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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第六話 『友好的』な魔物
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『友好的』な魔物⑤

「だからルーストリア国教の連中は嫌いなんだ。傲慢っていうかさ、要するに金持ちで、自分が間違ってるなんて思ったことがないんだよな」


 テラス席に腰掛け、ハイリエを膝にのせながら、怒りが収まらないディランである。


「しかし、非常に興味深い話が聞けたのも事実だ。第三教区支部に足を運ぶ必要がありそうだな」

「オイオイオイオイ! オマエまで、ハイリエとレイスに関係があるとか言うのかよ!」

「判断は、生のデータに当たってからだ」


 ため息をついて首を横に振り、ディランはハイリエの頭をなでた。


「遅刻は、忌むべき」


 ティレットが言った。正気度を取り戻したのである。


「分かってるって、悪かったよ! だから、こっちはこっちで色々あったんだ!」


 では、ディランが何をしていたのか。時間はこの日の朝まで遡る。



「それじゃアタシ、教区支部行ってくるから。お客さんいるし夜まで戻んない」


 朝食の片付けを終えたヒターリアが、ボロ布同然の、緑色のショールを羽織った。


「おう。気をつけてな」


 ヒターリアが扉を開けば、そこに老人がいた。

 はげ上がった頭に真っ赤な鼻、やせこけた体と曲がった背。そして、不機嫌そうな顔。


「ヒターリア。探したぞ」


 不機嫌そうな声で老人が言った。


「なんだ、お客さんか?」


 ヒターリアの体ごしに、ディランが入り口を覗いた。

 そのディランを、ヒターリアの体ごしに、老人が睨みつけた。憎悪の感情をそのまま叩きつけてくるような瞳で、ディランは思わず身をすくめた。


「こんな薄汚いところで、薄汚い商売をしおってからに。パエルダとソーラが今のおまえを見たら、どれほど嘆くだろうな」


 と、ヒターリアを押しのけ、ずかずかと踏み込んでくる。ディランの前に立つと、


「貴様ッ、子持ちの分際で! 子持ちの分際でヒターリアを抱いたか! ええ? 何度だ! 何度抱いた!」


 喚きはじめた。


「は?」

「言え! 何度抱いた! いくら払った! ああ、嘆かわしい! わしは情けなくて、死んでしまいそうだ!」

「お、おじいちゃん! 待って! 違うから、その人は違うんだって!」


 掴みかからんばかりの勢いで怒鳴る老人に、ヒターリアがしがみついた。


「お、オイオイオイオイ……なにがなんだってんだ?」

「ごめんねディラン! この人昔っからこうで!」

「あ、へえ……気の毒だな、そりゃ」

「何度だ! いくら払った!」


 なにか途方もない面倒ごとが起きているらしい。ディランに理解できたのはその程度のことだった。


「いいから、落ち着いてってば! ほんともうやだ! おじいちゃん、一回黙って!」

「これが黙っていられるか! ああ、嘆かわしい!」

 

 しばしの間、老人とヒターリアは、建物中に響き渡るような声で怒鳴りあった。



「はい、お茶。呑んだら出てって」


 ヒターリアが、テーブルの上にカップを叩きつける。老人は礼も言わずにカップを掴むと、中身をすすって一口で吐き出した。


「これが茶だと。ばかにするな」

「笹の葉茶で悪かったわね。こんなものしか、うちでは用意できないよ」

「でも俺、ヒターリアの淹れてくれる笹の葉茶は好きだけどな」

「ありがと、ディラン」


 家族間のもめ事に、なぜか、同席しているディランである。ヒターリアに、一緒にいてくれるよう頼まれてしまったのだ。


「アタシとおじいちゃんだけだと、ケンカになっちゃうからさ」


 とはヒターリアの言い分だが、自分がいたところで何が変わるのか、ディランには想像もつかない。


「ハイリエ、ちょっとうるさくなるけど我慢してくれよな」


 膝の上のハイリエに優しく声をかける。ハイリエは、分かっているのかいないのか、ぼんやりとディランを見上げた。理解してもらえたのだ、ということにする。


「ええと、なんつうか……まずは何がどうしてこうなってるのか、教えてくれないかな」


 ディランがおそるおそる口を開いた。案の定、老人が睨みつけてくる。


「いやいやいや! 好奇心とかじゃないぞ! ただ、喋ってる内に気持ちが落ち着いたり、整理できたりするだろ? 壁よりは俺の方が話し相手としちゃマシだと思ったんだよ」

「フム。貴様、なかなか賢い男だな」


 腕組みをしてふんぞりかえった老人が、大上段からディランを評価する。


「あ、どうも」

「どこから話すべきか……ヒターリアがこのような商売に身をやつし……」

「ちょっと! ばかにしないでよ一生懸命働いてるんだから!」

「ばかにされるような職業を選ぶんじゃない! 嘆かわしい!」

「みんな喜んでるわよ!」


 悪罵の投げつけ合いが始まった。一日仕事の予感に、ディランは頭を抱えた。



 つまり、こういうことらしい。


 ヒターリアは名だたる資産家のもとに産まれ、何不自由ない生活を送っていた。だがこのティルトワースにあって、資産家の立場は常に危ういものだ。ヒターリアの父であるパエルダは投機的な資産運用に手を染め、あっさり破産した。


