ゴブリン塚とプレーンズ・エルフ②
父の言う通りであった。山渡りのドワーフは、カラザス山脈一帯に張り巡らされた秘密の坑道を案内した。一月もしない内、ティレットはティルトワースに辿り着いた。
山に素掘りされた切通しの道を抜ければ、そこはティルトワースの裏路地だった。
砕石を敷き詰めた細長い舗装路を挟んで、三階建て、四階建ての高層建築物が密集している。石灰岩の建物に、木造建築を二階分ほども積んだような歪な建物ばかりである。
その裏路地はティルトワースにあってとりわけうらぶれた場所だったが、それでも活気に満ちていた。
ござを敷いた上で半ば腐った魚を売る老婆。
その隣には、つい昨日切ったばかりであることを謳い文句に、美しい紫銀の髪束を売るダークエルフ。
更にそのひとつ隣を見れば、『とびっきり美しいカラザスエルフの少年』の尿を触媒に染めた護符を並べる男。
「多い」
ティレットは顔をしかめ、端的に呟いた。
人の数も建物の数も、なにもかもが過剰に感じられた。
木造建築は、根元の建物の垣根を越えて空中で合体し、空を完全に覆い隠している。
ただでさえ狭い路に、正体不明のものを売りつける貧乏人が密集している。
「お嬢ちゃん、魚だよ! 今朝あがったばっかりの、立派なヒメジさ! ごらんよ、このヒゲと来たら! どうだい? 買っていかないかい?」
「愚問」
ティレットは、話しかけてきた老婆に冷たい言葉を投げかけ、さっさと歩き出した。老婆の悪態を背に浴びながら、ティレットは一人になれる場所を探しはじめた。
そしてすぐさま、問題にぶち当たった。
「お金もないのに泊まりたいって?」
陽に褪せた金髪と緑色の瞳、生粋のティルトワース人であろう女主人が、呆れたような顔をする。
「ああ、あんたプレーンズ・エルフかい。やれやれ、なにが楽しくてこんな小汚い町に来るんだか。そりゃ、うちの魚料理はおいしいけどさ」
「お金」
「そう、お金。ここはあんたの生まれた草っぱらじゃないんだよ。なにをするにしても、お金が必要さ」
「寝るのも」
「屋根と壁のある場所ではね」
「食べるのも」
「分かってきたじゃないか。質屋にでも行って、手持ちの要らないもんをお金に変えといで。話はそれからだよ」
「オイオイオイオイ! オステリア、そりゃないだろ!」
テラス席の方から酔っぱらった男がやってきて、女主人、オステリアに絡んだ。
「ティルトワースにあっては、人みな冒険者だろ? 仲間には優しくしてやらねえとなあ!」
ずいぶん呑んでいるのか、声が大きい。ティレットはこの不躾な親切さに対して、眉をひそめた。
「そんならあんたが立て替えてくれるかい、ディラン」
「オイオイオイオイ! 俺にそんな金があると本気で思ってるのかよ!?」
あまりにもあけすけな、ディランの物言いである。オステリアはため息まじりに笑った。
「まったく、あんたの図々しさには敵わないね。エルフのお嬢さん、一日ぐらいなら――ありゃま」
振り返れば、ティレットの姿は既にそこにない。オステリアは腕を組んで鼻を鳴らした。
「プレーンズ・エルフってのは人なつっこいって聞いているけどねえ」
「そうじゃねえから、こんな町に一人で来てるのかもなあ」
ディランがしみじみと呟いて、オステリアはうなずいた。
「ま、ヒトそれぞれだね。ディラン、あんたあの子に迷宮で会ったら助けてやんなよ」
「万事俺に任せろ! エールくれ!」
「……だめだこりゃ。明日にゃ忘れてるね」
迷宮のように入り組んだ、ティルトワースの町並みである。ティレットは質屋を見つけるまでに、数刻ばかり費やした。
海沿いの一等地にあるぼろぼろの小屋が、質屋兼蘇生屋だった。
店主のザレックは、ティレットに、老いたロバを思い出させた。
小さく、よぼよぼで、そのくせ疑りぶかい。いま食べている牧草に対してさえ、気を許さないような雰囲気がある。
「よくもまあ、がらくたばかりを集めて持ってきたもんだな」
一枚板の仕切りに広げた荷物を一瞥し、ザレックは鼻を鳴らした。
「だが、この琴だけは別だ。よく手入れされている。2ルースタル出してやろう」
相場などまるで分からないまま、ティレットはうなずいた。
「あとのもんは持って帰んな。なんだ、不満か? 女が手っ取り早く金を欲しいなら、赤い鑑札を貰うんだな。プレーンズ・エルフの生娘ってんなら、ワシが1000ルースタル出してやる」
下卑た嗤いを投げつけられて、ティレットは物言わず質屋を後にした。郷とのつながりを、わずかばかりの紙切れに変えて。
このようにして、自分はティルトワース人になっていくのだとティレットは思った。
馬を失い、琴を失い、一つずつ、郷を失って。
どんな風に思えばいいのか、ティレットには分からなかった。
金を得たティレットは、その足でかさご屋に戻った。
「あら、さっきのお嬢ちゃんじゃない」
「お金」
ずっと握りしめていたティルトワース紙幣は、くしゃくしゃになっていた。
ぶっきらぼうに突き出された紙幣を、オステリアは受け取らない。
「あそこでひっくり返ってる男が立て替えてくれたよ」
オステリアが指さす先、テラス席の入り口で、さっき絡んできた男が横たわっていた。
他の冒険者に、棒でつつかれたり、顔に落書きされたりと弄ばれている。
「返しておいて」
オステリアの手を掴んで、くしゃくしゃの紙幣を2枚、握らせる。
「強情な子だねえ」
目を丸くしながらも、オステリアは紙幣を受け取った。
