赤いシミ*慇懃無礼従者はナイフを研ぐ
「赤いシミ*慇懃無礼従者はナイフを投げる」の続編です。先にそちらからお読みください。
「紅茶を入れてくれないか」
そうのんびりと言ったリデル殿下の頬近くを目掛けナイフを投擲する。リデル様は、ビキッと恐怖で顔を引き攣らせた。俺はそれを見て満足する。ポットを引きよせ、紅茶を入れていると、リデル様から恨みがましそうな視線を送られた。
「どうぞ」
ふん、茶ァ入れてやったぞ、感謝しろ。
外面だけは謙虚を装い、内心ではふんぞり返りながらカップを殿下に手渡す。殿下はじと~っとした視線を俺に送ってきたが、何も文句を言おうとはしない。それでも、やはり思うところはあったのだろう。先程からこちらをじっと見てくる。そりゃそうだろう。ナイフをいきなり投擲してきた従者に何も思わないわけがない。
「何ですか、殿下」
「……なんでもない」
じろじろ見てねェで言いたいことがあンならキリキリ吐きだせや、と思いながら問うと、殿下はそれ以上何も言わなかった。我ながら、理不尽。それでも俺と殿下の関係はこうと決まっているのだから、殿下は文句を言わない。他の王族なら文句を言って俺の首を物理的に刎ねるだろう。殿下は、変わっている。
殿下が飲み終えたカップを片付ける。時計を見ると、もう次の執務の時間が迫っていた。殿下も察したのか、座っている椅子から気だるそうに腰を上げる。
「馬車は表の方に待たせています」
執務が嫌、という訳ではなく、休憩を終えるのが辛いのだろう。だが、俺だってお前が外に行くだけで護衛の仕事がいつもの倍に増えるんだ。さっさと行くぞ、このトンマ。
そう内心で呟いていただけなのに、殿下は何かを感じたのかしょんぼりとした。やはりこの方は変わっている。
「ところでイルミさん」
「何でしょう、殿下」
だからさっさとしろと言っているだろう、と言っていないことを百も承知の上でそう思う。にっこりと笑って威圧すると、殿下は「Oh…」とでも言いたげな顔をした。しかし目線は相も変わらず俺の懐に向けられている。
「その、上着の内側に仕舞われた沢山のナイフは何に使うんでしょうか…?」
なぜか敬語だ。腰が引けているのもなんだか面白い。あぁ、いつになってもこの主人は面白い。からかうとなお一層面白い。ついつい、虐めたくなる。
「大丈夫ですよ、殿下」
「ぅん?」
「ちゃんとギリギリを狙って差し上げます」
「やっぱ俺に投げるんだ!?」
いーや~という顔をする殿下に、俺は思わず頬を緩める。そんな気分をぶち壊すかのような、殺気を天井から感じ取る。俺はすかさずナイフを投擲した。悲鳴? いや、ただ豚が腹を空かせて鳴いただけだ。
殿下は、何が起こったか混乱して把握できていないようだ。でも、これでいい。俺の手が今なお血に染まり続けていることなんて、この人は知る必要がないのだ。
「イルミ」
「何でしょう、殿下」
「何かしたか」
「いいえ?」
殿下もアホではない。俺が何かをしたという確信を持って聞いている。俺が何かを殺した可能性があることも、分かった上で聞いている。だから、殿下が聞いているのは、なぜナイフを投げなければならなかったのか、ということだ。単なる天井裏のネズミを殺したのか、それともスパイなのか、暗殺者なのか。はたまた、ちょっとした警告として急所を外して投げたのか。
答えるのは容易い。殿下を狙う暗殺者だ。
だが、俺は答えない。殿下は自分が命を狙われているということを重々承知だ。でも、具体的な数はご存じない。俺が教えないからだ。知らなくていいと思う。殿下は、ただ目前の、いつ自分を殺すともしれない従者に恐怖を感じるだけでいいのだ。殿下を弄るのは俺だけの特権だ。だれにも殿下を傷つけさせやしない。
殿下は、俺の思惑は知らないだろうに、あっさりと引きさがった。やはり、俺と殿下の関係は歪んでいる。互いが互いに依存している。親愛と呼ぶには歪すぎるし、恋情と呼ぶには醜すぎる。俺と殿下はまさに一蓮托生。どちらかをなくしては生きていけない。友情でも、恋情でもない。この感情は果たしてなんという名前なのだろう。
馬車に向かうと、馬を飼育している使用人がそこで待っていた。使用人の目つきは鋭く、歯にはタバコのヤニがついている。王家の使用人としては甚だ不適切である。腕を無遠慮に掴む。筋肉のつき方に違和感があった。おおよそ、馬を飼育しているだけの使用人の腕ではない。
暗殺者か。
俺は、喚く暗殺者の首を一閃した。幸い、殿下の姿はまだ見えていない。影に護衛をするよう言いつけておいたからここまでは安全に来れる筈だ。馬車を点検する。さっきの暗殺者が何かを仕掛けた可能性が高いからだ。車輪を見ると、手榴弾が仕掛けられていた。
