浦島姫子の微笑
◇ ◆ ◇
それから後の、事の顛末を話さなければならない。
気絶した玉手譲と保護されたヒメは病院に運ばれ、大事を取って検査。
ヒメの方は怪我もなく至って無事であった。が、玉手の方はというと前歯がきれいにぽっきり折れ、鼻の骨が骨折という結果が宣告された。
「許してチョンマゲ」とお決まりの謝罪文句と、生まれ変わった俺の幼女的可愛さで情けを乞うも、そんなものは通用せず、しっかりとハナからはお叱りを受けた。人にストレスをぶつけてはいけない。反省。
同時に保護し、眠りについたブロンドの幼女――所持していたロケットペンダントには『ストラ』という名前が刻まれていた――も、しかるべき医療施設に運び込まれたそうだ。
痣や内出血などの外傷や、長時間洗脳状態にあったことから慎重に治療を進めていくらしい。幸い命に別状はなさそうだと聞いて安心はしたが、ストラという名前らしき幼女に関しては後日の報告を待つ。
玉手譲に関しては、現代の医術の発展により、骨折程度ならば半日で治療が終わるということなので、明日の朝にはきつい取り調べが待っているだろう。
余罪はボロボロ出そうだ、と警察が息巻いていたので、同情はせずこってり絞られることを期待しよう。変態ロリコンマッドサイエンティストの罪は重い。
ヒメは一度病院を経由して研究センターに戻ってきた。様子を見ると、精神的なダメージを表には出さないが、どこか憔悴したような顔色をしている。
現場で少し涙を見せたが、そのあとは気丈を装っていた。おそらくすぐに仕事場に戻ることを強く考えていたのだろう。検査入院を断ったという話も耳に入っている。
ミヤは笑顔で無事を迎え入れたが、俺とハナは考えることが同じなのか、互いに目を合わせながら肩を竦めて小さなため息。
「午後五時から三人のお暇、入れさせてます」とハナのなんともありがたい気遣いもあり、ヒメが戻ってきて早々、俺はミヤとヒメを連れ、夕方の町へと繰り出す。
ヒメは少々渋ってはいたものの、「休息を取るのも司令官の命令だ」と押しきってなんとか連れ出すことに成功する。
向かう場所は、俺が生きていた三十年前、それよりさらに大昔から営業している、日本の古き良き文化の象徴とも言える場所。
「いやぁ、やっぱ銭湯っていいもんだなぁ」
「姫子! すごい、このお風呂泳げるよ!」
「……魅夜子、あまりはしゃがない」
例の動くメインストリートから外れた下町にある古い銭湯だ。おっさん時代もよく部隊の野朗たちを連れて行った贔屓の場所。疲れた時にはこれに限る。
調べてみると、時代の波に流されずこの未来の時代でも営業を続けていたので、こうして二人を連れてきたわけである。
番頭のお婆さんがお姉さんに変わっていたのを見た時は、やはりほんの少しだけ寂しさは感じたが。
この夕食時が近い夕方の銭湯は人がほとんど入らず、ゆったりできるので気に入っている。実際、今も俺たち以外、女湯に人の姿はない。
中身の記憶はおっさん時代のままなので、人が多い女湯に微妙に抵抗があることが理由でもあるが。
「お風呂から富士山が見えるなんて、不思議だよね!」
「ミヤの反応はほんとに素直だなぁ……」
大きいお風呂にはしゃいで泳いだり、電子画面で四季折々の富士山画像を映し出す電子画面をじっと見たりと、テンプレートな子供の反応をしてくれてなんとも微笑ましい。
ヒメもヒメで分かりやすく、広い風呂に慣れていないのか、顔を下半分、風呂に沈めながら俺の隣でじっと座っている。
意外だったのは、今の俺に迫るサイズのバストだったということだが、それはスルーしておく。
ミヤが少し離れたところで潜ったり浮いたりして遊んでいる中、ヒメがこちらを向いて不意に話しかけてくる。
「……全部、見た?」
「何が?」
「……カグヤが、紙媒体の事件資料を渡したって報告してくれたから」
それを聞いて「ああ」と納得しつつ、軽くうなずいてみる。俺は「だけど」とも続ける。
「親切で、かつお前さんを大事に思っている人に全部聞いた。すまんな、勝手に聞いて」
「……そう」
ヒメの表情を見るに、情報提供者には薄々勘付いてはいそうだが、怒っている様子はない。
少し間が開いた後、ヒメは顔を風呂で塗らして深呼吸をした後に、また口を開く。
「……どう、思った?」
「どうって、そう言われてもなぁ」
『どう』とは、おそらくヒメの隠していた過去についてであろうが、俺は特別なコメントは言わない。
しかしそうはいかないのもヒメの気難しく、子供っぽいところかもしれない。
「……私は、私のことをまだ許していない」
静かに、沈んだ声でヒメはそう述べる。
俺が現場に放置されていたヒメの白衣を回収した時に見えた『Jin Urashima』――姫子の父、浦島神の刺繍。
あれから推測するに、ヒメはずっと、父の遺品である白衣を手放さなかったのだろう。
それは、今でも故人である父を愛している証拠に他ならない。サイズに合わないも肌身放さずそれを着ていることが、その事実を物語っている。
だが、遺書という死に際の最期の言葉で、『お前が居たから死ぬことを選んだ』ということを突きつけられた姫子は、ずっと自分を許せずにいるのだろう。
自分の愛したものを、自分の存在が殺したという事実を心に刻んで。
