『友好的』な魔物④
その夜、かさご屋のテラス席にディランは姿を現さなかった。レイス調査の約束を、パーティリーダーがすっぽかしたのである。前代未聞の事態であった。
「ディランくん、な、なにをしているんでしょうか……」
「愚問」
メイの言葉に、ティレットはとげとげしい声で答えた。ハイリエにつきっきりになっているのだと、容易に推察された。
「ディランがいなくても問題ないだろう。ティレットがいればレイスは観察可能だ」
ティレットは黙ってハガネを睨みつけたが、きょとんとされてため息をついた。
「待つだけ無駄」
立ち上がり、ティレットはマントを羽織る。氏族の紋章たる片翼のツバメを刺繍したマントは、メイの舌を巻くべき技前によって完璧に染み抜きされていた。
「あ、あの、ティレットちゃん、へいき?」
「……愚問」
少し間を置いて、ティレットは言った。然り、愚問である。冒険者にとって重要なのは、とりもなおさず懐のあたたかさだ。
だが、ティレットの表情は見る見る内にあおざめていった。昨日の恐怖、やすりがけのように正気度が削られていくあのおぞましさを、思い返してのことだろうか? 否! そうではない!
ティレットが、氏族の宝剣たるつばくろ丸の柄に手をかける! 即ち、接敵!
「肩……今……」
忘れもせぬ、あの生暖かさである。レイスの肩たたき行動!
「なにか、いる」
「レイスが? 刳岩宮の外でも発生するのか?」
「うーん……め、珍しいけど、ないことじゃない、かも」
「うそ」
ティレットは絶望のあまりふらついた。
「ひゃああああ!」
ティレットは絶叫して腰を抜かした。これは、レイスのすり抜け行動に他ならない! 巨人の舌に内臓を舐められたかのような、嫌悪感を伴う生ぬるさ!
レイス実体化! とりとめのない表情を浮かべる、半透明の老人!
「マーベラス!」
ハガネは椅子に座ったまま一声叫び、スケッチをはじめた。
またもや昨日と同じ、悪夢のような光景であった。レイスが次々に実体化し、その数といえばテラス席を産め尽くさんばかり。
「は、ハガネくんっ!」
「実体化中には採餌行動を取らないのか? いや、そもそも『肩たたき行動』と『すり抜け行動』はレイスにとって食事なのだろうか? しかし、それ以外に合理的な説明がないのも確かだな。雲を掴むようだ! もっと研究したい! マーベラス! 実にマーベラス!」
メイが声をかけるも、ハガネは聞く耳を持っていない。早口で絶叫しながら、凄まじい勢いでペン先をすり減らしている。
「ああああ……ああああっ……」
ティレットの正気度が激減! このままでは発狂してしまう! 発狂の状態異常がついたメンバーは敵味方問わず攻撃をはじめる可能性があり、非常に危険だ!
その時である!
「天の御座におわす我らの父よ。慈しみ深き父よ。私は彼の罪を知り、私は彼を哀れに思う」
謎めいた詠唱が寒風を裂いてテラス席に朗々と響き渡る。メイとハガネが視線を送った先には、異様な長身を誇る法衣姿の木人。枝垂れ柳のような指を、身長と同じ長さの純銀製六角棍に絡めている。
トレントが純銀製六角棍を腰だめに構え、先端をレイスに向けた。虹色のパーティクルが無から生じ、純銀製六角棍の先端に凝集した。
「父よ、慈しみ深き父よ」
足を大きく開いて腰を落とし、純銀製六角棍を構える姿は、まるで手持ちの大砲を掲げる兵士である。
「哀れなる彼を私は導き、彼は父の御許に遊ぶを許される」
詠唱完了と同時に、凝集した魔力が散弾のごとく放たれた! 発射反動で純銀製六角棍が跳ね上がり、トレントの体が数十センチ後退する!
飛来する無数の魔力散弾! レイスに着弾! 虹色の小爆発! テラス席はわずかの間、曙光を浴びたかのように明るい!
小爆発の名残の煙が、寒風に吹き散らされていく。無数のレイスは、全て霧散していた。
「危ないところでしたな」
トレントが重々しく口を開いた。ハガネとティレットは、あらためてトレントに視線を向けた。
「拙僧はルーストリア国教のレイス専門戦闘坊主、ルヴァールと申します」
「吉良ハガネだ。よろしく、ルヴァール」
抜かりなく装着していた偏光グラスを外しながら、ハガネは頭を下げる。
「冬枯れの時期は、死者の魂が温もりを求めてさまよい出るもの。なにかありましたら、拙僧が力になりましょう。では、これで」
と、きびすを返したルヴァールが、立ち止まった。
「おーい、いるかあ? 遅れて悪いなあ!」
ハイリエを連れたディランが、のこのことテラス席にやってきたのである。
「なんか色々あってさ。参っちまったよ」
「ヌッ……キエエエエエッ!」
「は?」
これは如何に! 奇声を上げたルヴァールが、ディランめがけて純銀製六角棍を繰り出した! 舌を巻くべき速度!
