比較対象が悪い例
国際三種特殊先天技能研究センター日本支部は見た目以上に広大だ。
地上部分も大層なビルディングであるが、何より地下施設部分が非常に巨大。日本の建築法がガン無視された国営の秘匿施設である。
研究エリアや中枢エリアに機密エリアなど、外では軽々しく中身が言えないような施設が収納されているのはもちろんのこと。
最も研究センターの幅をとっているのは、何を隠そう居住エリアだ。
普通の児童教育施設――特児法によって親元から離れ教育を受ける大多数の子どもたちがいる場所――は、大体は教員も子供達も、施設のそばにある寮が居住空間だと聞いている。
多くのスタッフや特別な子どもたち――『アドベント・チルドレン』を研究センターの外から出さないのは、やはり『色々と普通ではない』ためだろう。
本日付で研究センターのスタッフとして働くこととなった俺、越前龍之介も例外なく地下の中暮らしの仲間入りなのだ。
〈今日の日付は三月三十日、天気は晴天です。ラッキー料理は『鶏肉の治部煮』です〉
「昨日は『はたはた鍋』だったし、なーんでこうローカルな郷土料理ばかり……」
この微妙にニーズが分からない自動モーニングコールはともかく、イメージと違い地下施設暮らし快適なものだった。
まず、朝になると太陽光が差してくる。この時点で地下施設の常識が崩壊しているが、正確には『窓型スクリーンに映し出された太陽の映像に合わせて擬似太陽光を浴びせている』だけである。
ベッドのそばにある窓に見えるものは窓型スクリーンであるため開かないものの、スクリーンには青々とした大自然、の映像。
小鳥のさえずりに川のせせらぎ、の音声が流れる音響。
季節によって桜景色になったり、雪景色に変化したりと、無駄に凝っている。
部屋自体は六畳一間の部屋構成にトイレとバスは別、と独り暮らしには申し分ない内容。
俺はそれに関しては心底どうでもいいのだが、一番気に入っているのは、部屋の隣に専用のトレーニングルームがあるところだ。
たとえ九歳の幼女に生まれ変わろうとも、昔から染み付いた習慣は頑固なシミのようなもの。
パジャマ代わりのワイシャツ一枚からジャージに着替えて、朝六時からのトレーニング三昧。満遍なく鍛え、スタミナを付けるこの作業は、特殊機動隊時代の文字通りな朝飯前なのである。
スタッフの食堂は朝の七時半から開かれるので、およそ一時間はトレーニングルームにこもり、シャワールームで汗を流した後、気に入っている例の大きすぎる軍服を着て食堂に向かう。
この長い銀髪はなんとも洗いにくいので三十分近くは時間がかかってしまうのだ。ドライヤー作業含む。
研究センターに所属しているスタッフの食事は、ほとんどが食堂で済まされる。メニューは意外と多国籍。ケバブに生春巻きにユッケジャンなどなど。
食事のスタッフも選りすぐりということで味もいい。生前は同僚や後輩の食事担当であった俺の心は容赦なく折られた。それぐらいうまかった。
事前に説明は受けていたものの、今までは食堂で作られた弁当だけ。実際に食堂に来たのは今日が初めてなので、適当に日替わり定食を注文する。
「ああ、ラッキー料理が治部煮ってこういう……」
日替わり定食もとい治部煮定食がのせられたトレイを持って、俺は窓――に見える窓型スクリーンのそばの席へと座り込む。
テーブルの上で塔のように積み上げられた大量のおむすび。遠くから見てもその人物だと分かる俺の前の席には、案の定ミヤがいた。
「今日も食ってるな、ブラックホール胃袋」
「あっ! しれぇおはよー!」
「おはよーさん。……見てるだけでお腹いっぱいになりそ」
朝から軽い冗談を混じえたあいさつを交わしつつ、いただきますと手を合わせる。
治部煮とは甘じょっぱくとろみのある餡のようなタレで煮込んだ煮物料理のことだ。
ご飯と一緒に食べながら一口。いかにもご飯と相性抜群な味付けのタレが、ご飯と絡んで実に美味である。
その様子を見て、実にわかりやすい懇願の視線をまっすぐぶつけてくるミヤ。
本人は無自覚なのだろうが、じーっとおいしそうだなぁ、と見ているその様子は『待て』をもらった犬みたいだ。
呆れ混じりで笑いながら、煮込まれた鶏肉を摘んでミヤの前に持っていく。
「おむすびだけじゃなくておかずも持ってくればいいのに。ほら、あーん」
「あーん」
ミヤはひとくちでぱくっと。
食べた直後に輝けるようないい笑顔で「うまーい!」と言ってくれたのでよしとしよう。
食べ物ひとつで心底喜ぶのも、食い意地が凄まじいのもミヤの魅力だろう。多分。
俺が治部煮定食を完食した間、あっという間におむすびタワーを食べつくしたミヤは満足そうな顔で話してくる。
