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迷宮の外来種②

 第三層を更なる高い視点から鳥瞰すれば、それはばかげて大きな扇状地と見える。二つの山塊から流れ出ずる迷宮川、扇のかたちに広がる曠野。

 上流域とは、おおむね、二つの山塊が見え始めたあたりを差す。そして、第三層の入口と出口も上流域に在った。


 ところで、この二つの山塊には、これまで誰も登ったことがないと言う。近づくほどに遠ざかり、辿り着くことができない。これもまた刳岩宮の神秘である。


「ウンディーネが棲んでいるらしいんだ」


 山塊を指差して、ディランが言った。


「で、迷宮川ってのは、ウンディーネの水瓶が水源らしい。なにしろウンディーネだからな、物凄い魔力とかなんかで、誰も近寄れないようにしてるんだろ」

「興味深い話だ。ウンディーネか……骨格標本を採ってみたいな」

「オイオイオイオイ! 女神様だぞ! オマエ、町中でそんなこと言ってみろ。信仰ギルドのやつらに囲まれるからな!」


 ハガネは既に投網の準備をはじめていた。


 ディランはため息をついた。ディランとて祖国の宗教に対して強い信心を持っているわけではないが、ハガネの無信仰ぶりは、度が過ぎていると感じる。

 ウンディーネは無視できぬ数の信者を抱えている。そして、他人の信心を蔑ろにしたり、小馬鹿にしたりするような者は、ティルトワースで生きづらい思いをすることだろう。


「ディラン、見てくれ! なんだか奇妙なマーマンが採れたぞ!」

「なんだよ今度は……って、オイオイオイオイ!」


 投網の中でもがくマーマンの中に、雰囲気の異なる個体がいた。いやに大きくて、なんとなく目つきが悪い上、表皮がぬめぬめしており、背中には縞模様がある。


「触るな、それ!」

「む?」


 ディランの鋭い警告に、ハガネは、伸ばしかけた手を引っ込めた。


「どうした? 知っているのか?」

「知ってるも何も、マーマンだぞ!」

「そのように見えるが」

「ああ、いやいや、そういうことじゃなくてだな……だから、それ、俺の故郷のマーマンだ!」

「ウーガルーの? 外来種エイリアンなのか。しかし、なぜこんなところにいる。ウーガルーの河川と迷宮川が、どこかで接続しているのか?」


 ウーガルーはカラザス山脈の向こう側にある王国だ。河川が接続している可能性はない。


「知らないよそれは! でもそいつのヒレには絶対触るなよ! 毒が半端じゃないんだ!」


 言ってからディランは、すぐに後悔した。しかし手遅れだった。ハガネは嬉々として、人差し指でヒレを突っついたのである。


「腫れてきたぞ、ディラン! それに吐き気もする!」

「なんで楽しそうなんだよ……」

「ミノカサゴに刺された時と似ているな! タンパク質毒か! マーベラス!」


 うれしそうに叫ぶハガネの右手が、ぱんぱんに腫れている。ディランはうめいた。


「よし、さっそく器質的な差異を調べよう! ふむふむ、腕鰭うでびれ棘条しじょうの数は十二本か。いや待て、後ろ五本は軟条なんじょうだな。これは……マーベラス! ウーガルーマーマンとはこういうものか!」


 腫れた右手を解毒魔法でたちどころに直し、ハガネは観察をはじめた。今日は帰れそうにないなとディランは思った。そして、どうせこうなるだろうと思って野営の準備をしてきた自分を、心の中で褒めた。



 一方で、刳岩宮第十三層。危なげなくここまで進行した一流冒険者パーティ、竜冠組の様子がおかしい。


「ハァ……ハァ……」

「しっかりして、リカトル!」


 パーティリーダーであるカラザスエルフの青年、リカトル。彼は迷宮の床に倒れ、うめいていた。

 床を吐瀉物でよごし、真っ青な顔でうめく。端正な表情が、苦痛にゆがむ。


「傷、受けてない、リカトル」


 鬼人のドバエルも、困惑している。ここまでの道中、魔物の攻撃も呪いの罠も、全て回避してきたはずだ。


「ええい、ソウル! 解毒せんか!」


 カラザスドワーフのガルバルが、苛立ちまかせに怒鳴った。


「毒の種類が分からないのよ! どうしたらいいっていうの!」

「決まっとろう、あの時のマーマンじゃ!」

「マーマンに毒なんてあるわけないじゃない!」

「ウーガルーの河マーマンを知らんのか? あれの毒はオーガも殺すぞ」

「いや……そうじゃない……」


 リカトルがうめいた。


「ウーガルーのマーマンなら、流れの冒険者時代、小遣い稼ぎ、に、何度か……戦った。違いはすぐに分かる……あれは、ティルトワースのマーマンだった……」


 息も絶え絶えに語るリカトルである。毒が全身に回っているのか、体のあちこちに浮腫ができている。凄絶な姿であった。


「すまない……な、なんにせよ、これは、俺の、判断……ミス……」

「り、リカトル……リカトル、だめ、死なないで! ああ、リカトル……!」


 リカトルの亡骸の胸に顔を伏せ、ソウルは泣きじゃくった。普段はそっけなくとも、こういう時ばかりは素直になるのが、ソウルという女性であった。



 一流冒険者パーティの壊乱など知らず、ハガネは精力的に投網を打ち続けた。

 あんまりに戻ってこないので心配したメイが、ティレットを連れて迷宮にやって来る頃、ハガネは恐るべき真実に辿り着いていた。


「捕集した個体は上流から下流で千五十六体。この内の百七体がウーガルーマーマンだ。大きさから推し量っただけだが、未成熟の個体もいるようだな。ウーガルーマーマンが迷宮川で繁殖しているのは間違いない」

