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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第六話 『友好的』な魔物
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『友好的』な魔物③

 そんなわけで、かさご屋である。

 テラス席には、大寒流たるヰケラ海流が運ぶ冷たい風が吹き付けていた。テーブルの上にさしかけられた幌が、風でばたばたと揺れていた。


「寒いだろ、そんなんじゃ」


 ディランの膝の上にちょこんと座っているのが、ティレットのマントにくるまったバンシーである。


「はいよ、あったかいもん呑みな」


 と、オステリアが持ってきたのは、分厚いマグにたっぷり注がれた昆布茶であった。寒風に巻かれただしの香りが、パーティメンバーの鼻をくすぐる。


「おお! ありがとな、オステリア! ほら、呑めるか? ふーふーしてやるから待ってな」


 ディランがマグを渡せば、バンシーは両手でしっかり持って、一口ずつゆっくり呑んだ。


「あんたら、またわけの分からんもんを拾ってきたねえ」


 オステリアが苦笑する。


「まあ、粘菌術師様がいつも拾ってくるもんよりはずっとましだけどさ。これが、バンシーってやつなんだね」

「そうだろ、かわいいだろ? なあなあオステリア、名前どうしたらいいと思う? 俺ほら、子どもとかいないからその辺が分かんないんだよ」

「あらま。育てるつもりかい」

「しょ、しょうがないだろ! なつかれちまったんだ! うわあ!」


 ディランが悲鳴を上げたのは、バンシーが、呑んだばかりの昆布茶をけろっと吐いたからである。


「ごめんな! 俺がよそ見してたから! ごめんな!」


 バンシーの口をマントの裏地で拭うディランの瞳には、なにごとか使命感らしきものが宿っている。間違いなく、親としての使命感であった。


「……私の、マント」

「あ、あとで、しみ抜きしてあげるね」


 ハガネはテーブルに獣皮紙を広げ、現状と今後の予定について、黙々と整理している。ちらりとバンシーに横目を向けはしたが、騒ぎに付き合うつもりはなさそうだった。


「なあ、ハガネも考えてくれよ! なんて呼んだらいいと思う?」

「ふむん」


 ディランにつっつかれ、ハガネは羽根ペンを置いた。


「好ヒト性生物というのはどうだ?」

「は?」

「友好的な魔物という呼び方は、あまり中立的ではないからな。僕としては、好ヒト性生物と呼びたい。つまり、生存をヒトの生活に依存する生物、という意味だ」

「……オマエに聞くべきじゃなかったな。ティレット、メイ」

「ええー? わ、わたし? なまえ、名前かあ……」

「名前。難しい」


 ディランがこれだけ騒げば、メイとティレットにも気分が伝染する。銅鉄一家のメンバーは、レイス調査などそっちのけで、バンシーの名前について延々と語り合った。フィッチ議員がこの有様を見れば、ただちに暗殺者を数十人送り込んでもおかしくはないほど、彼らは夢中になった。



「よし! 今からオマエはハイリエだ! 分かるか? オマエの名前だぞ」


 一刻にも渡る協議の上、バンシーの少女に与えられた名である。


「俺の故郷の神さんの名前だ。手からソバとかソルガムとかを出せるんだぞ。豊穣の神さんで、雷の神さんの嫁なんだ。いい名前だろ?」


 理解しているのか、いないのか。蜂蜜色の瞳で、ディランを見上げるハイリエである。

 先ほどまでの、マント姿ではない。上等な毛織物を深緑色に染めた、子ども用の外套に身を包んでいる。メイが家から持ってきたものだ。

 そんなハイリエが、ディランの膝の上にちょこんと座り、地に着かぬ足をぶらぶらさせているのだ。


「かわいいねえ……」


 メイがうっとりと目を細め、喉をごろごろ鳴らした。きれいな衣装を着せてみれば、実以て、舌を巻くべきバンシーの美しさであった。


「まったくだな、メイ。実にマーベラスだ」

「えっ」


 メイの言葉にハガネが調子を合わせれば、ぎょっとしたのはティレットである。

 ハガネが女性らしきものや子ども(らしきもの)を『美しい』とか『かわいい』と評したところなど、見たことがない。そんな感覚を持ち合わせていると、想像したことすらなかった。


「好ヒト性生物として、ヒトに接触する手段が実に合理的だ。フェロモンや外観の相似ではなく、美的感覚に訴えてくるのだからな。マーベラス! 刳岩宮の神秘だ!」


 いつも通りの世迷い言に、むしろほっとしてしまうティレットであった。美男美女の目や鼻の形よりも、下らない昆虫に生えている下らない角の数の方が、ハガネにとっては重要なのだ。


