迷宮の生態系③
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冒険者は二種類に分別できる。
すなわち、昼行性と夜行性である。
これは比喩であるが、実際、夜を待って迷宮に突入する冒険者も多い。
前者、昼行性の冒険者には、迷宮のいわば『攻略』を企図している者が多い。いつの日か刳岩宮の最深層に到達し、そこに眠る(という希望的観測は、当然のこととなっている)、莫大な財宝/世界の真実/大いなる遺産/その他もろもろを得んとする人々だ。
厳選されたパーティメンバー、完璧な計画と周到な準備、情報交換と堅固な協力。昼の冒険者こそ、称揚されるべき英雄譚のタペストリーの一糸だ。彼ら一人一人の功績が編み上げられ、刳岩宮の謎は目にも彩な織物として、白日の下にさらされることだろう。
一方で夜の冒険者と言えば、山師、食いつめ貴族の五男坊、群れのはぐれ者、クサレ坊主、浪人、逃亡姫騎士、あるじ殺しのニンジャ、マネーロンダリング目当ての大富豪お抱えの傭兵などなど、挙げていけばきりがない。
彼らの目的はひとえに金である。流れ着いたお宝をかすめ、好事家たちに売り飛ばして日銭を得る、迷宮の塵芥漁り。
昼と夜を股にかける冒険者も存在する。企業冒険者と呼ばれる彼らこそがティルトワース郡の経済基盤なのだが、いずれ企業冒険者については多くを語る機会があろう。
さて、我らが銅鉄一家はと言えば、夜行性の冒険者であった。
ディラン、メイ、ティレット。
彼らには彼らなりの動機がある。
そして、彼らには彼らなりの実力がある。
その二つの釣り合いを取ろうとすれば、夜行性であることを選ばざるを得なかった、というのが本当のところだ。
実力さえあれば、だんびら兄弟よろしく、昼の日中から迷宮に乗り込み、誰はばかることなく迷宮を漁れたことだろう。
しかしながら、お宝目当ての冒険者は、迷宮内で露骨な差別を受ける。やれ、邪魔をするなだの、視界に入るなだの、高潔な精神を持たぬ人間に刳岩宮はふさわしくないだの。
こんなことを言う昼の冒険者がどういう連中なのかといえば、むろん、有名な門閥市民であったり、大評議会議員お抱えの戦闘集団であったり、ルーストリア国教の戦闘坊主だったりするわけである。
要するに、金ならたんまり持っていて、もっと金を得るために名誉をほしがっている手合い。
そんなわけで、人気も失せた夜、銅鉄一家の三人は第一層に足を運んだ。
夜も更けた時間にあって、常昼の領域である。大気はかぐわしく、光はまばゆいほど。
「なあ、ハガネはどうしたんだよ」
迷宮の入り口、ひばりの鳴く青空を見上げながら、ディランが言う。
「愚問。標本づくり」
ティレットが応えた。迷宮入り口で待ち合わせの予定だったが、新種の生き物を手に入れたハガネが来ないのは当然だし、理由を問うなど、愚問である。
「て、展翅するって、いってたかも」
メイが言って、ディランは頭をかいた。見たこともない昆虫を、それも、羽根をひろげた状態で標本にしようというのだ。
「そりゃあ、やりがいがある作業だろうよ。オレたちと冒険するよりよっぽどな」
ディランが皮肉を言うと、メイが、とがめるような表情をする。
「は、ハガネくんは、そういうのじゃない……かも」
だが、最後には自信がなくなって、語尾はため息に巻き取られてしまう。それで、ディランは、人の良さそうな笑みを浮かべるのだった。
「知ってるよ。興味のあることにのめりこんだら、他のもんが見えなくなっちまうだけ。なあメイ、知ってるか? オレの方がハガネとの付き合いは長いんだぜ?」
「よく我慢できる」
「ティレットもな。虫が死ぬほど苦手なくせに、ハガネから離れようとしないだろ」
「……愚問。愚問」
耳まで赤くしたティレットがそっぽを向いて、それで会話が一段落すると、彼らは迷宮に眠るお宝をめがけての冒険をはじめ――
「空気が、焦げてる」
ティレットが、まゆをひそめてつぶやいた。
遠くを見つめる猫のように、胸を反らし、顎を引いて見る先は、雑木林だ。
言われてディランも小鼻をひくつかせるが、なにも分からない。
「郷の、春のにおい。雷のにおい」
