迷宮の生態系②
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一方で、ふっとばされた粘菌術師と言えば。
「オイオイオイオイ、大丈夫かよ?」
横たわる彼に、声をかける者があった。
「ディランか」
面影に幼さを残した赤毛の男だが、身に帯びたギャンベソンには歴戦の傷が刻まれている。
分厚い大盾を低木に立てかけ、人のよさそうな顔で、粘菌術師に手をさしのべていた。
ディランの手を掴んで立ち上がった粘菌術師は、まず、腰に吊った瓶が割れていないことを確かめた。
抜けるような蒼穹に向かって瓶を掲げ、その中にとらえたものを、じっと見つめる。
「……マーベラス」
目を細めた粘菌術師は、うっとりとした表情でつぶやいた。
「だんびら兄弟か。タチの悪い連中に絡まれたもんだな、ハガネ」
「見ていたのか」
「ま、割って入る必要がなくてよかったぜ」
「メイとティレットは?」
「『かさご屋』で朝から呑んでる。オマエは?」
「こないだ、新種のハムシを見つけたんだ。今日ようやく捕まえられたので、さっそく標本にするつもりだ。ディラン、聞いてくれ。このハムシなんだが」
「その話、長くなりそうか? それならまず鼻血を拭けよ」
粘菌術師――ハガネは、唇を伝う血に気付いて、袖で拭おうとした。
「オイオイオイオイ! 一張羅だろ! ほら、これ使え!」
ディランが慌てて差し出したぼろ布を受け取って、鼻血を拭き取ったハガネは、
「この一帯のイネ科植物は、恐らくシュウ酸を多く含んでいる。食べるどころか、触れるだけでかぶれる程度にはな。ところが、このハムシは」
何ごともなく、話を続けようとした。
ディランは、あきらめたように苦笑した。
「分かった、その話の続きは『かさご屋』で聞くよ。エールを一杯おごってくれたらな」
“銅鉄”のディラン。
大盾とギャンベソンに身を包む、中堅どころの冒険者だ。
実力はあるが、なにぶんお調子者で、どこか抜けているところがある。
刳岩宮中層と深層の間をうろちょろし、自称『新発見』に大喜びして町に帰還、それがぬか喜びであったと知る程度の実力である。
いわく、刳岩宮第八層で、深層へと続くショートカットを発見した。
しかしながらそれは、他ならぬ先達の冒険者クランが、血の滲む思いで掘り抜いたものだった。冒険者たちは敬意を表し、暗黙の了解でショートカットを利用し、こっそり通行料をクランに支払う。
そんなことも知らぬディランは酒場でショートカットについて吹聴し、夜道で叩きのめされ、法外な通行料を巻き上げられた。
ティルトワース郡のことわざに曰く、『銅でできたことは、鉄でもできる』。
故に、銅鉄のディランというわけだった。
白い鳴き砂の敷き詰められた海岸を見おろす、石灰岩の建物。大きく取られた窓からは、心地よい潮風が吹きつける。
かさご屋は、魚料理ならばティルトワース郡一を自認する酒場であり、ディランのような中堅冒険者のたまり場だった。
「よう、オステリア! 粘菌術師様のお帰りだぞ!」
入口に垂れたすだれを押し上げ、店に入るなり、ディランが陽気な声をあげる。
丸テーブルを囲む冒険者や地元の人々が、にっこりと笑顔になった。
「ディラン、今日もハガネのお世話かい? 大変だねえ」
ディランに話しかけるのは、かさご屋の若き女主人、オステリア。生粋のティルトワース人特有の、陽に褪せた金髪と緑色の瞳。
「大変でしょうがねえよ。ま、エール一杯おごってくれりゃあ、ずいぶん気持ちが楽になるんだけどなあ?」
「バカ言いなさんな。ティレットとメイ、テラス席だよ」
「オレはエールで。ハガネは?」
「すいかのワインに、干しデーツをつけてくれ」
「あいよ。からっからに干したのをね」
テラス席から一望するティルトワース湾は、二つの岬に挟まれた三日月型の砂浜と、水平線が美しい。
