迷宮の外来種⑦
迷宮川では今日も今日とて、魔物とも生き物ともつかぬちっぽけな魚が、切り裂かれ、貫かれ、爆発四散していた。
ましてディマ・フィッチが視察に来るというのだから、愛国精神の発露たる外来種駆逐活動にも、いっそう熱が入ろうというものだ。
一流冒険者クラン、竜冠組のフルメンバーを侍らせ、フィッチ議員はマーマンが死んでいく様を満足げに眺めている。政敵たる吉良議員との危うい駆け引きに勝利した彼は、なんの憂いもなく虐殺の現場に立ち会っていた。
「見たまえ。素晴らしい光景だ。ウンディーネの恵みたる迷宮川が、冒険者の手によって浄化されていく」
リカトルは、ソウルが仏頂面を隠そうともせず腕組みしているのに、咎めるような視線をわずか送った。
「愛国者たちに激励の言葉を贈りたいのだが、リカトル」
「励みになりましょう。ドバエル、ガルバル、悪いがフィッチ議員に」
オーガとドワーフが頷き、先に歩き出したフィッチ議員を追う。
金のために動いていた冒険者たちも、これこそが愛国的行為であり正義なのだと繰り返し吹き込まれれば、そういうものかと思いはじめる。正しいことをしていると考えるのは、非常に心地いいからだ。
今回の視察はフィッチ議員にとり、だめ押しの一手だった。冒険者たちの行為の正当性を議員自ら語ってみせれば、彼らの目的は卑しき金から気高き正義に移る。そして多くの場合、気高き正義の志にとって、金はかえって邪魔ものだ。
つまりフィッチ議員がこれ以上私財を注ぎこまずとも、ティルトワース人は自主的にマーマン狩りを続けていくことになるだろう。これはフィッチ議員の財布にとっても、正義に目覚めたウンディーネ信者にとっても幸福なことだ。
「ソウル、そんな顔をしないでくれ。君には似合わないよ」
「サイッテー」
ソウルは仏頂面に磨きをかけながら、吐き捨てるように言った。
「なんなのコレ? こんなの間違ってるわよ。あたし、こんなことのために冒険者になったんじゃないから」
「仕事さ。仕事なんだよ、ソウル」
「フン」
ソウルの肩に回そうとした手を跳ね除けられたリカトルは、しょんぼりとして首を横に振った。
「リカトルが教えてくれたんじゃない。粘菌術師の言ってることはすごいんだって」
「吉良議員は素晴らしい人間だよ。学があって、高潔だ。おまけに、オレに対して含むところを見せなかった。だけど、吉良議員がオレたちの生活を保障してくれるわけじゃない。そうだろ?」
身も蓋もない正論を相手にしてしまえば、ため息をつく他ない。
ましてリカトルは、決して他者を言いくるめるために正論を用いるような男ではない。常に誠実で、いつも真摯で、だからこそ時に窮屈なのだ。
「冒険者諸君! 君達の愛国的精神の発露が迷宮川に劇的で素晴らしい変化をもたらしていることを、私は誇りに思う!」
フィッチ議員が、冒険者たちに向けて熱弁を振るいはじめる。
「山嶺に積もる処女雪を溶かした水であろうと、泥のひとつまみで汚水となろう。どこの誰とも知れぬ者が、我々の迷宮川に一滴の汚泥を落としたのだ! この迷宮川こそは、往古よりティルトワースの民を活かし、守ってきたウンディーネの地! 諸君がその意義を今一度受け止め、こうして正義を為していることに、私はただ、感動を覚える!」
「お金ばらまいたくせに。迷宮川のことなんて、それまでだれも気にしてなかったじゃない」
「ソウル」
リカトルがなだめるように名を呼べば、ますます不機嫌な表情になっていくソウルであった。
「さあ、愛国的な活動を続けてくれ! ウンディーネの裁きは君たちが下す! 全ての穢れを取りのぞ――」
だしぬけに、はるか上流から遠き下流めがけ、突風が吹き抜けた。
吹きおろしの、ひどく乾いた風である。
少々勘の良い冒険者は、わけ知らず、嫌な予感をおぼえた。まずまず優れた冒険者は、突風にごくごくわずかな魔力の痕跡を感じた。
では、一流の冒険者は、なにを感じたか。
「なに……いまの……」
ソウルが言葉を失っているのは、彼女が一流の魔法使いだからである。
魔法の感じ方は、絵画を見る目に喩えられよう。
描かれたものをただ眺める者がいる。作家の名や価格に意味を見出すものがいる。一方で、その精緻極まる技術と折り込まれた暗喩や物語に、心震わせる者がいる。
ソウルは、気ままに吹き抜けただけと見えるその突風に、しばし放心するほどの衝撃を受けた。
膨大な魔力が、巧妙な操作と圧倒的な創造力で、風の姿を取っているのだ。空気を動かし風を作り出すのではなく、魔力そのものを風と為している。
そんな技術に現実的な価値が有るのか問われれば、答えは否であろう。魔力の塊で少し煽ってやれば、風は吹くのだから。だがそれは、風景画を一瞥し、実際の風景を見た方が美しいと語るようなものである。払うべき敬意と、感じ取るべき技術への冒涜ではなかろうか?
