迷宮の外来種⑥
「なんか……なんだかなあ。なんとかなんないかなあ」
夜のティルトワース湾を見下ろすテラス席で、頭をかくのはディランである。
ディラン、メイ、ティレットは、かさご屋のテラス席に陣取っていた。迷宮に潜る気にもならず、だらだらと時間を費やしている。
「は、ハガネくんのこと、ですか?」
ディランは椅子に深くもたれて、星空を見上げた。
「なんていうかさあ。あいつでも落ち込むことあるんだなって思っちゃって。なんか、こう、なんとかしてやりたいよなあ」
「無意味。相手は大貴族」
「分かってるよ。でもティレットだって、割り切ってるわけじゃないだろ」
返事をしないティレットの、憤りと悔しさに満ちた表情が答えである。
「バカ相手には、怒るべき。理解を求めるのは、無駄」
「ハガネくんは、や、やさしいから」
「優しいというか、その、なんだ。あいつは人の心が理解できんのだ」
「そう、そこだよな。自分がそうだから、理詰めで話せば通じると思ってるんだ。それが、見てて気の毒なんだよ」
「分かるぞ。私もときどき、ハガネを見ていると、その、なんだ。こう、胸がぎゅっとなって、撫でたりしたくなるからな。決してやましいやつではないぞ。そんな度胸は私には無いからな。もっとこう、なんというか、その、あれだ。動物的なあれだ」
「いや、撫でるのは別に……って、あれえ!?」
ディランが、すっとんきょうな声を夜空に放った。
いつの間にかテーブルに座っているのは、ブレザーとプリーツスカートに身を包んだ女性である。そして、ティルトワースでブレザーとプリーツスカートに身を包んだ女性は、一人しかいない。
ティルトワース郡長官、雪山ニコその人が、炒ったくるみをつまんでいた。
「うわ、ちょ、長官!? ええ? なんでえ?」
「出た」
ティレットが不快感をあらわにつぶやいた。
「あー、その、なんだ。ハガネがその、暗殺者を差し向けられたそうだな。それで、なんだ、相手はハガネだし、身を案じたわけではないのだが……親しい君たちに、話を聞きにきた」
「早耳」
深層の魔物を見るような目で、ティレットがニコを見た。
「ど、どうして、知ってるんですか?」
「魔法だよ。これのせいで、私はこんな、その、郡長官みたいなものをやらされている」
ニコはブレザーのポケットからスマートフォンを取り出し、机の上に投げ出した。
ティルトワース人にとっては、未知の金属を未知のやり方で製錬した、未知の小箱としか映らない。だが、尋常ならざる魔力の産物であることは、一見して理解できた。
「この世界に来たとき、私の手元にあったのが、これだ。“ニコニュース”というキュレーション型のニュースアプリが入っている。私が興味を持った事柄を、ニコニュースは配信してくれる。つまり私は、今ティルトワースで起きていることを、だいたい把握できる」
言っていることのほぼ全てを、ティルトワース人である冒険者たちは理解できない。それがどれほど恐ろしい魔法なのかを、肌で感じるだけだ。
ニコとて、平坦な道を歩んできたわけではない。ニコニュースに流れ込んでくる雑多な情報を整理し、分類し、活かしてきたからこそ、今の立場がある。
彼女が単なる愚物であれば、異世界に迷い込んだ最初の夜、
『灰流川周辺でヤブコギトカゲの産卵相次ぐ――近隣住民に不安の声』
というニュースを見落とし、不安の声を挙げる近隣住民ともどもヤブコギトカゲのエサになっていただろう。
ひきこもっていた頃、まとめサイトやニュースサイトの閲覧、そしてキュレーション型ニュースアプリの“調教”にぞっとするほどの時間を費やしたからこそ、ニコの今があるのだ。
「さて、その、なんだ。ハガネとディマ・フィッチが、あれだ、ややこしい関係になっているようだが、私はそれを好ましく思わない」
ディランの顔が明るくなった。
「そうか! 長官様はハガネの味方か! そりゃあ良い、希望が見えたぞ!」
単純な男である。その明るさが、どれだけ多くの人に笑顔をもたらしたか、数えきれまい。しかし今回は別のようだった。
「私だって、そう思いたい。だが、あー、ほら、その、なんだ。私は長官だからな……ううう、向いてない……おなかいたい……」
「話を進めて」
おなかを抑えて背中を丸めたニコに対して、ティレットは辛辣だ。
「てぃ、ティレット! 長官様……かも」
いさめようとして、戸惑うメイ。青ざめた半べそ顔はいかにも弱弱しく、栄光あるティルトワース郡長官の立場にそぐわない。
「つ、つまりだな。フィッチが目を付けたのが、ちょっとした者であれば問題ないんだ。彼はたしかに狂信的だが、おおむね温厚だ」
「はあ? どっちだよ」
「し、侵略者は、ゆるさないけど、ティルトワース人には、やさしいってこと……かも」
「そのフィッチが、毒と暗殺者を用いた。おまけに相手はピンピンしている。今回、ハガネは身を引き、ウーガルーマーマンを見捨てる道を選んだかもしれない。だが、ハガネがどうしても許せないと思ってしまえば、どうなる」
