『友好的』な魔物①
“刳岩宮”を見出した偉大なるドワーフ、ガッルギリス’。
彼が迷宮をさまよっているという噂は、今でも後を絶たない。
その理由は、とある魔物の存在にある。
冬枯れに潜む、恐るべき魔物――
石造りの迷路たる第六層は、身も凍るような肌寒さである。
君は松明の弱い灯りを頼りに、狭く天井の低い通路を進む。ふと、何者かに肩を叩かれて、振り向けば、誰もいない。
そんなことが何度も繰り返されて、恐怖が心をとらえたときに、彼らは現れる。
それが、死霊だ。
彼らは君の恐怖を啜りあげて腹を満たす。一声上げた瞬間、残念ながら君の冒険はそこで終わることになるだろう。君は無数のレイスに取り囲まれ、発狂の瞬間まで休むことを許されない。
「実にマーベラスな生態だ! 非常に興味深い!」
「この場合、『生態』でいいのか? レイスって死人の魂だろ」
そんな第六層を往くのは、中堅冒険者クラン、銅鉄一家。“粘菌術師”吉良ハガネが興奮すれば、“銅鉄”のディランが口にするのは、当然の疑問である。
「言葉の定義から見直すべきか? だが、『死態』はおかしいだろう」
「いや、それもそうだけど、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだな。つまり、魂っていうんだったら、生前があるはずだろ? だったら動き方なんてヒトそれぞれで、調べる意味があるのかってことだよ」
「それを含めてのフィールドワークだ。故人のライフサイクルをなぞっているのか、それともレイス特有の行動があるのか……有意義な調査だろう、ディラン」
「ま、俺は金になりゃあなんでもいいんだけどよ。そうだろ、ティレット」
黙って前を歩くティレットに、声をかける。
「愚問。仕事は仕事」
「その通り。仕事はするさ」
本日の銅鉄一家の仕事は、つまるところ、レイスの生態調査であった。
「しかしまあ、意外な依頼主だよなあ」
「あ、あとで、怖いかも」
ティレットの横を行くメイは、ぶるりと身を震わせた。然り、今回の依頼主はレイスなどよりずっと恐ろしい。
では、いかにして銅鉄一家がレイスの生態調査クエストを受注したのか、しばし時を遡ろう。
そもそもレイスが冒険者の妨げになる機会は、実のところ多くない。
彼らはヒトを脅かして、その恐怖を啜ると言われている。たしかに肩を叩かれ、体をすり抜けられれば多少はびっくりするが、それで死んだり、呪いを受けたりするわけではない。取り囲まれて発狂するのは、余程のヌーブばかりのものだろう。
しかしながら、ティルトワース郡はレイス防除に少なからぬ予算を付けていた。ルーストリア国教のレイス専門戦闘坊主がティルトワースに常駐し、月に一度、徹底的な駆除を行っているのだ。
「あまりにも下らん風習だ。我々はルーストリアの属国ではない」
と、かさご屋のテラス席で一刀両断に断じてみせるのは、ディマ・フィッチ議員である。
「たしかに属国ではないな。ルートリア王国ティルトワース郡なのだから」
ハガネが無神経な物言いをして、銅鉄一家の面々は頭を抱えた。フィッチ議員はティルトワース大評議会きっての保守派であり、ティルトワースの独立を訴えているのだ。
だが、フィッチ議員は気を悪くした様子もなく、言葉を続けた。
「レイス利権に関する問題は非常に複雑で、うかつに切り込めばこちらが傷を負う。雪山郡長官は体制側で頼りにならない。と言って、竜冠組で解決できる問題でもない」
「そこで、僕の出番というわけか」
フィッチ議員は頷いた。
「マーマンの件では吉良議員におおいに救われた。そのことを忘れるつもりはない」
と言いながら、好戦的な目つきでハガネを見据える。メイとディランは、震え上がって言葉も発せない。
「何をすれば」
ティレットが端的に問うた。
「生態調査だ。君たちの得意分野だろう」
「え、い、いや、俺たちが得意ってわけじゃなくて……」
