ガッルギリス’の石切場④
異常事態に気づいたのはカッツだけではない。
メイも、ゴーレムに起きた変化を目の当たりにしている。
積み上げられた石と石のわずかな隙間が、足下から胴体へと、蛍光色の液体を流したかのように青白く発光していく。
やがて発光線が顔面に到達すると、これは如何に! 二つの石くれとしか見えなかった両眼が、意志を得たかのようにぎょろりと動く! 青白く光る! なにかしらのギミック!
石がこすれる音を立て、ゴーレムの両腕がゆっくりと持ち上がっていく。
「ほう! これはこれは! ゴーレムが動くところを見られるのですな!」
興奮する観光客たち。彼らはこの異常事態を粋な演出だと思っている。
「軍勢を感知しました。私はガッルギリス’のゴーレム。私は、全ての動くものを動かなくします」
ゴーレムが口をきいた! 舌を巻くべき高度な合成音声で語られる不吉な言葉!
「に、逃げてっ……みんな、逃げてっ!」
叫んだメイが、自らの首に手を当てる。指を添えるのは、チョーカーに結ばれた銅硝子製の鈴。“玻璃”のメイの、魔法触媒だ。
「綿璃硝子!」
メイが鈴を弾けば、音が凜と鳴る。たちまちメイの前に出現したのは、硝子繊維を編み上げた円形の盾!
「動いたので、動かなくします」
冷徹な言葉と共に振り下ろされる拳を、硝子繊維の盾が受け止める。一撃を弾かれたゴーレムはわずかによろめき、壁に背中を預けた。
「まだ動いているので、動かなくします」
更なる拳の一撃! 硝子の盾が砕け散る! 舌を巻くべき速度と質量の破壊力!
「まだ動いているので、動かなくします」
ゴーレムは両手の指を拝むように絡ませ、頭の上まで拳を持ち上げた。叩きつけられればメイも観光客もただちに動かなくなることは明白!
「あ、あああ……」
青白く発光する瞳がメイを、観光客を見下ろす。拳が、落ちてくる!
その時である!
「今だッ! くたばりやがれェーえええええっ!?」
バルゲルの薄汚い絶叫が迷宮内に響く! 極度集中によって練り上げた魔力を放たんと目を見開いたバルゲルが見たのは、今まさに暗殺対象をミンチにせんとするガッルギリス’のゴーレム!
「んなっんなっ!? うぎゃっ!」
魔力暴発! 動揺したバルゲルの針人形から、形の定まらぬ魔力の塊が噴き出す! 射出反動でひっくり返るバルゲル!
魔力塊は水面を泳ぐ蛇のようにうねりながら空中を突き進み、ゴーレムの拳、その先端に直撃した。ゴーレムは指を組んだ格好のまま、ゆっくりと後ろに倒れた。
「な、なんだってんだよォー、えェ!?」
毒づきながらも素早く立ち上がったガルバルに、無数の目線が向けられる。メイと、彼女に引率される観光客の目線だ。
「あ、ありがとうございます。た、助けて、くれたんですか?」
メイがおずおずと声をかけてきた。
「あァ!? 助けるだァ-?」
いくら事情が飲み込めなくとも、ただちに他人の言葉を否定してみせるのがバルゲルのやり方である。メイの感謝を言下に切り捨てようとした彼だったが――
「おお! おお! すばらしきティルトワースの魔法使い!」
観光客の誰かが、声を張り上げた。ずかずかと歩いてきて、バルゲルの手を握る。
「私はルーストリアの吟遊詩人です。素晴らしき魔力、そして素晴らしき勲! 私は必ずやあなたのことを謡いましょうぞ!」
「は、はァー? なに言って……」
と、吟遊詩人の手を振り切るバルゲルだが、彼の受難はむしろここから始まったのである。
「最高だ! 最高の魔法使いだ!」「お名前をお聞かせください!」「ああ、ありがとう! ありがとう! 私の子に名前をつけてくれ!」「うちの豚の安産祈願を!」「五穀豊穣!」
観光客がどっと押し寄せ、バルゲルを取り囲む。そして、賛辞の声をむやみやたらと浴びせかけてくるのである。
後ろ暗い彼の人生において、ここまであけすけな賞賛を受けたことなど、一度でもあったろうか?
バルゲルは、褒められることに慣れていなかった。
「か、カッツ! カーーーッツ!」
バルゲルは弟の名を呼んだ。地下水脈の手前でぼんやりしていたカッツだったが、慌てて走ってきて、もみくちゃにされるバルゲルを引っこ抜いた。
「て、てめェーら、勘違いしてんじゃねェーぞ! いいか、オレはだな……!」
カッツの肩に乗ったバルゲルは、だんびら兄弟の本懐について告げようとし、慌てて思いとどまった。お前らを皆殺しにきたなどと、言えるはずがない。
「オレは、その、アレだ……とにかく、てめェーらを助けに来たわけじゃねェー! 詩になんぞしたら承知しねェーからな!」
真っ赤になって怒鳴ってみせるバルゲルである。だが、吟遊詩人はそんなバルゲルの言葉にこそ、感動で打ち震えるのだった。
「お、おお、高潔なるは刳岩宮の冒険者! 求めるべきは詩ではなく、我らの心にこそ残る勲であると! ああ素晴らしい! 詩の女神よ、私にこのような気高き冒険者との出会いを与えてくれたことに感謝いたします!」
吟遊詩人は荷物の中から弦楽器を取り出し、勇壮な調子で奏ではじめた。
「高潔だ!」「素晴らしい!」「倫理的!」「徳が高い!」
弦楽器のリズムに乗せて、賛辞が雨あられと降ってくる。バルゲルは頭をかきむしりたくなった。いっそのこと、ここでこいつらを皆殺しにすべきではないか。そんな思いが頭をかすめる。
「そ、その……本当に、ありがとうございます」
だが、メイの存在が気楽な虐殺を彼らに許さないのである。彼女は油断なく、銅硝子の鈴に指を添えている。ゴーレムを警戒してのものだろうが、当然、だんびら兄弟の動きも視野に入れているのだ。彼らが働いてきた悪事の数々を考えれば、当然の判断である。
「お兄ちゃん」
カッツが押し殺した声でささやいた。バルゲルは素早く視線をカッツの示す方向に向けた。
「まだ動いているので、動かなくします」
ゴーレム健在! 不吉な合成音声とともにゆっくりと起き上がる!
