迷宮の生態系④
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さて、その後のことである。
ティルトワース行政委員会が開いた緊急対策会議において、第一層のヨウセイボコリ(ハガネによる命名)駆除が決定された。
作業には税金が用いられることになり、住民は怒りのデモと住民投票によってこれに応じた。
その結果、清掃作業は冒険者間で有志をつのり、無償で実行されるものとなった。実以て、ティルトワース郡は民主主義の活きる土地である。
当然、今度は冒険者たちの間で怒りのデモが起きる――かと思われたが、案外そんなことにもならず、彼らは粛々と清掃に参加した。
フェアリーが第一層で繁殖してしまえば、刳岩宮は精鋭中の精鋭以外には潜れぬ場所となってしまう故。
しかしながら、そんな決定には従わぬ者も、幾ばくか。
「お兄ちゃん、みんな掃除してるね」
「キヒヒッ! ご苦労なこったなァー、えェー? なァ、カッツよォー! オレたちゃァごめんだけどなァ!」
朽ち木を斧で割るドワーフ、枝から枝へと飛び移り、ヨウセイボコリをそぎ落としていくエルフ、独特の臭気をかぎつけ、腐葉土を掘り起こす獣人……
冒険者たちが一丸となってヨウセイボコリ駆除に取り組む中、聞こえよがしな嘲笑を浴びせてくるのは、だんびら兄弟である。
ハガネが去った後、銅鉄一家はだんびら兄弟の下半身を蘇生屋に運んでいった。蘇生屋はたちまちにしてだんびら兄弟の体半分を取りもどし、かわりに、彼らの資産を五分の一ほど奪っていった。
そしてそのことで、だんびら兄弟が銅鉄一家に感謝したり、少しでも態度を変えたりということは何もない。
「せェーいぜい頑張れよォー、ウスノロども! オレたちゃァ、フェアリーなんざ怖くねェーからよォ! キヒヒヒヒッ!」
殺されておいて、こういうことを言えるのが、だんびら兄弟であった。
事実、だんびら兄弟にはフェアリーとの交戦経験がある。遅れを取ったのは、第一層で遭遇してしまったからだ。
そんな風に、だんびら兄弟は自らの実力を疑っていない。
「……あんたたち」
怒りの形相で、ティレットが、だんびら兄弟の前に立ちはだかる。
「手伝わないのは、構わない。頑張っている人たちを、馬鹿にしないで」
剣の柄に手をかけて、ティレットがすごむ。
だんびら兄弟は顔を見合わせて一瞬だまってから、
「キヒヒヒヒヒッ! えェ? なんだって? がんばってるひとたちをばかにしないで? キヒヒッ! キヒヒヒヒッ!」
爆笑した。
爆笑したのち、ぴたりと口を閉ざし、四つの静かな瞳でティレットを見下ろした。
「死にてェーんだなァ、エルフの女」
「ねえねえ、お兄ちゃん、手と足をもいでいいの?」
「あァ、いいぜ、兄弟。こォーいう女は、死ぬまで良い声で鳴きやしねェーンだ。つっまンねェー目で、こっちを睨んだまま死んでいくんだよ」
「オイオイオイオイ! オマエラ、いい加減に」
「じゃま」
「ぐへぇ!」
割って入ろうとしたディランを、逆棘付きの棍棒が吹っ飛ばした。ディランは地面と水平にすっ飛んで、木の幹に激突すると、頭から落っこちた。
「蘇生費はみんなで持ってやれよなァー? ザレックのクソジジイはビタ一文まけちゃくんねェからよォー!」
バルゲルが人形を高くかかげる。静脈血の色をした閃光がほとばしり、きらめく無数の針となって半球状に展開! 致命的な魔力の天蓋と化してティレットの頭上に位置した!
この針の一本一本が致命的な魔力をふくまされたものだと、ティレットは理解している。ゆえにその瞳は諦めと怒りが入り交じり、美しい。
「弾け飛んでくたばりやがれ! 爆裂魔針!」
半球状に展開した魔力の針が、ティレットめがけ降り注ぐ! ティレットがときの声をあげる――
その時である!
「ふむん。魔力を鋸歯状の針に変えたのか。突き刺さりやすく、食い込みやすい。スズメバチの毒針のようだな。マーベラス!」
無数の針のその全てを体で受け止めているのは、ハガネ!
