ガッルギリス’の石切場⑥
カッツの逆棘付棍棒によって地下水脈に叩き込まれたハガネ、その後である。
猛烈な水流は、ただちにハガネの体を下流めがけて押し流していった。
しかしながらハガネこそは稀代の粘菌術師。この状況下においても観察を欠かさなかった。
(マーベラス! 水棲昆虫の宝庫だ!)
魔力で姿勢を制御したハガネは、ひととおり昆虫採集に励んだのち、地下水脈の終点まで流されるままに流されていく。取るに足らぬ鞭毛の類が、ハガネの航跡に沿って発光し、水面を青く照らした。
(ふむん。夜光虫のようなものか? 思った以上に有機物にあふれている……マーベラス! 実にマーベラスだ!)
やがて打ち上げられたハガネは、光差さぬ暗黒環境を、蛍色の魔法光で照らした。
暗闇にあって天井の高い、入り江のような空間である。足下ではさざ波が震えるように打ち寄せ、夜光虫がきらきらと輝いている。
ハガネは魔法光を頭上高くまで持ち上げた。光が照らしあげるものを見て、ハガネは静かに、こう呟いた。
「……マーベラス」
天井には、無眼白色のコウモリが、鈴なりにぶらさがっていた。
地面には、ハガネの背丈を越えるほどに降り積もったコウモリの糞。
そして、糞を貪り喰らう、ゴキブリや等脚目の類。
コウモリの糞が発酵し、甘ったるい臭気と熱を振りまいている。
「マーベラス……マーベラス……!」
感電するほどの喜びが、ハガネの体を貫いた。ハガネはぶるぶると震え、足で小さくステップを踏み、そして踊った。
「洞穴生態系がここまで発展していたとは! マーベラス、マーベラスだ! 聞いてくれ、ディラン!」
興奮のあまり、いもしない者の名を呼び、振り向いてしまうハガネであった。
「むうう……はやく話したい!」
そわそわと足踏みを続けていたハガネだが、軸足を中心に3/4ほど回転したところで、ぴたりと立ち止まった。
地面のちょっとしたくぼみに、水が溜まっている。その水たまりのなかに、なにか、大きな塊が存在するのだった。
ずかずかと近寄っていき、塊の正体を魔法光で照らす。ハガネは目を丸くした。
おお、これは如何に! 水たまりの中に横たわるのは一つの死体!
袖のない革製のチュニックに身を包み、堅く目を閉じている。肩に刻まれた入れ墨は、カラザス・ドワーフの有力氏族のものだ。とくに複雑な文様は、指導的立場にあったことを示す。
その顔と入れ墨に、ハガネは見覚えがあった。レディア・リオ宮の広場にある彫像である。
「ガッルギリス’か!」
暗黒の地下水脈に落下し、行方知れずとなった伝説のガッルギリス’、その人の屍であった。
巷間では、今でも刳岩宮を掘り進んでいるだとか、死霊となってさまよっているだとか、さまざまな噂が絶えないガッルギリス’である。しかしながら事実は見てきた通り、落ちて、流されて、死んで、打ち上げられたに過ぎないのだ。
「屍蝋化したんだな。だが、これだけ有機物に溢れた環境で、どうすればこんなにきれいな死体になるんだ?」
鞭毛の類いが渦を巻く地下水脈を潜り抜けてきたハガネである。浮かび上がる疑問は、当然のことだった。
ハガネは振り返り、堆積する糞の山に目をやった。
「……そ、そういうことか!」
感電するほどの閃きが走り、ハガネはその場でぴょんと飛び上がった。
「わかったぞ! わかったぞ! わか……」
言葉を言いきらぬ内、ハガネの姿は暗黒の水中に没した。
ガッルギリス’の遺体をかたわらに、ハガネはこれまでを語ってみせた。
「ガッルギリス’の死体をそのままにするわけにもいかなかった。このままでは微生物の栄養になっていただろうからな。魔力で包んで、ここまで運んできたというわけだ」