「しかし、どうすっかなあ。俺の部屋、狭いし。ハイリエには居心地悪いかもなあ」


 ディランは腕を組み、真剣に悩んだ。フィッチ議員に詰め寄られた時でさえ、ここまで頭を働かせてはいない。


「わ、わたし、実家だから……」

「他人と暮らしたくない」


 目線を向ければ、メイとティレットが先回りしてくる。ディランは頭を掻いた。おそるおそる、横のハガネに目をやる。ハガネは獣皮紙に落としていた目線をディランに向け、にこりと微笑んだ。


「僕でいいなら飼育するぞ」

「絶対ダメだ! なんだよ飼育って! ふざけてんのか!」


 ディランの正当な怒りに、ハガネは虚をつかれたような表情を返した。


「他にどう言えばいいんだ」

「知らないよ! でも飼育って言葉の響きがなんか嫌だ! 絶対ろくなことしないだろオマエ!」

「では、君の部屋に置いておくべきだろう」


 端的で、もっともな言い分である。ディランは頭の中であれこれと計算をはじめた。


「ええと、食費が2ルースタルだろ? 家賃が3ルースタルだ。今月は税金の支払いも……でも、フィッチ議員から金がもらえるから……いや、先々のことまで考えないとなあ。投資して増やせるか? なあメイ、小麦相場って今どうかな?」

「さ、先物は、やめた方がいい、かも」

「不動産は? いやいや、貿易株って手もあるのか……」


 ディランの頭の中で、皮算用のポートフォリオができあがりつつある。メイはぞっとした。知り合いの職人に、貿易株で身を持ち崩した者がいるのだ。


 このとき、このティルトワースにおいて、投資対象として最も熱いのは貿易株であった。

 嵐と海流を潜り抜け、赤道を越えた先の熱帯海域には島々が散らばる。多くの資産家が会社を立ち上げ、株式を発行して資金を集め、熱帯諸島に産する香料や砂糖、また、未知の財宝を求めた。

 一度の航海ごとに精算される株券は、時に購入時の数十倍の金額で償還された。信用格付けの高い会社の株券であれば、投機目的の山師も群がり相場が過熱する。そうなれば、株券を右から左に転がすだけで一財産を築くことさえ可能であった。

 もちろん、一財産を築く以上の確率で、難破、海賊の襲撃、未知の民族の襲撃、未知の病気の横行によって、株券は紙くずとなった。そんな場合、娘の処女まで抵当に入れて貿易株に手を出したティルトワース人は、静かに首をくくるか、株券を売りつけてきた山師を逆恨みし、襲撃した。そして、山師に雇われた魔法使いによってずたずたに切り刻まれ、死体を刳岩宮にばらまかれた。


「あの、は、ハガネくん! ディランくんに、と、投資してあげてください!」

「投資? 何故だ?」

「ディランくんが、バンシーを、その、し、飼育します。分かったことを、ハガネくんに教えます。そしたら、ハガネくんは、ろ、論文が書けるでしょ?」


 舌を巻くべきはメイの機転! 未知の生物を観察せずにはいられぬハガネの習性を利用する、その強かさ!


「マーベラス! 素晴らしい考え方だ、メイ! いいだろう、ディラン。僕が研究助成費を出すぞ」

「な、なに? つまりどういうこと?」


 突如として興奮しはじめたハガネに、ぎょっとするディランである。


「つ、つまり、ハガネくんが、お金をくれるってこと、かも」

「は? なんで?」


 ティレットは顔を覆った。ディランは善人だが、血の巡りの悪い男である。とくに、自分の利益になりそうなことに関しては。


「受け取れば」

「僕からも頼む。受け取ってくれ、ディラン。結局のところ研究とは体力勝負だからな。資金がなければ何もできない。学振PDを目指していた頃、嫌というほど思い知ったよ」


 と、ハガネがスラックスの尻ポケットから取り出したるは、おお、君は見たか! 二つ折の革財布に埋め込まれた真鍮の板には、この異世界に決して存在せぬ文字列! カルバン・クラインだ!


