『友好的』な魔物⑪
「フィッチ議員? なぜあなたがここにいる」
然り、フィッチ議員である! 堂々たる態度と鉄面皮!
「たまたま通りがかっただけだが、吉良議員の興味深い仮説について聞き入っていた」
「ありがとう。論文はティルトワース大図書館に寄贈するから、読んでもらえると嬉しい。だが、僕はルヴァールをぶちのめすつもりでここに来たわけではない」
「以前にも言ったことだが、君は、自分の危うさについてもう少し自覚を持つべきだな」
フィッチ議員はルヴァールに目を向けた。
「君が何を言いたいのかは分かっている、ルヴァール氏。そして答えは、無論、否だ」
「奇妙なことをおっしゃいますな、フィッチ議員。銅鉄一家にレイスの生態調査を依頼したのはあなたでしょう。そのあなたが出てきて、これが政治的な問題ではないと」
「無論、政治的問題ではない。これは純然たるティルトワース的問題だからな」
フィッチ議員は敵対的で獰猛な笑みを浮かべた。
「全てのティルトワース人が、ルーストリア国教に帰依したわけではない。ウンディーネやリントヴルムと言った迷宮神の加護を求める者がいる。ガッルギリス’やヰケラなど、聖人に信仰を捧げる者がいる。大評議会が把握しているだけでも、230もの信仰ギルドがティルトワース内に存在する」
「それが、バンシーの公開処刑とどのようにつながるのですかな」
ルヴァールは冷静に切り返した。
「レイスの駆除はルーストリア国教の流儀だろう、ルヴァール氏」
「無論。迷える魂を父の下に帰すのが、拙僧らの使命であります」
「バンシーはどうなんだ? レイスを駆除するのは、バンシーを増やさない為だとあなたは言ったそうだが」
「それは――」
しばし、言葉を止めるルヴァールであった。誘導されているのは分かるが、どのように返せばこの男の罠から逃れられるのか、判断がつかない。
「――バンシーもまた、レイスの眷属であるが故に。かつ、バンシーは、ヒトを殺します。バンシーのくちづけによって」
正直に答える他ない、ルヴァールであった。
「教義の拡大解釈だと言われれば、その通りと言えなくもないでしょうな。ですが、本国の律法学者から十五年前に回答を得ております。バンシーの駆除は、教義の範囲内であると。ティルトワース教区本部の公文書保管棟で、回答は確認できますな」
ルヴァールは本国の権威という刃をちらつかせた。触れれば政治的な血が流れかねない、剣呑な刃である。ウンディーネ信徒がルーストリア国教の教義に難癖をつければ、これは宗教的な内政干渉だ。
「あなたがたの教義に口を出すつもりはない。ティルトワース人であれば、他人の信心に横やりを入れたりはしないからな。しかしルヴァール氏、あなたはどうして話を難しくしようとするんだ?」
「難しく? なにを……拙僧に文句をつけているのは、あなたがたでしょう」
「吉良議員と私を、ひとくくりにしないでくれたまえ。吉良議員はそこのバンシーを研究したいだけだ。そして私は、この下らない議論をさっさと決着し、吉良議員の論文を読みたいだけだ」
演壇でにらみ合う、ルヴァールとフィッチ議員である。一方ではいちいち言葉を遮られ、苛立ちを明らかにするルヴァール。一方では、余裕たっぷりに横綱相撲を取ってみせるフィッチ議員。いつの間にか民衆は、フィッチ議員の出す結論を待っていた。
「さて、バンシーの駆除はルーストリア国教の教義の範囲内だと言ったな。それでは、あなたがたの主張するバンシーのくちづけとやらも、教義の範囲内と言えるわけだ」
「ばかな!」
ルヴァールは純銀製六角棍の柄を演壇に叩きつけた。
「これは事実です! バンシーがヒトを殺しているというのは……」
感情任せにそこまで怒鳴ってから、ルヴァールは言葉を失った。罠をかけられていることは分かっていたのだ。だが、必ず使う通り道に仕掛けられた罠を、どうして回避できようか。
「なるほど、ルーストリア国教においてはその通りだ。私はそれを否定しない。だが、ウンディーネの信徒にとっては? ガッルギリス’の加護を信じる冒険者にとっては? そして、吉良議員にとっては?」
ここでフィッチ議員が、ハガネに水を向けた。