メイは言葉を失った。あまりにも、何をどう言っていいものか分からなかったのだ。
「それにしても、これが起動したゴーレムというものか。実にマーベラスだな」
ゴーレムを見上げたハガネが、感心したように言う。
「私はガッルギリス’に状況の説明を求めます」
ゴーレムが首を動かし、ハガネとガッルギリス’を見下ろす。
「ゴーレム、君の願いを叶えることはできない。ガッルギリス’はもう死んでいるんだ。君を起動させてしまったことについては、広義人類の一人として謝罪しよう」
「起動、させた……? それって、ど、どういうことなんですか?」
メイの疑問に、ハガネはうなずきを返した。
「ゴーレムの起動条件は大量の生物だ。それをもたらしたのは、恐らく第四層の観光地化だろう。簡単に見取り図を説明しよう。
魔法灯火によって光合成をするコケが増える。コケを食べる等脚目が増える。等脚目を食べる捕食者――コウモリやトカゲの類いだ――が増える。捕食者の死体は、それを分解する微生物を呼び込む。
そのように、第四層の生物相は大きく変化してしまったんだ。平均気温の上昇も、コウモリの糞が発酵する際の熱によるものだろう。
ガッルギリス’の遺体がきれいに屍蝋化したことを考えれば、もともと第四層には微生物さえ存在しなかったのだと推察される。
実にマーベラス。これこそ刳岩宮の神秘だ。迷宮は進化のゆりかごなんだよ、メイ」
謎が紐とかれ、腑に落ちる感触をメイは得た。たかが灯火の一つが、第四層の環境そのものを書き換えてしまったのだ。
「ガッルギリス’、解答を要求します。私はこれまで同様、動くものを動かなくすべきでしょうか」
ゴーレムは、物言わぬガッルギリス’に淡々と合成音声を投げかけつづけた。
「ご、ゴーレムは……どうしたらいいんでしょうか?」
「停止の条件までは分からない。僕の声が届くわけでもなさそうだ」
二つの目から放たれる青い光が、ガッルギリス’を照らす。しかし、遺体が再びゴーレムに語りかけることはないのだ。
「……一定時間解答がありませんでした。私はガッルギリス’のゴーレム。私はこれまで同様、動くものを動かなくします」
石のこすれる音を立てて、ゴーレムが片膝をついた。舌を巻くべきはドワーフの技術力! 一定時間解答が得られない場合、自動的に元のルーチンに回帰するよう設定されている!
「は、ハガネくん! あぶない!」
膝頭が上下に開き、火薬の爆ぜる音を立てて紡錘形の物体が射出された! 紡錘物体は空中で尾翼を開き姿勢を制御すると、末端から青い炎を噴いてハガネに襲いかかる!
「マーベラス! ミサイルか!」
ハガネは跳躍し、紡錘物体と交差する軌道を取った!
「え、えええ!? なんで!?」
紡錘物体との接触直前、ハガネは足下に生み出した魔力塊を蹴りつけ、ムーンサルト回転! 紡錘物体を爪先で蹴り上げる! くの字に曲がった紡錘物体は垂直に跳ね上がり、天井に突き刺さって大爆発!
「カラザス・ドワーフの技術史は非常に興味深いな!」
自由落下するハガネを狙い、ゴーレムが右拳射出! 着地硬直を見逃さぬゴーレムの戦闘ルーチン、察するに余りある!
向かってくる拳に対して、ハガネは如何にしたか?
腰を落とし、自らの右腕を後ろに引いたのである。
「僕もパンチなら打てるぞ」
シャツを押し上げる上腕三頭筋は意外にも筋肉質!
「おばあちゃんのすすめで日拳をやっていたからな」
ハガネ、直突き! 拳と拳が空中衝突し、フロア全てをなぎ払うような衝撃波が発生する!
