ガッルギリス’の石切場①
全てのティルトワース人にとって、刳岩宮の第四層は特別な意味を持つ。なぜなら第四層こそ、かの『ガッルギリス’の石切場』だからだ。
偉大なるドワーフ、ガッルギリス’が第四層に見いだしたのは、最高級の凝灰岩であった。この凝灰岩は軽く、加工しやすく、魔力がたっぷり詰まっている。
建築用として、あるいは魔法の触媒として、あるいは高い魔法耐性を誇る盾の素材として。どんな用途であれ、刳岩宮印の凝灰岩は顧客を満足させた。
この凝灰岩なくば、ティルトワースは今以て誰も顧みぬ土地であったろう。
では、その第四層が今、どのように扱われているのかといえば――
第四話 ガッルギリス’の石切場
「はい、じゅ、順路に沿ってお歩きください。お足元、お気を付けくださいね」
声を張り上げるのは、冒険者クラン“銅鉄一家”のパーティメンバー、メイである。魔法灯火がおぼつかない光を投げかける暗闇にあって、猫科の獣人たる彼女のタペータムは、ガラス玉に閉じ込めた陽光のごとく輝いている。
彼女に引き続き、二列になって坂道を下る集団あり。
「ははあ、これがガッルギリス’の石切場ですか。いやはや、たいしたものですなあ!」
闇のわだかまる高い天井と、佇立する柱の大きさに目を回すのは、ルーストリア本国の資産家だ。
「ドワーフが手仕事でここまで為したというのは、まったく感服の至りだ」
頷くのもまた、ルーストリア本国の資産家。
「こ、この柱はですね、これ、この、し、縞模様、なんですけど」
メイが柱に手を這わせた。大人二十人が手をつないでも囲いきれぬほどの直径がある。そんなものが、石切場のあちらこちらに突き出しているのだ。
「が、岩石の質がよくないと、こんな縞模様が出るんです。だからガッルギリス’たちは、その周辺の岩を掘っていったんです。柱ではありますが、あ、余り物、っていう、ことなんです」
「ははあ! そうすると、もともとはこの天井から床まで、岩の塊であったと! これはこれは!」
どよめく資産家たちは、果たして何を目的に刳岩宮第四層に? 答えは簡単だ。彼らは観光客である。
このときルーストリア王国にあって観光といえば即ち、資産家達の免罪旅行であった。
聖人の舎利や聖なる遺物の内いくつかは、ルーストリア国教において免罪対象として認定されている。免罪は厳然たるポイント制であり、ルーストリア国民は溜めたポイントの多寡によって死後の安らかさが決まると考えていた。
刳岩宮を観光資源として活かそうとの試みは、ティルトワース郡長官、雪山ニコの発案である。順路の整備や魔法灯火など安全性を高める施策によって、第四層は大きく生まれ変わった。今や第四層は、かつて掘られていた凝灰岩よりも遙かに多くの経済効果をティルトワースにもたらしている。
さても、急成長中の刳岩宮第四層観光ツアーである。人手不足の折、冒険者ギルドにはツアーインストラクターの依頼がひきも切らない。
ギルドでクエストを見つけたメイは、ただちに受注したのであった。
「み、右手をご覧ください。地下水脈です。偉大なるガッルギリス’は、掘削中に地下水脈に落ち、それきり、す、姿を消したと言われております。み、みなさまも免罪対象にならないよう、くれぐれもお気を付けくださいね」
柵の向こう側、暗黒の底には、どうどうと音を立てる水の流れがある。メイが口にしたのは、マニュアル通りの小粋な冗談。資産家達は穏やかな笑みを浮かべた。
「こ、この地下水脈は洞窟のあちこちに張り巡らされています。ほら、そこの壁からも水が染み出し……」
メイは言葉を切った。壁から染み出す水の傍ら、腰を下ろしている人影に、見覚えがあったからだ。
「こ、こほん。失礼しました。彼は手練れの冒険者、かも……です。くれぐれも、み、水が染み出している場所には近づかないようにお願いします」
見覚えのある人影は、“粘菌術師”吉良ハガネのものに他ならない。床に溜まった砂利を拾い上げて、ガラス瓶に詰めているのだ。
メイはただちに割り切った。自分には想像もつかないような、なんらかの調査の一環なのだろう。銅鉄一家のメンバー、否、ティルトワース郡全部を見回して、メイほどハガネの生き様を諦めている者はいない。
(ああ、わたし、こういう仕事向いてるなあ)
ツアー客を先導し、次々に飛んでくる質問をさばきながら、メイはしみじみと思った。
プライドの高い冒険者たちは、このような仕事を敬遠するきらいがある。曰く、略奪と勲こそが冒険者の誉れである、と。しかしながらメイは、そのような矜持を持ち合わせていない。
「こ、ここは、教会の跡地です。ガッルギリス’たちは、レディア・リオを信じていました。レディア・リオは土と命を司る女神です」
「おお、知っておりますぞ! この教会、最近になって一般公開されたのでしょう!」
と、ツアー客の一人が知識をひけらかす。メイはにっこりとほほえんだ。
「よ、よく、ご存じでいらっしゃいますね。そうです。最近になって、がれきを片付け、壁に魔法の灯火を、とも、し……」
メイは再び言葉を切った。青白く燃えて教会跡を照らす魔法灯火のすぐ脇に、人影があった。壁に対して垂直に立ち、灯火の周りをうろうろしている。
吉良ハガネである。
「あれ? さっきのヒトじゃない?」
と、ツアー客の一人がハガネを指さした。
「か、彼は、その、て、手練れの冒険者、かも……です。みなさまはくれぐれも、壁に対して垂直に立ったりしないよう、お願いします」
しゃがみこんだハガネは、魔法灯火の周りの壁をナイフで削りはじめた。そろそろメイは頭を抱えたくなってきた。
「さ、さて! 先に進みましょう! いよいよ、ガッルギリス’の石切場の最深部です!」
「おお、知っておりますぞ! アレですな!」
と、ツアー客の一人が知識をひけらかす。メイはにっこりと微笑んだ。
「は、はい! あれです」
ガッルギリス’はドワーフの基準において、決して強欲ではなかったと言い伝えられている。それどころか、ティルトワースには『ガッルギリス’の分け前』と呼ばれる習慣が存在する。これは気が利く居酒屋で見られるサービスの一環だ。タンブラーに酒を注ぐ際、下に敷いた升までこぼしてやるのだ。
つまりガッルギリス’は、実に気前の良いドワーフだった。得られた資産を決してため込まず、きれいさっぱり分配したのである。
そんな逸話を持つガッルギリス’にしても、既得権益を守る為の武力は保持していた。
「こ、こちらこそ、ガッルギリス’のゴーレムです」
ああ、君は見たか! 青白い魔法灯火に照らし上げられているのは、身の丈五メートルにも及ぶ巨大な石人形! これぞドワーフの神秘的な自律兵器、ゴーレムである!
