郡長官と巣作り長虫①
偉大なるドワーフ、ガッルギリス’により見出されし迷宮、“刳岩宮”。
この驚嘆すべき迷宮には、数多くの度外れた生物が存在する。
熱波吹き荒れる火と土くれの階層には、巨大なドラゴンとその眷属たるワイバーン。
光無き地底湖に潜む桁外れの怪魚、バハムート。バハムートと奇妙な共生関係を結ぶ、アブトゥやアネットなどの水棲動物。
ヒトやモノに変化し、冒険者を幻惑するバルトアンデルス。この怪物は、オドラデクやクラムボンといった希少生物に化けることを、最近覚えたという。
しかしながら、英雄が挑み、詩人が詠う魔物が潜むのは、刳岩宮の深層だ。
今回われわれが覗き見るのは、刳岩宮第二層。多くの冒険者が足早に通り過ぎる土地。
ディラン、メイ、ティレット、ハガネ。
冒険者パーティ銅鉄一家は、深い夜に刳岩宮へと挑んだ。
ヨウセイボコリの駆除も終了し、すっかり落ち着いた第一層からひとつ下った、第二層。
「じめじめする! 変な虫も多い! なんでこんな虫ばっかりいるんだよ!」
さっそく唸り声をあげるのは、パーティリーダーのディランだ。
ギャンベソンを着込んだ彼にとり、第二層は不快この上ない空間となる。
石造りの階段を第一層から十数段ほど下れば、そこにあるのは、人跡未踏の深い森である。
高く高く伸びた陰樹は遥か天で枝葉を絡ませ、陽の光は決して差さない。故に、低木や下生えすら、この地に蔓延ることはかなわない。
じっとりと湿った大地はところどころ地盤が露頭し、落ちた枝は水を吸って膨れ上がっている。水たまりにはボウフラや赤虫が沸き、わずかな有機物を喰い漁る。
いびつな大木には地衣やコケ、つる植物が巻き付き、光を好まぬ蛾やちっぽけな吸血性の虫けらが飛びかっている。
魔物もなく宝もなく、その上こうも陰気な場所であれば、並の冒険者が素通りするのも無理なきことだろう。
だが、このパーティには、並ならぬ粘菌術師が一人。
「君の言う通り、この階層の生物多様性は実にマーベラスだな、ディラン。このツル植物の葉を見てくれ、フィールドサインの宝庫だぞ。いったい何種類の昆虫に食害されていることか!」
見る影もなく蚕食された葉っぱを手に取り、ハガネがうれしそうな声をあげる。
「愚問。どうでもいい」
ティレットが吐き捨てるように言った。彼女は虫など絶滅すればよいと本気で思っている。遊牧の民たるプレーンズ・エルフ出身の彼女にとって、虫と言えば、どこからともなく大量にやってきて、わずかな牧草をあっという間に食い尽くす大敵であった。
「な、何種類、なんですか?」
一方で興味を示すのが、メイだ。満月のように大きくなった瞳孔は、好奇心の飢えを示している。
「葉っぱの丸まり方、これはメイキュウヒトスジタテハのカーテン巣だ。こっちの切り抜き痕は、ルーストリアギングチが営巣の為に持っていったものと思われるな」
「へえー! へえー! ギングチって?」
「ハチの一種だ。大顎の奥に銀色のヒゲが生えていてかっこいいぞ。ルーストリアギングチなら標本を持っている」
「そ、それ、見たいです!」
「オイオイオイオイ! ちょっとした葉っぱでどれだけ楽しむつもりだよオマエらは!」
「雑談は忌むべき。仕事を終わらせてから」
ティレットがメイを、ディランがハガネをひきずって、歩き出す。
引きずられながらも、ハガネは迷宮生態系について語るのを止めなかった。
銅鉄一家のこの度の目的は、迷宮に生える、取るに足らぬ木だ。若木の樹皮を乾燥させると、ティルトワースで好まれる香辛料や、生薬の原料になる。ちょっとした仕事だが、これがなかなかどうして、金になる。
「この木がな、陽のさすところにしか生えないんだ。で、第二層ってのは大体こんな感じだろ?」
ディランが、ぐるりを手の動きで示した。
「だが、俺は良い情報を手に入れたんだ。どうも最近、第二層のあちこちで、木が枯れてるらしいってな。俺はピーンと来たね。木が枯れたら、そこに光が入るだろ? そしたら、例の木もそこに育ってるはずだ」
