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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第七話 ベルカ、吠えないのか?
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ベルカ、吠えないのか?⑥

 ああ、君は見たか! 硝子繊維の両翼をはためかせ、薄闇を切り裂きまっしぐらに飛び来る白き獣人! アイスブルーの虹彩に引かれた刃のような鋭い瞳孔が映すのは危殆に陥った愛すべき家族! 飛翔せよ、メイ!


「サンゴおじさん! ベルちゃん!」


 メイは吼え叫び、一羽と一人の頭上を鋭く旋回した。ベルカの爪は、未だ暴れ狂うデザートワイバーンの肩に食い込んでいる。脱臼した左脚である。自力で引き抜くことは不可能となっているのだ。

 メイは単点突破の高威力攻撃魔法を持たない。迂闊な接近が招くのは亜竜の攻撃による惨死!


 それゆえ、メイよ、“玻璃”の二つ名を持つ驚異的な魔法使いよ! 君の硝子魔法は今こそ限界を越えねばならぬ!


 動転した状態で魔法を放てば魔力の暴走を招き、術者に死をもたらしかねない。メイは熱く濡れた空気を静かに吸った。身をく憤激と心を凪ぐ寧静とがやがて合一し、彼女は銅硝子の鈴を凛と鳴らした。


銛硝子モリガラス


 硝子繊維が渦を巻き、アルキメディアン螺旋の形状を採った。メイの確殺意志に応じて中空で回転した硝子螺旋は、円錐状の先端をひたと亜竜に向け――放たれたる、穿うがち殺す一矢いっし! 自転によって安定性を得た直進軌道! 硝子螺旋の先端部はデザートワイバーンの頭部に触れ、回転は尚も継続! 肉と血の飛沫を豪雨に負けぬ勢いで噴き出しながら、脳幹めがけただひたぶるに掘削! 分厚い頭骨をじりじりと掘り進んでいく!


 メイは首元の鈴を握りしめ、歯を食いしばった。頭蓋の抵抗は凄まじく、一瞬でも気を抜けば硝子螺旋は安定した回転を失い弾き出されるだろう。魔法の繋がりを通して感じるのは、自らの歯を神経ごと削られているような不快な痛みと振動。


「お願い……貫いて!」


 メイの振り絞る絶叫に、魔法はよく応えた。不意に抵抗が失せ、魔法の螺旋は勢いを増してデザートワイバーンの頭蓋へと食い込んだ。亜竜は翼をびくんと跳ね上げ、もたげていた首をぐったりと力なく垂らした。


「今!」


 メイは相対位置を保ったまま高度を下げ、ベルカの手前で滞空した。グリフィンはきゅうきゅうと高く甘い声で唸り、メイの体に額をこすりつけた。


「ま、待っててね、ベルちゃん。すぐ、外してあげる」

「メイ」


 鞍上に這い戻ったサンゴが、鼻から垂れた血を拭い、息も絶え絶えにメイの名を呼んだ。


「ごめん、ね、サンゴおじさん。じゃ、邪魔、だった、かも」

「いや。ありがとう。おまえは優しいな、メイ」


 メイは困ったように笑うと、デザートワイバーンの翼に食い込んだグリフィンの爪を外しにかかった。


「ベルちゃん、が、がまん、してね。痛い、かも」


 獅子の脚に手を当て、持ち上げる。ベルカは鎖した嘴の隙間から、しゅうしゅうと音を漏らした。耐えているのだ。

 引き締まった筋肉から、ネコ科の爪がゆっくりと抜けていく。


「も、もう、ちょっと……もうちょっと、で」



 その時である!



「キガアアアアアアア!」


 デザートワイバーンが突如として咆哮! むちゃくちゃに翼を振り回し、ふらつきながら上昇開始! 硝子螺旋は魔物の脳を貫き、殺した筈なのでは!?

 これこそがワイバーンとデザートワイバーンを画す第三の特徴、脳重量! 魔法行使のために大脳を発達させたワイバーンと比して、デザートワイバーンのそれは遥かに小さい! それがため、メイの銛硝子はデザートワイバーンの脳に到らず! 即ち、即死せしめること能わず!


「ひゃあああ!?」


 メイは思わずベルカの脚にすがった。脱臼した左脚に突如として走った激痛、察するに余りある! 痛みに理性を吹き飛ばされたベルカもまた、悲鳴を上げて暴れ出した!


「ベルカ!」


 サンゴが張り上げた声も届かず、ベルカは尾翼に魔力の炎を点して急加速した。サンドワームの群れの中、ベルカは狂的な軌道を描いて飛びまわった。


「うわわわわわわわわ!」


 眼前に迫る巨大な壁、いや、それはサンドワーム! ベルカはインメルマンターン軌道で鋭角急上昇、空中で逆さになり、横倒しになり、しがみつくだけの人体と突き刺さっただけのデザートワイバーンに凄まじい加速度の負荷を押し付ける! 


「メイ、耐えろ」


 サンゴの声に賦活され、メイは一瞬の失神から復帰した。


「わ、わた、わたし」

「乗れ、メイ、振り落とされるな」


 崖のようにそそり立つサンドワームの隙間を縫って、ベルカはローリングとヨーイングを繰り返す。激しく揺さぶられながら、メイはサンゴに差し伸べられた手を掴んだ。老いた獣人は渾身の力をこめ、メイの体を鞍上に引きずり上げた。メイは後ろから覆いかぶさるようにサンゴに抱き着き、歯を食いしばって目を閉じた。


「ベルカ、ベルカ。落ち着け。おまえは砂原のあるじだ」


 サンゴはベルカの首筋に手を当て、繰り返し呼びかけた。人体を意に介さず機動していたベルカは、やがて大きな径の弧を描きはじめた。


「そうだ、ベルカ。おまえは、おれたちだ。高く飛んで、見下ろすのがおれたちだ」


 ベルカは小さく喉を鳴らし、双眸を天へと向けた。この大深度から浮上せねばならぬ。意志力を込め、ベルカは翼を広げた。



 その時である!



