レンゴクとシンメイ
立て籠もり事件を解決し終えたレンゴクとシンメイの二人は遵心会の本部を訪れていた。
仕事の完了報告自体は携帯する機器を使えばそれで済む事であり、わざわざこのような場所に来る必要はない。
彼らは本部にあるトレーニングルームを利用する為にわざわざ遵心会の本部へとやって来ていたのだ。
トレーニングルームは何部屋にも分かれており、そのどれもが一辺五百メートル近くと広く、天井まで二十メートルはあった。
さらに地面、天井、壁には特殊素材が使われていて、高い強度と完全な防音を実現しており、トレーニングルームの隣には充実した医療設備と腕のいい医者達が常に待機していた。
「さて、まずは攻撃を見せてもらいましょうか」
普段着を身にまとったままシンメイが涼しげに言う。
「腰抜かさんで下さいよ、俺の成長っぷりに」
対してレンゴクは半裸の状態、ぼさぼさ髪の地味顔に似合わぬ隆起した筋肉を晒していた。
「それは楽しみです。ルールは前回と同じままで」
やわらかい口調でにこりと笑みを浮かべるシンメイであったが、レンゴクはその言葉の過酷さを知っている。
前回と同じ、それは二分の間にわずか一発の効果的な打撃を反撃せぬシンメイに与える事。
そしてそれがどれほど困難な事であるかをレンゴクは二週間前に体験していた。
休憩を挟みながら何度挑戦しても、ただの一発もいれられなかったのである。
「最初から全力でいきますよ」
「もちろん、そうして下さい」
シンメイが部屋の機器を操作してタイマーをセットする、時間は二分。
二人が位置につき、しばらくして部屋に電子音が響くと、その音を皮切りにしてレンゴクは一気に距離をつめた。
そして拳の連打をシンメイに浴びせかけた。
音が鳴る。
レンゴクの拳が空を切る音が。
音が鳴る。
シンメイが拳を受け、捌く音が。
効果的な一撃、その快音は聞こえない。
三十秒近い連打、時に蹴りを混ぜての連打、連打、連打。
常人ではそれだけで息切れしてもおかしくないほどの高速の連打。
しかし、その全てをシンメイはかわし、捌き、受けきっていた。
それでも壁とシンメイとの距離がじわじわ縮まっていく。
――しっかりと考えて打ててますね。
シンメイは気付いていた。レンゴクがシンメイを壁へと追い込むように攻撃を組み立てていた事に。
そして彼はわざと、そこから無理に抜け出すような真似はしない。
これはレンゴクの訓練であり、彼の成長を見る為にやっている事。レンゴクがここからどのような攻撃を考えているのか、それを見る必要があるとシンメイは判断していた。
まだ壁まで距離はある。
「まさかこの程度ですか」
シンメイの安い挑発にもレンゴクは反応を見せず、ただ無心に攻撃を繰り出す。
――集中できてますね。
連打、連打、連打、さらに三十秒。すでに一分以上もの連打をレンゴクは続けていた。
その拳の速度は落ちず、その拳の精度は落ちず、その拳の威力はいまだ落ちない。
しかしそれでも、レンゴクの連打はシンメイを効果的にとらえられずにいる。
――さて、どう来ますかレンゴク君。
だが、ついにレンゴクはシンメイを壁際へと追いやる。これ以上シンメイは下がる事が出来ない。高速の連打をやり過ごすには明らかに不利である。
しかし意外にもここでレンゴクは攻撃の手を止めてしまう。
「どうしました」
シンメイの問い掛けにレンゴクは表情を変え答える。
「いやあ、さすがだなって。ちょっと嫌になりますよ、この差に」
「ギブアップですか?」
「安心して下さいよ。諦めは人一倍悪いつもりなんでね。次で決めますよ」
残り時間もわずか、レンゴクの意図がどうであろうと結果は間近に迫っている。
静寂が訪れる。
雑念を断ち、隙をうかがうレンゴク。彼の気がある瞬間、流れを変えた事をシンメイは見落とさなかった。
――来る!!