「お、おい! 上だ! 上を見ろ!」
冒険者のひとりが指差す上空。
ひとりの女性が、ティルトワース人を見下ろしていた。
身体の線を浮き上がらせる、薄手のヒマティオン。
右手には水瓶を、左手には剣を。
風に流れる銀髪は、さながら大河のはじまりに在る、一筋の流れ。
「ウンディーネ……」
だれかが、思わず口走った。
見間違えようもなく、水瓶と剣と美貌を携えた女神の姿であった。
ウンディーネが、わずかに口をひらいた。憂い顔でなにを呟いたものか、地面にへばりつくティルトワース人のところまで、その声は届かない。
憂い顔のウンディーネは、こんなことを口にしていたのだ。
「……………おなかいたい」
然り。遥か高みにて人々を見下ろすのは、ティルトワース長官、雪山ニコその人であった。
無論のこと、憂い顔は身をよじるような腹痛ゆえのものである。
メイが魔法によって生み出したガラス板の上に、ニコは立っている。ヒマティオンはハガネからの借り物だ。水瓶はディランがどこからともなく拾ってきたもので、携える剣はティレットの愛刀、つばくろ丸。市場で買ってきたダークエルフの髪をかつらに仕立てたのは、かさご屋の女主人、オステリアである。
どこまでも手弁当の努力によって、ニコはウンディーネに化けていた。
そしてニコは、八歳の頃からずっと過敏性大腸症候群だった。
「こ、このヒマティオン、巻き方がおかしいぞ。胸のところがゆるすぎる。こぼれたらどうしよう……なんでわたしは見栄を張って、ヒマティオンを自分で着たんだ。着つけてもらえばよかった……ううう、知らないことを知らないといえる大人になりたい……」
呟きは眼下の民に届かない。
「ウンディーネ様! 何ゆえ御身がこちらに!」
ウンディーネの信者が声を張り上げ、ニコはまるで聞いていない。ヒマティオンが今にもずれ落ちそうなのだ。
「ううう、向いてない……女神むいてない……レモンケーキになりたい」
ニコは、髪をひとたば掴んで、思う存分毛先をしゃぐしゃぐ噛みしめたい衝動と闘った。
フィッチ議員の視察に合わせ、ウンディーネが降臨する。そんな絵図を引いたのが、ニコである。
しかしながら自らウンディーネに扮し、おまけに右の胸がこぼれつつあるような状況に投げこまれるなど、想像もしなかった。
「はやくしてくれ、ハガネ……このままでは胸がこぼれてしまう。右の先っちょだけ引っ込み思案なことがバレてしまう……そうなったらわたしは確実に死ぬぞ。なるべく苦しまないで済む方法で死んでやるからな」
窮地に追い込まれるなり、自らを人質に取る。これこそ雪山ニコという人間だった。
「ね、ねえねえリカトル。あれって……長官じゃない?」
ソウルがリカトルの服の裾をひっぱった。
リカトルは口をぽかんと開けて、ウンディーネを見上げている。
「リカトルってば!」
怒鳴られ、はっと我にかえったリカトルの、口元。
じわじわと、笑みが浮かぶ。
「そうか、吉良議員。君は……君はまったく……なんてすごいことを思いつくんだ、ハガネ!」
「ちょ、ちょっと、リカトル! どうしたのよ!」
「すまない、ソウル。君にひとつ謝らなければならないことができた」
「えっ、ちょ、急になんなのよ! もうわけわかんないんだけど!」
リカトルは、真剣なまなざしでソウルを見据えた。
「もしオレがこれからすることで、フィッチ議員からお役御免を言い渡されたとして……それでも、君だけはオレと一緒にいてくれるかい?」
ソウルは無言で、リカトルの瞳を見つめた。
リカトルは、決して他者を操るために愛をささやくような男ではない。常に誠実で、いつも真摯で、だからこそ、ソウルはその言葉にうなずいた。
「……バカ。当たり前のことなんて言いたくないわよ」
とんがり帽子を深くかぶり、まっかになった顔を隠しながらではあったけれど。
「ありがとう、ソウル。さあハガネ、思う存分やってくれ。オレは君の味方だ!」
リカトルの言葉に応えるような動作で、ウンディーネが、剣を掲げた。
たちまち、先ほどよりも凄まじい風が吹き荒れて、河岸の冒険者を薙ぎ払った。
「う、ウンディーネ様! 何故です! どうして御身は、そのような仕打ちをなさるのですか!」
吹き飛ばされたウンディーネの信者が、地に伏しながら絶叫する。
上空のウンディーネが、あまりにも美しい憂い顔のまま口を開くが、やはり声は地上まで届かない。
「おなかいたい……乳酸菌がほしい……」
うめきながら、ニコは水瓶をかかげた。
「じょ、上流からうわあああああああ!」
ああ、君は見たか! 山ほどもある巨大な水の塊が、膨れ上がりながら冒険者に迫り来るその様! 絶望的な混乱状況の中、水塊がマーマンの形を採っていることに気付く冒険者はごく僅か!
