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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第六話 『友好的』な魔物
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『友好的』な魔物⑦

 二人して声の聞こえてきた方に顔を向ければ、そこには、怒りの形相を浮かべた人の群れである。

 群れの先頭に立つのは、純ルーストリア様式の服に身を包んだ中年女性だ。竹と蔓植物を使ったパニエで、スカートを翼のように膨らませている。


「僕はバンシーを好ヒト性生物と呼んでいる――」


 ハガネは闖入者を無視した。


「え、ええと……」


 ヒターリアは、どうしたらいいのか分からなくておろおろした。一方ではハガネが早口でしゃべり、一方では中年女性が金切り声を上げているのである。


「先ほどは途中でいなくなって、ずいぶん探したのよ」

「ご、ごめんなさい。大声出しちゃったから……」


 中年女性は足音も高らかに近寄ってきて、ハガネを肩で突き飛ばすと、ヒターリアを見上げた。

 咄嗟に名前は出てこないが、教区支部では見かける顔だ。坊主の説法を、最前列で熱心に聴くような手合いである。


「ルヴァール様から聞いたわよ。あなた、バンシーを飼っているそうじゃない。はやく殺してくれないかしら?」

「え、あ、ハイリエの、こと?」


 中年女性は目を見開いた。


「名前なんて付けて! ルヴァール様から聞いたのよ、バンシーは人殺しだって! そんなものを飼っているあなたと同じ教区だなんて、耐えられないわ!」


 金切り声に、集まったひとびとが賛同した。


「待ってよ! ハイリエが人を殺すなんて、そんなのあり得ないでしょ!」

「どうして分かるのよ! 誰かが死んでからでは遅いのよ!」


 中年女性が片手を上げれば、身なりのいい紳士が歩いてきて、その肩に手を置いた。


「落ち着いて、グランマル。君の美貌が台無しだ」

「やだちょっと、人前よ……」


 と、中年女性はまんざらでもなさそうだ。


「たしかに、ペットには愛着があるだろう。手をかけろとまで言うつもりはないよ、ヒターリアさん」


 紳士は穏やかに微笑んだ。


「少し調べたが、バンシーの相場は生体で1500ルースタルだそうだ。僕は2000ルースタル出そう」

「……なに、それ?」

「買い取るのさ。その後、僕たちがバンシーをどうしようと、君は気にしなくていい。悪くない取引だろう」


 ヒターリアは言葉を失った。怒ったものか呆れたものか、分からなくなったのである。


「バンシーが人を虜にするというのは、僕も調べたよ。そうしたモノをあえて引き取り、愛でる好事家もいる。けれどね、この世界には、ただ存在するだけでだれかを不幸にしてしまう者がいる。そういうものは、この世界にいちゃいけないと僕は思うんだ」


 紳士が続けて口にした言葉は、ヒターリアにとって、あまりにも致命的なものであった。

 自分がいたばかりに、父母と妹は爆死し、オルダンは全てを失った。だから自分は、存在するだけでヒトを不幸にしてしまう。

 そうしたものは、死ななければならないのだ。そう、紳士ははっきり告げたのだ。


「産まれるべきじゃ、なかったの……?」


 心からの怯えを隠しもせぬ、弱々しい言い方だった。紳士は得意げにうなずいた。


「残念ながら、そうなるだろうね。バンシーの身上には、おおいに同情する。しかし、時には冷酷な決断が必要なんだよ、ヒターリアさん。僕はそれをためらわないだろう」


 ヒターリアは、泣きそうな顔でハガネを見た。ハガネは、教区支部で見かけた時と同じように、渋面で黙っていた。


「ハガネ……」


 何事もためらわぬハガネには珍しく、口ごもるような間があった。だが、ハガネは結局、口を開いたのである。


「バンシーの出現と不審死には、明らかな相関関係があった」

「うそ、でしょ」

「全ティルトワース教区支部のデータと、郡が提供している人口動態を洗って出した結論だ。

 バンシーの生体がティルトワース郡に持ち込まれた冬には、死者の割合が平均して15パーセント増加する。特に、老人の死亡件数が跳ね上がっている。もちろんこれはあくまで相関関係であって、因果関係ではない。バンシーがヒトを殺している証明にはならない」


