表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第五話 ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ
28/55

ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ④

 草原の第一層、森の第二層、川の第三層、石切場の第四層。考えていたよりも、踏破はたやすかった。

 刳岩宮に入って一刻余、ティレットが踏み込んだのは、迷宮の『中層』、そのはじまりたる第五層。


 ここに至って、刳岩宮はいよいよその様相を変える。


「魔力が……濃い」


 階段をおりるなり吹き付けてきた風は、虹の色をはらんだかのように幻視された。魔力によく馴染むプレーンズ・エルフだからこそ、感得しえた感覚である。

 巨大な岩に、巨大な白蟻が巣をつくった。第五層はそのように喩えられる。あちこちに散らばる広間を、無数の細い隧道がつなぐ構造である。

 壁のところどころに飽和析出した魔力がこびりつき、それが第五層を不吉な青い光で満たす光源となっている。


 刳岩宮もこの深さまで潜れば、魔物と分類されるような生物が湧いてくる。人の腕ほどもある無眼の芋虫や、魔法を放つ四つ足の獣たちは、それでも彼らなりの秩序で、第五層に生態系を築いているものである。

 ティルトワースの子どもであれば、必ず一度は口ずさむだろう早口言葉がある。大意すれば、以下のようなものだ。


『腐肉を喰らう芋虫を喰らう獣を喰らう大きな獣の腐肉を喰らう芋虫を――』


 これをつっかえずにどこまで言えるか、競って遊ぶのである。


 しかしながら本日の第五層は、少々勝手が違う様子。


「……なにか、いる」


 なにかの気配を感じたティレットが、グラディウスを抜く。何度か握りを変え、重心を確かめる。


 曲がり角を一歩踏み越えた先……ああ、君は見たか! 内側から発光するかのごとく気高き漆黒の体毛に身を包んだ大猫が、毛並みを逆立て牙を剥き出しにする様! 肢体の美々しさは、淘汰圧のやすりが鋭く磨き上げた進化の奇跡! 


 不意の接敵に、ティレットはたどたどしくグラディウスを構えた。漆黒の大猫が鋭く立てた尻尾、その先端に白熱の魔力が凝集する!


「ああ……」


 一瞬、見とれた。魔力が渦を巻いて尻尾に集まっていく様は、ティレットにとりあまりにも美しい。だがその一瞬が致命的な間だったことも、プレーンズ・エルフの少女は同時に悟っていた。


 尻尾が振られ、魔力球が放たれる! 寄せ集めた魔力を相手に投げつけるだけの原始的な魔法ながら、その威力、察するに余りある! 粉々に砕け散った自らの有様が、ティレットの脳裏によぎる!


 しかし、風を巻いて飛んだ魔力球はティレットを素通りし、背後で着弾した。悲鳴と、なにかが飛び散る音をエルフの耳が聞く。


「ひっ!?」


 振り返り、ティレットは悲鳴をあげた。

 魔物が、群れていた。


 醜悪という言葉以外に、どうすればその魔物を表現できようか?

 大きな頭と巨大な門歯。小さな前肢と、つま先立ちの太い後ろ脚。毛のない、弛んだ皮膚。

 なによりも、その瞳! 相互理解絶対不可能性を示す圧倒的な黒一色! 無毛の哺乳類が昆虫の無表情を備えた、これこそ迷宮の魔物! ゴブリンである!


「チィ、チィ」


 なんの音か。ゴブリンが鳴いているのだ。さざ波のように音が寄せては返す。なんらかのコミュニケーション!


 漆黒の大猫が咆哮し、駆けた! ティレットを横切り、ゴブリンの群れに襲いかかる! 舌を巻くべき速度!

 鋭く伸びた爪に魔力を込め、振り下ろす大猫! たちまち八つ裂きとなるゴブリン! 悲鳴が上がり、血が噴き出す! 錆の香りのぬるい血が降り注ぎ、迷宮に雨季のごとき温度と湿度をもたらす!


「チィ! チィ!」


 大猫は突っかかってきたゴブリンの首に食らいつき、頸椎をへし折った! 即死! 更には死体を振り回し、襲いかかるゴブリンを次々にはね飛ばしていく!

 だが、仲間を殺されながら、ゴブリンが怯む様子はない。数を頼みに大猫へのしかかっていく!

