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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第五話 ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ
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ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ③

 鎧戸のすきまから差し込むきれぎれの陽光で、ティレットは目をさました。


「おはよう、エルフのお嬢さん。ごはん食べてくだろ?」


 階下に降りると、オステリアに声をかけられる。うなずいたティレットは、隅のテーブルで朝食にした。


 根魚のアラとクズ野菜からひいただしに、魚醤を利かせた大麦のスープ。デーツ酵母の全粒粉パンは、がっしりした噛み応えが歯茎に心地よい。小魚をオイル煮にしたものも、内蔵のわずかな苦さを滋味ぶかく感じられる。


「おいしいだろ?」


 ティレットはうなずいた。


「からだはごはんでできてるからね。いい魚を食べなきゃだめってことさ。しっかり食べて、今日もがんばっといで」


 オステリアに言われて、今日なにをするあてもないことに、ティレットは気づく。

 パンをスープに突っ込んだまま考えていると、オステリアが笑った。


「荷物から飛び出したもんが飾りじゃないんなら、冒険者ギルドに行っといで。刳岩宮絡みの仕事ってのは、尽きることがないからね」


 氏族に伝わる愛刀、つばくろ丸。他のがらくたとまとめて、質に流すつもりだった。だがザレックは、鞘から剣を抜くなり鼻を鳴らしたのである。

 石英の一枚板でつくられた刃には、見るべきところが何一つないとザレックは言った。石英の質の低さ、加工技術の低さ、つばくろ丸は、好事家すら見向きもしない代物だった。


「飾り」


 ティレットは短く言った。その言葉に想像以上の憎悪が込められていて、ティレットは少しばかり、そんな自分に驚いた。

 なんの憎悪か。1ルースタルの価値すらないものを先祖代々あがめていた氏族に対してなのか。1ルースタルの価値すら見いださないザレックに対してなのか。


「ほらよ」


 机の上に、古ぼけたグラディウスが投げ出された。ティレットが顔をあげると、ディランがにこにこしていた。


「俺、体でかいだろ? 剣士アタッカーに憧れてたけど、タンクの方が向いてたんだ」

「だからなに」

「だから、ザレックのところに流すよりは、あんたに使ってもらった方がいいと思ったんだよ。安物だけどさ」


 ティレットはしばらく、なんと返答すべきか考えた。


「理由がない」

「オイオイオイオイ! 理由がなくちゃ親切にできないってんなら、どうやって初対面のやつと仲良くなるんだ? いいから持ってろって。気にくわなかったらザレックのところに持ってけば、小銭ぐらいにはなるからさ!」


 ディランはにこにこしながらテラス席に向かった。


「ハガネ! めし食ったら迷宮行こうぜ!」

「ああ、ディラン。また石拾いか?」

「なんだよ、文句あんのか!」

「あの辺りで少々興味深いものを見つけた。石拾いのついでに調査をしたいんだ」

「興味深いもの?」

「そう、興味深いものだ! 聞いてくれ、ディラン! この排泄物なんだが」

「うわーばか! なんでオマエ、うんこ持って帰って来てんだよ! ばか! 捨てろ今すぐそのうんこを!」

「あああ、またあの粘菌術師はやっかいごとを……ハガネ! あんたねえ!」


 あわを食ったオステリアが、テラス席に飛び込んでいく。


「ゴブリン塚にしか発生しない、好ゴブリン性生物のものなんだ! 僕はゴブリン塚をずっと観察したくて――」

「いいから捨てろ、うんこを今すぐ!」

「はやく捨てちまいなそんなもん!」


 ティレットは立ち上がった。歩き出そうとして思い直し、グラディウスを掴むと、腰に帯びた。



 冒険者ギルドは、ティルトワースにあってとりわけ清潔な公官庁街の一角にあった。

 レディア・リオ宮に見下ろされ、ティルトワース湾への眺望も開けた、上層区域である。円柱型の建物は、精密に切り出された石灰岩の継ぎ目までが美しい。


 格子のはまった仕切りの向こう、のんびりと歓談する職員に声をかける。

 職員は面倒くさそうに立ち上がり、ティレットに一枚の板きれを押しつけてきた。それを持ち、待てということらしい。ティレットは待合所に移った。


「多い」


 調度までもが、ティレットをうんざりさせた。情報量が過剰なのだ。

 床のラグには、品位を落とすほど大量の錦糸が縫い込まれている。繊細なほぞ継ぎで継がれたケヤキのソファには、綿をたっぷり詰めた、かえって座りづらいクッション。紫色の葉を大きく広げる、迷宮産の観葉植物。 