 進退いずれも行き詰まったヒターリアの両親は、一家心中を決断した。ありったけの爆薬を広間に積み上げ、邸宅ごと爆死しようと試みたのである。いかにもティルトワース人らしい、周囲を顧みぬ散り方であった。


 爆薬は満足いく結果をもたらした。邸宅は跡形もなく消し飛び、隣接する建物を五棟ほど全焼させた。雨の降らぬ夏場のこと、鎮火には五日を要したという。


 なによりも気の毒なのは、奇跡的に生き残ってしまったヒターリアであった。吹っ飛んできた刳岩宮産最高級凝灰岩製の水盤が、爆轟の衝撃から彼女を護ったのだ。

 その石材は、刳岩宮深層を攻める冒険者が盾の素材とするようなもの。かの有名なガッルギリス’のゴーレムも、この素材で組み上げられていた。炎耐性も確たるもので、ドラゴンのブレスでさえ弾き返すと言う。


 ヒターリアは、わずか十歳にして親の作った負債の全てを背負う羽目になった。にっちもさっちもいかなくなった彼女を保護したのが、ディランの前で不機嫌そうにしている『おじいちゃん』こと、オルダンである。


「あの頃のオマエは実に可憐だったぞ、ヒターリア。春に踊る蝶のようだった」

「今もそう言ってくれる人いるもん。蝶が蜜を吸うみたいだねって」


 ヒターリアがそんな風に言って、ディランはちょっとどきどきした。もちろん、ハイリエの耳をふさぐのは忘れていなかった。こんな会話をハイリエに聞かせるわけにはいかない。


「ああ、嘆かわしい! 今のお前は醜い蛾だ、ヒターリア! 薄汚い森で薄汚い昆虫と肩を並べて薄汚い樹液を啜り……嘆かわしい! わしは死んでしまいたい!」

「なによ! アタシだって頑張って仕事してるのよ!」

「ええと、続きを話してくれないかな」


 ヒターリアを引き取ったオルダンは無論、好奇の目に晒された。齢五十を越える年寄りが、すけべ心を出したのだろうと。

 そのころオルダンと言えば、投機筋では知らぬ者のない仕手方だった。親の築いた財産を背景に、むちゃくちゃな買いで市場を混乱させ、誰よりも早く売り抜けるのが、オルダンのやり口であった。

 そんな男であるから、多くの人間に憎まれた。誰もがここぞとばかりに、オルダンをばかにしたのである。


「あの爆発で傷一つ付かなかったものを買っただけだ。縁起物としてな」

 

 オルダンは嘲笑に対して、そんな答えを返した。彼はヒターリアとともに、刳岩宮産最高級凝灰岩製水盤まで債権者から買い取っていたのである。悪趣味の発露であると、ひとびとはますますオルダンを忌み嫌った。


 おおむね黙々と、オルダンはヒターリアを養育した。決して優しい男ではなかったが、その心の根底には慈愛があった。それをヒターリアも、よく受け止めた。両親と妹二人が爆死してから数年も経つと、ヒターリアは笑うようになった。


 だがこのティルトワースにあって、資産家の立場は常に危ういものだ。オルダンは投機的な資産運用に手を染め、あっさり破産した。


「えっ、また?」


 ディランがぎょっとすれば、ヒターリアの顔に影が差す。


「あ、ああ、悪い、びっくりしちゃって。ほら俺、資産家のこととかなんにも分かんないから。そういうのってよくある話なんだよな、きっと」


 慌てて言いつくろうも、一度口に出した言葉を取り消すことはできない。ヒターリアが、二度の破産の原因が自らにあると考えているのは、明白だった。


「アタシは……関わった人のこと不幸にしちゃうみたいでさ」

「そんなワケあるかよ! 俺が不幸になってるか?」

「アンタとそんなに関わってないし」

「オイオイオイオイ! なんだよ、寂しいだろそれ! 俺は友達だと思ってるぞ、ヒターリアのこと!」


 銅鉄のディランの、不器用で直情的な言葉である。ヒターリアは哀しげに微笑んだ。


「ありがとね、ディラン」


 話はまだ続く。

 資産を精算し、オルダンとヒターリアは冬のティルトワースに放り出された。ぼろぼろの木造建築で三月ほど、寒風にさらされながら生活した。


「そんな生活がいけなかったのよね。おじいちゃん、心臓をやっちゃってさ」

「ワシを病人扱いするな」

「病人でしょ! 一回心臓止まったし、興奮すると不整脈出るんだから!」

「心臓ごとき何ほどのものだ。止まったところで何も困らん」

「いや、死ぬだろそれ……」


 呆れたようにぼやくディランだが、ヒターリアもオルダンも耳を傾けてくれない。ディランはぼんやりとハイリエの頭を撫でつづけた。


 新事業の立ち上げや借財の無心に、オルダンは走り回った。しかし、病気の身の上であり、おまけにヒターリアを世話しながらのことである。ついでに言えば、オルダンはありとあらゆる人間から憎まれていた。

