『友好的』な魔物⑩
夜明けを待って、ヒターリアとディランは教区支部へと向かった。雲の隙間から曙光が斜めに差し込む広場で、人々は既に熱狂していた。解剖結果の公開と、バンシーの処刑である。ルーストリア国教信徒のみならず、物見高いティルトワース人までもが集まっていた。
この時のために、教区支部前の広場には演壇と囲いが作られていた。人々はなんとしてでも最前列を確保しようと、押し合いへし合いしていた。
やがて演壇に立つのは、ルヴァールである。石材の箱を右手に、バンシーを左手に抱えていた。
「ハイリエ、オルダン……」
ディランは奥歯を強く噛みしめた。
「友よ、よく集まってくれました。本日はティルトワースの安寧のため、このバンシーなる魔物を必ずや八つ裂きにしましょう。拙僧らは、友の承認を得られると信じております」
ルヴァールの声に応じて、熱狂の叫びが上がる。この場の誰も、魔物がもだえ苦しみながら血と臓腑をまき散らす光景に立ち会いたがっているのだ。
「友よ、どうか目を背けずに、こちらをご覧なさい。これこそがバンシーのくちづけ。この魔物が操る悪辣な魔法の結果なのです」
石材の箱から取り出されたのは……ああ、君は見たか! 二つに割られた心臓は、オルダンのもの!
「あああ……」
うめいてよろけたヒターリアの体を、ディランが支えた。
「ここをご覧なさい。木の根を噛んだようになっている。これこそがバンシーのくちづけであると、拙僧らは見立てております。この魔物は心の臓にこそ魔法をかけ、このように弱らせるのです。さあ、友よ。ティルトワースの安寧のため、我らにはなにができるでしょうか?」
ルヴァールが問いかければ、答えは分かりきっていた。
「殺せ! 殺しちまえ!」「八つ裂きだ! 八つ裂きでも足りねえ!」「魔物の分際で、ヒトをやりやがって! さっさと殺しちまえ!」「内臓をぶちまけさせてやるんだ!」
熱狂と興奮である。大半の人間にとって、実のところ、理由はなんでもいいのだ。魔物が一匹、残忍になぶり殺されれば、それで構わない。ましてそこに、正義のお墨付きだ。人々はどこまでも熱狂した。
「友よ、承認を与えてくれて感謝します。では、その通りにいたしましょう」
ルヴァールが、純銀製六角棍の先端でハイリエの顎を持ち上げた。ハイリエは抵抗しない。ただぼんやりと立っている。これから何が起こるのか、まるで理解していないように。
「ディラン」
ヒターリアがささやいた。ディランは頷いて、剣の柄に手をかけた。後先など、もはやディランにとってはどうでもよかった。ヒターリアもハイリエもオルダンも、今となってはディランの家族であったから。
「まずは頭を吹き飛ばします。残った体も、順次、砕きましょう。それこそが、不幸にもバンシーの手にかかったオルダン殿への手向けとなります」
純銀製六角棍の先端に魔力が凝集し、ハイリエを照らす。ハイリエは不吉な輝きを見つめている。
「ハイリエはやらせねえ!」
叫んで飛び出しかけたディランが、
「待ってくれ、ディラン」
「うわあ!」
肩を掴まれ、その場に尻餅をついた。
「あ、な、なに……? ハガネ?」
然り、ディランの肩を掴んだのは、粘菌術師、吉良ハガネその人である。
「飛び出すつもりか?」
「あ、当たり前だろ! いくらオマエの言うことでも、俺はもう止まらないからな!」
「止めるつもりはない。だが、少し待ってほしい。ルヴァールに用があるんだ」
「あの枝っきれ野郎に?」
ハガネが小脇に巻紙を抱えていることに、ディランは気づいた。それがなにを意味するのか、長い付き合いのディランには理解できた。
「レイス調査の件だが、ようやく筋の通る仮説を設計できたんだ。実証のためにはバンシーの観察が必要だ。ここでハイリエを殺されたくない」
淡々と語りながら、ディランに手を差し伸べ、助け起こすハガネである。
「そして何よりも、君たちの幸せを護りたいんだ。だから、少し待ってくれ」
受け手が照れるような物言いを、平然とするハガネであった。ディランは苦笑しながら、目に涙を浮かばせた。