「検討に値する仮説の一つだ。ルーストリア国教にも、調査を進めてもらいたい」
敗北を悟ったルヴァールにフィッチ議員が投げかけるのは、獲物を捕らえた猛禽の笑みである。
「というわけだ、ルヴァール氏。さて、お集まりいただいた皆さん、私の言葉を理解していただけただろうか? 信じる宗教が変われば、教義も変わる。私たちティルトワース人が、共和国時代からずっと直面してきた問題だ。いつもの、純然たるティルトワース的問題なのだよ」
民衆にとっては、腑に落ちる言葉であった。バンシーの生死は、安息日だとか断食日だとかと変わらぬ、多民族国家につきものの、宗教的な問題でしかないのだ。
フィッチ議員は、余裕たっぷりの態度と狡猾な言葉によって、あっさりと問題をすりかえてしまった。
そうなれば、バンシーの死体を見たがっていたティルトワース人も、容易く掌を返すものである。
ルーストリア国教をよく思わない者とて、この場に数多く存在する。まして独立派の重鎮たるフィッチ議員の呼びかけだ。
保守的な政治観を持つ者たちは、おおいに賛意の声を上げた。日頃溜まっていた政治的うっぷんを、『宗教的問題』というお題目に載せて。
「冗談じゃねーぞ! バンシーを殺すな!」「刳岩宮の魔物を守れ!」「ルーストリアの連中に何が分かるんだ!」「帰れ! トレント野郎! 森に帰れ!」「焚き付けにしてやるからな!」
怒濤のざわめきである。これでは、ルーストリア国教の信徒も黙るしかない。演壇のルヴァールも、追い詰められ、言葉を失っている。
「吉良議員、これが政治だ」
フィッチ議員が小声でささやきかけた。
「ありがとう、フィッチ議員。だが、あまり僕には向いていないやり方だな」
「動員の技法は、いずれ君の役に立つだろう。そのとき、君が私の側に立っているとは期待していないがな」
好敵手の笑みを浮かべてハガネの肩を叩き、フィッチ議員は改めてルヴァールに向き直った。
「さて、ルヴァール氏。民意を考えれば、ひとまずバンシーの公開処刑は取りやめるべきだとは思うが。それで君は納得するかね?」
「……納得するとお思いですか、フィッチ議員」
「まさか。ルーストリアの連中の頭の堅さは知らないが、ここで引き下がれば君は破門だろう」
ルヴァールは軋み音を立ててうなずいた。
「教義に従い、拙僧は拙僧の仕事をするだけです。止められるとは思うな、フィッチ議員」
「だから、思ってはいないよ、ルヴァール氏。そこで一つ提案だ。これが純然たるティルトワース的問題であれば、純然たるティルトワース的解決こそ収まりがいいのではないかね?」
「ティルトワース的解決? それは、どのような?」
「フィッチ家が水売りだった頃より、ティルトワースで宗教的なもめ事が起きた際には、こうしてきたのだよ」
フィッチ議員は、開いた掌に拳を打ち込み、ぱしんと景気の良い音を立てた。
「決闘さ」
なぜなにティルトワース
信仰ギルド
ティルトワースにおいて信仰ギルドとは、生活互助組織と労働組合を兼ね備えた組織である。
外部からの流入を呑み込み膨れあがるティルトワースにおいて、歴史上もっとも重要な問題は、常に宗教であった。
ウーガルー人とカラザス人とでは、当然、信じる宗教が違う。だが、同じ職場で肩を並べて靴を作ることもあるだろう。そうした際、安息日だとか断食日だとか、奇数月の奇数日は性器を露出させて過ごすだとかいった、宗教的福利厚生にまつわるもめ事が必ず発生する。
その度に、なんであいつだけこのクソ繁忙期に休んでいるんだとか、今すぐそのみっともないものをズボンの中に仕舞えとかのやり取りで生産効率が落ちるのだ。これは、雇用主にとっても労働者にとっても消費者にとっても、あまり幸せなことではない。
このようなすったもんだを繰り返す内、自然発生的に産まれたのが、信仰ギルドだ。同じ神を信奉する者同士が職場を越えて連帯し、雇用主との交渉から冠婚葬祭に到るまでを助け合う。
ルーストリア国教がこの地に根を下ろせないでいるのは、信仰ギルドという仕組みが、これまでのところティルトワースでうまく運用されているからである、とも言えよう。