「は、ハガネくんが言ってた、オゾンっていうものの、においかも」
メイの言葉に、ティレットがうなずく。
「オイオイオイオイ、なんだってんだ? こんなこと、一度でもあったかよ?」
ディランが、同意を求めるように振り返る。メイとティレットは、首を横に振った。
「なにかが起きて――」
ディランの声をさえぎるように、雑木林の木が、ぐらりと揺れた。遠雷のような音を立てながら、周りの木を巻き込んで、ゆっくりと倒れていく。
「オイオイオイオイ、魔法戦でもはじまっちまったのか? メイ、ティレット、行くぜ。誰かが困ってるかもしれねえからな」
ためらいもなく、そういうことを言えるのが、ディランという青年であった。銅鉄の二つ名で呼ばれながら、多くのティルトワース人に好かれている理由は、こういうところにある。
ゆえにメイとティレットは、なにも問わずただ頷き、駆けだしたディランの後を追うのであった。
「オイオイオイオイ……なんだ、こりゃあ」
惨状を目の当たりにしたディランが、絶望的なうめき声をあげた。
だんびら兄弟の、カッツとバルゲル。
その、二つの下半身が、仲むつまじく折り重なっているのである。
おまけにあたりでは、下生えがぶすぶすと煙をあげ、立派な針葉樹が炎にまかれ、真っ白い煙をあげていた。
「愚問。見たら分かる」
ティレットが、剣の柄を握った。然り、愚問である。手練れのだんびら兄弟が息絶え、目の前には、敵がいる。
「わ、わたしの魔法で、焼き払いますか……?」
メイが、おずおずと首の鈴に触れた。
「魔力が保つってんならそうしてもらいてえところだけどよ!」
「むりっぽい、かも」
行く手をふさぐのは、大量の蝶――
否! これはなんたる不可思議か、内側から自然発光する蝶の羽を纏うのは、五十センチにも満たぬ美しき裸身の少女!
「オイオイオイオイ! なんだってフェアリーなんだよ! ここは第一層だぞ!」
フェアリーの群れが、赤子のような声で鳴き交わし、ヤママユガめいた触角を一行に向けた。
銅鉄一家の冒険者たちが、空気さえ歪むほどの威圧感をおぼえたとして、誰がそれを責められよう?
フェアリーといえば驚異的かつ破壊的な魔法の使い手、刳岩宮十七層以深に冒険者の屍を山と築き上げた悪魔の代名詞。
恐るべき破滅的状況を現出可能なこの魔物が、なにゆえ、なにゆえこのような浅い層に現れたというのか!
そして、かかる事態に直面してしまった彼らにとって、状況は悲劇以外の何ものでもない。
「一薙ぎで、十は切れる」
ティレットが、柄を持つ手に力を込める。
「ほお、そいつは検討に値する情報じゃねえか。それで、何薙ぎまでいけるんだ?」
「せいぜい半薙ぎ」
剣士の美麗な貌に、皮肉っぽい笑みが浮かんだ。
「なるほどな。ということは、オレたちどうなるわけだ?」
「愚問。ここで死ぬ」
「愚問で済ませるなよ……だいたいなあ」
「……来るッ!」
ディランの愚痴を、ティレットが鋭く遮った。
フェアリーの群れが、円を描くように空中で旋回をはじめる。
その動きが加速するにつれ、噴き出した魔力が陽炎のように周囲の光景を歪めはじめる。
「オイオイオイオイ! こりゃあ……こりゃあ!」
魔力はやがて、真っ赤な爆炎に形を変え、周辺のもの全てを焼き焦がさんと燃え盛った。
大盾を構えたディランが、パーティメンバーの前に立つ。
「メイッ!」
ディランの叫び声で、動転していたメイは、我を取り戻す。
アイスブルーの虹彩を覆い隠し、メイの瞳孔は満月のように大きい。
親指で、首元の鈴を弾く。凛として、鈴が鳴る。
炎の唸りを貫いて、鈴の音の余韻は、わずかな静寂を空間に生んだ。
メイが操れる魔法はそう多くない。
回復魔法、爆発魔法、いずれも初歩的なものである。深層の魔物を向こうに回し、活躍するのは難しい。
しかし、ガラス職人の娘として生まれついた彼女は、とある一点において、遥か高位の魔法使いをも凌駕する。
「綿璃硝子!」
ああ、君は見たか! 空中に生じた光が炸裂し、またたき一つの後、円形の壁としてフェアリーの眼前に立ちはだかるその様!
魔力によって生み出した硝子を繊維となし、たちまちの内に編み上げて作る防御魔法、これこそメイの綿硝子!