ティレットとメイは、そんなテラス席の端っこ、海がいちばんきれいに見える特等席にいた。帆布の日除けの下、のんびりと酒を呑み、炒ったナッツをつまんでいる。
「ただいま。バカ一人連れてきたぜ」
軽口をたたきながら、ディランが椅子に座る。
「あ、あの、バカっていうのは、よくない、かも……」
気弱そうにディランをたしなめるのは、まっしろい猫耳ローブに全身すっぽりおおわれた、色白の少女。
ディランと同じく中堅どころの魔法使い、メイである。
アイスブルーの虹彩に、刃のような鋭い瞳孔。彼女は食肉目系統の広義人類、つまり獣人である。
革製のチョーカーに結ばれた鈴は、緑色をした銅硝子。時間をかけて魔力をふくませた、彼女の触媒だ。
「バカのことバカって言って何が悪いんだよ」
「愚問。バカはディラン」
胸当てと手甲、革の短い腰巻に脚絆。軽装の少女が、冷たい声で言った。
流れるような黒髪に、吊り上った強気そうな瞳の、ティレット。
エルフらしいとがった耳が、まっすぐな髪の間から突き出している。
細身の愛剣と、片翼のツバメがししゅうされたマントは、椅子の背に吊るしてある。
ディラン、メイ、ティレット、ハガネ。
冒険者クラン“銅鉄一家”のパーティメンバーが、これで揃った。
「さ、まずは乾杯だ! おつかれさん!」
グラスをかちあわせ、ディランはぬるいエールを一息に飲み干した。
ハガネは、すいかのワインをちびりちびりと舐め、合間に干しデーツをつまんでいる。
「それさ、干しデーツ。うまいと思って食ってる?」
エール片手に、ディランがたずねる。
「田舎が信州なんだ。おばあちゃんがよく干し柿を作ってくれたのだが、似た味がする」
「シンシュー? オマエの住んでた異世界か」
「ああ。自然が豊かで、虫がたくさん採れた。家の裏で珍種のアメイロケアリを見つけたことがあるぞ」
虫の苦手なティレットが、怜悧な表情をわずかひきつらせた。
「わ、わたしも、デーツ、好き、かも」
生粋のティルトワース人であり、生粋のお人よしであるメイが、よわよわしく、ハガネに賛同する。
「それで? 今日見つけたナントカは、どんな生き物だったんだ?」
「こんな生き物だ」
テーブルの上に置かれたのは、コルクで蓋をしたガラス瓶。
薄茶色の地味な昆虫が、壁を這いあがろうと、前脚を一生懸命うごかしている。
「うっ」
ティレットがうめき声をあげ、椅子を後ろにずらした。
「わあ! 見たことない、かも! この、胸部の曲線!」
メイが身を乗り出し、目をきらきらと輝かせる。
ハガネは満足そうにうなずいて、
「ドクムギトゲトゲと名付けた。見つけたての新種だ。一年前、大評議会が第一層を牧草地にしようとしただろう?」
「あー、あったな、そんなこと。半年は順調だったんだよな。迷宮に羊がいるのって、笑えてよかったけどなあ」
「だが半年後、羊はいきなり全滅した。皮膚炎からはじまり、嘔吐、下痢、最終的には四肢の硬直だ。迷宮のイネ科植物が、家畜に対抗するため毒を持ったんだろう。それがシュウ酸だ」
「進化、した」
ティレットが、続きを促すようにつぶやく。
「君も『進化』という言葉をおぼえたか。マーベラスだ、ティレット。僕の博物学に関する研究を手伝う気はないか?」
「愚問」
ティレットは、もぞもぞ這う虫を嫌そうに見ながら、そっけなく返事をした。
「さて、このドクムギトゲトゲは、その毒草を食べられるよう進化した。どうするかというと、葉っぱに円形の傷をつけるんだ。その円の内側からシュウ酸が抜けるのを待って、食べはじめる。腹が減れば、再び葉っぱに円を描く。これこそ行動生態学の神秘! マーベラス!」
興奮のあまり立ち上がったハガネに対して、三人の反応はそれぞれだった。
いつものこととして、ハガネの長広舌をさかなにエールを呑むディラン。
虫が嫌すぎて、じりじりと遠ざかっていくティレット。
鼻息も荒く、真剣に何度もうなずくメイ。
