迷宮の外来種④
ティルトワース貴族にあっては、招待状を送りあって人を家に呼びあうのが習い性だ。共和国時代から今も続く、『美しき伝統』であり『格調高き交流の場』であると、ティルトワース貴族は誇っている。
わけてもフィッチ家は、まだ大評議会が『有識人民会』と呼ばれる有力者の寄合でしかなかった頃から、すでに押しも押されぬ大貴族だった。非の打ちどころなき門閥家であり、“ティルトワースの栄えあるフィッチ家会社”は、迷宮資源によって莫大な利益を得ている。
フィッチ家の家長は、ニコが言うように『やることが過激』な筋金入りの愛国者、ディマ・アンセスト・フィッチ。ティルトワース小評議会の人員に名を連ね、緊急時の意思決定機関である十頭会の役職を狙っている。
ディマ・フィッチ曰く、
『現在のティルトワースは、他国に侵略されるという非常事態が恒常的に続く状況にあり、つまりこれは平常が緊急時なのである』
これを単なる冗談だと思わない人間が、ディマ・フィッチの信奉者となる。
そんなフィッチ議員が、大評議会の末席でコケを眺めてにやにやする異世界人を、家に招くという。噂にならぬわけがない。ハガネはこの日以来、貴族たちからさまざまな視線を浴び続けることになる。しかしながら、当のハガネと言えば、コケや虫にばかり視線を浴びせ続けるのだが。
斜面に沿って駆け上がるようなつくりのティルトワース郡にあって、多くの家々を睥睨する高所にあるのが、フィッチ家の邸宅だ。
吹き抜けのあるアトリウムは、豪奢そのもの。
床には刳岩宮産の最高級凝灰岩を使ったタイルが張りめぐらされ、年月の生み出す風合いが美しい。
そこに、木目まで選別した、欅の寝椅子。大蜘蛛絹糸のクッションには、ティルトワース産の綿がたっぷり詰められている。
寝椅子に横たわっているのは、大評議会の議員たちだ。保守派の重鎮、大貴族の長男長女、手練れの冒険者、いずれもフィッチの信奉者である。
「吉良ハガネ議員、今日は来てくれて感謝する」
「こちらこそ、フィッチ議員に招いていただき、光栄だ」
フィッチとハガネが握手を交わし、宴がはじまった。
料理も酒も、堂々たるものであったし、そこにはたっぷりの政治的意図が山盛りに振りかけられていた。
ロックアイスをグラスいっぱいに詰めたワインは、フレッシュなデーツを贅沢につかっている。
生牡蠣は養殖もの、丸みを帯びた分厚い殻はティルトワース原産であることを示す。
イワシは刺身、ぬた、海塩を打った干物で供され、どれもたっぷり脂が乗っている。
「この昆布締めと来たら、絶品ですな。なんという魚で?」
「アコウダイだ。ティルトワースの海底谷で揚がったもの。無論、よその国では決して味わえまいよ」
「はあ、これは全く! おお、ティルトワースに大いなる恵みあり!」
実に、純ティルトワース形式の宴だった。
たいていの場合、貴族の宴ではルーストリア式のテーブルマナーが採られている。料理は厳密に決められたコース通り配膳され、出てくる酒はぶどうのワイン。魚と肉は一品ずつで、その間に旬の果物のゼラチン寄せが提供される。
いっぺんにテーブルに出てくる生魚をデーツワインで流し込む“野蛮な形式”は廃れて久しい。
貴族たちがだらだらと益の無い話をしている間、ハガネは黙って牡蠣を食っていた。
「いかがかな、吉良議員」
やがてフィッチが、ハガネに水を向ける。
「素晴らしい料理だ。ワインもよく冷えている」
「そうだろう。机の上に並べられたこれらの料理こそ、ティルトワースの精髄だ。異世界から来たという君にも、分かってもらえてうれしいよ」
穏やかな笑みを浮かべるフィッチと、追随してティルトワースをほめそやす信奉者たち。ハガネは多くを話さず、しばらくは無難な相槌を繰り返していた。
「それにしても、迷宮喰いの一件で郡長官は大いに株を下げましたな!」
「全く、ああした災害は過去にもあったのですから、予期すべきことでした。ましてフィッチ議員を連れて現地に赴くなど、危機管理上最悪の決断といえましょう」
「そこがルーストリア人ということですよ。あの連中は昔からそうですから」
