迷宮の外来種③
投網採集は、一定の間隔を空けることが好ましい。ヒトの立ち入りによる環境変化を避けるためだ。
そんなわけで、以前の調査から十五日ほど空け、ハガネとディランは迷宮川へと向かった。
「オイオイオイオイ……なんだこりゃ?」
川の様子を見たディランが、首を傾げる。
それもそのはずである。普段は静かな迷宮川が、今日は、大量の冒険者で足の踏み場も無いほどだった。
あちらで魔法の爆炎があがり、こちらで剣が揮われる。弓を放つ者、まさかりをふるう者、槍を持った者、ごったがえしている。
なぜだか、河岸に打ち上がっている冒険者の死体も散見されるが、こちらはすぐに理由が分かった。
「キヒヒッ! カッツ、狙いがめちゃくちゃじゃねェーかよォー! 冒険者ばっかり殺してどォーすンだ!」
「近くにいるから、当たっちゃった」
「キヒヒヒヒッ! そりゃァーしょうがねェーなァー! てめェーら、死にたくなかったら近寄るんじゃねェーぞ!」
だんびら兄弟の、バルゲルとカッツである。彼らも川に入り、お得意の魔法と、お得意の逆棘付き棍棒を、積極的に他者へと向けているのであった。
「まったく、どこで見ても胸糞悪い連中だな。おい、ハガネ、なんだか知らないけど今日は……」
言葉の途中で、ディランはため息をついた。ハガネがだんびら兄弟の方に向かっていったからである。
「バルゲル、カッツ、これはどうしたことだ? 君たちほどの冒険者が、迷宮川に何の用事だ」
「あァー? キヒヒッ! 粘菌術師かよォー? なンだ、てめェーらもギルドに行ってきたのか。一足遅かったなァー! ここのマーマンは、全部だんびら兄弟のもンだ!」
「そうだ。ぼくたちの邪魔をするな」
カッツが、ハガネの首元に逆棘付き棍棒を突きつける。
「マーマン? ギルド? どういうことだ」
「はァー? 知らねェーで、ここになんの用事があるってンだ」
「フィールドワークだ。迷宮川のマーマンを調査している。交雑の状況について知りたいんだ」
カッツとバルゲルは、顔を見合わせてから爆笑した。
「キヒヒヒヒッ! 調査? 知りたいんだ? バァーカ! マーマンは皆殺しだよ! ウーガルーのマーマンは、三ルースタル! 縞模様のマーマンは、一ルースタル! こんなクソ雑魚が金になるんだ、いなくなるまで狩りまくってやるぜェー!」
ハガネの顔色が変わったのを、ディランはすぐさま感じ取った。慌てて飛び出し、ハガネとだんびら兄弟の間に入る。
「そ、そうか! ギルドの依頼なんだな! 分かる、分かるよ。邪魔するつもりはないんだ、だろ、ハガネ」
「何故、マーマンを絶滅させる必要がある」
「知るかよ、ウスノロ! てめェーで考えろ!」
「君たちはなんの考えも無しに、一つの種を根絶やしにするつもりなのだな」
「だから、知るか! 周りに聞いてみろよ、殺して金にするのと、金にもならねェー調べ物をするのと、どっちが愚かなのかってよォー!」
「分かってる、分かってるって、バルゲル! ばかは俺たちでいいから、ほら、ハガネ! 今日は日が悪いんだ、帰るぞ!」
ディランは必死になって仲立ちを努めたが、なんの役にも立たなかった。
ハガネの怒りを買うことは、難しい。付き合いの長いディランでさえ(ぐずられたり駄々をこねられたり甘えられたりはしょっちゅうだが)ハガネの本気の怒りを見たことはない。
だが、だんびら兄弟は、いともやすやすとそれを成功させつつあった。
「いィーか、粘菌術師、ウスノロのてめェーに教えてやるぜ! 刳岩宮じゃ弱いのが悪いんだ! 考えてみろよ、マーマンが強かったら、十ルースタル貰えよォーが誰も挑みやしねェーだろ?」
「環境への適応度が高い生物こそ、そこに存在すべきだとする論者がいる。君たちの言うことには理があるのかもしれないな」
