ベルカ、吠えないのか?②
ところ変わって、ここは『かさご屋』。魚料理であればティルトワース一を自認する酒場の、テラス席である。
帆布の日よけの下、テーブルを囲むのは中堅冒険者クラン、銅鉄一家のパーティメンバーだ。
すなわち、メイ、ディラン、ティレット、そして吉良ハガネである。
「サンゴおじさんがね、漁に出るってきかないの」
パーティメンバーを前に語ってみせるのは、メイ。物思いに沈んでいるところをディランに察知され、事情を話しているところだ。
「漁ってのは、あれだろ? 七層の。詳しくはしらねえけどさ」
ディランが問うて、メイが頷く。
「うん。『死の行進』、かも」
「死の行進?」
ティレットが問うた。プレーンズ・エルフたる彼女はティルトワースに来てから日が浅い。
「あのね、七層にはときどき、す、すごい勢いでサンドワームが湧くの」
ティレットは怜悧な眉をひそめた。ワームと名の付くものにはろくな思い出がない。
サンドワーム! この奇怪な魔物を、我々は何に喩えるべきだろうか?
ワームと呼ばれるが、迷宮喰いのような長虫とは決定的に姿態が異なる。サンドワームは、いぼ付きの筒とでも呼ぶべき格好をしている。筒の先端は底知れぬ深淵の如き穴であり、どうやらこれが口と肛門を兼ねているらしい。
普段は砂の中に潜んでいるサンドワームだが、捕食の際には飛び出してくる。如何なる感覚器官でか獲物を感知し、一呑みにしてしまうのだ。捕食後は素早く砂の奥深くへと潜ってしまうため、喰われた者は蘇生もままならぬ。
「それがめっちゃくちゃに湧いてきて、群れで七層をがーっと渡るんだよな」
「うん。そ、それが、『死の行進』かも」
「ワーム漁?」
ティレットが更に問い、メイは首を横に振る。
「え、ええとね、『死の行進』がはじまると、いろんな生き物が砂から飛び出して、逃げるの。それで、その、逃げてる最中の生き物にだけ、卵を産む鳥がいてね。る、ルフっていうんだけど」
「……?」
ディランとティレットが首を傾げた。ハガネに付き合うことで、とうてい道理に合わぬような魔物の生態について馴染みのある二人だが、さすがに不可解の度が過ぎる。
「マーベラス! Stylogasterか!」
黙っていたハガネが突然声を張り上げた。
「え、今オマエ、なんか……すごい発音しなかった?」
ぎょっとしたディランがハガネに目を向ける。
「マーベラス?」
「そっちじゃねえよ。分かるだろ話の流れでなんとなく。なんか、す、すてぃ……みたいな」
「ああ、Stylogaster属のことか」
「そう、それ。なんだよそれ」
「メバエ科の昆虫だ。ハエの一種だな」
ディランはたちまち混乱のただなかに突き落とされた。こうなることが分かっていても、何故か必ず突っかかってしまう。
「オイオイオイオイ、待ってくれよ。メイが言っていたのは鳥のことだろ」
ディランは自分の生まれ持った性質を呪いながら、なんとか食い下がろうと試みた。
「そうだが、Stylogasterに生態が酷似しているんだ」
「え? 似てんの? ハエと鳥が?」
「ハエはハエだが、Stylogasterの――」
「あー、分かった。悪かったよ。なにが似てるんだ?」
ハガネはサモエドのような笑みを浮かべた。
「このハエは、グンタイアリの行進から逃げようとするゴキブリに産卵するんだ。なんでそんなことをするのかは分かっていないが、なにか理由があるんだろう」
ディランは黙って頷いた。ハガネの言葉を深く考えようとすると、頭が痛くなってくるのだ。
「実に興味深いな。メイ、続きを聞かせてくれ」
メイはハガネに促されるまま、続きを語る。
ルフそのものはひどく地味な鳥だ。うぐいす色と黒がまだらになった体色をしており、全長は八十センチ、翼幅は二メートルほど。地上であれば猛禽の類ともされようが、刳岩宮の魔物としては少々寸足らずである。その地味さから、この鳥は“石の羽”とも呼ばれている。
重要なのは、ルフの産む卵である。この卵殻は非常に美しい。透き通っており、展延性に富む。強靱で、魔力の触媒としての適性もある。