「攪乱が起きて、ギャップに陽樹が茂るわけか。しかし、どうしてそんな現象が起きているんだ?」
ディランに引きずられながら、ハガネが問う。
「さあな。寿命かなんかだろ。とにかく、こういうのは早め早めに動かないと、ほら、他の連中もアレするだろ? 採るだけ採って、ダブつく前に高値で売っちまうんだ。ティレット、今日はカルパッチョ食っていいからな!」
「嫌な予感」
ぼそっと、ティレットが呟いた。ディランが『すごい発見をした』り、『ピーンと来た』りした場合、どういうわけか、たいていろくでもない結果が待ち受けているのだ。
やぶ蚊以外の何物にも襲われぬまま、銅鉄一家は、目当ての場所に辿り着いた。
「こりゃあ……思った以上だな」
それが、ディランの感想である。
どれほどの歳月を積み重ねたものか。途方もなく巨大な樹木が、へし折れ、横倒しになり、巻き添えになった木々と折り重なっている。
ぽっかりと空いた隙間にはまばゆい陽光が差し込み、そこだけ、下草と低木の生える地となっていた。
「だが、こっちは思った通り! 見ろよ、生えまくってる!」
ナイフを抜いたディランが、陽光差し込むギャップめがけて走っていく。メイもティレットも、警戒は怠らず、ディランに続いた。
「ふむん」
ただハガネ一人が、倒れた大樹に近づいた。手を這わせ、目を凝らし、端から端まで歩いていったら、折り返す。
小さくうなずいて、木の皮をはぐディランたちに、歩み寄った。
「ディラン、早めに切り上げた方がよさそうだ」
「はあ? 冗談だろ? せっかく一番乗りしたんだぜ!」
ハガネに背を向け、ナイフを滑らせ、ディランはへらへらと笑う。木の皮が金にでも見えているようだった。
「木の枯れた理由に見当がついた」
「うわっなんだよ!」
ディランの首根っこをつかんで引きずり、倒れた大樹の前に連れていく。
大樹の幹には、人をそのまま投げこめそうなほど巨大な穴が、ぽっかりと、空いていた。
「オイオイオイオイ……」
「フィールドサインだ、ディラン。巨大生物が、木を内側から食い破ったと推測される。心材を食害されたことで、枯れてしまったんだろう」
「ってことは、ここから、その魔物が出てきたってことか?」
ディランが空想したのは、大人一人でも抱えきれぬほどの胴回りを持った、ばかげて大きな芋虫の姿であった。
「いや、違う。これは恐らく、産卵痕だ。外側から掘削したように見える」
「……ってことは、つまり?」
ディランの耳には、先ほどから届いていた。うめき声のような、風の唸りが。
「羽脱孔は、こっちだろう」
大樹の幹には、貴族の邸宅をそのまま投げこめそうなほど巨大な穴が、ぽっかりと、空いていた。その穴から、唸りを伴う生臭い風が、ひっきりなしに吹き出しているのだ。
穴の周辺には、丘のように巨大な物体が、いくつも転がっている。黒くてごわごわしたものと、木の破片が、粘つくなにかでまとめられたものだ。
「木屑と糞を、糸で綴ったものだろう」
「糞……」
ディランは、自分よりも大きな一塊の糞を見上げて、呆然とした。
途方もない魔物が、この階層に存在する。その実感が駆け上がってきて、膚を粟立たせた。
「どういう生物かは分からんが、大きいことだけは間違いなさそうだ。移動先に立っていただけで轢き殺されそうだな」
「迷宮喰い、かも……」
慄きと畏れの声で、とある名を口にしたのが、メイである。
「迷宮喰い? なんだそりゃ」
「と、とっても大きな、長虫です。ずっと昔、二層に出てきて、そのときはすごく大変だったっておじいさんに聞いたことがあって、それで……」
「オイオイオイオイ! 二層だぞ! なんだって長虫なんか沸くんだよ!」
長虫! この恐るべき種族の名を聞いて、震えあがらぬ冒険者などいようか! 一説によれば氷河期に繁栄を極めたと言われるこの魔物は、災厄の象徴である。
分厚い鱗と鋭い嘴を持つ姿は、四肢を持たぬドラゴンと評される。その性は獰悪にして粗暴、目にするものすべてに襲いかかり、ヒトだろうと山だろうとなんでも喰らい、巨体の糧とする。