「ケケーン!」


 勁悍けいかんたる鳴声が豪雨を切り裂いた。ルフ! 驚異的な魔物が、デザートワイバーンめがけて急接近している! 風切り羽に灯った魔力の炎が雨を焼き、湯気の尾を曳いて迫る様はさながら凶兆たる彗星!


「うわ、わ、わ、さ、サンゴおじさん! 来た、来ちゃった、かも!」

「漁をしていれば、よくあることだ」


 傷を負い、弱ったデザートワイバーンを狙っての産卵。これはルフの中でも、比較的小さな個体によく見られる行動であった。小個体とはいえその翼幅はメイの身長ほどもあろうか。老人と老グリフィンと動転した魔法使いにとっては十分な脅威だ。

 まずはなんとしても、ベルカとデザートワイバーンを切り離さねばならなかった。幸い、引っかかったままのデザートワイバーンは衰弱し、もがくことすらしていない。


「ベルカをなだめてやってくれ、メイ」

「う、うん」


 サンゴは両の鐙から足を外すと、亜竜の背に降り立った。メイは前に詰め、ベルカの首筋に手を当てた。


「へ、平気だよ、ベルちゃん。平気、だからね」


 サンゴは膝をつき、ベルカの足元までいざっていった。爪は鱗と皮膚の隙間に潜り込んでいる。サンゴは鐙に右手を通し、左手でベルカの爪を掴むと、軽く揺さぶった。めりめりと音を立てて肉と鱗がはがれ、血が溢れ出した。もとよりデザートワイバーンの重量を爪の一点で保持していたのだ。外部から軽く力を加えるだけで、容易に外れるのも道理である。


「さ、サンゴおじさん! ルフが!」

「ケケーン!」


 デザートワイバーンの斜め後方に到達したルフは、相対位置を保ちながら威嚇の声を上げた。産卵の隙を伺っているのだ。いずれグリフィンも老人も無力と断じ、一気に突っ込んでくるだろう。


「分かっている、メイ」


 死の扉の、有り得べからざる幾枚目か。だがサンゴは恬然と死地に臨んでいた。恐るべきことなど何があろう。彼は漁師なのだ。衰亡を受け入れ、たった一人、第七層と死の行進に挑み続けた偉大な漁師なのだ。


 肉を引き裂きながら、とうとうベルカの爪は自由となった。デザートワイバーンは最後に力なく翼を一打ちすると、死の行進が巻き上げる塵埃のさなかに没した。


「ケケーン……!」


 ルフは苛立ったように小さく鳴くと、風切り羽根に魔力炎を点して一息に垂直上昇し、去っていった。


「切り抜けたな」


 サンゴはふうっと深く息を吐き、メイの手を借りて鞍についた。



 その時である!



 サンゴは視界の端にめのうの煌めきを見た。それが重力加速度のままに落下していくのを見た。何事か、すぐに了解した。

 デザートワイバーンの最後の翼の一打ちは、その鋭利な翼爪よくそうで、ベルカの負った鞄を切り裂いていたのだ。荷物と共にルフの卵が落下するのは、必定!


 サンゴは振り返ってメイを見た。

 メイは老いた親族の顔に浮かんだ表情を前に、ただ、うなずいた。


「行こう、サンゴおじさん!」

「すまない、メイ」


 サンゴは体を寝かせ、グリフィンにぴったり寄り添うような格好になった。鞍上あんじょうのグリフィンライダーが取るべき基本姿勢である。

 この姿勢でいると、ベルカの体温と臭いがはっきりと分かる。翼を打つ度に皮膚下で無数の筋肉が連動しているのを、裸の肌で直接感じられる。


「ベルカ――」


 それは、二つの体を鼓舞する言葉であった。触媒に魔力をふくませるように、サンゴは漁がはじまる度、危殆に陥る度、繰り返し、この言葉で自分とベルカを駆動させた。


「――吠えないのか?」


 無辺の砂原に、偉大な古い魔物の咆哮が響き渡る。


 ベルカは翼を畳んだ。前肢を体にぴったりくっつけ、後肢をまっすぐ伸ばし、くちばしを地上に向け、曲射された矢のように鋭く墜ちた。

 尾翼に魔力炎を点し、渦巻いた空気を切り裂きながら三つの体は深く深く潜った。


(人生の最後に、とんでもなく愚かな選択をしたものだ)


 落ちながらサンゴは思う。


(弟の孫を、自殺に巻き込んでしまった。生き方を選べなかったように、死に方も選べなかった)


 ベルカはサンドワームの巻き起こす煙霧の中に突っ込んだ。ルフ卵が放つかすかな輝きを視界に捉えたサンゴは、右の鐙にわずかに体重をかけた。一人と一羽とは今や人鷲一体じんじゅいったいの境地に至り、ベルカはサンゴの意図を察するより早く軌道を変えた。

 飛びながら羽虫を食らう夜鷹のように、ベルカは大きく口を広げた。その嘴の間に、卵が収まった。

 不意に、世界がかげった。薄闇から湧き出すように、円形の闇が生じた。サンドワームの開口部が、すなわち確死が、避け得ぬ至近にあった。


 サンドワームは、サンゴとベルカとメイをまとめて一呑みにすると、些かの迷いもなく死の行進を続けた。

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