『友好的』な魔物⑬
でくのぼうと化したディランに、ルヴァールは淡々と光弾を叩き込み続けた。生きてはいるが呻くことしかできない岩を、一方的に殴りつけているような見せ物であった。
こうなれば、ディランがいつ死ぬかというのが重要な問題となる。ティルトワース人は、早くも新しい賭けの対象を見出していた。つまるところ、あと何度の光弾でディランが絶命するか、である。舌を巻くべき物見高さ!
「ま、ほう、を、たて、で、しのいで、きり、こむ……」
その呟きは完全にうわごと! 両眼は既に焦点を結んでいない! だが、ディランよ、銅鉄一家の誇り高きパーティリーダーよ! ああ、君は決して敗北を認めず、前だけを向いて突き進む!
「ハイリエ……ヒターリア……」
君はいとしき者たちの名を囁く! その音の響きが、記憶が、君の意識を現に繋ぎ止める! だから君は決して止まらないのだ! 前へ、ただ一心に前へ、ディラン!
「少し力を込めます。拙僧の見立てでは、これでディラン殿は砕け散る筈ですな」
純銀製六角棍の先端をディランに向け、ルヴァールは深い集中状態に突入した。魔力を練り上げ、一息にディランの肉体を四散せしめるつもりなのだ。ディランはのろまな虫が這うような速度で近づいてくる。必殺の魔法を練り上げるための時間は十分にあった。
純銀製六角棍の先端に、光が凝集する。白昼にあって目も眩むほど凄まじい輝き。この一撃、命に到ることは明白!
ディランはかすむ視界の向こうに、致命の輝きを認めた。あれが間違いなく、数秒後に自分を殺すのだとはっきり理解できた。
「まほう、を……たて、で……」
決して折れぬ心であっても、現実を書き換えることなどできない。遂に純銀製六角棍の先端から特大の光弾が放たれ、ディランめがけてまっしぐらに突き進む――
その時である!
「ディラン!」
ヒターリアの声を、ディランの耳は確かに聞き取った。
思わず声のした方向を振り向く。ヒターリアがいる。ハイリエがいる。
太陽に近づいたかのような輝きと熱が、ディランの背中をゆっくりと炙りはじめる。時間の感覚は無限に引き延ばされ、ディランは自分がゆっくりと死んでいくのを感じる。
不意に、輝きと熱が、ディランを死地に追い込む致命の魔法を浴びた感覚が、遮断される。
これが死かとディランは考える。最後の瞬間が凍結されて、無限に憧憬を抱き続ける、これが死なのか、と。
否、そうではない。
「なにが……なにが起きたのですか」
ルヴァールの動揺したような声。ディランはそちらに顔を向ける。
分厚い円形の板が、ディランとルヴァールの間に突き刺さっていた。
「間に合った……! ううん、ハガネが……!」
駆けてきたヒターリアだが、興奮の最中にあって言葉が出ない。
「あの、あれ……あれは、水盤で……!」
ディランとルヴァールの間に突き刺さった板を指さして、ヒターリアが喚く。
たちどころに、ディランは理解した。
無理心中からヒターリアを救った、刳岩宮産最高級凝灰岩を用いた水盤。
オルダンが、ヒターリアと共に債権者から買い上げたもの。
それが今、こうして致命の一撃からディランの身を守ったのだ。
「君とハイリエが、水盤を引きずっているのが見えたからな。重そうに思えたので、少し手助けをした」
ハガネが悪びれずに言った。誰に向かって悪びれなかったのかと言えば、水盤の向こうで怒りに震えるルヴァールに対してである。
「これは……ハガネ殿、分かっているのですか。これは明白な……違反ですぞ」
ルーストリアは以て文明国を自認しており、私的な決闘は法律違反とされている。 しかしながらこの地こそは治外法権のティルトワース郡。共和国時代のでたらめ極まる法律が未だ生き延びており、決闘法も息を引き取っていなかった。そんな決闘法の一部を要約しよう。
『決闘の際、第三者の介入は決して許されない』
これに照らし合わせれば、ハガネの行為が明白な違反であったことは間違いない。
「邪魔にならないところに置いただけだ。しかし、たまたま君の攻撃を遮ってしまったかもしれないな」
舌を巻くべき悪びれなさ! 隣のフィッチ議員も苦笑いを浮かべている!