レンゴクの気が瞬時に彼の脚へと集中する。それは気による能力の向上を意味し、すなわち瞬発力の向上であり速度の向上である。
常人を超越した瞬きをする間もない高速のタックルがシンメイに襲い掛かる。
直後。
ドーン、と凄まじい衝撃音がトレーニングルーム内に響きわたった。
「大丈夫ですか」
シンメイがレンゴクに声をかけようと近付く。
――今のはちょっとまずいなぁ。
捨て身のタックルに合わせ、後ろに下がり、壁を蹴り跳ぶ事でその攻撃をかわしたシンメイだったが、それによりレンゴクはそのまま壁に激突。
うつ伏せにのびてしまっていた。
気を脚に集中させるという事はその分、他の部分の気を削ぐという事。それは防御面で見れば大変なリスクを孕んでいる。
あのタックルの速度で頭から壁にぶつかれば、それだけで普通の人間ならば死んでしまっていてもおかしくない。
能力者であるレンゴクとて大きなダメージを受けてしまっている。いや、下手をすれば万が一の事態にもなりかねない。
「まったく無茶をしますね。レンゴクく~ん生きてますかぁ」
返事はない。
そしてシンメイが倒れているレンゴクに触れようと体勢を崩した瞬間。それは放たれた。
まったくの不意であった。
レンゴクの足がシンメイの脛を蹴り飛ばす。
強烈な衝撃と同時にバランスを失い宙に舞うシンメイの肉体。その胴に起き上がったレンゴクの拳がそのまま叩き込まれた。
快音がなる。
遠慮はない。悪意も殺意も善意も躊躇もない渾身の一撃がシンメイをとらえたのだ。
そしてそのすぐ後に二分の制限時間が来た事を知らす電子音が部屋に響いた。
「合格っすよね。シンメイさん」
けろりと笑いながらレンゴクは吹っ飛ばされ仰向けに倒れるシンメイを見下ろした。
「ここまでしますか……」
起き上がりながらシンメイは少しだけ苦しそうに顔を歪めている。
が、あれほどの一撃を食らいながら、ダメージはそれほどないようで脚もしっかりしていてふらつくような素振りはない。
――化け物だな。
レンゴクの正直な感想であった。
あの短い時間、気による防御にも限度はある。手応えはあったのだ。
自分にとってまさに全力の一撃。血反吐を吐くとまでは思っていない。しかし、目の前の男はまるで足の小指を角にぶつけただけかのように平然としている。
――これが『A』との差。
遵心会に所属する能力者達はAからDまでランク付けされていた。上のランクにいくほど危険かつ高収入の仕事が受けられ自由もきく、下のランクほど仕事は限られ活動の制限も受ける事になる。
Aランク。遵心会から能力者としての『個』が認められた証。それを手にする男ヤスダ・シンメイ。
対して、新人であるすべての者に与えられるDランク。レンゴクも例外ではなくそのうちの一人にすぎない。
「どこまでっていうのもないでしょ、俺らの戦いに」
内心の焦り、失望を殺し、レンゴクは冷静に振舞う。
「ふむ、確かにそれはそうなんですが……。これまで何人も見てきましたが訓練でここまでやる人間はそうはいませんよ」
遵心会では基本Aランクの者がDランクの指導をする事になっているのだが、やはりそういった事を面倒に感じる能力者達は多く、シンメイのような人間に新人教育は押し付けられてしまう。結果として、遵心会の新人の多くをシンメイが面倒みる事になるのである。
「褒め言葉として受け取っておきます」
「前向きで大変よろしい。……っと軽口はこのへんにしておいて。素直に感心しましたよレンゴク君。タックルを外して倒れているあの弱々しく不安定な気の演出、すっかり騙されてしまいました。それにそこから瞬時に気力を高め、各部位に集めるだけのコントロールセンス。素晴らしい」
レンゴクの気力は現在それほど大きくない。とくに遵心会のような大手の新人としては下から数えた方がはやいくらいであろう。
能力者にとって気力は機械におけるガソリンエネルギーのようなものでそれだけがパワーに直結するわけでないにしても、大きく関わり重要となる要素である事に違いはない。
気力の量で劣るレンゴクにとって気のコントロールは、彼がこの業界でやっていくに生命線となるであろう部分。そこが他者に簡単に負けていては話にならない。
「でもシンメイさんもさすがですよ。あの状況から俺の一撃に耐えられるだけの気をコントロールしてたんですから」
「そこはまぁ、一応私もAランク、ですからね」
Aランク。努力だけでは到達不可能な場所。シンメイもまた『才能』に恵まれた超人であるのだ。気のコントロールなどセンスがあって当たり前。
「けれどレンゴク君もこれからの人ですからね。良いモノ持ってるのは私が保証しますから」
二人がそんなやりとりをしているとトレーニングルーム内に再び電子音が鳴り響く。
さっきと音は違う。
何者かの来室を知らせる音だった。