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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第五話 ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ
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ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ⑧

「マーベラス……あの鋏角、腹節、ああ、マーベラス……!」


 憑かれたような瞳で大蜘蛛をにらみ、小声かつ信じられぬ早口で、ハガネが呟く。

 

 ティルトワースゴブリングモは、のそのそと歩き回り、床に転がったゴブリンキングの前で立ち止まった。

 蜘蛛が、何をしたか。前一対の歩脚でゴブリンキングを抱え上げ、そっとゆりかごに戻したのであった。


「ティルトワースゴブリングモは、ゴブリンキングの世話をしているんだな。ゆりかごも、蜘蛛の糸で編まれたもの。だから、蜘蛛の糸を見たゴブリンは、攻撃の手を止めるのか……

 ティレット、一つ謝らなければならない」


 ハガネはティレットに頭を下げてみせた。


「ティルトワースゴブリングモこそ、今回の研究の主眼なんだ。僕はこれからあの個体を捕集し、急いで研究しなくてはならない。悪いが女王ゴブリンのところまでは同行できない」

「それは、かまわない……けど、いいの?」

「うん? どういうことだ?」


 ティレットは言葉に迷った。どうしてそんなことを聞いたのか、とっさに出た言葉であった。本心には間違いないが、あらためて詳しく説明し直そうとすれば、なにを言っていいのか分からない。


「その……楽しそうに、見えた」

「ゴブリン塚の観察は楽しいぞ。僕は博物学者だからな。たまに粘菌術師と呼ばれるんだ。そう呼んでもらえるとすごくうれしい」

「そうじゃなくて……あなたは、ゴブリンのことが、好き」

「もちろん」

「なのに、女王を殺せば」

「当然、巣は崩壊するだろうな」

「それで、いいの?」

 

 ハガネは不思議な表情を浮かべた。しかめっ面と哀しげな笑顔の、中間みたいな表情だった。


「ゴブリン塚の掃討は君の請け負った仕事だ。僕は他人の仕事に横やりを入れるつもりはない」

「でも……わたしは、女王を殺す」

「そのことで、どうして僕に申し訳なく思う必要がある?」

「……分からない、けど」


 尚も食い下がるティレットに対して、ハガネは、一つ、問いかけた。


「僕がこれから、ティルトワースゴブリングモに対して何をすると思う?」


 ティレットは首を横に振った。この青年がどんなことを考えているのか、想像すらできない。


「数匹捕獲して、何匹かは解剖し、何匹かは標本化し、何匹かは飼育するつもりだ。もちろん、殺しに理屈を付けることはできる。大蜘蛛絹糸を安定供給できれば、ティルトワース経済に貢献するだとか、なんとでも言える。

 だがそんなことは二の次なんだ。本当は、分からないことを分かりたいだけだ。博物学者としての興味を満たすためであれば、僕はこの塚を全滅させてもいい。そのことを正当化するつもりもない。

 僕は僕に必要なだけ、命を奪う。君が君に必要なだけ、命を奪うのと一緒でな。そしていずれ誰かが、その誰かに必要なだけ、僕や君から命や財産を奪うだろう。

 だから、君は君のしたいようにすればいい。僕も僕のしたいようにする」



――わたしたちはこの草原で、自分に必要なだけ奪い、相手に必要なだけ奪われながら生きていくの。



 どうしてハガネを問い詰めたのか。きっと、自分を納得させたかっただけなのだ。ハガネの口から、止めてもらいたかっただけなのだ。

 どっちつかずの自分の心を、他人の言葉で納得させたかっただけなのだ。


「もし今後、何か困ったことがあったら、かさご屋に来てくれ。ディランと僕は最近、銅鉄一家というクランを立ち上げたんだ。まだパーティメンバーは二人だからな。君が入ってくれれば、ディランも喜ぶだろう。それでは、また」