舌を巻くべきはその耐熱性! 深層で冒険者を待ち受ける凶悪なドラゴンのブレスさえも、この魔法は退ける!
自らの魔力を以て硝子を生みだし自在に操るメイこそは、“玻璃”の二つ名を持つ驚異的な魔法使いである!
熱波を伴い荒れ狂う炎が、綿硝子に吹き寄せて真っ二つに裂ける! 二筋の火焔が、緑の下生えを無惨な灰となし、生い茂る木々に断末魔の白煙をあげさせる! 魔力の限りに綿硝子を保つメイの瞳は、炎の照り返しを受けて凄絶に美しい!
「も、もうひとつッ!」
更にもう一枚の綿璃硝子出現! 肺すら焼き焦がす熱を、魔法の障壁が遠ざける!
「オイオイオイオイ、最ッ高だな、メイ! これならフェアリーの魔力が切れるま、で――」
言葉を言い終わらぬ内、突然、ディランの掲げる大盾が真っ二つになった。
上半分が跳ね上がって地面に落ち、ぐわんぐわんと耳障りな音を立てる。
「なっ……あっ?」
綿硝子の中心に穴が開き、その周辺が赤熱しているのを、ディランは見た。
穴は周囲を溶かしながら拡大していき、わずかの後、溶け去った魔法の障壁は、地面を流れながら不透明な固形のガラスに変化していった。
「オイオイオイオイ……」
ああ、これこそ迷宮の容赦なき淘汰圧がフェアリーに与えた魔法の精髄! 真っ赤な爆炎が、収縮しながら、青、紫と、色相を変えていく! その光景は神話の一描写のように荘厳さを湛えている!
今やフェアリーの群れは粒子加速器! 速度を載せた魔力が、致命的な温度のプラズマと化しているのだ!
綿硝子を貫き、スクトゥムを容易く切り裂いたのは、焦点温度にして実に数万度の熱線。無論、ヒトがその身で受ければ、どうなるかは明白。
防御絶対不可能の一撃、これこそフェアリーの驚異的かつ破壊的な魔法!
もはやフェアリーの一群は、オゾンの香りをまとった、悪夢的な紫色の発光体と化している! これより放たれるのは、一塊のタンパク質に過ぎない生物を、跡形もなく焼き尽くす不可避の高熱! だんびら兄弟をたやすく葬り去った怒りの炎が、銅鉄一家に悲劇をもたらさんと熱を高めていく!
ディランは、手にしたロングソードに目をやって、苦笑した。
あらゆる敵を斬り裂いてきた相棒が、今となっては、無価値な鉄の棒にしか見えなかった。
「綿璃硝子が……!」
メイの悲痛な叫び声を聞いたディランは、剣を放り捨てると、役立たずの盾を両手で握り、
「お、お母さん……」
半べそでつぶやいた。
フェアリーたちがひときわ強く輝き、銅鉄一家は、瞳を閉じて自分の葬式を待ち受け――
その時である!
「ふむん。話には聞いていたが、これがフェアリーの防衛反応……マーベラス! 荷電粒子魔法とでも名付けようか」
フェアリーと冒険者一行の間に、割って入る者あり!
焼き付くような影の下、冒険者たちは、おそるおそる、目を開けた。
そこに立っているのは、一人の男……
綿ポリエステル混紡のワイシャツ、ニットタイ、ウールシルク混紡のベスト。
コットンのスラックス。
牛革のスクウェアトゥ。
ルーストリア王国ティルトワース郡には、否、この世界には存在しえない素材で作られた服に身を包む、一人の男……
「ハガネ!」
ディランが、涙ながらに絶叫した、まさにその瞬間。
フェアリーが、焦点温度数万度の熱線を、解き放った。
ハガネは、どうしたか。
ぞんざいに、右手を持ち上げたのである。
破滅をもたらす紫色の熱線が、ハガネのてのひらに衝突する。
ああ、君は見たか! ホースの水が飛び散るように、熱線が千々に裂け、木々を、地面を、下生えを、融解せしめるその様!
飛び散った熱線が着弾点を飴細工めいて溶かす中、ハガネは平然と立っていた。
否! それどころではない! ハガネは偏光グラスをかけ、フェアリーの様子を観察している! 舌を巻くべき尋常ならざる偏光グラス装着速度! その動き、追える者はこの場に存在せず!