ティレットはその足下で尻餅をつき、ぽかんとしていた。
そろそろと顔をあげ、ハガネが立っていることに気づくと、
「は、針、刺さってる、けど」
見たままのことを言った。
「君の言葉だが、愚問だな。単に刺さっているわけではないぞ。刺さった針を観察しているんだ。見てくれ、ディラン! ん? おおい、ディラン! どうした! 大丈夫か!」
「生きてはいるよ」
「そうか! それなら見てくれ、ティレット! この魔力針は、スズメバチの毒針に構造がそっくりなんだ! マーベラス! 種族が違えど、似た用途を持つ器官は似たような形に進化するんだよ、ティレット!」
ああ、君は見たか! 頬に刺さった魔力針をひっこぬき、観察し、スズメバチの針とヒトが使う攻撃魔法の収斂進化的な相似に喜んでいるハガネの勇姿!
「なっ……あァ? 粘菌術師……まァーいいやくだらねェー! 弾け飛びやがれ!」
舌を巻くべきはバルゲルの判断力! ハガネであろうがティレットであろうが、気にくわないことに変わりなし! 爆発すれば溜飲が下がる!
爆裂魔針の真の恐怖は、獲物に突き刺さった針が合図とともに爆発することである。恐怖にふるえる敵が命乞いをしながら爆発する、その断末魔こそがだんびら兄弟にとっては至高の音楽!
「死ねェーあれ?」
不発! 爆裂魔針、爆裂せず! 魔力の残滓が虹色の光の破片と化して宙を昇っていき、消滅する!
「僕の魔力で君の魔法の性質を書き換えた。爆発されては観察できないだろう」
「は、はァ? なん、はァー? ま、魔法って、そういうものかよ……?」
「一般的にどうかは知らないな。だが、そんなことはどうでもいいんだ。通りがかったのならば、君たちだんびら兄弟も掃除を手伝ってくれ。人は多い方が助かる」
ハガネが軽く頭を下げる、その所作が、ついにだんびら兄弟を本気で怒らせた。
「お兄ちゃん! ゆるしちゃだめだ! こいつをゆるしちゃだめだよ!」
「ああ、カッツ! 見下されることだけは許せねェーんだ、オレちゃァーよォー! 行くぜ、兄弟魔法、激震爆裂魔――」
「いいから掃除をしろ」
「ぶげェ!」
ハガネにひっぱたかれただんびら兄弟は、その場で地面に対して垂直に三十回転すると、地面に落ちて失神した。
「さあ、作業の続きをしよう。集まったサンプルは、みんな僕が買い取るぞ。例の地図の実験をしてみたいんだ、よろしくな」
手をぱんと叩き、ハガネは、こともなげに言った。
そして、失神するだんびら兄弟には一瞥もくれず、掃除に戻っていった。
吉良ハガネ。
数年前、ティルトワース郡に突如として現れた異世界人。
史上有数の魔力を持ちながらも、名誉や金銭には、なんの興味も持たぬ男。
迷宮の生物や取るに足らぬコケなどを観察し、博物誌の執筆に励み、骨格標本を作ることに血道をあげる男。
一度ディランは、ハガネに、こう訊ねたことがある。
「お前ぐらい強けりゃ、なんだってできるだろうになあ。なんでコケなんか集めてるんだよ」
ハガネは、すいかのワインを呑みながら、静かに考えるような間を置いた。
「まず、コケではなくて粘菌だが、君にとっては些細な違いだろうな。それと、僕がやりたいのは、博物誌を作ること。それ以外のことには、なんの興味もない」
「オイオイオイオイ、それこそ意味が分かんねえぞ。異世界からやって来て、めちゃくちゃ強くて、なんでそこに行っちまうんだよ」
「何のしがらみもない異世界だ、楽しいことだけしていたいだろう。僕にとってそれは博物学だ。なにしろ昔は、国立大学の学振PDだったからな。
アリの巣の中の生き物について、僕は国内で三番目に詳しかったんだぞ」
「アリの巣の中の生き物って、アリじゃねえの? いや、いい。詳しく説明しなくていい。とにかくオマエは、その、粘菌とかいうのを集めるのが楽しいんだな」
「わからないことをわかりたいのさ。ただそれだけだ」
「はあん、そうかい」
これほど理解不能なことはなかったので、ディランは、どうとでも取れるような相槌を打つと、
「それじゃあハガネは、さしずめ、粘菌術師ってところか」
酔った勢いで、下らないことを言った。
ハガネは目を丸くしたあと、
「……マーベラス! 実はかねてより、二つ名が欲しいと思っていたんだ。異世界らしくて実に佳い。おおい、オステリア! ディランに一杯、エールを!」
ディランにエールをおごった。
「粘菌術師か……ふふふ、マーベラス。実以てマーベラス」
「そりゃ、気に入ってもらえて何よりだよ」
こうして今日も、ハガネは刳岩宮に潜り、取るに足らぬコケを集めては、ひとりで喜んでいる。
第一話『迷宮の生態系』おしまい。