 別れの言葉もそこそこに、ハガネは跳んだ。蜘蛛を追って、闇の中へと消えていった。


 しばし闇を見つめていたが、ハガネは戻って来なかった。

 ティレットは、未だ心揺れ動くまま、女王の部屋に向かって歩き出した。



 ひときわ大きく天井の高い、円形の部屋である。

 そこに在る女王ゴブリンといえば、想像を絶する姿であった。


 上半身はゴブリンワーカーと変わらぬ、昆虫の無表情と発達した門歯、短い前肢である。

 だが、その大きく肥大した下半身の禍々しさは、言葉に尽くしがたい。

 あまりにも巨大な芋虫といった風情である。ぶよぶよとし、つやつやとし、いくつもの体節を持つ。まるきり、白蟻の女王であった。

 女王は頭を横にして、壁に沿うよう、腹を丸めている。その腹に、無数のゴブリンの赤子が集っている。腹から染み出す粘液を舐めているのだ。


 その異様な光景に、動じることはなかった。女王の異形も、子を産み育むため、在るべき姿を採っているだけだ。そう、今のティレットには理解できた。


 ティレットはつばくろ丸の柄に手をかけた。心臓がどくどくと音を立てている。

 この場に在るのは、女王と赤子だけ。

 殺せる。

 ギルドのクエストを達成し、報酬を受け取り、ティルトワース人として生きていくことができる。


 女王と目が合ったような気がした。昆虫のような無表情。瞳は相互理解絶対不可能性を示す圧倒的な黒一色。


 一匹の赤子が、女王の腹をよじのぼった。女王は短い手で赤子を抱いた。口元に持ってくると、短い舌で赤子を舐めた。

 それから女王は低く唸った。巨大な管楽器の音のようで、部屋中を振動が駆け抜けた。


 なんらかのコミュニケーション。その行為になんの意味があるかなど、ティレットには分からない。だというのにどうしてか、ティレットは感情を激しく揺らされている。一つの記憶に、たどり着いてしまったからだ。



 お気に入りの灌木に腰かけて、ティレットは背負っていたキンを下ろした。

 湿った風が走り、黄土色の曠野に顔を出すわずかな草を揺らした。地平線の果て、紫色に縁どられた黒雲が空に沸き上がり、稲妻を走らせていた。

 大きく開いた足の間に琴を置く。武骨な四角い共鳴板には繰り返しアルガンオイルを擦りこんで、今や顔が映るほど。棹は雨期の湿気によく耐えて、曲がらなかった。馬毛を使った弦も弓も、新調したばかり。


 弦を押さえて、弓で引く。音を空に放つ。


 ティレットは琴の音色が好きだった。乾期の夜、天幕の中で聞く雷の音に似ていたから。


 奏でるのは、風と雲を見ていてふと思い浮かんだ音。

 歌うのは、土と草を見ていてふと思い浮かんだ言葉。

 それなのにどうしてだか懐かしく、春の夜風のように胸をくすぐる、うた。

 空と土の間に溶けて消えていくような心地の良さを、ティレットは感じる。



 どうして、懐かしかったのか。

 どうして、春の夜風のように胸をくすぐるのか。

 どうして、父が共に歌えたのか。



「ああ……ああ!」


 ティレットは膝をつき、涙をこぼした。

 懐かしかったに決まっている。胸をくすぐるに決まっている。

 あの歌は、ふと思い浮かんだ音と言葉は、母と父がティレットに歌ってくれたものなのだから。


 小さな、小さなころ。乳離れし、高きびを柔らかく煮たものをようやく食べられるようになったころ。

 父が琴を弾いていた。

 母が歌っていた。

 幼いティレットは母の胸に抱かれ、まどろみの中で歌を聴いていたのだ。


 額にくちづけされた、やわらかい唇の感触をティレットは思い出せる。

 ひげだらけの顔に頬ずりされ、痛くて泣いたことをティレットは思い出せる。

 歌、天幕、風と雷、蜘蛛狩り、糸掻き、羊の解体、つばくろ丸に捧げられた祈り。

 郷に在った全ての尊いものを、ティレットは思い出せる。


 ティレットは立ち上がった。

 女王に背を向け、歩き出した。



 故郷に帰るあてはない。何にせよ金は必要だったが、まずは違約金について考えなければならなかった。

 果たしていくらばかりになるだろうか。ザレックは、『赤い鑑札』とやらを貰えば、1000ルースタルにはなると言った。

 それが何を意味するのか、知らぬティレットではない。公娼の類いであることは、容易に察せられる。

 どの道、有力氏族の男を相手に捧げられるはずのものだった。見知らぬ相手に売ってしまうのも、同じことだ。

 後悔は身を灼くようであったが、それでもティレットは、自らの決断を誇りに思う。

 ともかくティレットは、冒険者ギルドに向かった。手持ちの1ルースタル50チットでなんとかならないかと、あまりにも淡い期待を抱いて。


「違約金は発生いたしません」

「えっ」


 職員の第一声に、ティレットは面食らって言葉を失った。


「勝手を申し上げまして誠に恐縮ではございますが、先方様が……ティルトワース大評議会が、依頼を取り下げてしまいまして」


 職員が言葉を続ける。ティレットは椅子から転げ落ちそうになった。


「ああ、いえ、もちろん、ティレット様がゴブリン塚を掃討された際には、報酬をお支払いするつもりでした。百パーセント我々の持ち出しになりますが、確実なお支払いこそ冒険者ギルドの誇りと伝統でございますから」