冒険者一向は、破滅的魔法が自分たちを避けて通るのを、うずくまって恐怖に震えながら、眺める他なかった。
やがて紫色の熱線は、焦点を失って真っ赤な炎と化し、苦しげな火の粉をあげながら消えていった。
残っているのは、戸惑ったようにホバリングを続ける、フェアリーの一行である。
振り返ったハガネは、畏怖の念を込め自らを見上げる冒険者一行を、静かに見下ろした。
「警告はしたが、遅かったようだ」
腰に吊っていたガラス瓶を指して、ハガネが言う。
瓶の中にあるのは――
「コケ……?」
然り。ディランが呟いた通り、黄色いコケである。
「粘菌だが、君にとっては些細な違いだろうな、ディラン。これはこの雑木林で採取したもので――」
「ハ、ハガネくん、うしろ! あ、あぶないかも……!」
「む?」
フェアリー、再び致命の荷電粒子魔法を放たんと、爆炎を上げながら回転開始!
「この雑木林で採取したもので、フェアリーの主な食糧となっている。本来十七層以深にしか生息していなかったのだが」
荷電粒子魔法発射! 背中に直撃!
「君たち冒険者の、靴の裏にでもくっついたのだろう。第一層で繁殖をはじめているんだ。こういうものを、僕は階層間外来種と呼んでいる。ディラン、言ってみてくれ。階層間外来種だ」
ディランは、呆気に取られて、ハガネを見上げた。
数万度の熱線を浴び、紫色の輝きを背にしながら、迷宮生態系についての説教を続ける男が、目の前にいる。
その光景は、理解の範疇を越えていた。
「か、かいそうかんがいらいしゅ」
我を忘れたまま言葉を繰り返せば、ハガネは満足そうにうなずいた。
「そこに来て、フェアリーの巣別れだ。一つのコロニーに二匹以上の女王が生まれた場合、女王フェアリーのどちらかは、働きフェアリーの一群を引き連れ、新たな営巣地を探す。食料を求めて、このフロアに迷い込んでしまったのだろうな。そして、営巣しようとしたところ、君たちと出会ってしまった。当然、防衛行動を取るだろう」
ハガネは冒険者一行に背を向けると、荷電粒子魔法を浴びながら、平然と突き進んでいった。
無論、その目には偏光グラスあり!
貴重なフェアリーの防衛行動シーンを見逃すまいという、強い意志を感じる!
ハガネは、紫色の光球に手を突っ込むと、一匹のフェアリーをごぼう抜きにひっこぬいた。
まばゆい光を放って光球が霧散し、泡を食ったフェアリーたちが、ばたばたとハガネの周囲を飛び回った。
「女王フェアリーだ。随分と痩せているな……気の毒に、長い旅路だったのだろう。おまけに、魔法を無駄打ちさせてしまった。君たちはただ、自らの生息域を守りたいだけだというのにな」
手の中でもがくフェアリーに、ハガネは、コケ――否、粘菌――を与えてやった。
おずおずと手を伸ばしたフェアリーは、粘菌にかぶりつくと、咀嚼し、あっという間に平らげる。
「しっかり食べるんだぞ。君の頑張りが、群れを活かすのだからな」
ハガネが手をはなしてやると、女王フェアリーはふわりと飛び立ち、群れの中に飛び込んだ。
女王フェアリーを中心に、働きフェアリーが、ぐるぐると回転しはじめる。
ディランは思わず、落ちた剣を手で探った。
「武器の必要はないぞ、ディラン。どっちみち、君の装備では一秒で骨まで焼き尽くされる」
ホバリングしていた女王フェアリーが、動きはじめる。
それに続いて、働きフェアリーも、宙を舞う。
火の粉のように鱗粉をまき散らしながら、フェアリーたちは、8の字の軌道で舞った。
「フェロモンと、ダンス……マーベラス! そうか、この僕に、道を示してほしいというのだな! いいだろう、君たちがたらふく食える環境まで案内してやる! 実はだな、秘密裏にこしらえた粘菌倉があるんだ。引き換えに、君たちが死んだら骨格標本を採らせてくれ」
ハガネが歩きだし、その後を、フェアリーの一群が飛んでいく。
舞い散る鱗粉は自ら黄金色に発光し、あまりにも幻想的な光景が、ダンジョンに現出する。
炎の柱と化した一本の木が、悲鳴のような音を立てながら倒れた。銅鉄一家とハガネの間に横たわり、熱波と煙をまき散らす。
炎の向こう側で、ハガネが銅鉄一家に振り返った。
「階層間を移動するときは、洗い場を使いたまえ。納税者の権利だ」
燃えさかる木が次々に倒れて折り重なり、立ち去るハガネの姿を炎で覆い隠していった。
ディランは、頷くことしか、できなかった。