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粘菌術師吉良ハガネのダンジョン博物誌  作者: 6k7g/中野在太
第四話 ガッルギリス’の石切場
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ガッルギリス’の石切場②

 レディア・リオ宮、郡長官執務室。

 その日、ニコは珍しくはしゃいでいた。ハガネの周囲を衛星のようにぐるぐる回りながら、凄まじい早口で以下のようなことを語った。


「ようやく第四層の観光地化に本格的に取りかかれる。ガッルギリス’の聖人認定には苦労したが、投資分は三年で回収できるはずだ」

「それはよかった」

「本当に苦労したんだぞ、ハガネ! 何度も何度も、生まれ変わってチョコレートタルトになりたいと思ったが、ようやくだ! 聖人認定されれば、免罪対象認定まではあっという間だ! 観光客が押し寄せる!」


 いよいよ興奮してきたニコは、周点円みたいな軌道でハガネの周囲をせわしなく回った。


「公共事業! 雇用創出! いい響きだ!」

「なるほど。第四層を大規模に工事するのか。それで、僕になにかさせたいわけだな」


 ハガネはニコの言葉を手際よく要約してみせた。


「ほら、その、なんだ。第一層での羊放牧事業は、大失敗だったからな」

「ああ。見るも無残だったな」

「な、なんだ? それは、その……私への悪口か?」


 慣性で円運動を続けながら、ニコはハガネに対して怯えたような目を向けた。


「僕は君の悪口を言わないぞ。つまり環境アセスメントということか」

「その通りだ。大がかりな工事が第四層の環境にどのような影響を与えるのか、事前調査してほしい。これは私からの個人的なクエストだ」

「もちろん、君のクエストであればいつでも受注しよう。だが、僕の本業は虫屋だ。生き物に関する調査しかできないぞ」

「刳岩宮においては、それが最も重要だ。雑草がいきなり毒を持ったせいで、羊放牧事業は失敗したのだからな」

「ああ。見るも無残だったな」

「そ、それは、その、なんだ……私への悪口か?」

「そんなつもりはないぞ。僕は君の悪口を言わないからな」



 とまあ、いつも通りのやりとりである。

 こうしてハガネはクエストを受注し、第四層をうろついていたのである。


「第四層に現在施されているのは、最低限の工事だ。しかし、生態系への影響ははっきりと現れていた」

「へえ? 工事ぐらいでなんか変わるのか?」


 ディランが言えば、うなずくのがハガネだ。


「休耕地の太陽光発電転用事業に関する環境アセスをやっている友人がいた。田んぼの上にソーラーパネルを敷くだけで、ある種の昆虫が死に絶えた例もあるぞ」

「……よく分かんねえけど、とにかく変わるんだな。それで? どう変わったんだ?」

「これだ」


 と、ガラス瓶を机の上に置く。瓶の中を、小指の先ほどもない虫が這い回っていた。体の長さの倍ほどもある触角を、しきりに動かしている。


「うっ」


 ティレットが顔をしかめ、身を引いた。


「魔法灯火周辺の壁に生えていたコケの中から採取した節足動物だ。等脚目のようだが、詳しいことはまだ分からない」

「うっわ、気持ち悪っ。これがどうしたんだよ?」

「見てくれ、ディラン。真っ白で、目がないように見える。洞窟性で、かつ、本来は光の当たらないところにいると推測される」


 言葉を切って、パーティメンバーの顔を順繰りに眺めていくハガネである。そして最初に気づいたのは、いつものように、ティレットであった。


「それが、魔法灯火の周りにいる」

「マーベラス! ティレット、やはり君は飲み込みが早いな。どうだ? 僕の博物学」

「愚問」


 ディランは多足の虫をじっと眺めていたが、次第に、だからどうしたという気分になってきた。


「この虫が灯りの周りにいて、なんか問題あんのか?」

「問題があるのかどうかは、まだ分からない。だが、魔法灯火の周辺で採取できるのは不自然だ。数匹解剖してみたのだが、腹の中から未消化のコケが出てきた。排泄物も、消化されているようには見えない。

