『友好的』な魔物⑧
一方、ディランたちの帰路である。
「うすのろ、あの男の顔を見たろう? 生意気な若造め、いい気味だ」
ハイリエを背負ったオルダンが、得意げな顔をする。
「いやあ、痛快だったぜ! やるなあ、じいちゃん!」
「血の巡りの悪いやつだった。あの程度の者に持たれる金が哀れで仕方ない」
「ほんとにな!」
ディランとオルダンは声を揃えて笑った。
「まったく……めちゃくちゃなんだから」
ヒターリアがつぶやけば、背負うディランがにっこりした。
「やっと笑ったな、ヒターリア」
「あんなの、誰だって笑うに決まってるじゃない」
小声にも、張りがある。ディランはますます笑顔になった。
「疲れたろ、ヒターリア。今日は仕事なんてほっといてさ、みんなで家にいようぜ」
「そうする」
「当たり前だろ! おいしいもん食べようぜ! オステリアに言ってなんか作ってもらうからさ!」
ヒターリアは、ディランの首にほほを当てた。
「ごめんね……甘えていい?」
「おう、甘えろ甘えろ。俺、でかいからな。甘え甲斐あるだろ」
「ありがと。おじいちゃんも」
「お前を泣かせる者は許さん。誰であれ、だ。ましてあのようなうすのろなど! 嘆かわしい!」
冬の風が吹き抜ける小路である。ヒターリアは、ディランの体に回した腕に、力を込めた。
「おおきいね。アンタの背中」
「そうだろ」
「アタシ、重くない?」
「盾よりゃ軽いさ」
笛のように神経質な音を立てる冬の風が、一時、止んだ。
「アタシ……アンタと一緒にいていい?」
「そもそも一緒に住んでるだろ? ああ、もしかしてあのオッサンの言ったこと気にしてんのか? ほっとけ、あんなバカ! ハガネも言ってたろ、その……相関とか、因果とかさ!」
「言ってたね」
ヒターリアは笑ったが、それは苦笑であった。この分では、気持ちをどれほどまっすぐ伝えたところで、理解されるか怪しい。
ディランは善人だが、血の巡りの悪い男である。とくに、自分の利益になりそうなことに関しては。
それでも、心づくしの慰めは、暖かい。冬の小路にあって、ヒターリアの胸に春風のような疼きを覚えさせる。
相関と、因果。そんな風に思えば、佳いのだろう。ハガネはバンシーについて語っただけだが、ヒターリアの心は、ほどけていた。
「ハガネと言ったか、あの男は物の道理が分かっておる。ああいう男が金を掴むのだ。ヒターリア、あの男となら結婚してもいいぞ」
「……バカ。ディランもなんとか言ってよ」
「ハガネだけは止めとけ」
ディランは即答した。
「いや、俺があいつのこと嫌いってわけじゃないぞ! でもあいつと一緒にいると、とにかく振り回されるんだ。付き合えるのは俺ぐらいだからさ。こないだなんか、長虫のうんこを探す羽目になったんだぜ」
ディランは、ハガネと共に繰り広げたろくでもない冒険の数々について語った。振り回されることを喜んでいるとしか思えない、熱心な語り口であった。
ヒターリアは、得心がいくのを感じた。ディランはきっと、男友達とつるんで遊ぶのが一番楽しいのだ。気が合う同性との気の置けない冒険は、居心地よく感じられるだろう。娼婦仲間と小さなカフェに集まり、下らない話をするのが、ヒターリアにとって楽しいように。
「これは大変だわ」
「だろ? 大変なんだよ」
ヒターリアの呟きを、慰めと受け取ったのか。ディランはうれしそうに、そう言ったのである。
「実に大変だ」
と、オルダンまで、ヒターリアに付き合って皮肉を言う。ヒターリアとオルダンは顔を見合わせて、いたずらっぽく笑った。そっくりの笑い方であった。
「今日ぐらいはぶどうのワインがあってもいいだろう、ヒターリア」
オルダンが、少しばかり甘えるような言い方をした。
「どこにそんなお金があるのよ」
「お前が4000ルースタル持っている」
「4000って……あれ、本気だったの?」
「わしはお前からバンシーを買った。帰ったら契約書を書くぞ」
オルダンの性格である。反論しても無駄だろう。ヒターリアは頷いた。
「ウーガルーの15年ものでいい?」
オルダンは満足そうに唇の端を持ち上げると、
「アイアンスケール印の無加糖ものだ」
そう付け足した。
そしてその日の夜、オルダンは息を引き取った。
水平線に沈み行く太陽を一望できる、かさご屋のテラス席である。
「悪いなあ。そんなわけで、今日はこれからワイン呑むってことになっちゃったからさ」