「そもそも、どうして迷宮の深層にばかり、『強い魔物』と呼ばれるような生物が存在するんだ?」
「ああー!? オイオイオイオイ、時間と場所を考えろよ! そんな疑問を抱いている場合か!?」
ハガネの問いに、苛立ちを隠さぬディランの怒鳴り声。
「どっちも愚問。早く帰る」
ティレットが割って入り、今後の方針をシンプルにまとめた。動転してしまったことを恥じたディランが、ほほを掻いて苦笑いし、
「ああ、そうだな。悪いティレット、カルパッチョはおあずけ――」
つまらない冗談を言おうとしたところで、大地が大きく揺れた。
「うひゃあわわわわわ!」
よろけたメイを、ディランが支える。ティレットが剣の柄に手をやり、ハガネが目を輝かせる。
「マーベラス! 観察機会が向こうからやって来たぞ!」
「そんな場合じゃねえだろ! 逃げるぞ、ハガネ!」
木々がよじれ、裂ける痛々しい音。樹冠に憩っていた鳥たちのはばたきと悲鳴。異様な臭気。それらが、凄まじい速度で接近する。
一本の大樹が、不意に、根本から天高く弾き飛ばされた。
陽光を覆い隠して宙を舞い、地響きと土埃を伴って森に落ちる。四方八方で、動物たちがけたたましい声をあげる。
そしてそれが、姿を現した。
「オイオイオイオイ……!」
ああ、君は見たか! なんという……なんという圧倒的な存在感の魔物だろう! まさにその姿、四肢なき竜!
火山ガラスのように透き通った分厚い鱗は、その一枚一枚が人の背丈を容易に越える。鎌首をもたげパーティを睥睨するその顔面は、爬虫類の冷徹と猛禽の威厳! 熾火のように真っ赤な瞳の中、ぽつんと浮かんだ闇色の瞳孔は、たしかにパーティを捉えている……捕食対象として!
「ディラン、見てくれ! あの嘴、なんのためにあると思う? 食性が気になって仕方ない!」
「いいか逃げるんだよ! 知らないよ嘴のことは!」
ぱかりと、迷宮喰らいが口を開く。ああ、なんと冒涜的な乱杭歯! 不規則に並んだ三列の鋭き鋸歯は、触れた途端にあらゆる肉を細切れと化すだろう!
「肉食か!?」
「なんでもいいんだよ何食ってるかとかは! うわー! うわー! どうすんだこんなの!」
「愚問。逃げるだけ!」
ティレットが、自失するメイの手を取って走り出した。ディランはハガネの横で、我を忘れ喚いている。
迷宮喰いが、長い首をぐぐっとたわませた。筋肉が膨張し、鱗が逆立つ。ますます大きく裂けた口、その下あごが左右に別れた。
「丸呑みか! マーベラス!」
ためた力を解き放つ、迷宮喰いの一撃! 矢のように鋭く、迷宮喰いの凄まじい顔面がハガネたちめがけて落ちかかる!
「ディラン、借りるぞ」
頭を抱え背を丸めたディラン、その腰に吊っていた片手剣を、ハガネは引っこ抜いた。
「オイオイオイオイ! 剣なんて使ったこと……! いやそもそも剣なんかで……! うわあああ死んだもう死んだ!」
「安心しろ、この手のものを触った経験ならある」
スタンスを大きく取り、軽く膝を曲げ、肩の高さで構える。舌を巻くべきは構えの美しさ! 対象をまっすぐ捉えた視線! 余分な力の入らぬ体! そう、これは、これは――
「おばあちゃんの勧めで、少年野球をやっていたからな」
これは、なんと美しいバッティングフォームか! 吉良ハガネ、博物学者にしてその選球眼は抜群! 少年野球経験を積んだハガネにとって、内角高めに真っ直ぐ突っ込んでくる迷宮喰いは打ち頃の直球と変わらず!
グっと踏み込んでガっと振り抜いてギュっと押し込む! レフトへ! 伸びる伸びる伸びる伸びる! 入った! 満塁、満塁ホームラン! ハガネだ! これが、これが吉良ハガネだ!
数秒後、遠雷のような地響き。遥か遠くで、迷宮喰いがようやく地面に落ちたのだ。舌を巻くべき圧倒的長打!
「これでしばらくは戻って来ないだろう。今の内に帰るぞ、ディラン」
へたりこんだディランは、乾いた笑いをあげることしか、できなかった。
第二話 郡長官と巣作り長虫