「頼む、ハガネ」
「任せてくれ」
ハガネは、跳んだ。
群衆を一またぎにして、ルヴァールが構える純銀製六角棍の上に着地した。
「吉良……ハガネ?」
さすがのルヴァールも、ぎょっとして身をすくめた。
「ルヴァール、君に話がある。単刀直入にいえば、バンシーの駆除を少し待ってもらいたいんだ」
「おかしな話ですな」
ルヴァールは純銀製六角棍を横に振った。跳ねたハガネは空中で一回転すると、猫のようにしなやかに着地した。
「バンシーと不審死に相関関係があると、あなたも理解されているはず。そのあなたが、情にほだされましたか?」
「結論から言えば、バンシーが『友好的な』魔物、すなわち好ヒト性生物であるという考え方は大きく間違っていた」
ルヴァールの煽るような物言いを無視して、ハガネは言った。
「バンシーは、好レイス性生物だったんだ」
巻紙を広げながら、きっぱりと言いきるハガネである。ルヴァールも、民衆も、ディランでさえも、呆気にとられた。
「言ってみてくれ。好レイス性生物だ」
「こ、こう、れいす、せいぶつ?」
ルヴァールが軋み音を立てて首をかしげた。ハガネは満足そうにうなずいた。
「つまり、レイスの生態に生活を依存する生物という意味だ。そういうわけで、ひとまずレイスの生態から説明したい」
「何を勝手な――」
「これまでの調査で、レイスの採餌活動について多くのことが明らかになった」
ルヴァールを無視して、ハガネが早口で語りはじめる。民衆の反応はと言えば、半々であった。
敬虔なルーストリア国教信徒は、無論、怒り狂った。しかしながら物見高い群衆にとっては、ハガネの闖入も新しい催し物でしかない。
まして、身近な魔物たるレイスについての、新しい知見であるという。好奇心に負けた連中は、今にも演壇に突入しそうなルーストリア国教信徒をなだめた。
「従来、レイスの採餌行動は『肩たたき行動』と『すり抜け行動』で説明されてきた。ここまでは間違いない。だが、その後の『実体化』と『群衆化』について、説明は見られなかった」
「確かに、それはそうですな」
ルヴァールは聴衆に目をやり、慎重な答えを返した。集まった連中には、ルーストリア国教をよく思わない者も多いだろう。ここでハガネをぶちのめすことが、果たしてどんな影響を及ぼすか。それを考えれば、賢明な判断である。
「彼らが採餌後に『実体化』する、という部分だけしか、我々は理解できない。『実体化』がレイスの生活史においてどんな価値を持つのか、僕はずっと考えてきた」
「……ふむ。よいでしょう。続けてください」
「『実体化』は、生存上不利な特質に思える。逆上した冒険者やレイス専門戦闘坊主に殺されるからだ。だが、そんな考え方こそ、バンシーを友好的な魔物と呼ぶような、人間本位の思い込みなのかもしれない。夜の蛾が灯火に飛び込んで死ぬのを見て、彼らを愚かだと断じるのはばからしいことだろう?」
「つまり、なんらかの理由あって、レイスは実体化する。しかし、何故かはまだ分からない、ということですな」
ルヴァールの要約に、ハガネが頷く。
「次に『群衆化』だ。仮説とも呼べない閃きの段階だが、レイスは仲間に、食事を分け与えている可能性がある」
聴衆もルヴァールも、一様に声を上げた。ハガネの言葉は、あまりにも意外なものであったのだ。
「着想のきっかけはハイリエだ。彼女が他者にどう接触しているか、観察を続けた結果、レイスとの共通点が見られた。それが『肩たたき行動』と『すり抜け行動』だ」
「あっ……!」
ディランも、すぐに気づいた。ハイリエは、まず、ハガネの腰を叩いて、頭をこすりつけた。ディランにもそうしたのである。
「ヒトに対してそうするように、仲間のレイスに対しても『肩たたき行動』と『すり抜け行動』を取る。複数のレイスが採餌活動を終えて『実体化』すれば、それが僕たちの目には『群衆化』と映る。
バンシーは、レイスに対しての『肩たたき行動』と『すり抜け行動』で、食事を得ているのかもしれない。そうであれば、ヒトが摂る通常の食事を消化できない理由にも筋が通るだろう」