自治独立派の議員にとっては、こうした認識であった。
「その一方で、吉良議員、君の活躍は実にすばらしいものだ。君たちは彼の論文を読んだかね?」
フィッチが語れば、集まった面々は、口々にハガネの論文を激賞した。
「吉良議員の愛国的な熱意によって、悪夢のような生物的汚染は、すんでのところで食い止められた。ウーガルーマーマンというのは、ウーガルー人と同じく、粗暴で図々しい生き物だ」
心底忌々しげな、フィッチの口ぶりであった。
「そして、吉良議員。本日はマーマンに関する、新しい話を持ってきたと聞くが?」
信奉者たちが、わざとらしいほど感嘆の声をあげる。ハガネは寝椅子から立ち上がり、壁に数枚の図面を留めた。
「これは?」
「マーマン各種の分布と、マーマンの産卵行動について調査したものだ。まずはここを見てくれ。迷宮川の環境が上流から下流にかけ、大きく変化していることを示している」
図に描かれた迷宮川の流れに沿って、指を動かしていく。
「僕が注目したのは、底質粒径……つまり、水底にあるものの大きさだ。石は大きく、砂は小さい。そして川を下るにつれ、この底質粒径が小さくなっている」
狭い川幅の上流は、水底に石や貝殻などが多く、流れが早い。一方で広い川幅の下流の水底は、ほとんど砂である。
「ふむ、理解した。それとマーマンの卵に、どんな関係が?」
フィッチの口ぶりは慎重だった。周囲の貴族たちも、フィッチの反応を窺い、無言を決め込んでいる。
「マーマン二種の産卵行動について、先に説明する。まずは真マーマンについてだ。繁殖期、オスには、水面から飛び出して大きな音を立てる習性がある。すると、他のオスたちも、負けじと水面を跳ねまわる。恐らくだが、この跳ねまわり行動がメスに対してのアピールになっているのだろう。
水面歩行の魔法に真マーマンが反応するのは、冒険者の足音を他のオスの跳ねまわり行動と勘違いしてのことだろうな」
「マーマンの繁殖期に水面歩行を控えれば、余計な戦闘を避けられるというわけか」
手練れの冒険者、即ち竜冠組のパーティリーダーであるリカトルが、眉を持ち上げた。一度マーマンに殺されただけあって、真剣に聞き入っている。
「恐らくは。さて、跳ねまわり行動に反応した真マーマンのメスは、浮上して産卵する。オスは水面を跳ねまわりながら放精する。この卵は、沈性粘着卵だ。よく沈み、触れたものにくっつく性質を持っている。沈む速度は五センチメートル毎秒。沈性卵の中でも、とりわけスピード重視と言えるだろう。
余談ではあるが、水面で暴れながら産んだ卵は、水中のあちこちに散らばる。これは、真マーマン自身による卵の捕食機会を減らすためだろう。落ちてきた卵をほおばる真マーマンの姿が観察されたからな」
失笑が漏れた。せっせと繁殖にいそしむかたわらで、卵を片っ端から食べるというのは、いかにも頭の悪い魔物らしい、というわけだ。
デーツワインを一口ふくんだハガネは、語りを続ける。
「一方で、ウーガルーマーマンの繁殖行動も、非常に興味深いものだった。オスは石や貝殻など、粒径の大きいものを拾い集め、トーラス型の産卵床を作る。そこにメスがやってきて卵を産めば、放精する。四肢がついているだけあって、巣は非常にマーベラスなものだった。なお、産卵床づくりは、雑種もしていた。その点はウーガルーマーマンのやり方を引き継いだというわけだな」
ハガネが指差したのは、ドーナツのように真ん中が空いた輪っかの絵である。石と貝殻を精密に組み合わせ、いかにも頑強そうな見た目であった。
「重要なのは、ここで真マーマンとウーガルーマーマンが生息域を共にしている点だ。真マーマンの卵は、時にオスの放精が追いつかないような速度で沈んでいく。たまたま着地点に、ウーガルーマーマンの産卵床があれば、当然、オスは放精するだろう。これこそ、雑種が生まれた理由に他ならない」
「ありえんだろう、それは!」
立ち上がったのは、保守派の重鎮議員である。
「ウーガルーマーマンが家を築き、ティルトワースのマーマンは産みっぱなしだと? おまけに、産んだ卵を食うだと? ティルトワースのマーマンが間抜けのように聞こえるぞ、吉良ハガネ君!」
