『友好的』な魔物②
石造りの迷路たる第六層に、銅鉄一家のパーティメンバーは足を踏み入れた。
「そ、それで、ハガネくん。わたしたちは、なにをするんですか」
「まずはレイスを観察してみたい。どうすれば遭えるんだ?」
「怖がりのところにしか出てこないからな。お前じゃ難しいと思うぜ」
「そうか。僕はあんまり怖いものがないぞ」
「皮肉だよ。嬉しそうにすんな」
「うひっ!?」
唐突に、誰かが叫んだ。ハガネとメイとディランが、小首を傾げた。
「肩……」
ティレットが、青ざめた顔でパーティメンバーをにらみつける。
「誰」
「いや、レイスだろ」
と、ディランは素っ気ない。
「うそ。誰」
「オイオイオイオイ! そんな悪質ないたずらするメンバーに見えるのかよ、ティレット! なんか俺そっちの方がショックだわ」
「んひぃっ!?」
ティレットがまた叫んで飛び上がった。
「なにか、いる……!」
愛刀つばくろ丸の柄に手をかけ、ティレットは臨戦態勢に突入した。プレーンズ・エルフのしなやかな筋肉に、力がこもる。
「待ってくれ、ティレット。これは絶好の観察機会だ。もう少し怖がってみてくれないか」
「は、ハガネくん!?」
メイが言葉を失った。
「なんで、平気なの」
歯の根の合わぬティレットが、ディランとメイに訝しげな目線を向ける。ハガネはともかく、メイもディランも平常の顔をしているのだ。それがティレットには信じられない。
「俺ほら、田舎の出だからさ。近所のダンジョンに行くとレイスが普通にうろうろしてたんだよなあ。死んだじいちゃんによく襲われたっけ」
「わ、わたしも、別に……見慣れちゃった、かも」
「はやく観察してみたい」
ティレットは掌で額を抑えた。
「ありえない」
プレーンズ・エルフたるティレットは、『古いリミ』に信心を捧げている。『古いリミ』において、神や精霊、まして死んだ者の霊魂などは、存在を許されない。
それが実際に肩を叩いてくるのだから、恐怖といえば並ならぬものであった。
「ルーストリア国教に頼むべき」
ティレットの即断である。
「オイオイオイオイ! それこそフィッチに殺されるぞ!」
「ひゃああああ!」
プレーンズ・エルフの美しき少女軽戦士は、迷宮全土に響けとばかり絶叫し、腰を抜かした。
「い、今。通り過ぎた」
「ふむん。情報通りの捕食風景だな。仮に、『肩たたき行動』、『すり抜け行動』と名付けておこう」
「お、実体化したぞ」
銅鉄一家の前に、半透明のおぼろな人影が浮かび上がった。腰の曲がった老婆である。腰から下は曖昧に溶けるようで、ふわふわと浮いている。
「そうそう、レイスって実体化するんだよなあ。俺、じいちゃんに会いたくてさ。恐がりの友達をいっつもダンジョンに連れて行ったっけ」
「最悪」
涙目のティレットがディランを睨んだ。
「なぜ実体化するんだ? 非常に興味深い」
「さあな。レイスに聞いてみろよ」
老婆のレイスが、ハガネたちに背を向けた。すると、レイスがもう一体ふわりと実体化する。
「ああ……あああ……」
「ティレットちゃん、だ、だいじょうぶだよ。レイスは怖くない魔物、かも」
恐慌を来たすティレットにメイが寄り添い、手を握った。
銅鉄一家の目の前で、次から次へと、レイスが実体化していく。その数、十を超えただろうか。なんの目的もないように、ふわふわと浮いている。
「マーベラス! なんだこれは! 何が起こっているのかさっぱり分からない!」
「獲物がいるから集まってきたんだろ。メイ、やるぞ。このままじゃティレットが発狂しちまう」
「は、はい!」
ディランが剣を抜き、メイはチョーカーに提げた銅硝子の鈴に指を添えた。
レイスに物理攻撃は通用しない。駆け出しの冒険者でも知っている事実だ。しかしながら銅鉄一家とて、刳岩宮に挑みし冒険者たち。
「紅嘴硝子!」
銅硝子の鈴が鳴れば、ああ、君は見たか! これぞ“玻璃”のメイが操る硝子魔法! 魔力で赤く染められた硝子繊維が、ディランの手にした剣、その刃を軸に螺旋回転! 安物の剣は、今こそ切れ味無類の魔法剣と化した!
「行くぜ!」
大盾を構えての突進から、一閃! 魔法剣が横薙ぎに揮われる! レイスたちは風を浴びた綿埃のようにふわりと後退!
「オイオイオイオイ! 向かって来いよなあ!」
袈裟懸けの一撃がレイスを捉える! 哀れレイスは声も上げず霧散!
「来るぜ、メイ!」
「綿璃硝子!」
レイスが魔力を鋭い棘に変え、射出! だが、メイの魔法が一呼吸早い。パーティメンバーを護るように現れた硝子繊維の盾が魔法をやすやすと受け止める!