ハイリエを膝に載せ、ディランは心底申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「別に、いい」
とは、本日のレイス調査が流れてほっとしているティレットの言葉だ。
「そ、そういうことなら、ヒターリアさんについててあげて」
「ありがとな、メイ。ティレットも。ハガネ……あれ? ハガネは?」
テラス席に、ハガネの姿はない。
「お、お部屋にこもってるよ。調べたことを、まとめるって言ってた、かも」
「そっか。邪魔しちゃ悪いな。降りてきたらかわりに謝っといてくれ」
立ち上がろうとしたディランに先んじて、ハイリエがぴょこんと飛び降りた。
「どうした?」
あらぬ方をじっと見つめる、ハイリエである。ディランが背後から声をかけても、振り返ろうとしない。
唐突に、ハイリエが手を伸ばした。なにかを叩くような素振りであった。それから、中空に向かって頭突きを繰り出したのである。
「……は?」
意図を図りかねる行動だった。だが、ハイリエが何を考えているかなど分かりようもない。
「行こうぜ、ハイリエ。今日はなんか食えるといいな」
両脇に手を差し入れてハイリエを持ち上げ、そのまま肩車する。ディランの肩の上で、ハイリエは尚も、中空に手を振り回し続けた。
「オイオイオイオイ! 暴れるなって! 落っこちたら痛いぞ!」
声を上げていさめるも、ハイリエが止まる気配はない。一心不乱に手と頭を振り回すばかりだ。
「……きた」
ティレットがうんざりしたように言った。何といえば、レイスであろう。
肩たたき、すり抜け、実体化、群衆化。クエスト受注以後、何度となく見た光景である。ディランはハイリエを肩車したまま、面倒くさそうに剣を抜いた。
「オイオイオイオイ、今年はやけに多いじゃねえか」
「う、うん。こんなに町中に出現するのは、はじめて、かも」
「ここだけ片付けてから出るわ。メイ、悪いけど頼む」
「は、はい」
メイも、かなりあけすけにぞんざいな態度で、銅硝子に指を添えた。
「やれやれ、時間かかっちまったなあ」
レイスを片付けたディランは、陽の落ちた街路を足早に駆けた。まず間違いなく、オルダンは激怒するだろう。ヒターリアからの小言の一つも、覚悟しなければなるまい。
集合住宅の軋む階段を駆け上がり、部屋の扉を開ける。ディランは思わずつんのめった。
「お、オイオイオイオイ? どうしたんだこりゃ?」
暗闇なのである。火も焚かれず、鎧戸も降りている。ディランは手探りで闇の中を這い回り、オイルランプを見つけて火をつけた。
「オルダン、ヒターリア? いるのかあ?」
部屋中のオイルランプを付けて回る。安い魚油特有の、真っ黒い煙と悪臭をまき散らしながら、ともかく部屋の全容が照らされた。
「ヒターリア、どうしたんだよ」
ヒターリアは椅子に座って、ぼんやりと机の上の料理を眺めていた。ディランの声に反応する様子はない。
「オルダン?」
一方でオルダンはといえば、寝床に横たわっている。仰向けになって、腕をベッドの縁からだらりと垂らしているのが奇妙だった。
「オイオイオイオイ、なんだよこりゃ? そりゃ少し遅れたけどさ、先につぶれちまうことはないだろ!」
努めて明るい声を上げる。不安と焦燥に、心臓が激しく動き出すのをディランは感じていた。
「ヒターリア! メシと酒だろ?」
びくっと身をすくめたヒターリアが、ディランの顔を見上げる。
「ああ……そうよね。おいしいもの、用意したもんね」
虚脱したような笑みを浮かべながら、ヒターリアは頭をかいた。頭をかいたその手を顔の前に持ってきて、不思議そうに見つめた。場違いな侵入者を見るような、呆気にとられた表情だった。
「オルダンも! 寝てる場合じゃないぞ、ウーガルーのワインは最高だからな!」
声をかけるが、オルダンは動かない。
ディランはとっくに気づいていたのだ。オルダンの胸が、呼吸に上下していないことを。
「…………な、なんでだ?」
自分で想像している以上に、間抜けな声だった。ディランはすぐさま悔やんだ。
「分からないのよ。料理を取りに行って……戻ったら……」
ヒターリアの声は限りなく細い。オイルランプの光は弱々しく陰気で、ヒターリアの表情をディランは見通せない。
状況を理解するだけの時間もなく、更に信じがたいことが起きた。
「やはり、こうなってしまいましたな」
とば口に、レイス専門戦闘坊主のルヴァールが立っているのだった。