 やがて呼ばれたティレットは、職員と半刻ほど面接したあと、ひとつの仕事を提示された。


「お仕事は色々とございますが、リターンが最も確実なのはゴブリン塚の掃討ですね」

「それで」


 即答すると、職員は、なにか聞き間違えたかのような困惑の表情を浮かべた。


「ええと……こちらはティルトワース大評議会からの依頼でして、確実にお客様にお支払いが」

「それで」


 職員は咳払いをした。


「それでは、こちらの契約書にサインを」


 格子の向こうから差し出されたのは、見たことのない模様でびっしり埋まった紙である。


「これは失礼いたしました。ティレット様はプレーンズ・エルフでございましたね。それでしたら、重要な部分だけかいつまんでご説明差し上げます。まずは誤解されるお客様が非常に多い、違約金の部分なのですが」


 ティレットは職員の説明を聞き流した。金にはじめて触れたのが、昨日今日のできごとだったのだ。複雑なことなど聞いても分かりようがない。


「それでは、第五層でのゴブリン塚の掃討、よろしくお願い申し上げます」


 慇懃な態度で、職員は頭を下げた。


 ここからだ、と、ティレットは自分に言い聞かせた。

 ティルトワースには、ぶざまをさらしにやってきたようなものだった。

 それでも今、仕事も武器も手の内にある。仕事をこなせば、金も入る。


「失礼」


 ティレットの横を、ひとりの青年が横切った。かわそうとして、ティレットは大きくよろめいた。ひどく疲れているのを、ようやく頭で自覚した。


「オイオイオイオイ、大丈夫か? って、またエルフの姉さんか」


 太い腕が伸びてきて、前のめりになったティレットの体を支えた。

 顔を上げれば、またもディランである。


「ありがとう」


 ティレットは短く礼を言って、ソファに腰掛けた。長旅と、昨日一日に起きたろくでもないできごとが、ティレットから気力を奪っていた。


「なに、ゴブリン塚の仕事をだれかが請け負ったのか? 僕以外の?」

「仮に誰かが受注してなくても、どの道ハガネには回さねーけど」


 ティレットにはあれだけ慇懃だった職員が、冗談まじりに悪態をついている。

 ハガネという響きに覚えがあった。かさご屋で、そんな名前を聞いた気がする。


「なぜそうなる。僕はすごくゴブリン塚のフィールドワークをしたいんだぞ。だけどディランが、仕事じゃないのに行くなと言う。だから冒険者ギルドに来た。それなのに依頼を回してもらえなかったら、僕はもうゴブリン塚に行けないじゃないか」

「うわ、過不足ねー! 説明が過不足ねー! やっぱハガネどの道おもしれーわ!」


 職員は声をあげて笑った。


「あのな、ハガネ。どの道評議会依頼なんて受けねー方がいーぞ。下請け孫請けでめちゃくちゃピンハネされてっから」

「そうなのか、ディラン」

「そうだよ。でもそう言ってもオマエ納得しないだろ」

「うん、僕は納得しなかったと思う。ありがとう、ディラン」


 ディランは大きなため息をついた。


「まあこっちにもノルマあるし、どの冒険者にもどの道薦めてっ、けど……」


 なぜ職員が言葉に詰まったのか。ティレットと目があった故である。

 職員はあわてて作りわらいを浮かべた。


「いかがいたしますか? 今でしたら違約金無しでの取り消しも承っておりますが」

「愚問」


 ティレットは立ち上がり、冒険者ギルドを後にした。

 何も知らない田舎のエルフが、またもぶざまをさらしたわけだ。自嘲と羞恥と怒りを呑み込んで、ティレットはまっすぐ刳岩宮を目指した。



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