銅鉄一家の面々は、そのことを想像した。奇しくも、ディマ・フィッチのものと同じ問いであった。そして彼らは、楽観的な想像を許されなかった。
「さっき私はハガネのことを、動物と言ったな。動物は動物でも、ハガネは、ドラゴンみたいなものだ。今は、私たちに寄り添おうとしてくれている。理解しようと、努力してくれている。そうだろう」
うなずくディランに去来するのは、マーマン狩りに興じる冒険者に背を向け、迷宮を後にしたハガネの姿である。なぜ哀れみを感じたのか、今こそディランは、理解できたと思えた。
「そっか……檻に閉じ込められたドラゴンみたいに見えたのかもな」
力と翼を持ちながらも、揮うことを許されず、自ら許さず、狭い檻の中で身を丸めている。その姿が、哀れだったのだ。
「ドラゴンが怒りにまかせて暴れる姿を、見たくはない。檻の中にいるよりも、ずっと哀しいことだからな。だからといって私の立場で、ハガネに肩入れをするわけにもいかない。したところで、たいした意味もないが」
「だから、『私だって、そう思いたい』」
ティレットの要約はあまりにも端的だったが、ニコはうなずいた。
「それで、長官様はどうするつもりなんだよ。言ってることが俺にはよく分からん」
「私はハガネの味方ではない。だが、君たちがハガネの味方をするつもりであれば、知恵は貸せる。そのつもりがあるならば」
「当たり前だろ。ハガネは銅鉄一家のパーティメンバーだ」
てらいもなくそう答えるのが、ディランという男であった。
「それを聞けてよかったよ」
不意にニコが、やや邪悪な笑みを浮かべた。誰がどう見ても、間違いなく悪だくみをしている顔だった。
「まあ、その、なんだ。君たちに、諜報活動の重要さを教えてやろう」
ニコはスマートフォンのホームボタンを押して、アプリを立ち上げた。
「いける。いけるぜ、これなら!」
ニコから『作戦』の全容を聞かされたディランが、興奮して立ち上がる。
「……怪しい」
ティレットは懐疑的だが、この判断には恐らく、ニコに対する感情が多分に含まれていた。
「で、でも、他にできることなんて、ない、かも」
メイがそう言えば、それが銅鉄一家の総意であった。
「まあ、その、なんだ、問題は一点だな。この作戦には、ウンディーネの存在が欠かせない。が、そもそもウンディーネがいるのかどうかが分からんし、いたとして話を聞いてくれるか、あまりにも不確定だ。だから、その、なんだ、代役を立てる必要がある。とびきり美しい女神でなければ、説得力が生まれない」
と、ニコが視線を送るのは、ティレットである。ティレットは鼻を鳴らすと、
「愚問」
ニコの問いかけに先回りしてそっぽを向いた。
「ええー? ティレットなら、ぜったいにウンディーネもできる……かも」
物凄い形相で睨まれて、メイは語尾をため息に溶かす。
「オイオイオイオイ! なんだよティレット! 自信ないのかよ!」
「それも、ある。でも、それじゃない」
明快な物言いを――端的すぎるきらいはあるにせよ――好むティレットにしては、含みのある答えだった。
「信仰か?」
ニコに問われ、ティレットは少しためらってからうなずいた。
「プレーンズ・エルフの信仰と言えば、リミとルーストリア国教だが」
「古いリミ」
「なんだそりゃ? 古かったり新しかったりするもんなのか、宗教って」
ディランがきょとんとすれば、ニコがちょっと身を乗り出した。これは彼女が四半世紀に及ぶ人生で培った、自分の知っていることを早口で説明せずにはいられない癖が出たことを示す兆候である。
「古いリミでは、天地と事象そのものに信仰を捧げ、神や精霊の存在を否定する。リミとルーストリア国教が接触することで逆説的に生まれた信仰のかたちだ。『古い』というのは、まあ、その、なんだ。方便というやつだな。神や精霊といったものを、ルーストリア国教に押し付けられたものとして否定しているんだ」
「えっえっ? なに? なんでそうなるの?」
「あ、そ、その、つまり、ウーガルーには、雷の神様がいます、よね?」
ディランがなおも首を捻っているので、見かねたメイが助け舟を出す。
「いるな、たしかに。雷の鍬で敵をぶっ殺したり、畑を耕したりするんだ」
「で、でも、古いリミでは、雷は雷で、神様がいないんです」
「ええー? なんで? もっと分かんないんだけど。え? 雷の神さんっていたりいなかったりするの? 雷と雷の神さんは別ものなの?」
「信仰の話は、いい」
と、ティレットが話を断ち切る。ディランは、不服げながらも黙った。説明されても理解できないだろうという点だけは、理解できたからだ。
「あー、つまり、あれだな。形ある神に扮するのは、できないということだな。その、なんだ、すまない。不躾なことを言ってしまった。決して、君の信仰を否定するつもりではなかったんだ」
