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浦島姫子の葛藤

   ◇ ◆ ◇


「――んっ……」


 浦島姫子が不意に意識を覚醒し、思考力を取り戻した矢先に感じたのは、冷たい空気とコンクリートの感触であった。

 ぼやける視界を振り払い、鮮明な光景が目に見えると、周囲の空間は四方、劣化し始めているコンクリートに囲まれている。

 光は小さな窓ガラスから漏れるのみ。その光が差し込む先には、ひどく血色が青く、不健康に痩せこけた白衣の男性がリラックスしながら姫子の前にある古ぼけた椅子に座っていた。

 その男性――玉手譲の冷たい視線もそうであるが、その空間の冷たい空気が姫子の寒気を増長させる。

 遅れて姫子は気付くが、姫子の今の姿は、両手が手錠で拘束されており、全裸の上に無造作に羽織られた毛布一枚だけだ。

 とっさに露出しかけた自分の肢体を隠すように、不自由になった両手で必死にもがき、毛布を全体に羽織る。その様子を見ていた玉手譲はため息をしながら口を開く。


「失敬。小生にそういった趣味はないので勘違いはしないよう。ただ、頭が回る姫子さんのことだ。服に小さな発信器でもあると面倒なので、一応ボディチェックをしただけです」


 譲が寄りかかっているテーブルの上には、放り出されたように乱雑にまとめられている姫子の服が置かれている。

 「意外と少女っぽい反応もするんですねぇ」と譲が嫌味を混じらせたようないらぬことを呟きつつ、姫子は今の状況を整理し終えて、譲を睨む。


「……玉手譲、やはりあなたが」

「さすがは頭がキレるお方だ。ということは、目的も知っているということですかね」

「……」

「実に憎たらしい。――"親殺し"同然の貴方が、のうのうと生きているなんてね」

「っ……」


 譲は立ち上がり、舞台の上の演者の如く、わざとらしく声を張り上げ、まっすぐと姫子に人差し指を突きつけながら言う。

 玉手譲。かつては研究センターのスタッフであり、高名な科学者であった浦島神の弟子であり崇拝者。

 浦島神が進めていたウラシマ粒子研究の熱心な信者であり、浦島神の自殺の原因とも言える浦島姫子を大きく憎んでいた人間。

 浦島神の死後はウラシマ粒子の後継者になろうと執心するも、姫子の意志によって封印されたウラシマ粒子を蘇らせようとする狂信者として扱われ、学会と現在抗争中。

 最近ではその動きも沈静化傾向にあると聞いていたものの、先日に発生した爆破テロ未遂事件の黒幕として、姫子が最も警戒していた人間。

 しかし、姫子はまさか、ここまで直接的に接触してくるとは想定外だったと言える。


「姫子さんがお察しの通り、小生の望みは『ウラシマ粒子の封印を解くこと』。ただそれだけなんですよ。そう、それだけ。こうして直接的に話をしてみたかった。少々乱暴な扱いにはなりましたがね」


 浦島姫子は沈黙を貫く。玉手譲の願望は、おそらく姫子からウラシマ粒子の全容を聞き出すこと。

 だからこそ、あちらのペースに飲み込まれてはいけない。今の状態が危険にあるからこそ、その意思だけは崩されてはならない。

 奥底に感じる恐怖心を、その決意で覆い隠す。依然として姫子はするどい目のまま、後ろにじっと立っているボロボロの服を着ただけの幼女――車に乗っていた虚目の幼女に視線が移る。


「……その子は?」

「ああ、これは拾い物みたいなものですよ。世にも珍しい、精神干渉系先天技能を持つ優れもの。これを拾ったおかげで、随分楽させてもらった」


 自分の購入した高級車を自慢するかのように、その幼女の長くぼさぼさした髪を掴み上げつつ、薄気味悪い笑いを浮かべながら紹介する。

 そうされている間も、幼女は虚ろ目のまま反応を示さない。それこそ、まるで人形のようだ。

 精神干渉されたと思われる操られた添乗員の様子と似ていることから、姫子は『彼女もまた精神干渉によって操られているのでは』と推測を浮かべる。


「……その子に、その子自身の能力を使わせた」

「ご名答。こいつの能力は『視線を合わせた人間や動物の思考力を一時的に消去する』こと。人間の頭の中を白紙にし、その白紙状態の頭に命令を刷り込ませれば、言うことを聞くだけのロボットになる」


 愉快そうに説明した譲は、今度は幼女の掴み上げた髪を乱暴に引っ張り、そのまま右足で幼女の体を勢い良くけとばす。

 もちろんその幼女の体は吹き飛ばされ、壁にぶつかり床に伏せるが、痛みを訴えることもなく、言葉も発さず、暫くした後によろめきながらも立ち上がる。


「思考力を奪ってしまうせいで、考えて行動させることはできない。単純作業をこなす人形を作り出すだけなんですよ。こうして痛みすら反応を示さない頭にさせては、『研究を手伝え』とあなたに命令させても全然役には立たないわけだ」