「何故そう思う?」
心底不思議そうな表情で、ハガネが聞き返した。からかわれたのだと判断して、重鎮議員は顔を真っ赤にする。
「だから……何故、何故だと! 家を作るのと産みっぱなしにするので、どちらが賢いか! そんなことが言うに及ぶか! 馬鹿にするんじゃないぞ、若造め!」
「まず、産卵床は卵を産むための場所であって、家ではない。ウーガルーマーマンも真マーマンも、基本は底生だ。次に、産んだ子どもを食べる事例は、探せばいくらでも出てくる。コモドオオトカゲも自分の子どもを食べるぞ。そのせいで、コモドオオトカゲの子どもは何よりも先に木登りを覚えるんだ」
フィッチ議員が笑った。それによって、ハガネの発言は、この場において切れの良い反論とされた。居並ぶ面々も、異世界のトカゲのことなど知りもしないだろうに、フィッチ議員に合わせ、笑う。重鎮議員は、もごもごと呟きながら寝椅子に身体を横たえた。
「さて、両種の産卵行動の違いを踏まえ、本題に入ろう。僕が迷宮川で採集したマーマンだが、各種の分布傾向には、統計的に有意な差が見られた。上流域にはウーガルーマーマンと雑種と真マーマンが混在したが、下流域では、真マーマンしか採集できなかった。何故と言えば――」
「卵の生み方の違い、か」
フィッチ議員が、ハガネに先回りした。ハガネはうなずいた。
「実に、フィッチ議員の仰る通りだ。下流域の水底には、砂しかない。つまり、ウーガルーマーマンと雑種マーマンは、下流では産卵床を作れない。よって、ウーガルーマーマンと雑種は、底質粒径の大きい上流でしか繁殖できない。
これが調査結果だ。論文は出来上がり次第ティルトワース大図書館に寄贈する。詳細なデータに興味があれば、ぜひとも閲覧してほしい。以上」
ハガネが頭を下げれば、しばし、アトリウムに沈黙がおりた。誰もがフィッチ議員の反応に注目している。
「素晴らしい」
フィッチ議員が破顔し、拍手をした。それでほっとした空気が流れ、誰もが口々に、ハガネの調査結果を称えはじめる。
「冒険者として、非常にためになる話を聞けた。今日ここに君がいたことを感謝する」
と、握手を求めてきたのはリカトルだ。
「情けない話だが、オレも雑種のマーマンにはいっぱい食わされた。だが、どう生きているのかを知るほどに、彼らを憎んだり馬鹿にしたりする気持ちがなくなっていったよ」
にこりと笑えば、実に好青年である。フリーのごろつきたちに蔑まれる高給取りの企業冒険者ながら、リカトルの人柄は誠実そのものだった。
「いつかオレたちに声をかけてくれ。とても興味深い体験ができそうだ」
「約束しよう」
「吉良議員。今日の素晴らしい話に、私からの贈り物を許してくれないか」
立ち上がったフィッチ議員の足取りは、だいぶ酔っぱらっているのか、覚束ない。
「ティルトワース珊瑚のカメオだ。これはその……意匠が、まったく、立派なものだぞ。ウンディーネだ。迷宮川の、つまり、あの川の、研究の、君にこそふさわしい」
「ディマ・フィッチ、少々呑みすぎたようですなあ」
「うむ……少々……失礼」
ブローチのピンをハガネのヒマティオンに留めようとしたフィッチだが、こまかな作業をするには、明らかに酒量が多すぎた。ピンが布を貫き、ハガネの肌を刺す。
「そのう、手元が……ううむ。すまない。痛むか?」
「気にしないでくれ、フィッチ議員。とても光栄なことだ」
ウンディーネをモチーフにした彫刻の施された、珊瑚のカメオ。実に美しいもので、ヒマティオンの首元にあしらわれれば、まったくハガネの姿は貴族そのものであった。
「では、愉快な話の続きに……マーマンの、つまりだな、迷宮川の……」
ぶつぶつ呟きながら寝椅子に戻ったフィッチは、そのまま高いびきをかきはじめた。
「ここはディマ・フィッチの意向に沿おうじゃないか」
リカトルが苦笑いを浮かべた。
「もう少し、迷宮の生き物についての話を聞いてみたい。冒険者として、ではなく、君の話に興味を持った者としてね」
促され、寝椅子に横たわったハガネは、デーツワインを呑みながら迷宮の生態系について多くを語った。