ルヴァールは、枝垂れ柳のような指で、顎らしきこぶを撫でた。
「そうだとして、バンシーの出現と不審死の増加に、あなたが言うところの『相関関係』とやらがあるのは何故ですかな」
「相関関係についても、仮説がある。バンシーがティルトワース郡まで持ち帰られた場合、町中に出現するレイスの数が増加する。なんらかの理由で、レイスはバンシーを追い求めているのだと僕は考えている」
確かに、との、納得のざわめきが起きる。今年は、場所を選ばずやけにレイスが沸く。メイも言っていたことだ。
「では、オルダン殿は誰に、どのように殺されたと?」
「司法解剖の結果を見る限り、ヒートショックによる心筋梗塞というのが妥当な結論だろう。医療関係についてはさして詳しくないが、病変に見える」
ルヴァールは押し黙った。ハガネの言葉が一つも分からなかったからだ。
「老人や、もともと心臓に持病を抱えている者は、急激な温度変化による心臓への負担で死に到ることがある。それがヒートショックだ」
ここまで話せば、ルヴァールにも、ものの道理というものが分かってくる。
「レイスの、体温が?」
「観察によって、レイスの『すり抜け行動』が生暖かさを感じさせることは分かっている。冬に老人の死者が増加するのは、レイスの『すり抜け行動』によるものだと推察している」
ルヴァールは顎のこぶを撫でた。
「だが、実際のところは何一つ分からないわけですな」
「この推論をクリアするには、いくつかの前提条件を解決しなければならない。レイスの『肩たたき行動』と『すり抜け行動』が採餌活動であること。バンシーをレイスが追うこと。バンシーが好レイス性生物であること。その調査のために、長期間の観察が必要なんだ」
「だから、バンシーの駆除を待てと。なるほど、一貫しておりますな。だがそれをティルトワースの我がよき友らが許すでしょうか?」
ルヴァールは両手を大きく広げ、聴衆に向き直った。
「ハガネ殿言うところの『調査』を許せば、いずれにせよ、ヒトは死にます。殺すのがレイスかバンシーか、その違いだけです。それでもあなたがたは、バンシーを殺すなとおっしゃいますか?」
聴衆は顔を見合わせた。空気を読み合うような間があった。
「納得がいかないというのであれば、ハイリエを迷宮に帰せばいい。あとは法整備の問題だ。バンシーをティルトワースに持ち帰らないよう、罰則規定を設ける。何年か追跡調査し、不審死が減っていれば、僕の仮説が的外れでなかったことを理解してもらえるはずだ」
ハガネは語るが、それは理屈であった。数年後の『調査結果』とやらを待つよりも、今ここで確実に不安を取り除くべきだというのが、感情だ。
金切り声の婦人や厚かましい紳士の声に動かされたように、民衆は、ルヴァールの言葉にこそ、賛意を示しつつあった。
「……これでも、ダメなのかよ」
ディランはうめいた。ハガネの語る言葉は、民衆の作り上げる空気によって容易く踏みつぶされつつある。どのように振る舞えば、ハイリエを守れるのか。ディランは無力感に打ちのめされた。
「結局のところ、このバンシーを殺してしまえばいい。そういうことですな」
ルヴァールの結論に、ティルトワース人は賛同の声をあげた。
純銀製六角棍が、再びハイリエに向けられる。魔力が純銀製六角棍の先端に凝集していく。
「残念だ、ルヴァール」
ハガネが、ぞっとするような低い声で呟いた。ルヴァールは顔を上げ、ハガネの表情に戦慄した。裸足で踏んだ尖った石を見るような、三白眼に込められているのは、殺風景な怒りの表情であった。
殺される。ルヴァールはそのように直感した。だが、ルヴァールとて信仰に命を捧げる身だ。目の前のバンシーを打ち砕き、殉教の徒となることにためらいは無い!
その時である!
「吉良議員、そこのトレントを薪にするのは止めたまえ。意外に燃えづらいぞ」
ハガネに声をかけ、無遠慮な動作で演壇に上がる者あり!