「……けど、知られるのは怖かった。我儘でも、それだけは嫌だった」
知られれば、罵倒でもされるだろうか。それは違う。
「……玉手譲は、『親殺し』と罵った。私はそれを否定できなかった」
同情されるか、励まされるか、黙ってそれを聞き届けるか。ほとんどの人間はどれかの反応をするはずだ。玉手譲は例外中の例外である。
しかし、ヒメはその事実を、いたずらに思い出したくなかったはずだ。それを思い続ければ、自分自身の『何か』に押しつぶされ、殺されそうな気がしていたからだ。
「……そして、私のせいで、玉手譲は狂い、事件を起こした。原因は私。――それが事実だから」
一種の懺悔だろうか。時には独り言のように、時には俺に何かを迫るようにヒメが話した。
俺の胸の中で感じる、タバコの煙を多く吸ったような違和感。これはもしかすれば、テレパシーによって伝播したヒメの負の感情なのかもしれない。
はっきり言って、俺は呆れていた。ため息を吐いて、ヒメに方に向き直り、視線を合わせ、言葉を投げかける。
「なぁ、ヒメ。親を大事にするのはいいことだが、はっきり言うぞ。子供を残して自分から死ぬ親なんて、親失格のクソだ」
「……」
一瞬、ヒメの表情が曇った気がしたが、それ以上の反応はない。打たれる覚悟もしていたが、それはなかったので俺は話を続ける。
「『娘に勝てない、親として存在価値がない、比べられるのは苦痛だ、だから死ぬ』――こんな理由なんてクソくらえだ。ヒメにとって、父親は自分だけってことを忘れて、自分の都合で逃げた最悪野郎だよ、浦島神ってやつは」
少なくとも俺はそう強く思っている。自分の守るべき子供を勝手に捨てて楽になった気でいる最低の親だ。
誰かが「それはエゴイズムの押し付けだ」と声高々に否定しようとも、こうしてヒメを実際に悲しませ、苦しめている以上、それはもう人間として最悪なことだ。
俺も、これは他人事ではない。だからこそ、強く訴える。
「その最悪な親のためにな、お前が苦しむことはないんだ。いっそ新しい父親を見つけてほしいぐらいだ。お前はお前の幸せを見つけろ。死んだ奴のことひとつでずっと重荷を背負うな! 背負うなら周りの奴らも巻き込むぐらいの気概でやれ頭でっかち!」
思いの丈をただぶつける。俺はただ、素直に笑うことが出来ないヒメをどうにかする。
助けを求めていた一人の幼女を助けることは義務でも使命でもなく、俺のわがままだ。
きっと、あの時聞こえたヒメの「助けて」というテレパシーは、ひとつだけの意味ではないから。
「ミヤもハナも、お前のためなら無茶してくれる奴らさ。――もちろん俺もだ。俺はお前らの『友達』で『保護者』だ。そうなるって俺が決めた、ひとつの我儘だ」
真剣な顔を崩して、優しい笑顔を俺なりに作りながら、ヒメの頭を優しく撫でる。
決してヒメをけなすためではない。俺はただを、ヒメの素直な笑顔を見てみたかっただけのことである。
「困った時は助けを求めろ、そしたらみんなですぐに飛んできてやる。いつまでも後ろを向くな、後ろを向けば足を引っ張られるだけ。後は――俺に甘えろ。お前たちを支えるのも、俺の仕事で、俺のワガママだからな」
「……」
自分でもあまりらしくないことを言った、と内心思っているが、これが俺の素直な気持ちだ。
ヒメは自分を責めることは非常に馬鹿馬鹿しいと俺は思っている。当人から見ればそれは大事な枷なのだろうが、その枷が重いと嘆き苦しんでいるなら俺は助ける。
それが大事なものだと、当人は訴えるだろう。俺も、すぐにその枷を壊せるとは思っていない。
枷を外せるまで、誰かが肩を貸さないといけないのだ。
ハナは言っていた。この子たちに必要なのは親――見守ってくれる近い存在だと。
俺は、その言葉に強く共感し、そうなりたいと思った。そのため、これは特別なことではない。
今ではただの九歳の幼女の体となったが、心だけは、自らをヒメたちの『父』と名乗っても恥ずかしくないようにしたい。
だからこそ、俺はこの場でヒメを『叱った』。それをどう受け止めるかは、ヒメ次第だ。
合間に流れる静寂。ヒメは顔を俯かせ、何かを考えている様子だが、少ししてヒメも俺の方に視線を合わせる。
「――パパのことは忘れない。けれど……もう、パパの背中を追うのは、休もうと思う。パパは、パパ一人だけだから」
「そっか」
「……けど、司令官を"信用"するだけじゃない。……ちゃんと、"信頼"してみようって。そう思えたから、もう、大丈夫」
「お互い様ってところだな」
「そうだよっ! しれぇもボクも、花咲さんもちゃーんと姫子のこと信じてるから!」
「ミヤ、お前急に風呂の中から顔出すな。顔にお湯被っちゃったじゃねぇか」
ばしゃあと風呂の中から急浮上するミヤ。ミヤは耳もいい。おそらくずっと俺の話に聞き耳を立てていたのだろうか。
俺もうかうかはしていられない。二人にこう公言した以上、しっかりとしなければならないのだから。
「……二人共、ありがと。ほんとに」
「よせよ、わざわざ礼されるのは照れる」
「えへへ」
ヒメからのお礼に、俺とミヤは仲良く同じように照れながら頬をかく。
ヒメの顔が、雪解けのような、ほのかに暖かい微笑を浮かべているような気がした。
【Chapter2 完】