「な、なんで」


 ティレットが言葉をしぼりだすと、職員は、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「だからオレはさ、どの道ハガネには依頼を回さねーっつったんだよ」


 ハガネやディランに対してそうするような、気安い口調であった。


「あのバカ、ゴブリン塚で変なクモみたいの捕まえてきてさー。そいつの糸かなんかが、もしかしたらすげー金になるかもしれねーんだってさ。そしたら、金のにおいを嗅ぎつけた貴族がぶっこんできて、調査のため、ゴブリン塚の掃討は中止。あいつ、ほんっとどの道おもしれーわ。あんたもそう思うだろ?」


 共犯者の、気安い笑みであった。

 ティレットは、声をあげて笑い、うなずいた。


「思う」

「だろー! あいつが来てから、ティルトワースもめちゃくちゃ面白くなったんだよなー! あんたもどの道、ハガネに惚れちまった口だろ?」

「うん」


 こんなにも素直にうなずける自分のことを、ティレットは、好ましく思う。


「ま、そんなわけでさ。悪いけどまた来てくれよ。今度は割の良い仕事回すからさ。よろしく!」

「お願い」


 立ち上がったティレットの向かう先は、もう決まっていた。



 夜も更けたかさご屋のテラス席では、行灯のやさしい光が風に揺れている。

 二人の青年が、海にいっとう近い席で、ゆったりと酒を飲んでいる。

 なんと話しかけたものか、ティレットはテラス席の入り口に立って、しばし、迷う。


「がんばんなよ」


 オステリアが、料理の皿を両手に通りすがりながら、優しくささやきかけてくれた。その言葉に頷きながらも、ティレットは、なかなか前に進めない。

 と、驚くべきものをティレットは発見した。

 ディランという名だったか、例の有名なぼんくらの足下に、琴が置いてあるのだ。


「えっ、あの」


 思わずティレットは飛び出した。するとディランの、デーツワインでゆるんだ顔に、満面の笑みが咲いたのである。


「おお、エルフの姉さん! ここで会えると思ってたぜ!」

「ティレットか。首尾はどうだった?」

「ああ? ハガネ、いつ名前知ったんだよ」

「ゴブリン塚で会ったんだ。一緒に冒険できて楽しかったぞ」

「オイオイオイオイ! オマエ、結局ゴブリン塚に行ったのかよ!」

「しまった。内緒にしておくつもりだったのを忘れていた」

「オマエなあ! もっと仕事に対する意識を持てよ!」

「なんで、琴が」


 怒って立ち上がるディランと、あくまで悪びれないハガネの間に、ティレットは無理やり割って入る。

 するとディランの表情が一変した。


「これか? なんかもらったんだ。ティレットのだろ。ほら、返すよ」


 信じられないほどへたくそな嘘をつきながら、琴をこちらに押しつけてくるのが、ディランである。

 呆然としながら、ティレットは琴を受け取った。


「もらった? 僕に200ルースタル、オステリアに50ルースタル借りて、それでも足りずもごっ」


 ディランは手を伸ばしてハガネの口をふさいだ。


「オイオイオイオイ! ばか! もう、ハガネ、ばか! そんなこと言ったら受け取る側も気まずいだろ! 今のウソだからな、ティレット! なんか、その、なんか……もらったんだよ! それでいいだろ!」


