表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第七話 ベルカ、吠えないのか?
51/55

ベルカ、吠えないのか?④

 一方で、サンゴを追って第七層に踏み込んだハガネとメイである。彼らは小さな丸テーブルを挟んで椅子に腰かけていた。テーブルの上には、かさご屋の女主人オステリアが持たせた軽食の類を並べている。


「マーベラス! もっと近くで見たい! この集団移動にはなんの目的があるんだ? ああ、標本にしたい! 累代飼育してみたい! ゲノム解析もだ!」


 思いついた欲求をすべて口走り、今にも椅子を蹴立てて犬のように飛び出そうとするハガネ。


「だ、だめ! ハガネくんでも、死んじゃう、かも!」


 椅子にしっかりしがみつきながら、ハガネを制そうと叫ぶメイ。


 彼らは、死の行進を前方から見下ろす高所に位置していた。二人とも足場無き空中に在って、単に大地が見えなくなっただけのように振る舞っていた。

 これこそ、史上有数の魔法使いたるハガネによる浮遊の秘術であり、今回はそこに一捻りを加えていた。死の行進における先頭個体との相対位置を保ち続けるよう、魔法に一筆書き添えたのである。故に二人は、中空を高速で移動しながらも、テーブルを囲んで軽食を摂っている。


「サンゴおじさん、だ、だいじょうぶ、かな」

「今のところは問題ないようだ。グリフィンの上でうたた寝している。グリフィンも……マーベラス! 左目だけ閉じているぞ! 半球睡眠か?」


 ハガネは再び興奮し、椅子を激しく揺らした。


「み、見える、の?」

「視力を魔法で一時的に強化したんだ。メイもやるか?」


 頷くと、ハガネは人差し指でメイの眉間を二度突いた。


「あ……サンゴおじさん、かも」

「漁のプロトコルに沿って、デザートワイバーンを味方につけたようだな。さて」


 ハガネは空中に生じた虚無に手を突っ込んで、寝具を引っ張り出した。見よ! 無数の凹凸を持つマットレスのタグには燦然たる『AIR』の文字列! 東京西川が誇る高反発マットレスの寝心地、察するに余りある! 舌を巻くべき加齢に伴う避け得ぬ身体不調への気遣い! 吉良ハガネ、三十台を迎えた自らの身体能力に対して些かの油断も無し!


「しばらくは停滞するはずだ。交代で仮眠を取ろう。何かあったら起こしてくれ」

「え、あ、うん」


 ネクタイを緩めて横になると、ハガネはたちまち寝息を立てはじめた。舌を巻くべき入眠速度! 動物の生態に合わせざるを得ないフィールドワーカーにとっては必須の資質である!


 そしてハガネの予言通り、ここからが長かった。



 デザートワイバーンを従えたサンゴとベルカは、丸一日飛び続けた。無辺の砂漠に熱の瘢痕を刻みながら進行するサンドワームは、その速度を決して緩めなかった。前方を逃げる魔物の数もまた、増え続けた。


 十分刻みの眠りと長時間の覚醒を繰り返しながら、サンゴとベルカは飛び続けた。ひっきりなしの雨に打たれ、立ち昇る熱い空気に押されながら、高度を堅守した。


「なあ、ベルカ。おれたちにも、小さな獲物が必要な頃合いだろう」


 鞄から取り出したのは、一枚の木片である。太い幹糸に幾つかの枝糸をくくって、その先端に鉤針を付けた仕掛けが巻き付けてある。絡まないように仕掛けを解いていき、鉤針の一つ一つに塩漬けの魚の短冊をかけていく。

 出し終えた仕掛けは、風にはためいて小さな動物を誘った。仕掛けの終端には錆びた鉄環が結んであって、サンゴはこれをしっかりと握った。これは小物獲り用の延縄であった。


 食い気を出した獲物がさっそく針にかかった。幹糸を通して、鉄環まで震えが伝わった。サンゴは後方に目をやった。一羽の、なにか鳥のようなものが気流に弄ばれながらもがいている。しばらく待って追い食いをさせると、似たような鳥がつごう三羽も針に食らいついた。


 サンゴは、仕掛けを木板に巻きつけながら手繰っていった。やがて一羽が眼前に現れた。スズメの類である。暴れまわったせいで幹糸が頸に巻きつき、既に絶命していた。サンゴはそっと糸を外し、鳥を鞄に放り込んだ。


「そら、ベルカ」


 仕掛けを回収しおえたサンゴは、二匹をベルカの口元に持っていった。ベルカはサンゴの手首をくちばしで四度噛んだあと、ようやく鳥を探り当てて呑んだ。


「うまいか。血と内臓だ。体を熱くさせて、動く力をくれるものだ」


 残った一匹の首を捻ってちぎり、溢れた血をサンゴは呑んだ。ぬるさと塩っぽさと錆び臭さが、サンゴの体をめぐる。サンゴは頭も体もひとまとめに口に放り込んで、咀嚼した。濡れた羽毛のひなびた匂いがした。