 つまりこの節足動物は、普段いもないところをうろつき、普段食べもしないものをかじっているということになる。

 そもそも、第四層にコケがあること自体、本来の姿ではないはずだ。光の射さない空間だからな」

「ふーん」


 ディランは鼻を鳴らしてから、ふと、違和感に気づいた。


「オイオイオイオイ、メイ、どうしちまったんだよ?」


 そう、メイである。

 普段であれば、ハガネのこの手の話に食いつき、際限の無い無駄話を繰り広げるのがメイである。しかし、今日のメイはティレットの肩に頭を預けたきりだ。


「しーっ」


 ティレットが、人差し指を口にあてた。

 肩に頭を預けたまま、メイは寝息を立てていた。


「疲れてんだな。でも、メイが楽しそうでよかったよ」


 ディランはしみじみと呟いた。



 未舗装の地面には、ぐちゃぐちゃに踏みしだかれた動物やヒトの糞尿。

 蛆の類いがぴんぴんと跳ね回り、蠅の類いがぶんぶんと飛び回る。

 ああ、君は見たか。蛆や蠅が舞踏会を繰り広げる会場は、腐敗したヒトの骸の上。この小路において、殺人は通り雨ほどにありふれた出来事だ。


 この名も無き小路は、俗に“羊骨通り”と呼ばれる。羊が一匹迷い込めば、たちまち総出でむしられて、出てくる頃には骨しか残らぬとの噂がその由。


 ティルトワースにおいてとりわけうらぶれた小路の一角にある、とりわけ薄汚い酒場には、とりわけ後ろ暗い外道が集まる。

 山師、食いつめ貴族の八男坊、群れのはぐれ者、クサレ戦闘坊主、逃亡姫騎士、あるじ殺しのニンジャ……そして、だんびら兄弟。


 違法性のある植物を詰めたタバコの、甘ったるい煙が立ちこめる半地下の酒場である。誰もが淀んだ目をして、殺伐とした会話を繰り広げている。


 だんびら兄弟のバルゲルとカッツは、カウンター席の隅で、薬草酒を呑んでいた。当然、便通に良いだとか、頭痛によく効くだとかいう類のものではない。違法性のある植物を、強烈な蒸留酒に浸したものだ。


「あァー……つまんねェーなァー」


 矮躯をローブに包んだ魔法使い、兄のバルゲル。彼はひどく苛立っていた。


「そうだね、お兄ちゃん」


 長身を鎧で固めた弟のカッツも、その受け口は普段よりもずっと不機嫌そうだ。


「なァー、バルゲル。こりゃ誰のせいだよ?」

「粘菌術師」

「あァー、そうだ! そォー言うこった!」


 バルゲルは固めた拳骨をカウンターに叩きつけた。拍子にタンブラーが倒れて、傾いたカウンターの上を転がっていく。


「バカにすんじゃねェー!」

 

 バルゲルはタンブラーを引っつかみ、苛立ち任せに投げつけた。真鍮のタンブラーは放物線を描いて壁に衝突。そのまま自由落下するかと思えば、これは如何に! 壁にぴたりと貼り付くタンブラー!


 君が魔力の流れを感得できる魔法使いではないのだとしたら、この怪奇現象についての説明が必要だろう。これぞ、バルゲルの操る針魔法に他ならない。目にも止まらぬ早撃ちで魔力針を放ち、タンブラーを壁に縫い止めたのだ。


 冒険者となる以前、バルゲルは暗殺者だった。決して外傷を残さぬほど細く絞った魔力針を撃ち込み、心臓近辺の動脈で破裂させる。傍目からは病死にしか見えない。


 一流の冒険者にして血も涙もない暗殺者、それがバルゲルである。外道ばかりが集まる酒場において、バルゲルが身じろぎする度、誰もが身をすくめ、声を潜める。不興を買えば惨殺されることが分かりきっているからだ。


 そんなバルゲルが荒れているのは、カッツの言葉通り、“粘菌術師”吉良ハガネが原因だ。


 あの男は、だんびら兄弟を二度もぶっとばした。それも、衆人の目の集まる中、蠅でも叩くように無造作なやり方でぶっとばしたのである。

 暴力と恫喝に依って立つだんびら兄弟にとって、あのようなぶっとばされ方ほど屈辱的なものはない。あれから、だんびら兄弟に対してナメた態度を取るヌーブが明らかに増えたのだ。

