『友好的』な魔物⑨
とば口のルヴァール。
弱い光に照らされて、トレントは不吉な影絵のようだった。
「そこのバンシーこそが、哀れなるオルダン殿を死に追いやったのです」
ずかずかと無遠慮に、部屋に踏み込んでくる。ルヴァールはぎしぎしと軋み音を立てながら片膝立ちになり、オルダンの前で何事かささやいた。ルーストリア国教の、死者に捧げる文句である。
「ま、待て! 待てよ! オルダンは」
「死んでおります」
殴りつけられるような一言に、ディランは立っていられない。手をつこうとして、テーブルの上の料理を払いのけながら、その場に尻餅をついた。
上等な根魚が、肉が、野菜が、ワインが、まとめて床にぶちまけられる。ヒターリアはそんな光景を、ただ、ぼんやりと目で追っている。
「オルダン殿の遺体は、第三教区支部で引き取ります。司法解剖に回せば、オルダン殿の身中に『バンシーのくちづけ』が見られることでしょう。そのときこそ、バンシーがオルダン殿を殺したのだと分かるのです」
「し、しほ……かい……解剖?」
ルヴァールは枝垂れ柳のような指で、オルダンの左胸をついた。
「ここですな。心の臓に、異常が見られるはずです。拙僧らは、それをバンシーのくちづけと呼んでおります。いかなる魔法か、バンシーはそのような手口でヒトを殺すのだと、拙僧らは見立てております」
オルダンの死体を、ルヴァールが担ぎ上げる。小麦の詰まった麻袋を背負うような荒っぽい仕草だった。
「こちらのバンシーも、拙僧らの預かりとなります。バンシーのくちづけが見られたら、その時は公開処刑となるのが慣例ですな」
ハイリエへと伸ばされた腕に、ディランが飛びついた。
「冗談じゃねえぞ、枝っきれ野郎! オルダンを返せ!」
ルヴァールが腕を振り回し、ディランはあっさり吹き飛ばされた。舌を巻くべきトレントの膂力である。
「てめえ……!」
すぐさま跳ね上がったディランが、盾をひっつかみながら抜刀する。
「それは賢い選択ではありませんな。ヒターリアさんは我らが友である故に」
ディランが振り返る先、椅子に座ったままのヒターリアは、時間が静止したように俯いている。
「ここで拙僧を切り刻み、焚き付けの薪にされますか、ディラン殿。そうなれば、ヒターリアさんは全信徒の敵となりましょう」
「破門するってことかよ?」
「拙僧らがそうするまでもなく」
ごく一般的なルーストリア国民にとって、破門は生活インフラの全てを失うことに他ならない。教区支部は、個人情報の管理から納税、冠婚葬祭に到るまでを担っているのだ。
「それに、ディラン殿はディマ・フィッチのクエストを受注した身でありましょう。拙僧と揉めれば、ことは冒険者同士の殴り合いのようには収まりませんぞ」
ルヴァールの、正論であった。ここでの刃傷沙汰は、独立派とルーストリア国教の争いに発展しかねない。もっとも恐れていた政治的争いの火種を、自分で熾すようなものだ。ディランは無言で納刀した。
「ルーストリア国教は友に寛容です。ここでのことは忘れましょう」
「……頼むよ。ヒターリアには、優しくしてやってくれ」
ディランは深々と頭を下げた。
「拙僧は拙僧の仕事をする。ディラン殿はディラン殿の仕事をする。それだけのことですな。オルダン殿の解剖結果は、夜明けを待って教区支部前の広場で公開します。その際、必ずやこのバンシーを拙僧らは八つ裂きにしましょう。それもこれも、ティルトワースに暮らす友の安寧のため。では、また」
オルダンの死体を担ぎ、ハイリエを小脇に抱え、ルヴァールが去っていく。
ディランはその場に膝をつき、頭を抱えた。
「ごめん……ごめんな、ヒターリア。俺のせいだ。俺が、ハイリエを連れてきちまったから……」
呻くような声で、ディランは謝罪を繰り返した。
ヒターリアは、ゆらりと立ち上がった。
「片付け、しなきゃね」
誰にともなく呟くと、割れたグラスや皿のかけらを拾い集めはじめた。ディランは泣きべその顔で、そんなヒターリアの動きをぼんやりと見た。
「アンタも手伝ってよ。暗いから気をつけてね」
「あ、ああ。うん、そうだな。片付け、しなきゃな」
薄暗がりの中、二人して食器を拾う。こぼれた食事を、掬っては一つのボウルにぶちまけていく。
「おじいちゃんはさ」
ふと、ヒターリアが口をひらいた。
「きっと、アタシのことに責任を感じてたんだと思うのよ。自分のせいで、アタシの家族が死んだんだって。アタシの家族は投資で有り金全部溶かしちゃってさ。おじいちゃんは、相場を荒らして儲けてたから」
ディランは、ぼろ布でワインを拭いながらヒターリアの言葉を待った。
「おじいちゃんはああいうヒトだから、アタシには絶対そんなこと言ったり、謝ったりしなかったけどね。でもさ、ディラン。なにもないどころか借金まみれの女の子なんて、そんなことでもなきゃ引き取ったりしないでしょ? ばかなヒトなのよ。そんな風になんて、思ったことないのに。アタシ、おじいちゃんを嫌いだって思ったこと、一度もないのに」
「そう、だな……ヒターリアは、好きだよな。オルダンのこと」
ディランはどうしても、過去形にできなかった。
「大好きだよ。これからもずっと」
料理の残骸をごみ箱に放り込んだヒターリアは、水瓶からボウルに一杯の水を汲んだ。
「手、洗って。切らなかった?」
二人は、一つのボウルに手を突っ込んで、ばちゃばちゃと手を洗った。
「水、冷たいね」
「そうだな」
「冬だからね」
「ああ。冬だから……」
不意に、ボウルの中で、ヒターリアの指がディランの指に絡んだ。顔を上げると、ヒターリアは弱々しく微笑んでいた。
「ハガネが言ってたでしょ。相関と因果って。アンタも、言ってくれたでしょ。アタシ、すごく嬉しかったんだよ」
「でも、あれはヒターリアのことで、俺は」
「おんなじだよ。全部、おんなじことなんだよ。おじいちゃんがアタシの家族を殺したわけじゃない。ハイリエがおじいちゃんを殺したのかどうかなんて、分からない。だからね、ハイリエを守れるのは、アタシとアンタだけ。でしょ?」
「ヒターリア……」
気丈な笑みであった。このような時でも誰かを気遣えるのが、ヒターリアという女性であった。
「でも、ごめんね、ディラン。ちょっとだけ。ちょっとだけだから、甘えさせて」
ディランはヒターリアを抱き寄せた。強く抱いた。ヒターリアはディランの胸に頬を押し当て、声を上げて泣いた。