 ヒターリアは、膝から崩れ落ちた。全身に力が入らないように、呆然と地面を見つめている。


「ごらんなさい! やはりバンシーがいてはいけないのよ!」


 中年女性が再び金切り声をあげた。


「そうだ! 殺せ!」「早くやっちまえ! 生きてるだけで迷惑なんだよ!」「引き裂いてやろうぜ! 車輪裂きだ!」「バラバラにして、イワシの餌にしちまうのも悪くねえな」


 調子に乗った群衆が、ヒターリアとハガネを取り囲み、罵声を浴びせる。ヒターリアは動けず、ハガネも沈黙を守っている。


「さあ、このお金を受け取りなさい、ヒターリアさん。そしてバンシーのことは忘れなさい。そうすれば、あなたはまた我々の友だ」


 紳士が札束を差し出した。ヒターリアは青ざめた顔でその金を見つめた。

 この金を掴むのが正しいのだ。ヒターリアはそう思った。あってはならない存在は、いなくなるべきなのだ。最初からそうしていればよかった。家族や自宅や近隣の建物と共に、粉々になって吹っ飛んでいればよかったのだ。


「君は正しい行いをしようとしているんだよ、ヒターリアさん。たしかに心は痛むだろう。だけど、その痛みを僕たちは分かち合えるのだから」


 有毒の蜜のように、滴り落ちる言葉であった。ヒターリアは、地面を掃いていた手を、ゆっくりと持ち上げる――



 その時である!



「オイオイオイオイ! なんだってんだよこりゃ!」

「ああ、嘆かわしい!」


 聞き慣れた声が、群衆のざわめきを貫いた。


「どけ! さっさとどかんか! 年寄りに道をあけることさえできんのか、このうすのろどもは!」

「あ、すみません、ちょっと、すみません。ごめんなさいね、このじいちゃんいつもこうなんで」


 怒鳴り散らす声と謝る声が、ゆっくりと近づいてくる。やがて群衆を割って、一人の青年と一人の老人が、ヒターリアの前に立った。

 いや、正確に言えば、一人の青年と一人の老人の間に、一匹の魔物。


「おじいちゃん、ディラン……それに、ハイリエ」

「ちょっと待たせちまったか?」


 ディランがヒターリアの頭に手を置いた。


「気やすいぞ、うすのろ!」

「ええ? 悪かったよ、あんたの大事なヒターリアに触っちまって」


 かと思ったら、オルダンに怒鳴られてたちまちひっこめた。ヒターリアは感情の持って行き場を無くし、口をあんぐり開けた。


「ハガネ、一体こりゃなんだ? なんだってヒターリアが泣いてるんだ?」

「ルヴァールに扇動された住民が、ヒターリアを追い詰めている最中だ」

「……あの枝っきれ野郎が」


 ディランは鋭く舌打ちした。


「せ、扇動ですって!? あなたが言ったんじゃない! バンシーがヒトを殺していると!」


 中年女性がハガネを指さして絶叫した。


「僕が? そんなことを言ったつもりはないぞ」

「ふざけないでちょうだい! 自分で言ったんじゃないの!」


 ハガネはまゆをひそめた。


「相関関係と因果関係はまったく別のものだ。『Aが多いときにBが多い』と『Aが原因でBが起きる』が異なるのは明白な事実だろう。君はバンシーを観察したのか? バンシーがヒトを殺している瞬間を捉えたのか?」


 異様な早口でハガネが畳みかければ、中年女性は目を回すしかない。


「だが、相関関係というものはあるわけだね。だとしたら、今この場でバンシーを殺せば、死者が減るかもしれない。そう考えるのは間違ったことかい?」


 紳士が穏やかな笑みを崩さずに言った。


「君がなにを考えようと、間違っているわけでも正しいわけでもない。事実は変わらないからな」


 ハガネが素っ気なくやり返し、紳士の笑みがひきつった。


「ただし、今後の死者を減らすためにバンシーを殺すべきだという考えは、明らかに間違っている。今この場でバンシーを殺せば、相関関係の追求は不可能だ。相関が生じたのは偶然かもしれないし、共通する別の要因があるのかもしれない。バンシーの研究を進めることは、今後の死者を減らすことにつながるだろう」