ああ、君は見たか! ハガネのパンチが突き刺さった地点を中心に、放射状のヒビを走らせるゴーレムの右拳! ハガネはパンチ反動で拳を引き戻し、もう一撃! 体重を乗せた波動打ち! ゴーレム右拳完全崩壊! 鎖が死に際のヘビのように地面をのたうつ!
「あまりにもよく動くものです」
ゴーレムは合成音声で淡々と驚きを表現した。
「僕たちに、ガッルギリス’の仕事を脅かすつもりはないんだ。ゴーレム、止まってくれないか」
ハガネはゴーレムに声をかけた。
「私はガッルギリス’のゴーレム。私は全ての動くものを動かなくします」
戦闘継続の意思を示したゴーレムは、左拳を射出した。ハガネは跳んでくる左拳を蹴り上げた。垂直に飛び上がった拳は天井に突き刺さり、鎖に引っ張られたゴーレムは前のめりに倒れた。
「私は効率よく、動くものを動かなくすることが可能です」
起き上がろうともがくゴーレムだが、両腕は既に失われているのだ。膝を立てるも、ぴんと張った鎖が立ち上がることを許さない。
「そうか」
ハガネの鉄面皮がわずかに崩れ、しかめ面のようなものがしばし覗いた。
「それならば、ここから先も僕の仕事だろうな」
無表情を取り戻したハガネが、ゴーレムに歩み寄る。ゴーレムはもがき続ける。
全ての動くものを動かなくすることこそ、ガッルギリス’が彼に与えた唯一の絶対命令である。ゴーレムは一途にその使命を成し遂げようとしていた。
「――ゴーレム」
不意に、誰のものでもない声が迷宮にこだました。
「ガッルギリス’?」
ゴーレムは、応えた。合成音声にすがるような響きをのせて。
「ガッルギリス’が、お前に命じる」
声は、屍蝋化したガッルギリス’の遺体から放たれていたのである。
「何が起きているんだ?」
ハガネも、この状況に困惑しているようであった。ガッルギリス’は完膚なきまでに死んでいるのだ。声を放つはずがない。
「お前はこれまで勇敢に戦った。私の与えた命に、忠実であった」
しかしガッルギリス’は、続けてゴーレムに語りかけたのである。
「私は動くものをたくさん動かなくしました。よく動くものも、あまり動かないものも、たくさん」
凄まじい音を立てて、ゴーレムは左腕の鎖を巻き取った。深々と突き刺さった左拳はぴくりとも動かず、やがて鎖は引きちぎれて地面に垂れ下がった。
ゴーレムは這いずった。ガッルギリス’の遺体に向かって、盲目の老犬が飼い主を目指すように。
「私はお前の働きに感謝する」
やがてゴーレムは、ガッルギリス’の遺体の前に、辿り着く。
「だから、ゴーレム。休め、とこしえに」
ガッルギリス’がささやきかければ、ゴーレムはうなずいた。
両眼の光が失せて、それきり、動かなかった。
「…………兄弟、魔法」
ぼろくずのように転がっていたバルゲルが、不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「…………死者の代弁者」
兄の声に呼応して、カッツも不敵な笑みを浮かべる。
後ろ暗い一流暗殺者であるだんびら兄弟が操る“死者の代弁者”。死者が最後に残した思考を辿り、情報を引き出す禁術だ。
この外法を、だんびら兄弟はガッルギリス’の遺体に向かって行使した。そして、とっくに失せた主に対して尚も忠実なゴーレムに、慈悲を与えたのである。
メイは背中に風を感じ、振り向いた。ボス部屋の霧がほどけ、見慣れた上層への階段が現れる。
「ええと……」
少々困惑してから、メイは自分の仕事を思い出し、胸を張った。
「み、みなさま、お疲れ様でした。第四層の見学は、こ、これでおしまいとなります。昼食の後は、引き続き刳岩宮見学ツアーをお楽しみくださいませ」
深々と頭を下げてみせれば、観光客たちは拍手喝采で応えた。