「吉良議員、少し分が悪い言い訳に聞こえるぞ」
「ふむん」
ハガネは少し考えてから、ヒターリアに顔を向けた。
「ヒターリア、この水盤だが、少し加工しても構わないか?」
「加工って……それは構わないけど、どうするつもりなの?」
「ありがとう」
ハガネは魔力を込めて水盤を宙に持ち上げた。
「少し硬いな。ガッルギリス’がゴーレムの素材に用いたわけだ」
ハガネは無造作に魔法を放った。すると、これは如何に! 火花を噴きながらあっという間に削れていく水盤! ものの分かっている観衆は驚愕の声を上げた。刳岩宮産最高級凝灰岩の魔法耐性と言えば、深層に潜む魔物の獰悪な一撃さえ受け止めるもの。それが麩かなにかのように容易く削れていくのだ!
やがて長方形に加工された水盤が、ディランの前にどすんと落ちた。
「ルヴァール、君はこう言ったな。ディランには装備の交換が必要だと」
ハガネは言った。
「それは、た、たしかに、言いましたが」
「僕もその意見には同意する。だから、ディランのために新しい盾を作ったんだ。刳岩宮産最高級凝灰岩を加工するのに、少し時間をもらいはしたが」
舌を巻くべき悪びれなさ! ハガネは先程の明らかな遅滞行動を、自動車レースにおけるピットインのようなものだからノーカウントであると言い張るつもりだ!
フィッチ議員が声をあげて笑った。
「刳岩宮産最高級凝灰岩だからな。仕方あるまい」
無論、ルヴァールが納得する筈もない。大風に揺れる大樹のように、怒りに震えている。
「ばかな……こんな……こんなことが、通るとお思いですか!」
「装備の交換は君が最初に言ったことだぞ、ルヴァール。だから僕は盾を作ったんだ」
ハガネ、ここから先は無策! 盾を作ったの一点張りで押し通そうとしている! 学振PD時代に培った、あらゆる難癖に対して開き直ることで研究を進めていく力! かつてハガネはこの力によって、研究者向けクラウドファンディングで海外渡航資金を300万円集めたことがある!
「やるのか……やらねえのか……どっちだよ、枝っきれ野郎」
ディランが、盾を掴んで問いかけた。
「馬鹿なことを。続けられるとお思いですか。拙僧の見立てでは――」
「うるせえ馬鹿野郎! いいから続けろ馬鹿野郎!」
物見高き群衆の一人が、怒鳴り声をあげた。
「俺はどっちでも良いから人が死ぬところを見たいんだよ馬鹿野郎! そのために仕事ほっぽりだしてここに来てんだ馬鹿野郎!」
舌を巻くべき開き直り! だがこの勇気ある告白に、物見高き人々は顔を見合わせて力強く頷いた。
「そうだ! 死ぬまでやれ!」「続けろ! 死ぬまでやれ!」「ルヴァール様、こんな卑怯な相手には決して負けないでください!」「ハイリエをやらせるな! ディラン、殺せ! 殺しちまえ!」
これこそ、平日の朝からわざわざ集まってきた群衆の物見高さである。実にティルトワース人のティルトワース性とでも呼ぶべきか。
ルヴァールは木のうろを風が通り抜けたような音を立てた。ため息である。
「仕方ありませんな。では、続けましょう」
「当たり、前だ……」
あと一撃でディランは死ぬ。とすれば、ここで決闘を継続するのが合理的であろう。ルヴァールはそのように判断し、純銀製六角根を構え直した。
「来い、よ……ぶち、のめして、やるからよ……」
ディランは盾を構え、ルヴァールに向かって歩いた。もはや盾を把持することすら敵わず、体重をかけて押しているだけだ。それでも剣を握りしめ、打倒の意志の炎は燃えさかっている。
純銀製六角棍の先端に魔力凝集! ルヴァール、邀撃に最大限の意志と魔力を込める!
「我が魔力を見くびるな!」
声を荒げ、光弾発射! 直撃! 爆風が巻き上げた塵埃がディランを包む!
「……やったか?」
息を呑み呟くルヴァール。もうもうと立ちこめた塵埃は、魔力の残滓の青い光をまき散らし、ディランの姿を覆い隠している。
「魔法を……盾でしのいで……斬り込む……」
ああ、君は見たか! 刳岩宮産最高級凝灰岩を用いた盾は無傷! 魔力光と塵芥を押しのけながら、ディランは尚も勇敢に歩を進める!
