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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第七話 ベルカ、吠えないのか?
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ベルカ、吠えないのか?⑦

 背中にやわらかな感触があった。次いで光を感じた。それから全身の痛みがあった。

 サンゴは、おずおずと目を開いた。

 草原くさはらであった。

 

 薄曇りのように光が散乱する空は高く、無風で、初夏のあたたかさを感じた。


 さらさらと、小川の流れる音を感じた。サンゴは首を曲げて、そちらを見た。

 澄んだ黄金色の液体が、川筋に流れていた。


「蜜……」


 再度、サンゴは顔を天へと向けた。翼を広げたグリフィンが、頭上数十メートルを心地よさそうに飛んでいた。

 ベルカ、ではなかった。艶やかな黄色い嘴と雪白の羽毛。若く精悍で、鞍を帯びていない。ティルトワースから姿を消して久しい、野生のグリフィンだった。


(おれはやはり、楽土に来たかったのか)


 サンゴは口に出さず、呟いた。


(けっきょく、取り残されることに怯えていたのか)


 死の直前に見ている幻覚か。第七層に散ったグリフィンライダーが行き着くとされる楽土は、事実、存在したのか。どちらにせよ同じことだった。これが望んだ結果だとすれば、自分の半生はただ強がるためだけにあったようなものだ。


 サンゴは這っていき、蜜の小川に手を浸した。冷たさもくすぐるような手触りも、心地いいものだった。てのひらで掬い、啜った。倦んだ心が晴れてしまいそうなほど、活力に満ちた甘さだった。


 川岸には、岩のようなものが点々と突き出していた。よくよく見ると内部が透けており、なにか、目玉らしきものが見える。不気味であった。この世にあっていいものとは思えなかった。


 若いグリフィンがサンゴの隣に降り立ち、川に顔を突っ込んだ。嘴に蜜を貯め、体を反らせて飲み込んだ。幾度か繰り返し、満足したように歩き去っていった。

 蜜は、立ち上がるだけの気力をサンゴにもたらしていた。丈低い草を踏み分けながら、あてもなくふらふらとサンゴは歩いた。


(あてもなく? 違う。おれは死者の群れを探している。はやく仲間に入れてほしいのだ)


 草原は生命に満ちていた。名も知らぬ小動物や虫、鳥の類がうろつきまわり、生を謳歌していた。

 がさっと、草を搔き分ける音がして、振り返ったサンゴは目を疑った。

 デザートワイバーンだった。それも、ただの個体ではない。額の痛ましい傷痕は、メイの銛硝子によって抉られたものに相違ない。

 亜竜に敵意はなかった。琥珀色の瞳にはサンゴへの無関心があった。


「おまえも、来たのか」


 声をかけるが、デザートワイバーンは気にも留めなかった。前脚を突っ張り、尻尾をぴんと立てて大きく伸びをし、あくびをすると、その場で丸まった。サンゴが見守っているうちに、亜竜は目を閉じ、寝息を立てはじめた。


 知性無き魔物が、こうも無警戒な姿を人前で晒すはずがない。とすれば、ここは楽土なのだ。愚か者は自ら夢想する理想郷で、捕食者と被食者を殺し合わせず共存させる。漁師たる自分の中に、そのような夢があったのだ。


「ここにいたか」


 草を踏みながら、一人の男が現れた。

 綿ポリエステル混紡のワイシャツ、ニットタイ、ウールシルク混紡のベスト。

 コットンのスラックス。

 牛革のスクウェアトゥ。


 ティルトワース郡には、否、この世界には存在しえない素材で作られた服に身を包む、青年。

 そんな青年が、デザートワイバーンに呼び掛けていた。


 声をかけられたデザートワイバーンは薄目を開けると、青年の手に頭をこすりつけた。青年は亜竜の頭を撫でてやった。


「サンゴ氏も目を覚ましたようだな。気分はどうだ? 目立つ外傷は治癒し、失った体液も補っておいたが」

「あんたは……メイの」

「吉良ハガネ。銅鉄一家のパーティメンバーだ。粘菌術師と呼ばれている」


 デザートワイバーンは、甘えるような唸り声をあげ、ハガネにのしかかった。異様な光景であった。


「亜竜を、手懐けたのか」

「そういう見方も可能だ。瀕死で迷い込んできたから治療しただけなのだが、デザートワイバーンは知能が高い。僕に対して親和的な態度を示すことが、生存に有利に働くと考えているのかもしれない」