「ウンディーネ様! お怒りなのですね! 我らの行いに檄しておられるのですね! お答え下さい! どうか、ウンディーネ様あああああ!」
「あああだめだ、もうだめだ、あとちょっとで胸がこぼれて右だけ引っ込み思案なことがばれて死ぬ」
マーマン水塊が冒険者たちを一呑みにする! 塵芥のように渦を巻く冒険者たちを体内に抱えたまま垂直上昇! ウンディーネの下へと虐殺者たちを輸送する!
二陣の突風、そして水塊! 膨大な魔力を繊細に操作して思い通りの光景を描き出す、これこそ吉良ハガネの魔法に他ならない!
マーマン水塊の中で渦巻く激流に翻弄されながらも、敬虔なウンディーネ信徒たちは目に焼き付けた。人類そのものに絶望したかのようなウンディーネの表情と、ほんの一瞬だけわずかに見えた、引っ込み思案な右の先端を。
とっさに水瓶で隠されたが、はっきりと引っ込み思案であった。
(いや、いや、そうではない。これこそウンディーネ様の試練に他ならぬ。決して見えぬものを、見たと思う方が、心地よかったのだ。ありもせぬ正義のようなものを信じた方が、心地よかったのだ。そのように邪な感情をこそ、ウンディーネ様はお怒りになられている。ああ、私はここで潔く死のう。それでなんの償いになるかなど、分かりはせぬが)
だが死の直前、信徒たちは水流から解き放たれ、宙に浮いたままウンディーネと向き合うことになった。
「お、お慈悲を……お慈悲を下さるのですか、われわれに……」
憂い顔のウンディーネは、水瓶で胸を隠し、なにも答えない。だが信徒たちにとっては、それこそ明白な回答であった。信徒たちは畏怖の念に打たれ、ぼろぼろと涙をこぼした。
「心より理解しております、ウンディーネ様! 我々は二度と、ありもせぬものを見たりはしませぬ! 御身のお体の秘されたるところを、見通そうなどとは決して思いませぬ!」
ウンディーネの表情は変わらないが、これは当然だった。右の先端を見られたショックで失神しているからだ。
泣きじゃくりながらウンディーネに祈りを捧げる冒険者たちが、ゆっくりと下降していく。着地するなり、彼らはウンディーネに五体投地を捧げ始めた。
「げほっ、げほっ……くそっ、やってくれたな、あの男め……!」
だが一人だけ、憤然と立ち上がる者がいる。フィッチだ。
彼もまた、突風に薙ぎ倒され、水塊に呑みこまれ、ドラム式洗濯機に放り込まれたタオルのように揉み洗いされていた。
「リカトル! おい、リカトル! 何をしている! この茶番をすぐに終わらせろ!」
ずぶ濡れの恰好でウンディーネを指差し、怒鳴り散らす。鬼気迫る勢いであった。ソウルは思わず怯えを感じ、横のリカトルを見上げる。
リカトルは答えを返すかわりにソウルの腰を親しげに叩くと、さも動転したかのような表情で、フィッチの下に駆け参じた。
「フィッチ議員! 分からないのですか、ウンディーネです! ウンディーネがお怒りなのですよ!」
とびきり哀れっぽく間抜けな声で、リカトルが叫んだ。
「こっ、この、田舎エルフが……誰が糸を引いているのか、どんな愚物とて分かりそうなものだろう! 今すぐ見つけ出して血祭りにあげろ! このような侮辱を許しておけるか!」
「しかし、ウンディーネがお怒りなのです!」
半狂乱の体で、リカトルはフィッチにすがりついた。怒りにまかせて振りほどこうとするフィッチだが、冒険者の膂力には決して勝てぬ。
「どういうつもりだ、田舎エルフ! カラザスではこの程度の奇跡で」
「それ以上は何も仰るな、ディマ・フィッチ」
押し殺した低音で、リカトルが囁いた。声に含まれたぞっとするような冷たさで、フィッチは息を呑む。
だが、ディマ・フィッチとてフィッチ家の当代である。ただちに冷静さを取り戻し、目線を動かして周囲を見た。彼に向けられているのは、文字通りの洗礼によって敬虔さをおおいに高めた信徒たちの、鋭い疑惑の視線だった。