 ハガネの早口が終わるまで、紳士は辛抱強く待っていた。だが、やがて、ゆったりと気楽な調子で口を開いた。


「それじゃあ、死体が転がるまで待つべきだと。そう、君は言うんだね。『今後の死者を減らす』のは、『これからバンシーに殺される』ことより重要なことかい?」

「その質問は無意味だ。バンシーによる殺人が起きるかどうかは、君にも僕にも分からない」


 この舌戦が、見守る聴衆にどんな効果を及ぼしたか。


 かたや、早口で難しいことを言う見たことのない青年。かたや、自信たっぷりでかみ砕いて話す紳士。

 民衆が、紳士の言葉を支持するのは当然であった。


 ハガネの言葉は、刃物のように事実だけを切り分ける。だが、ヒトが死ぬかもしれず、目の前に原因らしきものが存在しているのだ。紳士の言い方は、感情を揺さぶろうとするのであれば、圧倒的に正しかった。


「さあ、ヒターリアさん。この2000ルースタルを受け取って、バンシーを僕たちに売りなさい。僕たちは無論、全てを許すとも。君は何も知らなかっただけなのだから」


 紳士が金を突き出す。


「いいから早く受け取りなさい!」


 中年女性の金切り声。ヒターリアは疲れ果てたように首を横に振る。 


「黙れ、うすのろどもが!」


 突然、オルダンが凄まじい声で怒鳴った。紳士も中年女性も、ぎょっとした。


「嘆かわしい! ああ、わしはもう死んでしまいたい! 2000ルースタルだと? そんなはした金で、ヒターリアの持ち物を髪の毛一本でも売ってたまるか!」


 オルダンは憤然と紳士を睨んだ。


「貴様ッ! バンシーを買い取るつもりなのだな!」

「え、ええ。そのつもりですよ」


 言質を取ったと言わんばかりの、オルダンが浮かべたのは、悪魔のように好戦的な笑みだった。


「いいだろう。わしは4000ルースタル出す。ヒターリア、わしにバンシーを売れ」

「お、おじいちゃん……?」


 ヒターリアは口をあんぐり開けた。


「貴様は4000ルースタル出せるか? 出せるものなら出してみろ!」

「い、いや、それは……これはその、つまり、公益の問題ですよ。お金というのは、その、ヒターリアさんに納得していただくための」


 オルダンの提案はどう考えても不条理だが、並ならぬ勢いである。紳士はしどろもどろになった。


「金の問題にしたのは貴様だろうが! わしは貴様のやり方に付き合って、4000ルースタル払うと言っているのだ! ならば貴様はその倍払ってみせろ!」

「で、ですから、つまり」

「嘆かわしい! 金を払えんのであればこの話は終わりだ! ヒターリア、ハイリエ、うすのろ! 帰るぞ!」 

「はいはい、分かったよ。帰ろうぜ、ヒターリア」


 うすのろ呼ばわりされたディランは、穏やかに苦笑すると、ヒターリアに手を伸ばした。


「っと……触ったらまた怒られちまうかな」

「ヒターリアを自分で立たせるつもりか! 手をつなげ! 背負え!」

「オイオイオイオイ! どうすりゃいいんだよ俺は!」

「それが分からんから、貴様はうすのろなのだ。ああ、嘆かわしい!」


 ディランは声をあげて笑い、ヒターリアを立ち上がらせた。


「大丈夫か? おんぶするか?」

「……うん」


 頷いたヒターリアを、ひょいと背負うディランであった。一方でオルダンは、ハイリエをおぶっている。


「どけ! 道を空けろ! その程度のことすらできんのか、このうすのろ共は!」


 来た時同様に怒鳴り散らしながら、オルダンはずかずかと歩いた。

 

 後に残されたのは、群衆とハガネである。


 しばらくは呆然とするあまり身動きすら取れぬ民衆であったが、やがて、怒りの矛先はその場に残るハガネへと向かう。


「君はどっちの味方なんだい」


 紳士が言った。並み居る民衆がハガネに向ける憎悪の視線を、代弁する物言いである。

 だがハガネは、素っ気ない表情を紳士に向けた。


「僕は事実を語ったまでだが、君たちにはまるで理解してもらえなかったようだな。バンシーの件は更に調査して、論文はティルトワース大図書館に寄贈するつもりだ。口頭説明よりも分かりやすいはずなので、読んでもらえると嬉しい」


 この状況にあって、実にハガネらしい無神経な言葉だった。絶句する群衆に背を向け、ハガネもまた、歩き去っていった。


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