 ティレットは泣きながら笑った。


「それで、いい」

「ほら! それでいいんだからそれでいいんだよ! 分かったか!」

「分かった。ディランとティレットがそれでいいなら、僕もそれでいい」


 ディランは大げさにため息をつく。


「まったくオマエは……思慮深いんだか何も考えてないんだか、ときどき分かんなくなるやつだな」

「あの」


 ティレットは、琴を両手でしっかりと抱きながら、震える声で、口をひらいた。


「わたしを、銅鉄一家に、入れてほしい」


 ディランは、虚を突かれたような表情を浮かべた。信じていた人間に、いきなり後ろから蹴飛ばされたような表情だった。


「えっ……お、俺たちのクランに?」


 ティレットが頷けば、ディランはますます動揺する。蹴飛ばされた上に顔を踏まれたような表情である。


「ハガネ……どうしよう」

「リーダーは君だ」


 泣きそうな顔を向けてきたディランに対して、ハガネは素っ気ない。


「お、オマエなあ! いつも好きにやってるくせに、こういう時だけなあ! ああー、そうじゃないよな! そういう場合じゃないよな!」


 ディランはティレットに向き直り、咳払いを一つすると、まじめな表情をしてみせた。


「えー、あー、てぃ、ティレット?」

「うん」

「つまりその、俺たちのクランに入りたいってことだが。そのー、あー、単刀直入に言ってだな。

 あんたには、何ができるんだ?」


 ティレットは切れ長の目尻を下げて、微笑んだ。

 琴を抱きながら、つばくろ丸の柄に触れた。


「剣を。それから、郷の歌を」




 夜も更けたかさご屋のテラス席、ティレットとハガネは横並びでティルトワース湾を眺めていた。テーブルの上の行灯が、やわらかい光でふたりの周囲を照らしていた。

 ティレットは、郷の楽器、キンの音色を、海に向かって響かせている。


 歌と演奏が終わった。頃合いを見計らって、オステリアが杯に酒を注いだ。


「良い音だねえ。何度聞いても、胸が締め付けられちまうみたいだよ。なつかしいっていうかさ……」

「郷の歌」


 オステリアがしみじみと語れば、短い言葉で返すのがティレットである。


「あんたがここに初めて来た日のこと、今でも思い出せるよ。あの時のあんたは痩せ犬みたいだったね」

「昔の話」

「今はちょっと、おいしいものの食べ過ぎじゃないかい?」

「うそ」


 ティレットはあおざめた顔で自分の脇腹を撫でた。


「あっはっは、冗談さ、冗談! あんたはいい女だよ、ティレット。ハガネもそう思うだろう」

「オステリア!」


 今度は顔を真っ赤にして、怒鳴るティレットであった。

 水を向けられたハガネは、ティレットの黒髪や端正な耳、つま先に到るまでじっくりと眺めた。ティレットは気まずそうにそっぽを向き、唇をとがらせた。


「オステリアの言うとおり、ティレットはとても優れた個体だと僕も思う。そのことは数千年後に分かるだろう」


 オステリアはぽかんとした後、けらけらと笑った。


「粘菌術師様らしい言い方だねえ。だけどティレット、そんな答えでいいのかい?」


 そんな風に問われて、ティレットは、頷きを返す。


「こんな答えが、いい」


 ティレットが心からの笑みを浮かべれば、茶々を入れる気もなくなるものである。

 

「ご両人が満足してりゃあ、あたしの口出しすることじゃないね」


 呆れたように苦笑して、オステリアは身をひるがえした。


「それじゃ、ごゆっくり……とは行かないか」

「ハガネ! ティレット! やばい! すごくやばいんだ! メイ、やばいよな!」

「は、はいっ! やばい、かも!」


 けたたましい声をあげながら、メイとディランがテラス席に飛び込んできた。


「何がどうしたんだ、ディラン。まったく要領を得ないぞ」

「とにかくやばいんだって! 金のなる木だ! 文字通り金のなる木を見つけたぞ!」

「ふむん、興味深いな」

「今すぐ二層だ! 二層が今やばい! な、メイ! やばいよな!」

「や、やばい、かも!」

「今すぐ行くぞ! 金のなる木だ!」

「……嫌な予感」


 銅鉄のディランといえば、ここいらでは有名なぼんくらである。そんなぼんくらが『金のなる木を見つけた』ような場合、ろくなことにはならない。

 事実、この直後、ハガネたちは迷宮喰いなる長虫ワームに襲撃されるのだが、それは別の話だ。


 共に生きたいと思える仲間が、いる。そんな自分であれることを、ティレットは誇りに思っている。


 ティレットは琴を置き、立ち上がった。歩き出してから、振り返った。


「お父さん、お母さん……行ってきます」


 後悔とそれ以上のあたたかい記憶で胸を満たしながら、あのとき言えなかった言葉を口にして、ティレットは仲間と共に刳岩宮を目指す。


第五話『ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ』おしまい。

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