ツアー客たちはどよめき、息を呑んだ。四角い顔や巨大な四肢の全てが方形の石で組み上げられているのだ。舌を巻くべき精緻な技術!
「だ、大丈夫なんですか? そのう、急に動き出したりは?」
不安に駆られたツアー客が、おずおずと問いかける。
「おお、知っておりますぞ! このゴーレムは、石切場が大軍に攻められた時、起動するのです!」
と、メイに先回りして、ツアー客の一人が知識をひけらかした。
「は、はい、そのように言い伝えられています。ですが、実際のところは、はっきりと分かっていません。い、言い伝えを信じて、石切場に、千人のヒトを集めたことがあるそうですが、ゴーレムは動きませんでした」
「ほう! 千人でもダメとは!」
「で、ですから、ガッルギリス’のこけおどしなのでは、と、言われています。現に、よくご覧ください。こ、このゴーレムには、縞模様の石が使われています」
「ははあ、なるほど。余った石材で、ゴーレムっぽい像を作って置いたわけですな。侵入者も、たしかにこれを見ては逃げ帰るでしょう」
メイはにっこりとほほえんだ。
「で、ですから、この像はゴーレムではなく、ガーゴイルと呼ぶべきですね」
マニュアル通りのジョークは、ツアーの最後に、きっちり笑いを取った。
あとはツアー客を三層で待つコンダクターに引き渡し、仕事は終了だ。メイは気を緩ませた。それがいけなかった。
ゴーレムの頭から、覚えのある人物が顔を突き出した。そして、ナイフでゴーレムの頭を削りはじめたのである。
「は、ハガネくん!?」
メイは思わずいつも通りに叫んでから、ついに頭を抱えた。
「さっきの、というか、さっきから頻繁にお見かけする、手練れの冒険者ですなあ。お知り合いですか?」
と、ツアー客。
「ううう……あ、あの、くれぐれも、くれぐれも! くれぐれも、ゴーレムには近寄らないように、お願いします!」
頭を抱えたまま、メイは泣きべそで叫んだ。半分以上はハガネに対する呼びかけだった。
ハガネと付き合っていると、こんなやり方があるとは今まで夢にも思っていなかったような方法で、吹っ飛ばされたり引きずり回されたりするのだ。
「あ、あの、ハガネくん。四層で、なにをしていたんですか?」
その日の暮れ、かさご屋のテラス席に顔を出したメイは、開口一番そう訊ねた。
「環境アセスだ」
わけの分からないことを言われて、メイは立ち尽くした。ハガネはすいかのワインをゆったりと飲み干した。必要なことは全て説明したと言わんばかりの態度だった。
「オイオイオイオイ! だから、分かるように言えって!」
声を張り上げるのは、銅鉄一家のパーティリーダー、ディランである。
「まあ座れよ、メイ。今日は疲れたろ? なんか呑むか?」
「あ、は、はい。ええと、果汁入りのミードで」
ディランに促され、腰掛ける。慣れない仕事の疲れが、どっと襲ってきた。そんなメイの肩に手を回して引き寄せるのは、エルフの魔法剣士、ティレットだ。
「あ、ありがと、ティレットちゃん」
「別に」
ティレットの肩に頭を預け、メイは長い息を吐く。ティレットは、メイの肩をあやすようなリズムでぽんぽんと叩いた。
「で? その、なんかアセ……なんかってのは、なんなんだよ」
「環境影響評価だよ。ニコのクエストを受注したんだ」
と、ハガネがますます分からぬ物言いをする。
「ちょ、長官から?」
ニコと言えば、ティルトワース郡長官、雪山ニコのことだろう。
では、時間を三日前に、場所をレディア・リオ宮郡長官執務室に移し、ニコとハガネの会話を覗き見てみよう。
なぜなにティルトワース
昨今の観光業界事情
免罪はポイント制である。そしてポイント制であれば、どこでどんな免罪対象に触れても同じことだ。故に観光地は、付加価値や差別化を打ち出すことで集客を試みる。
多くの観光地が、ご当地の聖人にあやかった郷土菓子や、温泉やコンパニオンなどのオプション付きツアーなどでパイを奪い合っている。観光産業はルーストリアの経済発展と中産階級の所得増につれ、今後ますます伸張していくと考えられている。ティルトワース郡は、郡民から吸い上げた税金の多くを観光産業に投資している。