弱々しく抵抗を試みれば、フィッチ議員に目線を向けられ、萎縮してしまうディランであった。
「ただちに結果が出るとは思っていない。だが、事実の積み重ねこそが重要であると私は考える。やってくれるか、吉良議員」
「レイスの生態にはかねてから興味があった。ディラン、どうする?」
「え、俺? 俺がそういうの決めるの?」
「リーダーは君だろう」
ディランは腕を組んで、考えるふりをした。実際のところ、冷や汗を流すのに必死で頭が回らない。
相手は、史上最年少で十頭会に選出されると噂の切れ者である。断ればどんなことになるか、分かったものではない。と言ってやすやすとクエストを受注してしまえば、ひどく面倒なことになりそうだ。
「ディラン君。君が心配しているのは、銅鉄一家が政治的争いに巻き込まれはしまいか、という点だろう」
「えっ、あ、いやー……」
ディランは愛想わらいを浮かべた。
「その点は安心したまえ。君たちに愛国的な熱意が無いことは理解している。それ故に、頼めるのだ。中立的な立場での調査をお願いしたい」
「殺そうとした」
ぼそっとティレットが言って、メイとディランは青ざめた。マーマンの件で、意に沿わぬ結果を出したハガネに対し、フィッチ議員は暗殺者を送り込んだのである。
「あの時とは事情が違う。君たちを殺しても、レイス利権問題が進展するわけではないからな」
意外なことに、フィッチ議員は鉄面皮を崩して、苦笑らしきものを浮かべたのである。
「毒も一流の暗殺者も、吉良議員に対して意味が無いことは実証されている。断ったところで君たちには何もしないと約束しよう」
襲撃の事実があるだけに、全く信用のおけない話である。ディランは血圧が急降下していくのを感じた。
「い、いくらもらえるんだ?」
「ディラン……」
「ディランくん……」
メイとティレットが、ディランの言葉にため息をつく。
「な、なんだよ! 人生何が起こるかなんて分からないだろ! 今の金だよ大事なのは!」
開き直って熱弁してみせる、ディランである。しかしながら、正論であった。明日をも知れぬ冒険者にとって最も重要な価値基準は、つまるところ、財布に今どれだけの金が入っているか。
「クエスト受注の時点で、一人につき50ルースタル。経費は全て私が持つので、請求書を送りたまえ。支払いは一日20ルースタルの五日〆、期限は五十日。期日前にクエストを達成したのなら、その場で満額支払おう。吉良議員には、論文一本で100ルースタル。まあ、君にとってははした金だろうが」
「やります」
ディランは即答した。
ティルトワース人の平均月収は15ルースタルである。フィッチ議員の提示した金額は、うだつの上がらぬ冒険者にとって、いかにも法外なものであった。
「なにをもって、クエスト完了?」
ディランとは対照的に、ティレットは冷静だ。
「無論、レイスに脅威は無いと判明した時点を以て、だ。しかし、吉良議員は納得しないだろう」
「結論から逆算することはできないな。そういう調査をしたいのだったら、他にも適役はいるだろう」
「オイオイオイオイ! 50ルースタルだぞ、ハガネ!」
ディランは早くも金を掴んだ気になっている。
「君のやり方は十分に学ばせてもらったよ、吉良議員。とにかく、レイスの生態に関する論文を一本書きたまえ。それで構わない」
「フィッチ先生、お時間が……」
傍らの議員秘書が割って入り、フィッチ議員はうなずいた。
「では、クエストの件、よろしく頼んだ。期待しているぞ、ディラン君」
「あ、は、はい! よろしくお願いします!」
慌てて立ち上がり、背骨が折れそうなほど深くお辞儀をするディランである。彼の目には、フィッチ議員が札束にしか見えていない。
「さあ、やるぜみんな! 銅鉄一家の大仕事だ!」
ティレットが大きなため息をつき、メイは曖昧な愛想笑いを浮かべた。
かくして銅鉄一家は、レイスの調査に乗り出したのである。