 のしかかられるがままに押し倒され、喉のあたりをべろべろ舐められながら、ハガネは検討に値する仮説を語りはじめた。


「獣に、知恵があるのか?」

「デザートワイバーンは脳重量こそ小さいが、神経密度は非常に高いという仮説を僕は設定している。聞いてくれ、サンゴ氏。このすばらしい魔物は、古典的な鏡像自己認知テスト|《MSR》をクリアしているんだぞ! これもワイバーンとの相違点の一つだ!」

「は、ハガネ君、それぐらいにしたほうが、いいかも」


 おずおずとハガネに声をかけるのは、メイであった。傍らにはベルカがいる。

 ベルカは左脚を引きずり、翼を動かしてバランスを取りながら、よろよろと歩いた。サンゴのすぐそばまで来ると、額を手の甲にこすりつけた。手を差し出すと、ベルカは咥えていたものを離した。

 ルフの卵だった。


「あ、あのね、サンゴおじさん。ここは、サンドワームの中なの」

「正確に言えば、育児嚢いくじのうだ」


 サンゴは押し黙り、メイとハガネの言葉を慎重に吟味した。


「わけが分からん」


 結論は端的なものだった。


「順を追って話そう」


 ハガネはデザートワイバーンを押しのけて立ち上がり、空を薙ぐようにざっと手を振った。すると、これは如何に! 半径数メートルの半球状に光が閉ざされ、ハガネの背後に長方形の白く発光する空間が現出! そこに映し出されるのは、戯画化された砂漠だ! 砂漠のイラストを背景に、ルーストリアンアルファベットで表示される『第七層における死の行進について(作業仮説版)』の文字! ああ、君は見たか! このフォント、視認性に優れ公共空間でも幅広く利用されているFrutigerフルティガー


 これこそ世界有数の魔法使いたる吉良ハガネのパワーポイント魔法! 可読性の高さ、察するに余りある!


「これまで謎とされていた死の行進についてだが、繁殖を目的としたものであるというのが僕の仮説だ」

「は、繁殖って、交尾、してるんですか? 動きながら?」

「その通りだ。まずは集団での大移動についてだが、第七層の広大さへの適応と考えたい。サンドワームは砂の中で過ごしているが、捕食の際には砂上に現れる」

「あ! わ、ご、ごめんなさい、大きい声出しちゃいました」


 メイは口吻マズルを抑えた。


「なにか思いついたんだな、メイ」

「は、はい。その、砂の上を動くサンドワームに気づいて、他のサンドワームが砂から飛び出してくる、の、かも」

「マーベラス! 君には素晴らしい行動生態学者の素質があるな、メイ。僕も同じように考えたんだ」


 ディスプレイ上に一匹のサンドワームが出現し、砂上を移動しはじめた。すると、あちこちからサンドワームが飛び出してくる。


「話を次に進めよう。集まったサンドワームが、連結した群を作っている点に僕は注目した。これを『数珠つなぎ行動』と仮称するが、これこそサンドワームの交尾、ないしは交接であると僕は推測している」


 アニメーションが、二匹のサンドワームを横から映し出す場面に切り替わる。前方サンドワームの後部に出現した銛状器官が、後方サンドワームに突き刺さったところで停止した。


「さて、その交尾の形態だが、ダートシューティングと連鎖交尾に近いものに思われる。メイ、言ってみてくれ。ダートシューティングだ」

「だ、ダートシューティング?」

「カタツムリやナメクジの交尾中に見られる行動だ。恋矢れんしと呼ばれる構造物を相手に突き刺す」

「ど、どうしてそんなことを……」


 ある種の広義人類は、メスの腕につけた傷めがけて放精する。精子を血流に乗せて卵子に届けるのだ。そうした知識はあっても、自分の想定する尺度を越えた繁殖形態には仰天してしまうメイであった。


「カタツムリの場合、受精の成功率を高めるためだとか、他個体との交尾を抑制するためだとか言われている。サンドワームの場合、二点の機能を確認している。まずは、移動しながらの交尾を可能としているという点に言及可能だろう。もう一点の機能については、後ほど話すつもりだ。サンドワームの開口部周辺が柔らかい組織になっているのは、恋矢れんしを受け入れやすくするための適応かもしれない」