「しれぇは今日から働くんだよね! 今日は一緒だって姫子が言ってたけど、なにするんだろ?」
「えーと、今日は必要事項の説明をかるーく受けて、能力訓練をちょちょいとしたら終わりだって言ってたなぁ」
「ということは午後からいっぱい時間あるよね!」
「まぁ、そうなるな」
暇な時間で何かすることがあるか、と脳内検索をしてみても、トレーニングルームにこもるだけという寂しい選択肢しか浮かばなかったので暇だということにしておこう。
生前の特殊機動隊時代は一応リーダーではあったので、実に煩わしい書類仕事が多かった記憶がある。
この施設ではそういった仕事の大部分はヒメが片付けているとのことなので、俺の出る幕はないそうだ。
暇人万歳。いや、やることが筋トレだけで何が暇人万歳だ。
「今日ね、モモを外にお散歩させてあげようと思って! 一緒にいこっ!」
『モモ』というのは、三日前に発生したメニーランド爆破テロ未遂事件の際に暴走したケルベロス。
つまり、俺とミヤの奮闘によって助け出され復元された人工ペットのことだ。
現在はその機能を特製の柴犬ボディに移植され、『てつ』という名前から『モモ』という名前に改名され、ミヤのペットとして可愛がられている。
「散歩かぁ。まっ、暇だしいっか。付き合ってやるよ」
「やった! 途中でゲーセンに寄ろ!」
「……格ゲーはなしな」
「えーっ!」
先日、喫茶店『わらべ唄』に行ったついでに寄り道した格ゲーの悪夢が思い出される。
見事なほどミヤにぼっこぼこにされ二十戦全敗。負けじと次のガンシューティングゲームに挑戦するもミヤの人外的な動体視力を前に全敗。
大人としてのプライドを捨て、『完徹無敗の龍』と呼ばれていた俺は麻雀ゲームにてミヤに大人気なく完全勝利するも、敵討ちに交代したヒメにその後完全敗北。
四十年のプライドが、超人幼女によってズタボロにされた悪夢のゲームセンターである。
閑話休題。
「ということで、ゲーセンじゃないところ行こう」
「たとえば?」
「それは行ってからのお楽しみ。まぁ楽しみはとっとけ」
「うーん……分かった!」
ミヤは一瞬不思議そうな顔をするも、気にせずすぐに笑顔で元気のいい返事。
朝の食事を終えた俺とミヤは、その後すぐに研究センターの奥、チルドレン・ターミナル『竜宮城』へと向かう。
竜宮城にはこんもりと紙媒体資料を持ったハナとヒメがいた。
ハナはいつものようにほほんにへらとした笑顔。一方のヒメは寝不足気味なのか少し疲れている様子で、車椅子にぐったりとよりかかっている状態で休憩中だった体を起こして、俺の方に向き直る。
「おはようございますー」とハナが間延びしたあいさつを皮切りに、朝一番の朝礼が始まる。
「それではまずは、本日付で研究センター所属特殊部隊の司令官に就任された越前龍さんですー」
「どもども」
結局、この体としての名前は越前龍に決定した。肉体年齢は九歳。ぴっちぴちの新人である。
胸ポケットに支給された身分証明のカードを付けて軽い礼。
ヒメとミヤとハナがまばらに拍手をくれる。そして間髪入れず、ハナは数枚の紙媒体資料を俺に渡す。
「なんだこれ」
「先日の身体能力判定の結果ですー」
それを聞いて「ああ」と納得。
身体能力判定などと大層な名前がついているものの、要は健康診断と大きく変わらない。
違うとすれば、測定内容に『射撃適性』やら『第三種先天技能測定』といった、細かい能力適性診断が多く設けられていることぐらいだろうか。
診断の結果をまとめると、まず健康状態は至って良好。
運動能力は普通の同年代女性よりまぁまぁ動ける程度。
一番突出していたのは射撃適性で、「ランクD−」から「ランクS+」の中のうちの「ランクS-」。「S-」というのは普通の人間の限界点で、それ以上のランクは超能力の領域となるらしい。
そして一番気になっていたのは、俺の体が持っている『第三種先天技能』、つまりは超能力だ。
俺の予想通りと思われる結果が出ていた。
「『限定的な思念交差能力』と『稀有なケースでの記憶遺伝(可能性)』……この思念交差能力ってのは、いわゆるヒメが言っていたテレパシー能力ってことだよな?」
ヒメは肯定の頷きを見せると、専用の電子資料を開きながら説明を続ける。
「……『限定的』と記述したのは、テレパシーを使える人間が限られているため」
「たとえば?」
「……両者互いに強い信頼関係を結んでいる人間同士なら可能、だと推測される」
俺が気になっていたのは、対ケルベロス戦の際に聞こえたミヤの心の声――テレパシーのことだった。
もしやと思いヒメに相談したところ、推測通りにテレパシー能力が発現していたということである。
強いテレパシー能力者は、相手に関係なく心の声を受信できるらしいが、可能なのはテレパシーの受信のみ。