「刳岩宮に限らず、世のあまねく迷宮は、進化の揺りかごだ。満ちた魔力かなにか、原因は分からないが、迷宮の持つ要素が、異常な速度の突然変異を生物に促している。
獣人、エルフ、ドワーフ、ヒト、その他もろもろ……広義人類も、恐らく迷宮から生じたものなのだろう。マーベラス! この世界は実に素晴らしい。僕の住んでいたところでは、ネアンデルタールとクロマニヨンすら共生できなかったのだからな!」
「はっ、はいっ! まーべらす、ですっ!」
話についていけるはずもないだろうに、興奮したメイが、たどたどしい発音で同意した。
そのことに気をよくしたハガネは、自らの研究成果について、日が暮れるまで話し続けた。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん!」
刳岩宮、第一層。だんびら兄弟の弟、カッツの悲痛な声が響きわたる。
吹き渡る涼風。
木漏れ日が差し込む雑木林。
上半身が消し飛んだバルゲルの屍。
逆棘付き棍棒を投げ出し、膝をつき、カッツはただただ、泣きわめいていた。
新米冒険者を突き飛ばし、粘菌術師を吹っ飛ばし、刳岩宮の深層、十八層を探索しただんびら兄弟、その帰途である。
バジリスクやワイバーンといった強力な魔物を苦もなく屠り、彼らは迷宮を押し進んだ。
いずれの魔物も、ディラン率いる銅鉄一家では、とうてい勝ち得ぬ迷宮の強者。
だが、だんびら兄弟こそは手練れの冒険者、破壊的な打撃と破滅的な魔法の使い手である。
たやすく引きちぎり、容易に叩き砕き、傲然と迷宮を暴く、それが彼らの美学だ。
本日の戦利品は、異世界より流れ着いた、美しいガラス容器。
バカラのクリスタルグラスであることを、だんびら兄弟は知らない。興味を持つことすらないし、答えを教えられても、お返しは逆棘付き棍棒の一撃である。
だが、迷宮の無慈悲さは、如何なる強者に対しても気まぐれかつ平等に牙をむく。
その結果が、バルゲルの変わり果てた姿である。
泣きじゃくるカッツを、不意に、灯りが照らした。
あまりにも不吉な、紫色のかがやきである。
カッツは顔をあげ、そのかがやきの主が、兄を消し飛ばしたのであると気付いた。
「お兄ちゃん……すぐに蘇生させるから、待っていて」
泣き顔が、一変した。
魔物を砕き散らす、鬼の形相である。
逆棘付き棍棒を握りしめたカッツが、ゆらりと、立ち上がった。
この逆棘付き棍棒は、単なる鈍器ではない。
逆棘の一本一本に、強大な魔法使いである兄バルゲルが魔力をふくめた。一撃は被害者に強度の裂傷デバフを与えることだろう。
カッツの闘志に呼応して、逆棘が鋭さと長さを増し、血の色に輝く!
幾千もの魔物に癒やしがたき傷を残した逆棘が放つのは、圧倒的におぞましく、見る者全てに自らの死を想わせずにはいられぬ光!
「みなごろしだ! ぼくはお前たちを、みなごろしにっ」
カッツが言葉の最後まで、言い終えることはなかった。
兄と同じく、上半身を消し飛ばされて、その場に膝をつく。
仲良く並んだ二つの下半身を、紫色の不吉な光が、いつまでも照らしていた。
なぜなにティルトワース
デーツ
沿岸都市のティルトワース郡は、かつて、刳岩宮目当ての山師が小さな土地に不釣り合いなほど住み着く、いびつな都市国家だった。
ろくな農作物もなく、産出するものといえば、そこら辺に生えているデーツと近海漁業で採れるイワシばかり。
ティルトワース人は、その長い歴史のほとんどを干したデーツと肥えたイワシで食いつないできた。
今でこそルーストリア王国の一行政区画となり、ムギやコメなど主食を輸入する立場となったが、嗜好品としてのデーツ人気は根深いのである。
ちなみにディランは大陸北方のカラザス出身である。痩せた土地で、粉っぽい食感のソバ粥ばかり食べてきた彼だ。ぼそぼそして甘ったるいデーツは、『主食みたいな食感のくせにしょっぱくない』という点でまったく好みに合わぬものである。