「どういうつもりだ」
まっすぐ突き出された純銀製六角棍を、ハガネが掌で受け止めた。
「それは拙僧の言葉ですな」
一撃を止められながらも、ルヴァールは動揺を見せない。純銀製六角棍を引き、枝垂れ柳のような指をハイリエに向けた。
「なぜバンシーがここにいるのですか。人のような格好をして」
「なにか問題があるのか? あなたはレイス専門の戦闘坊主だろう、ルヴァール」
「ゆえに、バンシーをも拙僧は滅します」
事態を飲み込めぬまま、ディランはハイリエを抱き寄せ、ルヴァールを睨みつけた。
「穏やかじゃねえぞ、枝っきれ野郎が。説明ぐらいは聞いてやるから、ためしに喋ってみな」
挑発しながら、剣の柄頭に手を置くディランである。このお人好しが、深層の魔物と相対したかのように殺気立っているのだから、ただごとではない凄味を感じる。
「レイスあるところに、バンシーあり。レイスがバンシーを引き寄せておるのだと、拙僧どもは見立てております」
「相関関係があるのか? データがあれば見せてほしい」
この一触即発の状況にあって、ハガネは目を輝かせはじめている。知的好奇心が他の全てに優先する、粘菌術師の習性であった。
「ティルトワース第三教区支部にお越しいただければ、お見せいたしましょう」
「マーベラス! 明日では?」
「明日は担当の者がおりません」
「オイオイオイオイ! そんなことはどうでもいいんだよ! レイス殺しの枝っきれ野郎が、なんだってハイリエまで殺すつもりかって聞いてんだ!」
トレント特有の、木のうろのような双眼の見る先、ハイリエはぼんやりと立っている。
「バンシーのあるところには、不審死が増えるのです。なんらかのやり方で、バンシーが人を殺しているのだと拙僧らは見立てております。無論、レイスに人を殺すだけの力がないことなど、拙僧らも知っております。それでもレイス防除に予算が下りるのは、言うなればバンシーを引き寄せぬため」
ディランは、唖然とした。
「は、はあ……? なんだそりゃ。迷信だろ、どう考えても!」
「拙僧らはそう見立てておりません」
「ばか言え! こんな小さい子が、どうやって人を殺すってんだ! ハガネ、なんか言ってやれ!」
「ふむん」
ハガネはハイリエを見て、ルヴァールを見て、最後にディランを見た。
「宿主を殺す生物は珍しくない。好蟻性生物には、蟻の巣に棲みながら蟻を食べるものもいるぞ。しかし、推論のための手がかりすらない状況だ。どちらとも取れない、としか言いようがないな」
「ああああ! どうしてオマエはいつもそうなんだ!」
ディランは苛立ちのあまり地団駄を踏んだ。
「ご理解をいただけましたか。では、拙僧は拙僧の仕事をいたします」
「ま、待ってください!」
純銀製六角棍を振り上げる手が止まる。止めたのは、メイである。
「なにを待たせるつもりで」
「あ、あの……クエストなんです! フィッチ議員からの!」
「ディマ・フィッチの? 失礼ながら、どういう冗談でしょうか?」
「じょ、冗談じゃないです」
立ち上がったメイは泣きそうな表情ながら、背筋を伸ばし、精一杯、威圧的な態度である。
「フィッチ議員は、れ、レイス調査のクエストを、わたしたちに発注しました。も、もし、レイスとバンシーに関係があるのでしたら、そ、その調査も、クエストの内です」
「故に、このバンシーには手を出すなとおっしゃるのですな、白猫のお嬢さんは」
「は、はい」
ルヴァールは枝垂れ柳のような指で、どうやら顎らしきこぶを撫でた。
「分が悪い、とまでは思いませぬが、事を荒立てるほどでもありませんな。よいでしょう、ここは拙僧が折れます。あなたがたの内だれか一人でも死ぬようなことがあれば、拙僧らの出番ですな」
「すぐに分かるさ、オマエらが間違ってるってな」
「そうであれば、喜ばしいことですな」
捨て台詞に皮肉を飛ばし、ルヴァールは去っていった。その姿がかさご屋から消えるまで、ディランは憤然とルヴァールを睨みつづけた。