「な、なんと……拙僧の魔法が……!」
動転したように後ずさるルヴァール。ディランは一定のペースで進み続ける。距離が……詰まる!
「ま、待ってください、ディラン殿! 拙僧の見立てでは、やはり一度仕切り直すべきだと……!」
「枝っきれ野郎が……!」
命乞いには聞く耳持たぬ! 必殺の間合いに到達したディランが、剣を振り上げる!
「ここですな」
ルヴァールが笑みを浮かべ、純銀製六角棍の先端をディランの胸に押し当てた。
これこそ戦闘坊主の舌を巻くべき機微! ルヴァールは動揺したふりをしてディランを間合いに招き入れたのだ!
ディランの獲物は広刃の剣であり、攻撃属性は刺突ではなく斬撃である。剣を持ち上げ、相手めがけて振り下ろさんとする時、必ずや体が開く。ルヴァールはその瞬間に勝機を見出していた!
「蘇生しやすいよう、真っ二つにしてさしあげましょう」
「くそっ――」
身を退こうとするディランだが、遅い! 純銀製六角棍の先端から魔法が放たれる! ああ、この至近距離で放たれる魔法の威力、察するに余りある!
目も眩むような閃光が決闘場を覆った。誰もが目を閉じ、おそるおそる開いた。そこに、ディランの死体があると確信して。
「なっ……なぜ……なぜ!?」
悲鳴に近い絶叫はルヴァールのものである。何故といえば、ディランの上半身と下半身が未だにくっついており、しかもその手が剣を振り上げていたからだ。
「吉良……吉良ハガネェエエエエ!」
何が起きたのかに思い至ったルヴァールは、ありったけの憎悪を込めてハガネの名を叫んだ。
刳岩宮産最高級水盤を盾に加工した際、削った分はどこに消えたのか? 然り、粉末となって、ディランに降りかかっていたのである。これがディランの身を鎧い、一撃を耐えさせた。
ルヴァールに睨みつけられたハガネは、素っ気ない表情を浮かべた。
「装備の交換は君が最初に言ったことだぞ、ルヴァール」
ハガネ、尚も悪びれず! この明白極まる仕込みを、自動車レースにおけるピットインのようなものだからノーカウントであると言い張るつもりだ! 一点張りで押し通す力!
「よそ見してんじゃねえぞ……!」
ディランが剣を振り下ろす。咄嗟に振り上げられた純銀製六角根を両断! 刃が肩口から深く食い込み、右腕切断!
「がっおおおおっぐがぁあああああっ!」
ルヴァールは、透明な体液が噴き出す傷口を左手で押さえ、のたうち回った。
「ヒノキ林の香りがするな。マーベラス! トレントは傷つけられるとフィトンチッドを放出するのか!」
ハガネ、慧眼! 一嗅ぎでトレントの生態を見抜いてみせる圧倒的博物力!
「終わりに、するか? 枝っきれ野郎……」
のたうち回るルヴァールを見下ろして、ディランが冷たく言った。
「はやく……はやく拙僧に回復魔法を!」
「終わりにするかって、聞いてんだよ」
「終わりにする! 拙僧の負けだ!」
「ハイリエはやらせねえ。ヒターリアも守る。それで、いいんだな」
「分かっている! 拙僧の負けなんだ! だから、回復魔法を、はやく!」
やおらハガネが立ち上がり、ルヴァールの腕を掴んだ。ちぎれたところに押し当てれば、これは如何に! わずかな魔力光を発した後、ルヴァールの腕が繋がったのである。
「成分が分からないので、体液は補えなかった。自分で補給してくれ」
呆然とするルヴァールに対して、ハガネは素っ気なく言った。
なぜなにティルトワース
ティルトワース法、あるいは武装法解釈員について
ティルトワース憲法は、全国的に背伸びをしていた共和国時代らしい美文でしたためられていた。あまりにも美文すぎて詩と化しており、あらゆる法的決めごとに際し、ほとんど無限大の解釈を生んだ。
共和国時代、ティルトワース大審院で高い政治的地位を獲得するためには、武装法解釈員の頭数を揃える必要があった。大審院の紋章が今でもぶっちがいのハルバードなのは、武装法解釈員の多くがこの非常に便利な武器を好んだからだ。
法解釈の違いが発生した際、武装法解釈員は、話し合うより先に抜刀した。相手のヒマティオンの端にハルバードの鈎部を引っかけて転ばせ、頸椎めがけて斧部を振り下ろしたのである。




