迷宮の生態系①
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わたしがだれだか答えてごらん?
わたしはあなたのお母さん。
わたしはあなたのお父さん。
わたしがだれだか答えてごらん?
わたしはエルフの、ドワーフの、ヒトの、ドラゴンのお母さん。
わたしはエルフの、ドワーフの、ヒトの、ドラゴンのお父さん。
わたしがだれだか答えてごらん?
わたしは海で、わたしは山。
わたしは雨で、わたしは土。
わたしは炎で、わたしは雷。
わたしはつくって、わたしはこわす。
さあ、わたしがだれだか答えてごらん?
――ティリス=ラのエルフの子どもたちが口ずさむなぞなぞ歌
ハガネは粘菌術師
偉大なるドワーフ、ガッルギリス’により見出されし迷宮、“刳岩宮”。
その深さたるや、『分かるはずもないこと』をたとえるのに使われるほどだった。
『半年も漁に出ている間、あんたのカミさんが若い男と何をしてるかだって? そりゃあ刳岩宮の底みたいなもんよ』
刳岩宮が発見されるまでのこの辺りといえば、わずかな漁民がイワシ漁で生計を立てる、うらぶれた土地だった。
ときどきドワーフが石灰岩を切り出しに来て、そのときばかりは少し賑わった。
やがて迷宮を中心に人が集まり、
『だいたいここからここまでを、今日からティルトワースと呼ぼう』
と決まったが、その前から、冒険者たちは迷宮に挑戦し続けていた。
今このときも、挑戦し続けている。
ある冒険者は、腕試しに。
ある冒険者は、迷宮に眠る珍品貴品を得るために。
ある冒険者は、企業に雇われ、仕事として。
そして、ある冒険者は――
第一話 迷宮の生態系
刳岩宮は底知れぬ迷宮であり、その最深部たるや、数百層にも及ぶのではないかと推測されている。
ティルトワース人はこの二百年、刳岩宮に山ほどの冒険者を送り込んだが、それはせいぜい、迷宮の表面にひっかき傷をつける程度のことだった。
第一層から第四層までを『上層』、第五層から第九層までを『中層』、第十層以深を『深層』と区分けしている事実からも、それは明らか。
ティルトワース人にとって、刳岩宮の残り数百層は、光差さぬ未踏領域だ。
誰知らぬ地にまだ見ぬ財宝を求め、今日もまた、冒険者たちが足早に行きかう、第一層。
君が、はじめて刳岩宮に挑む初心者の冒険者だとしよう。すると君は、まず第一層で打ちのめされるはずだ。
おお、君は見たか。これぞ迷宮の神秘。地階より続く階段を下りた先に広がっているのは、抜けるような青空と緑豊かな平原、涼しげな湖、香しき雑木林ではないか。
「じゃま」
不意に、君を突き飛ばす者がいる。
「キヒヒッ! ヌーブかァー? 殺される準備はできてンだろうなァ、えェー?」
突き飛ばされた君に、侮蔑の言葉を投げかける者がいる。
地を這うような矮躯の男と、雲突くような長身の男。
ルースとリア王国ティルトワース郡では少しばかり名の知れた冒険者クラン、“だんびら兄弟”のバルゲルとカッツだ。
矮躯のバルゲルは、魔法の触媒たる針だらけの不気味な人形を、赤子のように抱いている。
長身のカッツは、逆棘付きの物騒な棍棒を肩に担ぎ、不機嫌そうな受け口だ。
悪い夢のようなその佇まいに、君は言葉を失ってしまう。
長身のカッツから放たれる威圧感は、単なるちんぴらのものではない。積み上げられた鍛錬と、確かな実力を感じさせる。
矮躯のバルゲルが抱く針人形は、長年に渡って、繰り返し、強大な魔力をふくまされている。ひとたび力を解きはなてば、破壊的な魔法の奔流が敵を打ち砕くことだろう。
「ふん」
「キヒヒッ!」
しばらく君を睨んでいた“だんびら兄弟”だが、やがて興味を失い、その場を去っていく。
そして、迷宮への第一歩でつまずいてしまった君は、こんな風に考えるだろう。
『あんな化け物のような連中がこぞって集まりながら、二百年もかけて攻略できない刳岩宮とは、一体いかなる迷宮なのか』
勇気を奮って立ち上がり、我こそ迷宮の覇者たらんと歩き出すのか。
怖気づいて踵を返し、剣を鋤に持ち替えるのか。
君がどんな道を選ぶにせよ、ルーストリア王国ティルトワース郡は、いつでも冒険者を歓迎している。
新米冒険者を突き飛ばした“だんびら兄弟”は、平原を踏み固めて作った道を、我が物顔で突き進む。
今日も今日とて、彼らが目指すのは刳岩宮の深層だ。
彼らにとって迷宮は、生娘に似る。力づくで組み伏せ、なじり、殴りつけ、秘密を暴くべきものとして。
「お兄ちゃん。またアイツがいるよ」
道のまんなかで立ち止まったカッツが、バルゲルに声をかける。
逆棘付きの物騒な棍棒で示すのは、道を外れた草原だ。
「あァー? 見えねェーよ、ウスノロ!」
「ごめん、お兄ちゃん」
申し訳なさそうに受け口をとがらせたカッツが、しゃがんだ。
バルゲルはシデムシのように素早く這い、カッツの背に乗ると、手でひさしを作って目をこらす。
「はァー……ありゃァー、キヒヒッ! 近ごろ話題の“粘菌術師”様じゃねェーか!」
バルゲルが、がさごそと揺れる茂みに目をつけ、笑い声をあげた。
茂みから、ひょこっと、人影が突き出す。