手榴弾は、丸い輪のような取っ手部分を本体から引きぬくことで爆発する。仕掛けは、その取っ手部分に結びつけたゴムが車輪に絡んだものだった。馬車を進めるたびにゴムが車輪に巻き取られ、最終的に手榴弾から取っ手が抜け、爆発する、という仕掛けか。簡易な仕掛けだが、とんでもないことをしてくれる。俺はため息交じりにゴムを切断し、手榴弾とゴムを懐に入れた。
「何してるんだ?」
殿下はやはりさっきの一件を見ていなかったようだ。それどころか、今俺が屈んで何をしていたかも見ていない。だから、俺が何をしているのかが分からない。俺は殿下に、「ナイフの試し切りです」と答えた。殿下は顔を引き攣らせたが、「そうか」とだけ言って馬車に乗り込んだ。それを見て、俺も御者の席に乗り込む。馬車を御すのは、殿下のために覚えたことの一つだった。
俺はもともと、スラムの汚らしいガキだった。街中を煌びやかな連中が通ったので、財産を掏ってやるつもりで近づいたのだ。身をやつしているようだったが、品のよさが誤魔化し切れていない。きちんと教養を受けたのでなければあそこまで立ち振る舞いを美しくは出来ないだろう。俺は孤児ながら、闇ギルドに所属していたので、汚い仕事の達成率には自信があった。だから、失敗するなんて思っていなかった。
ドン、と俺と年が同じくらいのガキに近づき、ぶつかる。護衛もいるようだが、俺の前では形無しだ。俺は素早くガキの懐に手を伸ばした。が、直後俺は失敗を悟らざるを得なかった。
ガキの懐には財布がなかったのだ。
どうやらガキは想像以上の金持ちで、財布を持つのは周りの大人のようだった。しくじったということだ。いつの間にか周りを囲まれているし、逃げることは困難だろう。どうせここで逃げても、俺の顔を真正面から見られてしまった以上、最終的には捕まる。それに、折角こんなに近くにいるのだ。何もせず逃げるというのはあまりに惜しい。
「俺を雇え、クソガキ」
「雇う?」
ガキはキョトンとした顔でオウム返しにそう言った。俺は、手ごたえのなさを感じながら、重ねて言う。
「そうだ。こんな役立たずの大人よりもいい働きをするぞ」
誰がお前みたいなガキなんか!と叫ぶ声が聞こえるが、すべて無視。今ガキとやり取りを交わしているのはこの俺だ。
俺は、ワザと周りに聞こえるように声を張る。
「大体、考えても見ろ。俺みたいに得体の知れないガキを今だってのうのうと喋らせている。それに、俺がお前に近づいている時でさえ、少しくらいは動く隙があった。なのに、俺がお前にぶつかっても誰も何もしなかったし、現に今も野放しだ。もし俺がお前を殺そうとしてたら、」
右手の親指を下に向け、首を一閃するジェスチャーをする。
――お前、死んでるぜ。
ガキは、理解しているのかしていないのか、相変わらず呑気な表情だった。そして不意に大人びた、寂しげな表情を作ったかと思うと、「そうか」と一言つぶやく。
「じゃあ、お前に守ってもらおうかな」
誰にも相談もせずに勝手にそう決めたガキは、周りの声を総無視して、俺に騎士の誓いのやり方について教えた。まず、跪いて礼をとる。それから髪を一房切って、『この命、貴方のために』と言うのだという。それに返す言葉は決まっていないらしい。なんだか最後だけ適当な感じだなぁ、と俺は宗教に喧嘩を売るようなことを思った。
俺は、教えられたように跪いた。そして、手渡されたナイフを素早く持ちかえ、ガキの方に向けた。俺が首筋を狙う素振りをしても、ガキは俺の目を真っ直ぐに見詰めたまま全く動こうとしなかった。普通恐怖で体がぶれたりするものなのに。
信頼してますってか。
信頼なんて、スラムのガキには似合わない言葉だ。スラムはある意味戦場で、騙し、騙される場所だから。“Live Or Death.”まさにそう云うところだった。なのにこの呑気そうで案外繊細なガキは、俺に命を託すという。馬鹿げた話だ。スラムのガキの中で上位の俺を、出会ったばかりの奴が全面的に信頼するなんて。俺はその滑稽さに思わず笑んだ。
このガキは気付いていたのだろう。周りの大人がだれも本気で自分を守ろうとはしていないことに。俺が自分を試したことを瞬時に察したコイツが、そんな分かり切ったことに気付かない筈がない。コイツは、人の機敏に敏すぎる。だから、気付かないでいいことにも気付いて、一人で傷つく。何を以て俺を信頼に値すると踏んだのかは理解に苦しむが、見事俺が満足のいく答えを返した。
「いいだろう。お前が俺に信頼を示し続ける限り、俺はお前を守ろう」
教えられた形式をまるっと無視して、ガキに誓う。俺の髪を一房手渡すと、ガキは嬉しそうに笑って言った。