「オイオイオイオイ、どっから沸いて出たっていうんだよ?」

「人為的な持ち込みだろう。マーマンはエラさえ濡れていれば長期の乾燥に耐える。ヒレを切り落とし、顔に湿った布をかけておけば、移動は容易だ」

「はあ? なんで? 誰がなんのために、ウーガルーからティルトワースまでマーマンを運んで来るんだ?」

「愚問。売れるから」


 ディランの問いに答えるのは、ティレットである。


「う、ウーガルーマーマンの革は、いい服になるって、聞いたことがある、かも」


 と、メイも続けば、答えは明らかだ。


「あ、あの、革の模様がいろいろで、刺繍もしやすいから、ティルトワースでも、高級品、かも」

「なるほど。長旅をする手間を省いたというわけだな」

「オイオイオイオイ……こりゃあ、大問題じゃないか? 間抜けな冒険者が通りがかったら、一撃で殺されちまうぞ」

「誰がやったにせよ、繁殖している以上は仕方ないだろう。それよりも、もっとすごい発見があるんだ。聞いてくれ」


 ハガネは大きな獣皮紙を地面に広げた。文字や図形がとっちらかっている。ディランとメイが、どこを見ていいのか分からず困惑する中、ティレットが、はっと息を呑んだ。


「この、マーマン。おかしい」


 ティレットが指差したのは、紙面の右隅に描かれた一匹のマーマンである。


「マーベラス! さすがティレットだ、すぐに気付いたな。どうだ、僕の博物」

「愚問」

「ティレットが気付いた通りだ。真マーマンと、腕鰭の棘条の数が違うだろう。真マーマンは十三本の棘条を持つが、この個体は七本の棘条と五本の軟条を持っていた。これは、真マーマンとウーガルーマーマンの雑種第一世代、つまりF1と推測される」


 ディランは、真マーマンとウーガルーマーマンの交尾について想像し、頭がくらくらするのを感じた。


「このF1は、捕集した個体の内二百七体を占める。更に、更にだ! いいか、ここからが重要なんだ。この図を見てくれ!」

「あ、ああ! 縞模様……かも」

「そうだ、メイ! マーベラス! F1種に表れていないことから、体側面の縞模様は劣性の表現型と思われる。丸い豆としわの寄った豆の理屈だな。しかし、この、ああ! マーベラス! このマーマンは十三本の棘条と縞模様を持っているんだ! どういうことか分かるか!」


 当然だが、全員が首を横に振った。この世界の住民が遺伝子を発見するまでには、あと数百年ほどかかると思われる。


「つまり、つまりだな! 劣性遺伝子が発現するということは、この雑種が、F1個体から生まれたということだ! つ、つまり、F1個体には繁殖能力があるということなんだぞ! マーベラス! 戻し交雑の可能性を調べたい今すぐに!」


 誰もぴんと来なかったが、ハガネの興奮は度外れており、制御不可能であった。こんなときのハガネの扱い方を、ディランは誰よりも心得ている。


「よし、分かった。続きはかさご屋で聞こう。いいだろ、ハガネ」

「ううう、我慢できそうにない!」

「道中話していいから」

「そうか! ありがとう、ディラン!」


 帰りの道中、ハガネは「マーベラス!」を百回以上口走り、第一層でひきつけを起こして倒れた。小刻みに震えながら、紫に染まった唇をむりやり動かしてまで「マーベラス」と繰り返すハガネに対し、ティレットは、ここに置き去りにすべきという実に建設的な提案をした。



 さて、ハガネはその後も一人で調査を繰り返し、『迷宮川における真マーマンとウーガルーマーマンの交雑について』という論文を書き上げ、ティルトワース大図書館に寄贈した。

 ティルトワース大図書館には物好きな司書が一人いる。彼女がいなければ、ハガネの論文がティルトワース大図書館の開架に並ぶことなど、なかっただろう。

 ハガネにとっても、迷宮博物学にとっても、この状況は好ましいものと言える。やがてどこかの物好きが博物学に手を出した時、ハガネが寄せた先行論文は大いに役立つことであろうから。

 しかし今回に限っては事情が違った。


 かなりくだらない偶然を経て、ハガネの論文は、ティルトワース大評議会保守派貴族の閲覧するところとなった。

 それがきっかけで、迷宮の川を泳ぐちっぽけな魔物を巡る事態は、触れれば火傷するほどの政治的な熱を帯びはじめていく。

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