ニコが素直に謝れば、ティレットはわずか、ぎょっとして目を丸くした。ルーストリア本国から派遣された郡長官が、遊牧民の一部のみ信仰する絶滅寸前の木端宗教に、敬意を払うような口ぶりだったのだ。
だがティレットは、すぐさまいつもの冷たい美貌を取り戻して、そっぽを向いた。
「……別に」
「あ、今ちょっと気を許しただろティレット」
「うるさい。バカ。うるさい」
ティレットは、そっぽを向いたまま耳まで真っ赤にした。
「では振り出しに戻ったな。さて、どうしたら我々は、哀れなドラゴンを解き放てたものか」
「なんだ、ドラゴンの話か? 非常に興味深いな、混ぜてくれ」
「うわあああ!」
全員が悲鳴をあげ、のみならず少しばかり椅子から浮いた。だしぬけに、ハガネがやってきたからである。
「どうした? 何をそんなに驚いている」
「あ、いや、その、なんだ、ほら……その、なんだ……」
先ほどまでの軽快な早口から一転、ニコは、ばつが悪そうに目を泳がせた。自分が状況をコントロールできている間のみ早口なのが、ニコという女性であった。
「ふむん」
ハガネが、ニコをじっと見つめる。
「な、なんだ! あまり見るな! じろじろ見られると色々な被害妄想で苦しい! 顔が悪いと思われているのか、臭いと思われているのか、とにかく手汗が出る!」
「うっわ、急にダメになったぞ長官。さっきまでこんなだったっけ?」
「ハガネくんに、あ、甘えているの、かも」
「へえ……なんか色々あるんだなあ」
「お、男の人と、女の人の、ことだから」
ディランの歯に衣着せぬ言いざまに、ニコをフォローするメイだが、その表情は引きつっている。
「顔が悪いと思ったことも、臭いと思ったこともないぞ。だが手汗ばかりはどうにもしてやれないな。カモミールティがいいと聞いたことはあるが」
「ううう、この素直ななぐさめが辛くもあり気持ちよくもある自分が嫌いだ……向いてない……人間に向いてない……マフィンになりたい……」
胸元のリボンをひねりながら、ニコがうめいた。ハガネはなおも、ニコをじっと見つめている。
「ああ、そうか。ようやく分かった」
一分あまりの時間が経って、ようやくハガネが、口を開く。
「分かった!? な、何がだ……? つまり、その……私への悪口か?」
「僕は君の悪口を言わないぞ。実は先ほどフィッチ議員から、カメオを譲り受けたんだ。色々あって本人に返したんだが、そこにウンディーネの横顔が彫られていた。それが知り合いの誰かに似ているとずっと思っていたんだが……ニコ、君だったんだな」
ニコは言葉を失い、口を大きく開け、それからとっさに手で口元を覆った。ニコは何の理由もなく、自分の歯並びが汚いと確信していた。
「あー……おおー? オイオイオイオイ! こりゃあ、ほんとだな! 髪だけ銀色にしちまえば、ウンディーネだ!」
ディランがハガネに同意して、ニコはますます激しくリボンをひねった。
「ディランに分かってもらえてうれしい」
ハガネがにこにこし、ニコが青ざめ、メイが笑いをこらえる。そしてティレットは、これ以上ないほど完璧な間を置いてから、したり顔をこらえきれない無表情で、こう言った。
「これで、決まり」
決まりであった。
かくして、迷宮川を泳ぐちっぽけな魔物を救うため、冒険者は立ち上がったのである。
なぜなにティルトワース
ヤブコギトカゲ、あるいは雪山ニコの最初の冒険について
雪山ニコの冒険譚について、語り出せば幾つの夜が必要になるだろうか。
彼女は長年の着用によってよれよれになった中学時代のジャージ上下をまとって異世界にやってきた。森を抜けて小さな集落に辿りついたニコが真っ先にしたのは、誰も来なさそうな廃屋に忍び込み、スマートフォンでゲームの実況プレイ動画を観ることであった。
彼女にとって不幸だったのは、忍び込んだ廃屋が、若き男女の逢引に用いられているという点だった。生まれて初めて広義人類の繁殖行為を目の当たりにしたニコは、怖くなって泣いた。そこを発見され、村長の下に連行され、口走ったのが『ヤブコギトカゲ』という単語だった。キュレーションアプリ『ニコニュース』が配信するニュースは、スマートフォンのプッシュ通知画面に表示される。そこに映っていた見慣れぬ単語を破れかぶれで口にしたのである。
村長はがらりと態度を変えた。他人の交尾を見て泣いていた不審な少女が、集落の存亡に関わるなにかとんでもない情報を握っていると気づいたのだ。
ニコは『ヤブコギトカゲ wiki』で検索し、効果的な対処法を発見した。ヤブコギトカゲの生態や広義人類との関係性については、いずれ語る機会があろう。ともかくニコは小さな集落の危機を救い、聖女として崇められるようになった。
やがて異世界の聖女たる雪山ニコの名は、遠くルーストリア王国の大貴族の耳にまで届いた。いずれ、王立ルーストリア大学校と『白と紅の女子のお茶会ファーストキス事件』について語る機会もあるだろうが、今日はここまでにしておこう。