「分かってんじゃねェーか、キヒヒッ! だったら、とっととここから消えちまいな! カッツ、行くぜ! 兄弟魔法、激震爆裂魔――」
「よし、俺は俺の仕事をした! 俺は頑張った! どうなろうと知らないからな!」
だしぬけにディランが叫んで、脱兎のごとく駆け出すと、頭を抱えてしゃがみこんだ。
「弱い者には生息域が与えられないとするのならば、だんびら兄弟。僕がこれから君たちにすることも、納得してくれるだろうな」
ハガネは魔力の塊をだんびら兄弟に叩きつけた。
だんびら兄弟は言葉を発することすらなく数十メートル跳び上がった。そこに、追撃の魔力塊。横殴りに殴られただんびら兄弟は、放物線を描いて第三層の出口に頭から飛び込んだ。
川から上がったハガネは、しばらく、マーマン狩りに興じる冒険者たちを眺めていた。
逃げまどうマーマンたちが、魔法で吹っ飛ばされ、剣で真っ二つにされ、槍で貫かれている。川が血と泥に染まっていく。
「……ハガネ」
「君の言う通りだ、ディラン。今日は日が悪い」
感情を見せない声でそう言うと、ハガネは踵を返し、さっさと第三層を出ていった。担がれた投網がふらふらと頼りなく揺れる姿を見て、ディランは、やけに物悲しい気分になった。
レディア・リオ宮、郡長官執務室。
ハガネと雪山ニコ郡長官は、机一つ挟んで向き合っていた。
「何が起こっている?」
「ど、どうしたんだ? その、なんだ……なんだか怖いぞ」
「そうか。怒っているのかもな、僕は」
「ひい! あ、あああ、わ、私が何かしたのか? 無意識の行動が誰かを苛立たせてしまう習性が出たのか?」
腰を抜かしたニコが椅子から滑り落ちた。
「君に苛立ったことはないぞ、ニコ。マーマンの件だ、何か聞いていないか」
「マーマン……?」
椅子にすがりついたまま、ニコが首を傾げる。それからしばらく思案して、ああ、と、うなずいた。
「フィッチ議員が私財をつぎこんで、外来マーマンの討伐を依頼しているとは聞いた。だが、それはそもそもオマエのせいだろう、ハガネ」
「僕の? どういうことだ」
椅子に座り直したニコは、ハガネから目を反らし、気まずそうに胸元のリボンをいじった。他人に少しでも高圧的に出られると、極端に委縮するのがニコであった。
「その、つまりだな。オマエが図書館に、論文を寄贈しただろう。それが、その、なんだ。ほら、フィッチ議員は、図書館の司書の、なんといったか……ほら、あの、八重歯の」
「ライリィだ」
「そうだ! その、ライリィとかいう司書に熱を上げているんだ。なんとか近づくために、興味もない本だのなんだの借りてる内にだな」
「僕の論文に辿り着いたのか。だが、分からんな。それがどうして、外来種の駆除につながる?」
ニコは胸元のリボンを、いっそう激しくいじった。ねじったりひねったり、ゴムを伸ばしてぱちんとやったりしてから、もごもごと口を開く。
「あー、その、なんだ。フィッチ家は、貴族の中でも最古参だからな。ティルトワース独立派の中でも、やることが過激なんだ。独立運動に資金援助しているとも聞く」
大評議会は、ティルトワースが共和国であった頃から存在する。貴族の制定も共和国時代にされたものだ。ルーストリアの支配下から脱し、自治独立を求める声は、貴族の間でそれなりに大きい。
おおかたのティルトワース人は、どうでもいいことだと捉えている。しかし、どうでもいいと捉えない者が、たいていの場合貴族や資産家であるのが、事をややこしくしていた。
「それとマーマンに、なんの関係がある」
「だから! 怖いんだよ! すごむな、殴られるような気がする!」
机に身を乗り出されたニコが、椅子ごと後ろに飛びのいた。
「僕は君を殴ったりしないぞ」
「知っている! だがな、私ほどのひきこもりになると、暴力に晒された経験がないから、かえって必要以上に暴力に怯えるものなんだ!」
「そうか、それは大変だな。だが安心してくれ。僕は君を殴らないからな」