俺のように、相手は限られているが、相手側にもテレパシーを送信できるのは稀有なケースだという。
これから深く研究しなければ全容は分からないらしいが、つまりはミヤと俺の信頼関係が成せた技ということらしく。
なんとなく気分が良くなったので「かわいい奴め」とつぶやきながらミヤの頭をくしゃくしゃと撫でてみる。
ミヤも嫌がらず、純粋に嬉しそうに喜ぶ。
お互い人懐こかったという結果であった。
「仲良い奴限定でテレパシーねぇ……んで、この『記憶遺伝』ってのは?」
「他者の記憶や技能の引き継ぎ……」
「あー……」
文字を見て納得。
ヒメが言うに、そもそもこの記憶遺伝というのは、血がつながっている人間同士で記憶の遺伝が発生することを指すらしい。
「たとえはですねー」とハナが補足。
「とある家に、その昔裸婦の絵画で有名になった画家さんがいらしたとしますよねー」
「なんでそのたとえで裸婦が出てきたのか」
ハナはそのツッコミをスルーして説明を続ける。
確実に俺のツッコミを面白がってる。おのれ。
「記憶遺伝というのは、その画家さんの類まれなる絵画の技能と一部の記憶が血縁者に――たとえばその人の曾孫さんとかにそっくりそのまま受け継がれることなんですよー」
たとえばピカソの遠い子孫がピカソの才能と記憶を受け継いで、画家の才能を発揮するということ。らしい。
有名人に限らず、曾祖父が経験した日本兵としての戦中の記憶を、知らないはずの曾孫が、言葉を喋り始めると同時に、急に語りだした等のケースもあるとか。
俺のケースは『まったく別人のおっさんの記憶と技能が丸々、知らぬ幼女の体にお引っ越しした』というもので、このケースは稀中の稀。というより史上初めてだそう。
なぜ血縁者ではない子供に記憶と意識が丸々移ったのか。なぜ今の体である幼女の記憶は皆無で、俺という記憶のみなのか。
わからないことだらけ故『稀有なケース』でまだ『可能性』ということ。
しかし、こうして文字として俺の能力を見た後に、ミヤとヒメを見ると、こういう感想も浮かぶわけで。
「覚悟はしてたが、ミヤとヒメとで比べると大したことねぇなぁこの能力……」
「……研究材料『としては』実に有益」
「『としては』なっ」
「そんなことないよ! 電話いらずで話し放題だもん!」
「まだアドレス帳の中身お前だけなんだけどな」
ヒメのフォローにならないフォローと、ミヤの率直素直な感想をもらいつつため息。
わがままとしては、もっと『頭が良くなる』といったものが欲しいところではあったが、そもそも先天技能ということなのでおとなしく諦める。
少ししたあと、ハナのまとまった事前説明も終わり、「これから本格的な訓練を」とハナが朝礼を締めくくったところで、ヒメは出口の方に車椅子を向けてそそくさと退散しようとする。
「ヒメはこれから仕事か?」
「……今日は学会仲間との会食」
「姫子も休むついでに訓練見ていかない? この前言ってた――」
俺とミヤがそろって誘うも、ヒメはこちらを向かないまま首を横に振る。
「……ごめん、忙しい」とだけ言い残して、逃げるように竜宮城から研究エリアへとつながる廊下へと出ていく。
クールなイメージがあるのはもちろんだが、それを抜きにしてもどこかそっけない。俺はそんな印象を受けた。
ミヤとハナもそれは同じ意見のようで、不思議そうに肩をすくめる。
「姫子、いつも疲れてる時は膝枕お願いするのに……そんなに忙しいのかなぁ?」
「俺から見るに、忙しそうっていうより……何か別のことに必死になってる感じだな」
「実は浦島さん、例の爆破テロ未遂事件のことについて深く調べているみたいでー」
ハナの話を聞いた俺は、より不思議そうに顔をしかめる。
あの事件はもう犯人である科学者夫婦二人が逮捕されたことによって終わったことが周知。
現在はこちらの部隊の担当を外れ、残りの調査は警察が行っているからだ。
「なんでそんな今更?」
「それは私にも……浦島さんの発明品である人工ペットがきっかけだということを気にしているのでしょうかー」
「姫子は気にしなくていいと思うのになー」
「まっ、あいつにはあいつの思うことがあるんだろ。ハナ、早く本日の業務とやらを始めようぜ」
「……そうですね。では桃井さん、越前さん、本日はよろしくおねがいしますー」
半ばで無理やり話を切り上げ、俺とミヤは「オール・ステンバイ!」と恒例になった合言葉を返事に訓練へと向かう。
最も、ヒメのことが気にならないわけではない。俺はかすかに感じ取っていた。ヒメの切羽詰まったような雰囲気と表情を。
まるで腹に爆弾を抱えているかのような感覚を。これもまた一種のテレパシーなのだろうか、などと思いつつ、朝は過ぎていく。