「お釣りが1ルースタルと50チットだね。部屋は2階の5号室、食事は? 降りてくるかい、持っていこうかい?」
「降りる」
「いつでも用意できてるよ。なんなら今から食べていくかい?」
うなずいたティレットを、オステリアは目立たない隅のテーブルに案内してくれた。
出てきた料理は、どれも確かに、おいしかった。
根魚を蒸留酒と塩で炊いたもの、小麦と高きびの無発酵パン、羊の肩肉をミルクとブイヨンで煮たもの。
「あんたらプレーンズ・エルフってのは、魚なんか食べないだろ?」
意外なおいしさに目を丸くしていると、オステリアがそう言った。
「だから、ちょっと工夫してみたのさ。どうだい、うちの魚料理は? そこらのもんとは違って、臭くもなんともないだろう?」
「おいしい」
賛辞を口にすれば、今度はオステリアが驚いた。
「あんた、素直なところもあるのねえ」
「別に」
おいしいから、おいしいと言ったまでのことだ。ティレットは持って回らない。
「おかわり、あるからね。ごゆっくり」
高きびの渋みも、羊の臭みも、郷のことを思い出させた。
父と母の姿が遠ざかり、馬が蹴立てる土煙の中に消えていく瞬間ばかり、目の裏に浮かび上がった。
ティレットは首を横に振った。
「おお! さっきのエルフの姉さん! 戻ってきたんだな!」
杯を片手にふらふらと寄ってきたのは、ディランである。ティレットは顔も上げず、返事もしなかった。
「ここの魚料理は、なんていうか、最高だろ? なあ!」
ティレットは黙々と羊肉を噛んだ。
「ありゃ? 荷物減ったな! 質屋見つけたのか?」
放っておくと永遠につきまとわれそうだった。羊肉を飲みこんだティレットは、
「ザレック」
短く答え、再び根魚に取りかかった。
「オイオイオイオイ! よりによってあの性悪ジジイかよ! あいつは自分の孫の蘇生費用すら取り立てるような純然たるクズだぞ! 買いたたかれたろ!」
「別に」
「あー……あの楽器だな! 楽器を買いたたかれたんだな!」
「別に」
酔っ払っている時に一瞥しただけの者が、どんな荷物を抱えていたか。そういうところまでこまめに覚えているのが、ディランという男である。
そして、そのこまめさを活かせないのが、銅鉄のディランという男である。
「待ってろ! 取り戻してきてやる!」
ディランはよたつきながらかさご屋を飛び出していった。
「ごめんね、あの男はほっといていいからさ」
苦笑まじりにやってきたオステリアが、「はいこれ、迷惑代」といたずらっぽくささやきながら、干したデーツの小皿を机に置いた。
「なに、あれ」
デーツをつまみながら、オステリアにたずねる。
「ここいらじゃ有名なぼんくらさ。悪いやつじゃないんだけど、やることなすこと間が悪いんだ。お酒呑むかい?」
「乳酒は」
「ごめんね、ないんだ。デーツ好きかい?」
うなずくと、オステリアはデーツワインを持ってきた。
「お酒引っかけて、今日は寝ちまいな。明日からが大変だよ、エルフのお嬢さん」
デーツワインの甘さと辛さは、ティレット好みだった。
杯をあけて、顔に朱が差すころ、ディランが戻ってきた。
「お、おおい! オステリア! オステリア!」
「なんだい、騒々しい男だねえ」
「さ、さ、300ルースタル貸してくれ! あのクソジジイ、ぼったくりやがって! ぼったくりやがってよ!」
オステリアは肩をすくめた。
酒と料理をやっつけたティレットは、悔しそうにじたばたするディランには目もくれず、階段を上がっていった。
ぼろぼろのベッドが一つあるきりの、粗末な部屋だった。
荷物を床に投げ出し、ランプに火を点す。粗末な油と粗末な灯心がたちまち黒煙と悪臭をまき散らしはじめ、うんざりしながら消した。
「独りで、生きる」
天井を見上げて呟く。
憧れていた自由と独立。その初日がこのざまだ。
老婆に罵倒され、金がないことで馬鹿にされ、無思慮な親切に晒され、ぼったくられた。
今日はしのげた。では、明日は? 明後日は?
ティレットは荷物に手をつっこんで、引っかき回した。自分がなにをしているのか気づき、ためいきをついた。ばかげている。マントを抱いて眠ろうとでも言うのか。
郷とのつながりを断ち切って、自分はティルトワース人になっていくのだ。ティレットは自分に言い聞かせ、枕に頭を預けた。瞳を閉じると、慈悲深い速度で眠りがやってきた。
なぜなにティルトワース
木造建築
ティルトワース大評議会は、この二十年で六回、木造建築の禁止令を発布していた。冬場に大火事が起きるのは、近所の森から切りだした材木で作った家の中に、山から掘ってきた粘土でつくったかまどを据え、昼も夜もなく火を焚いているからである。
これは『ティルトワース郡建築物の健全性を保つ委員会』による、十年がかりのコホート調査で判明した事実である。そして、そんな火を見るよりも明らかなことのために税金を使われたティルトワース郡民は、怒りの市民デモによって『ティルトワース郡建築物の健全性を保つ委員会』を解体させた。
しかしながらこの違法建築こそ、外部から流入し続ける異邦人に対して、ティルトワース人が選んだ答えでもある。
市民権すら得られないようなすかんぴんが食い詰めて事件を起こすよりは、屋根と壁だけでも与えて刳岩宮に挑んでもらった方がいい。実力者であれば財を成してまともな場所に引っ越すだろうし、どれほど救いようのない間抜けでも、数年ごとの大火事で片付いてくれるのだ。