「そういうことでは……いや、もういい。悪かったな、話を続けよう」
「納得してもらえてよかった」
ハガネがにっこりして、ニコはどうでもいい気分になった。
「オマエに分かるように説明するか。あまり生き物には詳しくないんだが……京都のサンショウウオが、その、なんだ。雑種になっているというのは、知っているだろう?」
「ああ、知っている。オオサンショウウオとチュウゴクサンショウウオの交雑だな」
「日本固有のオオサンショウウオと、中国から来たチュウゴクサンショウウオが、その、なんだ、交尾して子どもを残すらしいな。そして、オオサンショウウオが殆ど姿を消して、今は雑種ばかりになってしまったらしい。それを聞いたとき、私は、その、なんだ……不快な気分になった。分かるか?」
ハガネは首を横に振った。
「普段はオオサンショウウオのことなど、考えもしないのにな。日本固有のかよわい生き物が、どこかよその国の悪い生き物にいじめられて、いなくなってしまった……そんな風に考えて、たまらなく嫌な気持ちになった。
フィッチ議員の考えていることも、同じなんだよ。ティルトワース固有のマーマンが、ウーガルーのマーマンのせいで姿を消すのに、耐えられない。他国に侵略されているように感じるからだ」
ハガネはしばらく、真剣な表情で黙っていた。
「一方で、だ。ヤマトゴキブリと、ほら、その、なんだ。アメリカの話も、オマエなら知っているだろう」
「2013年の論文だな。日本固有のヤマトゴキブリが、ニューヨークの公園で発見された話だ」
「それを聞いた時に……その、なんだ。少しばかり、痛快だと思ってしまった。私たちを苦しめているゴキブリが、海の向こうで暴れ回っていることが、楽しく思えたんだ。オマエには、想像もつかない話かもしれないが」
「ヤマトゴキブリは温帯原産で、低温に強い。そういう点では、ニューヨークに根付くのかどうか、興味深くはあったが……そういうことではないんだな」
ニコの話を理解しようと、ハガネは眉根にしわを寄せている。そんなハガネの姿を、ニコは、どこか哀れに思う。
「つまり、その、なんだ。生き物に自分や国を重ね合わせてしまう人間が、いるんだよ。だからウーガルーマーマンは、フィッチにとって侵略者なんだ。侵略者を殺すことは、彼にとって正しいことなんだよ」
「そうか」
うなずくハガネの表情は、ニコから見えない。
「ニコ。京都のオオサンショウウオの話だが、その後を知っているか?」
「その後? つまり、なんだ、雑種が繁殖していると、分かった後のことか?」
「捉えたオオサンショウウオをDNA鑑定して、雑種と認められたものは、片っ端から水族館や研究所に送っていった。その内にどこの施設も雑種のサンショウウオで溢れかえった。狭いプールに詰め込まれ、折り重なった雑種の姿を、僕は忘れられない」
「……それで?」
「それで終わりだ。毎年毎年、捕獲してはプールに詰め込んで、学術機関に配り歩いている。あくまで貴重な種類だから、殺処分するわけにもいかないらしい」
強烈な皮肉かと思って、ニコはぎょっとした。しかしハガネの表情を見れば、ただ単に事実を語ったつもりなのだと分かる。
「ありがとう、ニコ。現状を理解できた」
「これは愛国心の問題なんだよ、ハガネ。私は愛国心を否定できないし、しない。ティルトワース人は、他人の信心を蔑ろにできないんだ」
それが、郡長官としての結論であった。
ハガネは一礼すると執務室を出ていった。
その昼、ハガネは寡黙であった。すいかのワインを呑み、炒ったくるみを少しつまんでは、獣皮紙に殴り書きした自分の文章を睨んでいた。
第三層のウーガルーマーマンが減少傾向にあるとのうわさを、聞かない冒険者はいない。おまけにたいていは、いくら儲けただの、何匹殺しただの、そういう話がついて回った。