 ハガネが手を振ると、ディスプレイの表示画像が切り替わった。今度は一匹のサンドワームだが、頭が青、尻が赤に色分けされていた。


「これはまったくの推論だが、サンドワームは雌雄同体と考えられる。体の前部にメスの生殖器官を、後部にオスの生殖器官を持っていると考えて、観察結果に矛盾はない。こうした形態は連鎖交尾を可能とする。メイ、言ってみてくれ。連鎖交尾だ」

「れ、連鎖交尾っ」

「数珠つなぎ行動の先頭はオス役を担い、最後尾はメス役を担い、その中間はオスとメス両方の役割を担っている。一部のウミウシで観られる交尾の方法だ。実にマーベラスなふるまいだな」


 メイにはやや冒涜的に思えたが、ハガネがあまりにもサモエドのような笑みを浮かべていたので何も言えなかった。


「いよいよ本題だ。受精卵はなんらかの器官を通じ、この育児嚢に送り込まれる。見てくれ、メイ、サンゴ氏」


 ハガネが指さす先、川岸には、先ほどサンゴが見た岩らしき物体がある。


「あれが、卵なんだな」


 サンゴが口を開き、ハガネはうなずいた。


「その通りだ、サンゴ氏。卵嚢のすぐそばに流れる液体は、孵化したサンドワームの栄養源として母体が提供しているものだろう。母乳のようなものだな」

「乳と蜜か」


 か細い、サンゴのつぶやきであった。


「この分泌液は、メス個体にのみ流れているようだ。数珠つなぎ行動の先頭、オス個体の育児嚢には分泌が確認できなかった。どうやら、ダートシューティングの刺激をトリガーに放出が始まっているらしい。オス個体の開口部周辺組織を突いてみたところ、分泌活動の開始が確認された」

「つっつっ、つついたんですか!? サンドワームを!?」

「それなりに強い魔法矢を放ったのだが、堪えた様子はなかった。それもあって、柔らかい組織をダートシューティングへの適応と考えたんだ」

「じゃ、じゃあ、その、く、草とか、グリフィンとかは……」

「孵化したサンドワームが成長するための、生物資源バイオマスだろう。死の行進は前途のあらゆるものを飲み込む。生き残った生物は、メス個体の分泌液を摂取することで生存可能だ。死ねば微生物に分解され、土壌が形成される。土壌には植物が発生する。それらを捕食し、サンドワームは成長していくんだ」


 メイの想像を越えた、サンドワームの生態であった。ハガネの仮説が真だととすれば、この巨大生物は、腹の中に一つの世界を丸ごと抱えているようなものだ。


「楽土は……なかったんだな」


 サンゴが言った。


「おれは、なにも知らなかった。知ろうとしていたのかも、もう分からん」

「まったくだ」


 サンゴが口走った自嘲の言葉に、ハガネは間髪入れず相槌を打った。メイはけっこうぎょっとして口を挟みかけたが、すぐに思い直した。

 吉良ハガネは、他人の生きざまを愚かと断ずるような男ではないのだ。


「まったく、なにも知らなかった。素晴らしいことじゃないか、サンゴ氏! 僕たちの前にはいつも山盛りの未知が広がっているんだ!」


 ハガネは両手を大きく広げた。迷宮の全てにその指先を届かせようとでもするかのように。


「ああ、サンドワーム! なんてマーベラスな生き物だ! 体内に一つの生態系を築いているんだぞ! そんな生き物がいることを、僕はこれまで知らなかった! メイ、メイ、聞いてくれ、僕は絶対にこの生物を研究するぞ! 生態系サービスの宝庫とでも言っておけば国庫から無際限に予算を引き出せるんだ! ううう! がまんできそうにない! 今すぐ研究計画書を然るべき機関に提出したい!」


 これこそ学振PD時代に培った舌を巻くべき予算獲得力に他ならない! 吉良ハガネ、博士時代に培ったあらゆることを一点張りで押し通す力は衰え知らず!


 サンゴはルフの卵に目を落とした。

 寄り添うベルカの鞄に、卵をしまった。


「最後の仕事は、これで終わりだ。帰ろう、ベルカ」


 帰るあてなどないだろうに、サンゴはベルカを連れて歩き出した。

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