「おまえとおれは、同じものを食う。分かるか。そうしておまえとおれは、一つのものに近づくんだ。ベルカ」


 ベルカは応じるように翼を打った。


 ルフ漁の死の扉の、これは二枚目であった。デザートワイバーンを従えた後は、ルフの到来を待つ他ない。いつまで経っても現れぬルフを待ち続け、気力を使い果たして墜死したグリフィンライダーは数知れない。彼らは決して引き下がることを知らなかった。死の行進はいつ起こるとも知れぬもので、その間隔も不定である。ルフ卵殻の相場が大高騰していたひところでは、命知らずの一匹と一人の死体が砂漠に散乱したものだった。


 短く眠り、延縄で獲物を捕らえ、飛び続け、四日目の朝を迎えたころである。


「マーベラス! マーベラス! マーベラス!」


 奇怪な叫び声を耳にしたサンゴは、視線を下に向けた。そして、弟の孫が懇意にしている冒険者が、死の行進めがけてまっすぐ落下していくのを目にした。

 サンゴはそれを眠気の呼んだ幻覚と断じ、禿頭をぴしゃりと叩いた。


 無論それは、幻覚などではない。調査対象にできる限り接近したいというフィールドワーカーとしての健全な欲求を抑えきれなくなったハガネが、サンドワームの群れの中に自ら飛び込んでいったのである。


 ハガネは牛革のスクウェアトゥの爪先をサンドワームの表面に置いた。灰と黒がまだらになった表皮はざらついており、後ろに向かって流れるこわい短毛で覆われている。砂中で滑らかに移動するためのものであろう。


「サンドワームは地中に適応しているようだな。では、この行動にどんな意味があるんだ?」


 大きく持ち上がり、叩きつけるように激しく落下する移動の最中である。しかしハガネの体は揺らがない。舌を巻くべき体幹の強度! これこそがフィールドワーカーに求められる資質である!


 ハガネは、サンドワームの進行方向を目指して歩きはじめた。数キロに及ぶ体である。一時間も歩き詰めただろうか、ようよう先端の辺りまで来たところで、足裏に伝わる感触の変化があった。下を向けば表皮の有様が変化している。茘枝ライチのような乳白色をしており、無毛で、靴が半ば沈み込むほど柔らかい。


 さっそくしゃがみこんで、調べてみる。毛で覆われてごつごつした皮膚との継ぎ目に手を突っ込み、開いた。柔らかい部分とは、半透明の膜状組織で結びついている。一部を掻き取ろうと試みた指先が、強く押し返された。


「マーベラス……いや、オーサムと言うべき靭性だ。非常に興味深い」


 ハガネは厳かに呟いた。体躯の先端のみが、なぜ柔らかくなっているのか? 検討し甲斐のある課題だ。立ち上がり、更に歩を進める。その先には開口部があった。ハガネは危険を顧みず、知的好奇心の赴くままに突き進んでいった。

 サンドワームの体の前面には、どことも知れぬ目的地めがけてぽっかりと開いた巨大な穴がある。かつてこの深淵を覗きこもうとした者などいないだろう。そんなことをすれば、一瞬にして呑み込まれ命を散らすだけである。しかしハガネは躊躇しなかった。迷わずに突き進み、乳白色のオーバーハングに手をひっかけてぶら下がった。底知れぬ闇の奥には、真珠色のきらめき――



 その時である!



 不意に前方のサンドワームが速度を緩めた。二つの巨体が見る見る内に接近する! ハガネが見たものは、前方サンドワームの突端に生じた槍状器官! さながら全長数キロの鯨を打つため鍛えられた銛! 石灰質の白濁した外観が暗緑色の粘液できらめく、凝縮された悪意の形象! 


 しがみついたサンドワームの開口部と迫り来るサンドワームの槍状器官をハガネは交互に見た。そして電撃的な閃きに全身を打たれた。


「ま、ままままま……」


 ハガネは両手の拳を強く握りしめた。そんなことをすれば、どうなるか。当然、その身体を自由落下に任せることとなる。


「マーベ」


 全てを言い終えぬうち、ハガネの体は槍状器官に突かれ、開口部へと呑み込まれていった。

 

 そのやや上空にはサンゴがいて、ベルカと共に僅かな眠りを味わっていた。


 そのやや上空にはメイがいて、高反発マットレスの眠り心地に感動していた。


 誰にも気づかれぬまま、ハガネは闇に消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