「あー、なあ、ハガネ。でもさ、こう考えてみろよ。もともとウーガルーマーマンは迷宮川にいなかったんだぜ。状況が元に戻っただけじゃないか」
「……バカ」
ティレットがてのひらで額を抑え、うめいた。ディランは善人だが、どこか抜けているところがある。
「君もウーガルー人だろう」
獣皮紙を睨んだまま、ハガネがそっけなくやり返した。ディランは絶句した。あまりの切れ味に、怒っていいのか感心していいのか分からなくなったのである。
「ティルトワース郡は君に市民権を与え、引き換えに公債を購入してもらった。そして君は、生粋のティルトワース人と交雑する可能性がある」
「こっちもバカ」
ティレットは机につっぷした。メイは顔を赤くして口をぱくぱくさせた。
「交雑を不快に感じる人間がどこかにいて、君を気に食わないと思うかもしれない。僕はそういうことを咎めたいんじゃないんだ、ディラン。誰かの信心を蔑ろにするつもりはない。僕もティルトワース人のつもりだからな。
ただし、もし君のことを不快に思って殺そうとする人間がいれば、僕はそいつと君の間に立つだろう。君が、僕とだんびら兄弟の間に立ってくれた時のように。それだけのことなんだ」
獣皮紙を巻き取ってリボンで止め、ハガネは立ち上がった。巻物を小脇に抱え、大股で歩き去った。
「は、ハガネくんは、なにをするつもりなんでしょう……」
「さあな。あいつの行動を予想できたことはないし」
ディランはエールの杯を傾けて、遠い海を見つめた。
「まあ、あいつも馬鹿じゃないんだ。フィッチ議員のところに殴り込みに行くような真似はしないだろ」
「当たり前だ」
「うわっ早っ! って、オイオイオイオイ、なんだその恰好?」
戻ってきたハガネは、どういうわけか、長衣をまとっていた。虫食い穴があいていたものを、ディランがつくろったばかりである。
「フィッチ議員の食事会に招かれた。僕は今回の件の立役者だからな」
「あー」
ディランは、間をもたせる役割しか持たない相槌を打ちながら、メイとティレットに目をやった。二人とも素早くそっぽを向いた。
「念のために聞くんだけど……殴り込みに行くわけじゃないよな?」
「そうするつもりならとっくにやっている」
ハガネの秘めたる魔力を考えれば、笑いごとでも冗談でもない。フィッチ議員の肉体と魂は、一秒かからずこの世から吹き払われるだろう。だからディランは、ハガネの言葉に深く納得した。
「これまで集めたデータを総合した結果、外来マーマンに関する新しい知見が得られた。それをフィッチ議員の前で発表するつもりだ。ぎりぎりになったが、データの精査が間に合ってよかった」
そこでようやくディランたちは、ハガネが寡黙だった理由を知ったのである。感傷に浸っていたのでも拗ねていたのでもなく、マーマンの生態について考えていたのだ。
「どうした、ティレット。なにか面白いことでもあったか?」
「愚問」
笑いをこらえてそっぽを向くティレットに、メイもディランも、顔をほころばせた。
「その、新しいなんとかってやつで、お前はフィッチ議員とマーマンの間に立つんだな」
「疑いようのない事実だ。フィッチ議員も理解してくれるだろう。彼にとっては愛国心の問題でも、多くの冒険者にとっては単に金の問題だ。彼が討伐依頼さえ引き下げてくれれば、それで話は終わる」
「がんばってこいよ、ハガネ」
「ありがとう、ディラン。それじゃあ、行ってくる」
巻物を抱えたハガネが、今度こそかさご屋を出ていく。戻ってこないだろうと確信できるだけの間を置いてから、ディランが胸を張った。
「言ったろ、殴り込みに行くような真似はしないって。それがハガネなんだ」
「お母さん?」
ティレットが意地悪を言って、ディランが照れた。メイが声をあげて笑えば、それで、銅鉄一家はいつも通りだった。