 一匹が五匹となり、五匹が十匹となり、やがて漆黒の大猫は、鼻から哀れっぽい声をだしながら、爪で地面を引っ掻きはじめた。


 十匹が十五匹となり、二十匹となり、ついに大猫の背骨が折れる。ブギッという怪音が隧道に響く。大猫は血泡を吹いて絶命するも、ゴブリンとて無事ではない。まっさきにとりついた数匹も、ぺしゃんこになっている。穴という穴から内臓を吹き出して死んでいる、その表情さえ圧倒的に無感情。


 大猫の死骸にゴブリンが群がった。小さな前肢と鋭い門歯で、皮を剥ぎ、関節を割り腱をむしり、筋肉をはぎ取っていく。信じがたい速度で、大猫が大猫だった肉塊に姿を変えていく。


 我知らず、ティレットは、ゴブリンたちの解体作業を見つめていた。場違いな記憶が断片的によみがえるのを、止めようもなかった。



――ここだ、ティレット。ここに刃を入れる。関節というのだ。



――ふたつになった。



――羊を美しく解体ばらすのは、男の仕事だ。しかし、お前も覚えておくといい。お前はきっと、苦労するだろうから。



――どうして、お父さん。



――黒髪の子は懐かんと言うからな。お前はいつか、私や母さんとは異なる道を歩むのだろう。だから、今のうちになんでも覚えておきなさい。



 幼い頃の記憶。父がナイフを操れば、羊はたちまちばらばらになった。かわいがっていた羊が殺されてしまったことよりも、父の動作の美しさにこそ、ティレットは心を動かされていた。


「チィ……チィ……」


 血まみれのゴブリンたちが、大猫だった肉塊を担ぎ上げ、ぞろぞろと歩き出す。ティレットには目もくれず、迷宮の先に消えていく。


「塚に、行かなきゃ」


 自失していた自らを叱るよう、ティレットは口に出した。グラディウスを手にしたままゴブリンの後を追い、歩き出した。



 すり鉢状の広間の底を占有するゴブリン塚は、実以て驚くべき有様だった。

 三階建ての住居を飴でつくって火で炙り、半ば溶かしたような構造物。それが、地面から何十本となく伸びている。

 ゴブリンたちが建物(ティレットにはそうとしか見えなかった)の間をちょろちょろと行き交っている。

 正体不明の昆虫らしき魔物も、ゴブリンの仲間のような顔をしてうろついていた。

 塚というよりは村落を思わせる、ゴブリン塚の光景であった。


 すり鉢の縁からゴブリン塚を見下ろし、ティレットは思案する。

 掃討と言っても、途方もない規模だ。単身で乗り込み全滅させるという案は、愚策に過ぎるだろう。


「ギギッギッ」


 背中を叩かれる、ぞっとするような感触。ティレットは跳び下がりながら振り向いた。

 背丈の半分ほどもある大昆虫が、つるりとした眼でティレットを見上げていた。


「ギッギイギィ」


 大昆虫が、前肢の関節をこすり合わせ、奇妙な音を出す。ティレットの胴回りほどもある、異様に発達した後ろ足がたわむ。跳躍に備え力を溜めている!


「ギッ!」


 大昆虫跳躍! 大砲のような速度でティレットに迫る! ティレットはグラディウスの腹を盾に防御を試みるが、速度を載せた圧倒的質量に為す術なし! 吹き飛ばされ、斜面をすり鉢の底めがけ転がり落ちていく!


「ギィ! ギィ!」


 滑り落ちながら体勢を立て直したティレットに、迫る大昆虫の第二射! 回避しようとしゃがんだ瞬間斜面に足を取られ、尻餅をついて滑り落ちる!


「このっ、くっ!」


 ティレットの周囲を、大昆虫が跳ね回る。立ち上がれぬままグラディウスを振り回すが、大昆虫は刃を意にも介さず、ティレットに覆い被さった。


 眼前、大昆虫の持つ一対の歯が、噛み合わさってがちがちと音を立てる。関節がこすれて不吉に鳴る。鋸歯状のかぎ爪がティレットの脇腹に突き刺さり、白い肌を裂いて食い込む。


「死っ……ねっ!」


 ティレットはグラディウスを全力で突き上げた。刃は大昆虫の頭部と胸部の隙間にぬるりと入り込み、体内組織を引っかき回して背中から飛び出した。

 大昆虫が脚に力を込め、かぎ爪が尚も深くティレットの肉を裂いていく。ティレットは渾身の力を込め、大昆虫の腹を蹴り上げながら刃を引き抜いた。大昆虫は傷口から薄汚い色の体液をまき散らしつつ、斜面を転がり落ちていった。


「はァ……はァ……ッ! っ……!」


 ずるずると滑り落ちながら、ティレットはうめいた。鋸歯状のかぎ爪が、肉をずたずたに引き裂いているのだ。脇腹からは静脈血が絶え間なく流れ出ている。


 斜面の底にたどり着いて、ティレットはよろよろと立ち上がった。裂けた背中になまぬるい風が吹き付けて、ひどく染みる。

 大昆虫が、腹を見せ痙攣していた。グラディウスを叩きつけて大昆虫をまっぷたつにしたティレットは、ふらつきながらゴブリン塚に分け入った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