「俺もお前を救うよ」
俺の洗っていないごわごわの髪を、大事そうに持ちながら。ガキの誓いの内容は、具体的に何を指したのかは全く分からなかったが、俺は俺をこのガキに委ねることにした。それが、全ての始まりだ。
「昔はかわいかったのに」
殿下も昔を思い出していたのか、俺が(そうか?)と思うようなことをぼやく。俺がかわいい頃なんてあったか甚だ疑問である。ぶっちゃけない気がする。それに、俺と殿下の関係で大切なのは、俺にかわいげがあるか否かではない。互いの信頼だ。
「私は今も昔も変わりませんよ」
変わったことと言えば周囲の評価くらいなものだ。俺がスラム出身ということは、やはりいいようには映らなかった。暗殺術を会得していることもマイナスに映った。だが殿下は俺を従者にするという決定を曲げなかった。その決定したことは曲げない姿に、一人の王を幻視した。まだ、先のことになるが俺はその姿を見てみたいと思った。
進行方向右の路地から殺気を拾う。先程の仲間に相違ないだろう。俺は馬車のスピードを一切緩めず、手榴弾を投げ込んだ。聞こえる、爆発音。自らの策に溺れるなど、滑稽極まりないと俺は嗤った。街道にゴムを投げ捨てる。殿下から探るような視線を感じたが、スルーした。殿下は知る必要がないのだ。それはあの日に決めた俺たちのあり方。俺が知る必要がないと判断したのだから、殿下はその通りにすればいい。ふいに殿下の落ち込んだ気配を感じ、俺は振りかえった。全く。知っても知らなくてもこのガキは落ち込むのだから面倒だ。
まぁ、そこが面白いのだが。
俺は、殿下の気持ちを浮上させるため、珍しく本音を吐露する。
「殿下。私は、ちゃんと救われていますよ」
にこりと目尻を和らげると、殿下はぐっと息を呑みこんだ。
「あの日の約束。忘れたことはありません」
今一度、と呟き、騎士の礼を取ろうとした。が、石のような何かが投げつけられる気配を感じ、誓いのために取り出したナイフでそれを弾いた。全く。人が真摯に儀式をしようってぇのに無粋な奴だ。少し気分が損なわれて不愉快だったが、今は儀式である。俺はあの日の彼のように目を真っ直ぐに見詰め、髪を一房切り落とした。
「この命、貴方のために」
あの日言わなかった正しい誓いの文句を言う。
「あぁ。俺もお前を信じ抜くと誓おう」
殿下は右手で握りこぶしを作り、俺の左胸をトン、と叩く。殿下の誓いの言葉は、正しく俺との関係を言い表わしていた。それがなんだかおかしくて、俺は笑った。それを見た殿下がきょとんとした顔をして、一層笑いを誘う。出会ったころに戻ったような錯覚を覚えた。
「ところで、イルミさんや」
「何でしょう、殿下」
「馬車は前を向いて御してくれると安心できるんだが」
ふむ。暗殺者も無粋だが、殿下も無粋だな。俺は微かに苛立ちを感じ、いつの間にか床板の裏に張り付いていた暗殺者にナイフを突き立てる。悲鳴? だから腹を空かせた豚が鳴いただけだって。
俺は殿下の言葉通りに前を向いて馬車を御す。さっきまでの誓いの空気はどこへやら、だ。
「イルミ」
「何でしょう、殿下」
「床板が赤く」
「オシャレですね、殿下」
「でも生温かくて」
「そうですか」
知る必要がない質問を重ねる殿下。俺は、殿下に向けてにっこり笑う。上方から矢を確認。馬に向かって鞭をしならせ、スピードを上げる。矢は、馬車には当たらず、街道に突き刺さった。余計なことを尋ねる殿下への苛立ちを馬に多少ぶつけてしまうくらいは赦してほしい。無駄に叩いた訳じゃないから無罪だ、無罪。そんな俺の釈明に殿下は気付かず、いらない質問を重ねる。
「イルミ」
「何でしょう、殿下」
「今、矢が」
「殿下」
遮り、殿下を黙らせた。
「あなたは、何も知らないままでいなければならないんです」
それが俺と殿下のあり方だから。暗にそう告げた俺の言葉を、殿下はすんなりと受け入れた。
「そうか」
「そうなのです」
重ねて言うと、殿下はもう何も言わなかった。これでいい。こうでなくてはならない。
俺は、アンタが俺のナイフをただ見つめている間アンタを命がけで守ろう。当たらないという信頼で、物理的な恐怖を捻じ曲げている間、俺はアンタの糧になろう。だから、俺が血溜まりをないと言えば殿下はそれをないものとしなくてはならないのだ。それが俺たちの信頼の証しであるが故に。
殿下が赤いシミをあるものとした時。きっと彼の傍に俺はいない。
前作がギリギリギャグだったのに、今回は完全にギャグ要素少なめで、ギャグのタグがつけられなくなりました…。病んでるなぁ…。
ここまで病んだキャラを書いたのは初めてです…。ある意味成長?
感想お待ちしております。