一時、資産家達の間でルフの卵殻を窓にはめることが大流行した。全く間尺の合わぬことに、屋敷を抵当に入れてまで求めた者さえいたという。はめるべき窓を持たぬ卵殻を、その資産家はどのように用いたのだろうか? 実にティルトワース的な逸話ではある。
「へえ。聞いたことねえ魔物だなあ」
「う、うん。今は、あんまり取引されていない、かも」
共和国時代のティルトワースでは、第七層にグリフィンを見ない日はなかったという。だが今、ルフ漁師はサンゴとベルカのただ一組だ。
ルフ卵殻は、一部の好事家が趣味として収集するばかり。その一部の好事家も、グリフィンライダーを絶やしたくないばかりに、サンゴからルフ卵を買い取っているというのが実情だ。
「今じゃぜんぜん儲からないけど、続けてるんだな。誇りってやつだ」
「う、うん。でも、サンゴおじさんもベルちゃんも、もうお年寄りなんだよ。だから、む、無理してほしくないんだけど……」
「尊厳を奪うのは、忌むべきこと」
そんなティレットの言葉にも、頷くメイであった。
「そ、それも、分かってるの。だから、止められなくて」
銅鉄一家の面々は、しばし黙って考えを巡らせた。
「ん……? ハガネはどうした?」
ふと周囲を見回したディランが、ハガネの不在に気づいた。
「嫌な予感」
ぼそりとティレットが呟く。ディランは頭を抱えてうめいた。
「オイオイオイオイ……ハガネのやつ、七層に行ったんじゃねえの?」
「愚問」
メイの語ってみせたサンドワームの生態は、好奇心の焚き付けとして十分だ。
「ああもう、なんだってあのばかは……」
「待ってくれディラン。心外だぞ。僕をなんだと思っているんだ」
と、ハガネがテラス席に戻ってきたので、ディランは目を丸くした。
「悪かったよ。ちょっと席を立っただけだったん、だ、な……」
ハガネに目を向けたディランは、絶句した。ハガネは麦わら帽子をかぶり、偏光グラスを装着していた。舌を巻くべき周到な準備!
「フィールドワークに行くのに、準備をしないわけがないだろう。それじゃあ、七層に行ってくる」
ディランはため息をついた。
「あー、はいはい。行ってこいよ。もう好きにしてこいよ」
「あ、あの、ハガネくん!」
メイが立ち上がった。
「わ、わたしも、ついていっていいですか?」
「歓迎だ。死の行進を求めるのであれば、サンゴを見守ることも可能だろう」
「あ、ありがとうございます!」
かくして、ハガネとメイもまた、第七層を目指す。
なぜなにティルトワース
ガラス事業
メイの祖父にしてサンゴの弟、クアーツは、ティルトワース史に名を残す傑物である。
ティルトワースがルーストリアに併合された頃のことだ。
ルフ漁師の次男として産まれたクアーツは、グリフィンライダーとしてのセンスを全く欠いていた。両親は、サンゴとクアーツに等しく愛を注いだつもりではあったのだろう。しかしクアーツにしてみれば、グリフィンを乗りこなす兄に劣等感を抱かぬ日はなかった。
クアーツはある日、とある仕事を見つけてきて、ふらりと家を出た。
それはルーストリア本国からの求人だった。ティルトワースの遙か北方、塩屍砂漠におけるホウ砂の採掘である。
その頃ルーストリアでは、ホウ砂が色ガラスの材料として珍重されていた。これに目を付けた業者が、人件費の安いティルトワースで求人を出したのである。
クアーツは三年ほど塩屍砂漠で働いた。現場で雇用者に気に入られ、工房での仕事を得た。そこでの蓄積を持ち帰り、クアーツはティルトワースにガラス工房を開いた。
これが大当たりであった。ガラスは、窓にはめることも魔法の触媒とすることもできる。おまけに安価で、加工もしやすい。
ガラスの膾炙が、ルフ卵殻の需要を一気に奪ってしまったのであった。
誇り高きグリフィンライダーは、血肉同然のグリフィンを次々に手放していった。グリフィンは純然たる肉食動物であり、維持費はばかにならぬ。貧窮極まり、グリフィンに自らの肉を差し出して果てた者もいる。
あるいはそれは、クアーツなりの復讐であったのか? 今となっては分からぬことだ。少なくとも今、クアーツとサンゴの関係は悪くない。二人の両親、即ちメイの曾祖父も曾祖母も、ガラス事業の利益で建った大邸宅に住み、沿岸小国の徴税権を転がしながら悠々自適の生活を送っている。