「数を減らさなくちゃ観察もなあ!」
嬉々として叫び、魔法剣を振り回すディランである。ハガネは黙ってその様子を見ていたが、不意に動き出した。
「待ってくれ、ディラン」
ハガネは、振り下ろされる魔法剣を手の甲でぞんざいに受け止めた。
「うわっなんだよ急に!」
「見たことのない生物がいるぞ」
「はあ?」
殺気だったレイスたちの、半透明の体の向こう。そこに、奇妙な生物が一匹。
一見してヒトのようではあった。新緑の葉のような色をした長髪、アーモンド型の瞳にまるっこい鼻、うすい唇の、少女である。
しかしながら、迷宮の第四層に、このような少女が、しかも全裸で立っている。どうもただごとではなさそうだ。
ハガネと少女らしき生物の目が合う。すると少女らしき生物は、ハガネの方に歩いてきたのだ。
少女らしき生物は、ハガネの腰のあたりを、ぽんぽんと叩いた。それから、猫のように、ハガネに頭をこすりつけたのである。
「マーベラス! 君は何者だ? 骨格標本を採っていいか?」
「バ、バンシー……かも」
メイが言った。
「バンシー? メイ、君はこの生物を知っているのか」
襲いかかってきたレイスを片手で霧散させながら、ハガネが問う。少女らしき生物は、自分がネジでハガネがネジ穴でもあるかのように、頭をぐりぐりと押しつけていた。
「おじいちゃんに聞いたことがある、かも。ときどき迷宮の上層に出てきて、それで、すごく人なつっこいから、こう呼ばれているんです」
第六話 『友好的』な魔物
「友好的な魔物か。というか、敵対的な魔物がいるのか?」
「今まさに襲われてんだろ! 俺たちが事実レイスに!」
魔法剣でレイスを次々に霧散させながら、ディランは怒鳴った。
「レイスの生息域に踏み込んだのは僕たちで、彼らのエサもまた僕たちみたいだからな」
「オイオイオイオイ! 敵対的ってそういうことじゃねえの!?」
「中立的な呼び方とは言えないだろう。君はハマチやブリに対して敵対的なつもりでいるのか?」
「あああああ! どっちでもいい! 心底どっちでもいい!」
バンシーにまとわりつかれながら、ハガネも負けていない。魔力で被覆した右手をぞんざいに振り回し、レイスを始末していく。
「ところで、このバンシーはどうするべきなんだ?」
「えっ? え、ええと……そ、その、友好的、だから、その……」
と、メイは歯切れが悪い。話を聞いたことはあっても、実際にバンシーを見たことなど無いのである。刳岩宮にあって、バンシーが出現する確率はそう高くない。
「魔物は魔物だろ。魔物らしく扱えばいい」
レイスの群れを片付けたディランの、これはまずもって正論と言えた。魔物らしく扱うとは、破片であるか生体であるかを問わず、価値を見いだすところに売り払う、ということである。
「見ろよ、この髪。きれいだろ。これだけで売れるんじゃないか?」
ディランが、バンシーの髪に手ぐしを通した。指触りは驚くほどになめらかで、わずかな灯りを反射し、内側から光っているようだ。
「でぃ、ディランくん……」
「なんだよ! その顔やめてくれよ傷つくから! ヒト型の魔物なんて珍しくないだろ!」
しかしながら、罪悪感に囚われたような顔でバンシーを見てしまうのが、ディランのディランたる所以であった。
バンシーは、ディランを見上げた。蜂蜜色の光彩に、縦一本の細い瞳孔である。神秘的な美しさだった。
「う、ううう……」
じっと見つめられれば、ディランは気まずそうにそっぽを向いてしまう。
不意にバンシーが、ディランの鎧の腰の辺りを、ぽんぽんと叩いた。それから、猫のように、頭をこすりつけた。
「お、オイオイオイオイ! 鎧だぞ! 頭なんかぶつけてオマエ、そんなの……い、痛いだろ?」
ディランはおそるおそる手を伸ばして、バンシーを引き離した。バンシーは触れられても抵抗しない。何を考えているのか、じっとディランを見ている。
「ああー……ダメだ。目が合ったらダメなんだよなあ……」
ディランは天を仰ぎ、片手で顔を覆った。
「なんで俺、一流の冒険者になれないんだろ」
事実上の敗北宣言である。しかしながら、メイはにっこりした。
「で、でも、ディランくんのそういうところ、わたし、好き、かも」
「ありがとなあ……」
慰められ、なおのこと情けない気持ちになりながらも、ディランは細い声で礼を言った。
「それで、僕たちはどうするんだ? 連れ帰るのか?」
「いやもう、しょうがねえだろ。なんか懐かれてるし」
「レイスは」
とは、ティレットの言葉である。レイスが消えたことで、彼女の正気度は回復している。
「『肩たたき行動』と『すり抜け行動』を観察できたのは大きい。今日のところは十分だろう。でも、ティレットがもう少し怖がってくれるなら話は別だぞ」
「帰る」
ハガネの言葉に、ティレットは即答した。




