? 議員になったからって、別に金を貰えるわけじゃないだろ」
「自分に有利な法案を通したり、不利な法案の成立を邪魔したりするのに、政治参加以外のどんなやり方が……むっ!」
シャツの上から、包帯を巻くように、ヒマティオンを着ていく。その途中でなにかに気付いて、ハガネは声をあげた。
「今度はなんだよ」
「見てくれ、ディラン! 穴が開いているぞ!」
「ああ、そりゃ見たら分かる。俺が分からないのは、なんでお前が嬉しそうにしてるかだよ」
「食害だ! カツオブシムシでもいるのか、この部屋には」
「それもしかして、嬉しそうにしていることへの答え?」
ハガネはにこにこした。
「……分かったよ。もういい、いつもの恰好で行って来い。なんも言わないから」
「そうか。ディランがそう言ってくれるのならば、胸を張って行くぞ」
ディランの疲れた顔を見れば、これが常日頃から繰り返されているやり取りだと想像するのは、難しいことではない。ハガネは興味のあること以外の全てに、まったくの無頓着であった。誰かれかまわず世話を焼いてしまうディランの性分にとって、これは哀しむべきことだ。
「吉良先生、よろしいでしょうか?」
議員秘書が、部屋の入口から顔を出す。ハガネは鷹揚に頷くと、
「実においしい麺だった。今度いっしょに食べに行こう」
ディランに言い残し、部屋を去っていった。
後に残されたディランは、すっかり散らかった部屋を見回すと、服を握りしめたまま頭をかかえてうめいた。
「ああー、もう! なんだって俺はあいつのことが嫌いになれないんだ! ちょっといっしょに食べに行きたいのが悔しくて仕方ない!」
ディランの地団太は、階下のかさご屋にも伝わる。
客の少ない午前中、かさご屋の女主人オステリアは、揺れる天井を見上げた。
「またハガネに振り回されているんだねえ、あの子」
「いつものこと」
すまし顔で、ティレットが言う。メイも、苦笑いを浮かべる他ない。
「戻ってきたら、エールの一杯ぐらいおごってやるかね」
「無駄。好きでやってる」
「てぃ、ティレット、それはあんまり、かも……」
なぜなにティルトワース
ティルトワース大評議会/小評議会
ティルトワース郡は今でこそルーストリア王国の一地方行政区画だが、かつてはティルトワース共和国として、それなりに堅固な政体が築かれていた。歴史的なありとあらゆるすったもんだの果て、『国家元首』という役職こそ消滅したが、その下の大評議会は権能がまるごと残された。
ルーストリア本国から派遣された郡長官の下に、ティルトワース貴族によって構成される大評議会が存在する。大評議会議員には、派閥争いや根回しや不可解な金の移動の後、任期制で役職が割り振られる。即ち、十頭会、小評議会、ティルトワース行政院、ティルトワース司法院である。迷宮災害の際には、小回りが利く小評議会の参集が一般的な対応フローとなる。
迷宮喰いの出現は激甚迷宮災害指定の可能性も考えられる。迷宮保安委員会の災害担当官たちは、冒険者からの一報に飛び起きるなり十分以内にレディア・リオ宮に集合。竜巻のような勢いで情報を収集した。そして得られた情報は、災害を出世のチャンスとしか思っていないような議員や自己保身に走る議員によって踏みにじられた。