 金のあてはなく、わずかに残った資産を食いつぶす、先の見えぬ生活だった。日に日に疲弊していくオルダンを見て、ある日、ヒターリアは決意した。


「きっとね、おじいちゃんにはアタシが邪魔だったのよ。だから家を出て、この仕事をはじめたの」


 家を飛び出し、赤い鑑札を首から提げ、初めての行為と引き替えに得たのは3000ルースタル。目もくらむような大金であった。ヒターリアはティルトワース大銀行を通じ、オルダンの口座に全額送金した。


 公娼の仕事は、はじめてみれば存外ヒターリアに向くものであった。中堅娼婦であれば、客の質も良い。服も食事も客が貢いでくれる。贅沢さえしなければ、一月に20ルースタルほど送金できた。


 そんな生活が数年も続き、今に到るというわけである。


「アタシ、はじめて誰かの役に立てたんだって、うれしかったなあ……」

「そんな金を使えるか。お前のよこした4000ルースタルには、1チットも手を付けておらん」

「はあ!? なんでよ! お医者さんにも行かなきゃだし、また投資だってはじめるんでしょ!?」

「ワシに投資するな。死ぬだけの身に利回りなど期待できんのだからな」


 オルダンは断固とした態度でヒターリアの言葉をつっぱねると、


「ヒターリア、お前に縁談を持ってきた」


 いきなり言った。


「……は?」


 これは、ディランとヒターリア、双方の言葉である。


「ルーストリア本国の貴族だ。五男坊だが、土地がある。過去は問わんと言っている。これ以上の話はないだろう」

「あ、い、いや、なに、急に、はあ? え、縁談って、どうやって……」

「呑み友達の伝手だ。そんなことはどうでもいいから、とっとと幸せになれ」


 ぽかんとしていたヒターリアだが、やがて、顔を真っ赤にして立ち上がった。


「む、むり! むりだってば結婚なんて! アタシこんなだし! そ、それに、好きな人いるし!」

「えっそうなの?」

「そ、そうよ!」


 ディランの顔が明るくかがやいた。


「へええ! ヒターリアに好かれるなんて、羨ましいなソイツ! 代わってほしいぐらいだぜ!」


 ディランがそんなことを言えば、ヒターリアの顔がたちまち曇る。オルダンはディランとヒターリアの表情を交互に見て、ため息をついた。


「その男はよほどのうすのろだな」

「最低の男よ。金もないし、顔も悪いし、バカだしうすらでかいし。でもしょうがないでしょ、好きなんだから!」

「だが、その男がお前を幸せにできるとは思わん。わしはいずれ死ぬが、お前はしばらく死なん。投資先は心でなく頭で決めろ」

「むりだって! アタシ絶対結婚なんかしないからね!」


 揉めに揉めた。オルダンもヒターリアも、一歩とて相手に譲るつもりがないのだ。

 午後を過ぎたころ、オルダンがこう言った。


「お前が決断するまで、わしはここに住むぞ。何日かけてでも説得してやる」

「なに言ってんのよ! 冗談じゃないわよそんなの!」

「もう決めたことだ。家も今朝引き払ってきた。お前はわしを冬のティルトワースに放り出すつもりか?」


 ヒターリアはうつむいてこめかみを抑えた。


「ああ、もう、昔っからこうなんだから……でも、結婚はしないからね」

「言っていろ」


 頭を抱えたいのはディランも同じだった。平和な生活が踏みにじられつつあるのだ。


 しかし、オルダンの気持ちも理解できるディランであった。

 老い先の短さを自覚しているからこそ、養女の縁談を探して駆けずりまわったのだろう。逝く時に、ひとりでありたくないのだ。オルダンがそんなことを口に出したわけではないが、ヒターリアも、それは悟っている様子だった。


「笹の葉茶しかないからね」

「では、茶は要らん。ワインは」

「デーツのなら」

「要らん。白湯でいい」


 ため息をつくヒターリアだが、照れ笑いを隠しきれてはいない。安堵しているようにも見える。つまり、甘えているのだろうとディランは思った。


「ごめんね、ディラン。しばらく騒々しくなっちゃうと思うけど」

「いいよいいよ。気にすんなって。人がたくさんいる方が、ハイリエだって楽しいだろ」


 ハイリエは笹の葉茶をすすり、激しくむせて、けろっと吐いた。


「うわあ!」

「オイ! 子どもが吐いたぞ!」


 ディランとオルダンが慌てて立ち上がり、ヒターリアは呆れたように笑った。


「男ってのはこれだからね」

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