 聞きもしない情報を、擦り付けるように語る譲。

 得意げな顔を崩さないまま、睨む姫子の視線に合わせるようにしゃがみ込む。

 姫子の視線は一層と険しくなり、かすかに感情的な怒りも滲ませている。

 それに対しても動じることもなく、ただただ不敵に譲は笑みをこぼす。


「別に姫子さんを殺そうだなんて思っていない。俺はただ、浦島神博士――あなたの父親の研究を世に出したいだけなんですよ。分かります? 科学ってのは、世に出てこそ真に完成されるものなんです」


 さらに姫子に顔を近づかせ、暈が深い目でじとっと視線をぶつけながら囁く。


「あなた、父親だけではなく、父親の研究まで殺すとは、最高の親殺しですよ」

「……黙って」

「黙りませんねぇ。小生の恨みはまだ晴れません。こうしてわざわざ、親切な説明をしてやったのは、あくまで『あなたの力が必要だから借りたい』だけなんですよ? 自ら悪事を暴く頭の悪い悪者を演じていたわけではない。立場を勘違いしないで頂きたいなぁ」


 あくまで姫子をなぶるような口調の上、曇った目で姫子を睨む。彼の深い怨恨と執着は、姫子の恐怖心を増幅させ、精神的に追い詰めていく。

 自身の中にある、父親への意図せぬ罪悪感は、姫子自身を苦しめていた。少なくとも自分がいなければ、浦島神があの結末を選ぶことはなかったのだから。

 周囲の人間は、決して姫子を責めることはなかった。しかし、それが姫子が自ら背負った十字架を重くしていた。

 気がつけば、姫子自身が一番その話題を忌み、自身の為した罪のように感じ、それを、自分が好きな人間に知られることを恐れていた。

 孤独にこの玉手譲と戦う決意をしていた。誰も知らない内にこの問題が片付ければ、また普通の自分に戻れる。

 そう思い、ただただ胸に秘めたままだった――結果がこれだ。

 浦島姫子の頭脳は大人の数十倍もの優れている。しかし精神は、そこにいるのは九歳でしかない一人の幼女だ。

 知らぬうちに、姫子の精神は不安定になっていき、両足が不随意運動の発作によって大きく震える。


「本当に、あなたが父親を思うなら、その遺志であるウラシマ粒子を世に出し、浦島神の名前を轟かせる。それこそが残された子の為すべきことではないですか、ねぇ?」

「だめっ……あれが広まれば、未曾有の機械災害が発生する……そうしたらどうなるか……っ!」

「それもまた『科学の進化』ですよ? 想像もできないことを巻き起こすなんて、まさに科学の真髄だ! 浦島博士の素晴らしさが広く知れ渡る! これほど嬉しいことはないぃ!」

「パパの研究で……世界をめちゃくちゃにしたくないだけなのにっ!」


 譲の語気は乱れ、荒く、叫ぶように。その目はどこか遠くの、ここではないどこかを見つめているかのように曇り、虚ろで、遠い目をしている。不気味だ。

 姫子は涙目で、涙が溢れるのをじっとこらえながらも、必死に訴えかける。それが虚勢であっても。

 その様子を見た譲の目は一変、冷めたような目に変わり、眉をしかめながら指を鳴らす。

 直後、ただじっとしていた虚ろ目の幼女が、手にカバーの付いたボタンが目立つ無線機を持ち、譲に近寄る。

 

「これは、研究センターの内部に仕掛けた戦略用設置爆弾の起爆スイッチです。こういう古典的方法に頼るのはいささか小生好みではありませんけどね」

「ッ!? そんな、内部に不審物が設置されるなんて……!」

「セキュリティの仕組みは分かっていましたしね。あとは内部の人間に命令をインプットさせて、そいつらの体に設置すれば、歩く爆弾の完成です。今度は本物の爆薬式爆弾だ。施設にいる人間だったら特別な肉体能力者でもなければ……ヒヒヒ。交換材料です。あなたが協力すればなにもないし、意地悪に返事を引き伸ばすと、大事な仕事場が木っ端微塵になる。ただそれだけなんですよ」


 姫子は細く笑う譲を無視し、幼女の持つ無線機を見つめる。しかし、それを確認した幼女が片手を伸ばすと、姫子の体は強く見えない力によって動かなくなり、声すら発せなくなる。

 その姫子の姿を確認した譲は、愉悦を滲ませて


「そいつには対象の動きを止める念能力もあるんです。近づいてスイッチを奪おうなんてナンセンスだ。そいつは命令通り、スイッチには近づけさせないし、その気になれば死んでもスイッチを守る。命令ひとつすれば、今すぐ舌を噛みちぎらせて音もなく殺せる」


 もがき苦しむ姫子の顔をいじらしく持ち上げ、再び姫子に囁くように、頭に刻ませるように。

 強く、ぬらりとした口調でただひとつを命令する。


「さぁ、一緒にウラシマ粒子を解き放ちましょう。向こうにいる浦島神博士のために。あなたの贖罪のために」

「……!」


 姫子は崩れそうな自分の心を寸の所で抑え、泣きそうな瞳のまま、心に中で叫ぶ。

 どこかにいる、大事な人たちへの、助け求める弱々しい声を。

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