「私はガッルギリス’のゴーレム。私に魔法は通用しません。そのため私は、効率的に動くものを動かなくすることが可能です」
バルゲルの魔法を浴びながらもゴーレムは無傷! 舌を巻くべきは最高級凝灰岩によって組み上げられたボディの魔法耐性!
「冗談じゃねェーぞ……」
バルゲルは息を呑んだ。暴発したとはいえ……否、暴発だからこそ、魔力塊は純粋な打撃力としてゴーレムを襲った。即ち、バルゲルにとって最大級の攻撃だったのだ。
「耐性どころじゃねェー。無効化だろ、あんなもん」
「お兄ちゃん、どうするの? 逃げる?」
「あァー。それが――」
呟きかけてふと、バルゲルの目にとまるのは、無力な観光客の姿だ。みな、信じきった瞳でバルゲルを見上げている。
もちろん、この程度のことに良心を動かされるようでは、だんびら兄弟の長男など務まらない。しかしながらこのときのバルゲルは、なるべく素早く、命の値踏みをせねばならなかった。
(……ゴーレムが暴れ回ってこいつらをぶっ殺したとすれば、聖人認定どころじゃねェー。観光業はオシマイで、独立派の思い通り。あの、ケツをいじめてやったら喜んで鳴きそうな郡長官サマの鼻ッ柱がへし折れるところは見てみてェーが、金にはならねェーな)
ゴーレム、前進開始! 一歩ごとに足下の凝灰岩を砕き、大地を震わせる!
(一方で、だ。ここでゴーレムをぶちのめし、観光事業を継続させてみろ。その上でクソバカ観光客どもを暗殺すれば、クエスト達成。金が入ってくる。つまりここでの最善手は――)
「カッツ! 10秒稼げ! 全力でだ!」
バルゲルはカッツの肩から飛び降り、叫んだ。
だんびら兄弟にとっての最善手にたどり着くまで、思考時間はわずか0.2秒! 舌を巻くべき後ろ暗き暗殺経験の夥しき積み重ねがもたらす狡知!
「まかせて、お兄ちゃん!」
カッツは迷わない! 逆棘付き棍棒を振りかざし、ゴーレムに敢然と立ち向かう! 多くを語らず多くを問わぬ、兄弟の信頼関係がそこにある!
身の丈五メートルにも及ぶゴーレムである。如何に長身を誇るカッツとはいえ、体格差は歴然!
「おおおおおおッ!」
吠えるカッツが棍棒を両手持ちに変えて振り回す! 受けるゴーレムは左拳打ち下ろし! 空中激突! 空気の爆ぜる音と衝撃波が第四層を駆け抜け、両者ともに後ずさる!
「私はよく動くものを見つけました。優先的に動かなくします」
ゴーレムが攻撃の矛先をカッツと定め、前進する。
(お兄ちゃん……10秒は長いよ……!)
カッツはゴーレムの膂力に震撼していた。全力の一撃が、苦も無く相殺されたのだ。いや、相手は無傷、一方でこちらは左の尺骨にヒビが入っている。力負けである。
(でも、ぼくはまかせてと言ったッ!)
「兄弟魔法! 魔針覚醒!」
これは如何に! カッツが吠え、魔法を起動したのである! 無類の魔法耐性を誇るゴーレムを相手に、物理アタッカーたるカッツの魔法がどれほどの効果を及ぼすというのか。これは拙手ではないか、カッツ!
否、決して拙手ではない!
ああ、君は見たか! カッツの棍棒から突き出す逆棘が、動脈血色に輝きながら太く長くなっていく様! その針が棍棒を飛び出し、半球状に展開! そう、カッツの頭上に展開したのである! 空中の逆棘が小刻みに震え、射出される! 他ならぬ、カッツの体めがけて!
「ぐ、ご、がッッ! がああああああッッ!」
カッツ絶叫! 逆棘付きの針は意志ある生物のごとく、身をよじらせながらカッツの体内へと潜り込んでいく! 傷口から血を噴き出し悶えるカッツ! 組んだ両手をゆっくりと振り上げるゴーレム!
「綿璃硝子!」
メイが絶叫し、首元の鈴を凜と鳴らす。ゴーレムとカッツの間に硝子盾展開! 弾かれるゴーレムの一撃!
カッツは血の涙を流しながらメイに目を向けた。
「ありがとう……間に合ったッ」
再び強烈な一撃! 硝子盾を完全粉砕しながらゴーレムの拳が風を切って打ち下ろされたその瞬間、カッツは、如何にしたか。
「ごがああああッ!」
棍棒をかなぐり捨て、自らの拳を合わせに行ったのである――!