その様と言えば、全くの異様であった。
綿ポリエステル混紡のワイシャツ、ニットタイ、ウールシルク混紡のベスト。
コットンのスラックス。
牛革のスクウェアトゥ。
ティルトワース郡には、否、この世界には存在しえない素材で作られた服に身を包む、青年。
そんな青年が、黒髪に牧草をひっつけ、真剣な表情で地面を睨んでいるのだ。
「お兄ちゃん、あいつはなんなの? あいつ、いつもこの辺りをうろうろしているよ」
「さァーな。異世界から来たンだってよ。まァ、珍しいこっちゃねェーさ」
刳岩宮には時折、在り得ざるヒトやモノが漂着する。
モノであれば、たいていの場合は無価値ながらくたに過ぎないが、高い金を出す好事家の存在もあって、珍重される。
ヒトの場合は……むべなるかな。いきなり迷宮に放り出され、目の前に腹をすかせた魔物がいた場合、さてどうなるのか。想像に難くはないだろう。
粘菌術師と呼ばれる青年も異世界からやってきた一人であり、運よく生きのびて、ティルトワース郡まで這い上がってきたということだ。
すくなくとも、だんびら兄弟は、その程度の理解をしている。
と、粘菌術師が牧草をかきわけ、二人の前を目礼しながら通り過ぎようとした。
「おい、オマエ」
カッツが、逆棘付きの棍棒を突き出して、粘菌術師の道をふさぐ。
立ち止まった粘菌術師は、表情の見えない顔で、カッツとバルゲルを見上げた。
「だんびら兄弟か。ごきげんよう」
「キヒヒッ! 待てよ、粘菌術師! 話を聞かせてもらいたくて、テメーがこっちに来るのをわざわざ待ってたンだぜ? えェー?」
だんびら兄弟の趣味は、なんとなく気に食わない冒険者を、叩きのめしたりすることである。
そして、異世界人である上、粘菌術師だとかいう二つ名で通っている冒険者を、彼らが好むわけもない。
しかしながら、粘菌術師とだんびら兄弟の姿と言えば、実以て対照的であった。
かたや、分厚い鎧を着込んだ長身と、魔力をふくめたローブに身を包んだ矮躯。
かたや、ベストにワイシャツ、スラックス。
わずかの後、血まみれでうずくまり、赦しを乞う粘菌術師の姿が幻視されるようだった。
「話を聞かせろよ、なあ、粘菌術師、面白い話をよォー。キヒヒッ、異世界の女の話とかさァ!」
粘菌術師は、だんびら兄弟の恰好を頭からつま先まで眺めると、
「君たち、その装備はいつから変えていないんだ?」
素っ気なく、そう言った。
「キヒヒッ、臭うかい? この臭いがたまんねェーって女は多いんだぜ?」
バルゲルは耳障りな甲高い声で笑った。
「臭いはどうでもいい。その靴、深層の土を洗い落とさずにここまで戻ってきたようだが、どうして洗い場を使わない? 納税者の権利だ」
「魔物の返り血だの、傷だの、見せてやらなくちゃいけない」
カッツが言った。
「そォーだぜ、兄弟。キヒヒッ! この辺りをフラフラするザコどもがよォー、血でベットリのオレたちを見てビビるのさ! それがたまんねェー!」
粘菌術師は、腰に吊っていたガラス瓶を、顔の高さまで持ち上げた。
コルクで栓をされた瓶の中には、黄色っぽい、膿のような小さい塊が封入されている。
バルゲルは目をすがめて瓶を睨んだ。
「なンだそりゃァー? コケかァ?」
「粘菌だが、君たちにとっては些細な違いだろうな。そこの雑木林で採れたものだ。この種類はもともと、十七層以深でしか発見されていない」
「なにが、なんなんだ。それがどうした」
カッツが棍棒を持つ手に力を込めた。
「僕はこういうものを、階層間外来種と呼んでいる。君たち冒険者の靴の裏にでもくっついて、この階層にもたらされたんだろう。
つまり僕が君たちに聞かせる話は、こうだ。今後はきちんと洗い場を使って、靴の裏についた泥を落としてほしい。面白い話だったならうれしい」
カッツは物言わず、棍棒をフルスイングした。
粘菌術師は物言わず、数十メートル宙を飛んで頭から草むらに着地した。
「おいおいカッツ、死ンじまったんじゃねェーのかァ、ありゃあ? キヒヒッ!」
カッツの肩の上で背伸びをしたバルゲルが、粘菌術師の落ちた先を見て、げらげら笑う。
「でもお兄ちゃん、あいつら、ぼくたちをバカにしたんだよ。こらしめなくっちゃいけない」
「そォーだなァ、カッツ、カッツよォー、お前の言う通りさ! キヒヒッ! バカはこらしめなくっちゃなァー!」
だんびら兄弟は、上機嫌で迷宮の深層に向かった。気に食わない冒険者をぶちのめせたのだから、これほど気分の良いことはない。
逆棘付きの棍棒と溢れる魔力で魔物の群れを虐殺しながら、だんびら兄弟は今日も迷宮攻略に勤しむ。
なぜなにティルトワース
洗い場と納税者
刳岩宮の上層において、階段の脇には洗い場が設置されている。これはティルトワース大評議会が決定した公共事業の一環だ。施工業者選定にまつわる謎めいた談合と不可解な金の動きはあったものの、工事自体は滞りなく行われた。
そしてティルトワース郡は、共和国だった時代から一貫して、望む者すべてに市民権を与えている。だんびら兄弟もまた、ルーストリア国民であり、ティルトワース郡民ということで、つまりは納税者だ。