 財布から無造作につかみ出されたのは、1ルースタル紙幣が15枚。大金である。


「やります」


 ディランは即答して金を掴んだ。これで、決まりであった。


「……レイスは」


 ティレットはぼそっと呟き、自分のマントに刻まれた拭いがたいしみをじっと見つめた。


 翌朝、ディランは幸福の内に目を覚ました。


 ティルトワースに数多ある、木造の違法建築物。その中では比較的ましな一室である。

 大部屋を薄い壁で仕切っただけの、ほとんど共同生活ではある。が、横に住んでいるのは、それなりの上客をあてがわれる中堅娼婦。信頼はできぬが、信用の置ける相手だ。


 鎧戸の隙間から差し込む光がまぶたの裏ににじみ、ディランは半分ほど覚醒した。まどろみは心地よい。中堅娼婦がかまどで汁物を煮ているのだろうか。魚介だしの香りが胃を小突く。


 ぺちんと、小さな手がほほを叩いた。腹の上に、やわらかい重量を感じる。


「なんっ、ああ、ヒターリアかあ? 俺はオマエを買うほど金持ちじゃねえってば……」

「バカ言わないでくれる?」

「はっ?」


 目を開いて顔を横に向ければ、中堅娼婦のヒターリアが、あきれ顔でディランを見下ろしている。赤毛にそばかすの散った頬、低い鼻がなんとも愛嬌のある女性である。


「アンタにだけは抱かれたくないんだけど。飼い犬としてるみたいな気分になるのが想像できるし」

「オイオイオイオイ、ご挨拶じゃねえか。それじゃあ……?」

「アンタのガキでしょ」


 首を持ち上げてみれば、腹の上にハイリエが乗っている。蜂蜜色の光彩と細長い瞳孔が、ディランの顔を見つめているのだ。

 ハイリエが手を振り上げ、ふたたびディランの顔を叩いた。それから、ディランの喉に頭をこすりつけてきた。


「かわいいわねえ、ほんとに。アンタに似なくてよかったわよ」

「かわいいだろ」


 ハイリエの頭を撫でながら、ディランは幸福感に酔っている。


「いつ産まれたの」

「あー……昨日かな」


 ヒターリアはげらげら笑った。


「なにそれ? なんでウソつく必要あるのよ。その子、もうごはん食べられる?」

「ん? うーん、どうだろ。食べるのかな」

「アンタ、父親の自覚ってもんがないの? まあいいわ、スープ炊けたから食べてって」

「お、いつも悪いなあ、ヒターリア」

「いいわよ別に。一人分も二人分もいっしょだし。ヒマがあったら迷宮珊瑚でも拾ってきてちょうだい」


 がたつくテーブルを囲んで、三人の食事である。


「待ってろハイリエ。ふーふーするからな」


 膝の上にのせたハイリエに、ディランは甘ったるい声でささやいた。匙にすくったスープに息を吹きかけ、ハイリエの口元に持って行く。ハイリエはくちびるをとがらせて、汁をすすった。


「……か、かわいいじゃないの」


 テーブルの向かい、ほおづえをついたヒターリアまでもが、バンシーにほだされる。


「だろ」

「その子、お母ちゃんは?」

「うーん、よく分からん」

「はあ!? アンタ……意外に悪い男?」

「いやいや、そうじゃなくてさ。昨日、刳岩宮でさあ」


 と、ディランがこれまでのことを語ってみせれば、ヒターリアは呆れ顔をした。


「魔物を飼うって……まあ、アンタらしいっちゃアンタらしい話だけどね」

「だから、飼うっていうなよ!」

「何よそのこだわり」

「飼うとか飼育とか、どいつもこいつも……うわあ!」


 ディランは言葉の途中で悲鳴をあげた。ハイリエが、激しくむせたあと、呑んだスープをけろっと吐いたのである。


「ご、ごめんな! 俺が目を離したから! これじゃ昨日と同じじゃないか!」

「はい、これ使って」

「悪い、ヒターリア!」


 ヒターリアが差し出したぼろぼろの布きれで、ハイリエの口をぬぐう。ハイリエはされるがままだ。


「子どもって、なんでもすぐに吐いちゃうからね。そんなに慌てなくても平気よ」


 動転するディランを、思いがけずやさしい声音で落ち着かせる、ヒターリアだった。


「そ、そうなの?」

「うん。アタシ、一番上のお姉さんだったからさ」

「ああ、なんか分かるわ。世話焼きだもんな、ヒターリアは」

「アンタほどじゃないけどね」

「おう! 俺は世話好き、キレイ好きだからな!」


 ディランとヒターリアは、朝のやわらかい陽ざしの中でくすくすと笑った。

 まったくもって、留保の余地なき幸福の内の目覚めであった。


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