ここで吉良ハガネの名を出し、この一幕が世にも馬鹿げた滑稽劇だと熱弁したところで、誰が信じようか。冒険者たちにとり、頭上に浮かんでいるのは間違いなくウンディーネなのだ。どこの誰とも分からぬ女を、みな、ウンディーネと信じているのだ。
そしてそのウンディーネが、マーマン狩りに興じる人々に裁きを下したのである。それこそが端的な事実であった。
「……リカトル」
「はい、フィッチ議員」
フィッチが囁けば、リカトルも、周囲に聞こえぬ小声で応答する。
「今しがた君に向けた侮辱は撤回する。私は君を侮っていたようだ」
「オレこそ、あなたの聡明さを一時でも疑ってしまいました」
「吉良議員に惚れたか」
「恥ずかしながら」
「私とて、立場が君と同じであれば、そうであったろう。決して許しはしないがな」
「退きましょう。今回はオレたちの負けです」
頷いたフィッチは、リカトルに説き伏せられたとでも言うように、おずおずと、ウンディーネを見上げた。
「やるではないか、吉良議員。だが、次はこうは行かんぞ」
口の中でつぶやき、土に身を投げ出す様は、潔い。
その場の誰もが、失神するニコに、否、ウンディーネに、いつまでも祈りを捧げつづけた。
刳岩宮第三層では、茫漠たる曠野を一本の大河が貫く。これまでとくに名前はついておらず、誰もが単に迷宮川と呼んでいた。
今では、マーマン川と呼ばれている。
大河にその名を冠するマーマンは、ちっぽけな魔物であった。
魚に手足が生えていて、ヒレがちょっと鋭い? よかろう、それで? 魔法は? 毒は? 呪いは? なにかこちらが即死する要素は?
となれば、なんとも言えず不気味な姿態を見れば、たしかに魔物と言っていいだろう。だが、魔物と普通の生き物の境界線を、受け手の気分次第でふらふらする、まことにどうでもよい存在であった。
「ま、ま、ま、マーベラス! 大変だディラン! 大変だぞ!」
「今度はなんだよ」
「聞いてくれ、ディラン! マーベラス!」
「だから、聞くって。どうしたんだよ」
「この、これ、このっ……皮膚のこのっ! マーベラス! マーマンは間違いなく、皮膚の斑紋のパターンを変化させることによってコミュニケーションを取っている!」
「えっえっなに? どのどれがなに?」
「だから、ああもう、聞いてくれと言っているだろう、ディラン! マーベラス! マーベラス!」
「聞くつもりはあるんだよ、俺も。本当に」
河岸ではしゃぐハガネとディランを、太鼓橋から見下ろすのが、メイとティレットである。
「……バカふたり」
「で、でも、たのしそう、かも」
太鼓橋は、フィッチが私財を投じて建設したものだ。繁殖期のマーマンをいたずらに刺激せぬように、との配慮である。ウンディーネ信徒は、フィッチの献身的な行いにひどく感激した。
たしかにフィッチ議員は、途方もない数のマーマンをなぶり殺しにした。しかしながら、その行いこそが信徒の目を開かせたのだ。ウンディーネ顕現の奇跡に立ち会った冒険者で、フィッチを悪く言う者はひとりもいない。
つまるところ、フィッチの地位はいささかも揺らがなかった。のみならず、信奉者は増える一方だ。いずれ史上最年少で十頭会の一員に選出されるだろうと、ティルトワース評議会ではもっぱらの噂である。
しかしながら、ハガネにとってそんなことはまるっきりどうでもよかった。
フィッチ議員に政敵と見なされたことも、いつの間にかマーマンが『ウンディーネの子』と呼ばれていることも、知らぬところで一流冒険者に尊崇の念を抱かれたことも、まるっきりどうでもよかった。
「見てくれ! ほら、斑紋が変わるだろう? 少なくとも数十パターンは観測できるぞ! 真マーマンとウーガルーマーマンに共通するパターンも見られるんだ! マーベラス!」
「分かってやりたい気持ちはあるんだけどなあ」
今の彼にとって重要なのは、一刻もはやく、マーマンのコミュニケーションに関する論文を書き上げることだったのだから。
第三話『迷宮の外来種』おしまい。