 無論、そんな連中をだんびら兄弟は許さない。蘇生屋が匙を投げるほど細切れに引き裂いたが、それでハガネへの怒りが晴れるわけでもなかった。


「失礼。こちらよろしいですか」


 と、バルゲルに声をかけ、カウンター席に腰掛ける者あり。外道たちに、緊張が走る。この酒場においてカウンター席はだんびら兄弟のものだ。そこに座るとは、よほどの物知らずか、あるいは、よほどの外道か。いずれにせよ、血の雨が降ることは間違いない。


 バルゲルとカッツは、淀んだ瞳を闖入者に向けた。安っぽいスケイルメイルの上に安っぽいマントを羽織り、安っぽい手槍を帯びている。

 バルゲルは男を観察した。背筋は伸び、表情は余裕たっぷり、佇まいは凜としている。ルーストリア国教の司祭や信仰ギルドのまとめ役が、ちょうどこんな感じだ。誇りと信念が背骨に通っている、とでも言いたげな、いけすかない態度。

 そんな態度の男が、着丈の合わぬスケイルメイルをまとって、こんな酒場に来ているのだ。どう考えても、同業者ではなさそうだ。つまり、冒険者でもなければ、外道でもない。


 普段であれば腰も下ろしきらぬ内に殺しているところではあるが、バルゲルは男から、血と内臓の臭気を嗅ぎ取っていた。


「似合わねェー仮装だぜ。よくここまでたどり着けたな、えェー?」

「羊骨通りという呼び方は実に適切です。六歩に一人の割合で襲われましたよ」

「それで? 何人殺したんだよ、てめェーは」

「ここまで百二十歩ですから、計算上は二十人ですね。まとめて始末したので、正確な人数は分かりません」


 冗談めいた口調で、しかし、事実を述べているのだろう。自信たっぷりで、話し相手を威圧するような言い回しだ。バルゲルはイラついた。


「腹ァー割れよ。今すぐだ」


 この手の男に喋らせれば、あっという間に主導権を握られる。バルゲルは自分の要求を端的に伝えた。


「何人か殺していただきたいのですが、可能でしょうか」

「てめェーの雇い主が誰で、どれだけ金を積むか話せ」

「雇い主は……独立派の者です、とまで。金は一人につき200ルースタル」

「殺す相手は?」

「第四層の観光客を」


 バルゲルは、魔力の触媒たる人形の針を抜き差しした。考え事をしているときの、彼の癖である。

 独立派というのは、つまり、ルーストリア王国の支配を脱し、ティルトワースの自治権を取り戻そうとしている連中だろう。心当たりは、何人か。


(……だが、クソッタレのゲロカスのゴミ溜め野郎のディマ・フィッチじゃねェーな。アイツが暗殺にしたってオレたちを頼るとは思えねェー。で、観光客だァー? なんだって観光客なんざぶッ殺すんだ。アホらしい)


「いかがでしょうか」

「次に同じこと聞いたら殺すからな」


 スケイルメイルの男を黙らせ、バルゲルは考えた。どんな事情で、独立派のアホどもが観光客を殺したがっているのか。頬杖をつき、人形の針を抜き差ししながら、思案を巡らせる。


(観光客が、“侵略者”のルーストリア人だからかァー? いや、それならとっくにティルトワース中で同じ事が起きまくってるはずだ。独立派っつっても、全員そこまでイカれてるわけじゃねェー。考えろ。考えた分だけ、金をむしれる)

 

 やがて一つの線をたぐり寄せたバルゲルは、勢いよく人形に針を突き刺した。


(――ガッルギリス’の聖人認定か!)


 聖人認定はルーストリア国教によってされるものだ。ティルトワースの始祖たるガッルギリス’が、よりにもよって“侵略者”の宗教に取り込まれようとしている。独立派にとっては、そのように映るのだろう。


「キヒヒッ! なァーるほど、ガッルギリス’をてめェーらのものにしておきたいわけだ」


 バルゲルが下品な笑みを浮かべれば、スケイルメイルの男がわずか狼狽の表情を見せる。


「観光客が立て続けに不審死すれば、聖人認定も取り消される。そういう絵だろォー? オレの針魔法を知っていて、そんな薄汚ねェー絵を描く、独立派の金持ちと言えば……」

「それ以上の詮索は、お互いにとって良い結果をもたらしません」


 と言いながら、スケイルメイルの男の声は震えている。畳みかけるのであればここだとバルゲルは直感した。

「キヒヒッ! おいおい、なんだァー? オレたちに関するくだらねェー噂でも拾ってきたのかよ、えェ?」


 律儀に仮装までして、このような薄汚い酒場にやってくる男だ。だんびら兄弟のことも、律儀に下調べしているだろうとバルゲルは踏んだ。男の反応を見るに、どうやら正解だったらしい。


「あなたがたの暗殺者時代については、聞き及んでおります」


 見事なもんだ、とバルゲルは感心した。スケイルメイルの男は、声の震えをぴたりと止め、バルゲルをまっすぐ睨みつけたのである。

 そしてバルゲルは、このようないけすかない人間を徹底的にいたぶるのが趣味であった。


「キヒヒヒヒッ! 安心しろって! てめェーがなにを聞いたのかは知らねェーけどよ、半分ぐらいしか事実じゃねェーからさ! たとえば、てめェーをこの場でぶっ殺して、死体から情報を引き出したり、オレたちにできるのはその程度だ! そォーだろ、カッツ?」

「うん、そうだけど……」


 カッツは、きょとんとしながらも兄の言葉にうなずいてみせた。

 後ろ暗い暗殺者時代、だんびら兄弟は“死者の代弁者”と呼ばれる恐怖の対象であった。それがどこまで真実で、どこまでバルゲル特有のハッタリなのか、知る者はこの世にいない。


「一人頭600ルースタルだ。その代わり、完璧な仕事をしてやる」

「承知しました。依頼主にお伝えしましょう。ああ、そういえば観光客を引率するのは冒険者だそうですが、これはさして問題にならないでしょう。なんでも、銅鉄一家だとかいうちっぽけなクランの、女魔法使いだそうですが」


 内心、ガルバルは飛び上がらんばかりだった。最近では、銅鉄一家という単語を聞いただけで動悸とめまいがする。


「引率の魔法使いと戦闘になったら、特別報酬をよこしてくれるんだろォーなァー、えェ?」


 ガルバルは冷静さを保ち、それどころか更にふっかけた。スケイルメイルの男は立ち上がった。


「そうならないための、あなたの魔法でしょう。では、これで」

「前金で1000」


 去って行く男の背中に向かって、バルゲルはますますふっかけた。


「明日、口座をご確認ください」


 振り向きもせず告げる言葉に、はっきりと苛立ちが滲んでいる。バルゲルは下品な笑みを浮かべた。鼻持ちならない奴をいたぶるのは彼の趣味だ。


「お兄ちゃん、どうするの」


 事の成り行きを黙って聞いていたカッツが、おずおずと口を開いた。


「あァー? なにがだよ!」

「粘菌術師の仲間も、殺すの?」

「……あ、当たり前だろォーが! ナメられてたまるか!」

「でも、そんなことしたら、粘菌術師が……」

「カッツ、カッツゥー! ビビってんじゃねェーぞ! それでもオレの弟か!」


 椅子の上に立ち上がったバルゲルは、カッツの頬を両手で挟み、額を額に押し当てた。


「いいか! オレたちは気に食わない連中を全員ぶっ殺してきたし、これからもぶっ殺す! それがだんびら兄弟だろォーが! 分かれよそれを!」


 兄が語ってみせる、頼もしい言葉である。たちまちカッツの身中に勇気がみなぎった。


「うん! 殺すよ、お兄ちゃん! ぼくもぶっ殺す!」

「そォーだ、カッツ! あのケモノ女をメチャクチャに犯しまくって、ぶっ殺して、再び犯しまくる! 粘菌術師もだ!」

「メチャクチャに犯して、ぶっ殺して、再び犯しまくる!」

「てめェーの棍棒を粘菌術師の頭とケツにぶち込んでやれ、カッツ!」

「ぶちこんでやる!」

 

 だんびら兄弟は、野獣のように咆哮した。

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