第三幕 鬼と桃太郎
──我輩は梟である。
なんて、ちっちぇえ身体でふてぶてしい事を言ってみたりする。
身体中の体液が沸騰しそうになるくらいの高揚感と、心臓が破裂しそうになるくらい膨大な好奇心をもって外の世界へと飛び立ってはみたものの、羽がまだまだ未熟で空も飛べないおチビな僕は、ヨチヨチトコトコキーキーと歩いてみたけれども、ものの数十分で疲れ果ててしまった。いやあ、できることなら数十分前に戻って僕に「やめとけ!」とでも言いたいわけなのだけれど、そんな三文ファンタジーみたいなことは起きるわけもない。
嫌だ。
まだ死にたくない。
自分の死が現実に迫った時、とうとう心細くなってキーキーと泣いてしまった。死への絶望もあるけれど、きっとこの世にあるであろう、広く輝かしい世界を見ることは永久に叶わなくなった、そのことが何よりも辛かった。
──そんな時だ。彼が──僕の運命を大きく変える彼が現れたのは。
「うるせーんだよチビ助。ママのおっぱいが恋しいんでちゅか?」
そんなことを言って、しかし彼は僕を持ち上げた。
なんの動物かはわからない。何しろ、見たことのある生き物なんて、母親、兄弟、そして餌になった肉くらいしかないのだから。
どこか胡乱げで、お世辞にも良いなんて言えない目つきをしていた。第一印象は決して良好とは言い難く、あまり好意を寄せたいとは思わない。
「……って、マジで赤ん坊かよ。巣から落ちたのか? ……ったく、何やってんだよ」
そう言って肩に僕を乗せた彼は、めんどくせーとぶーたれながら、森の中で僕の巣を何時間も探してくれた。
○ ○ ○
「それが僕と、僕の恩人──赤井桃の出会いなわけさ」
場所は姫の拳打で半壊状態になったアパート『水の国』。管理人室はモロにダメージを受けたため、損傷がかなり酷く、今にも崩れそうになっている。
処置室に改造された101号室では現在姫の手術が行われている。
執刀医は勿論真理子で、そのサポートとして鏡がオペに携わっている。なんでも、多少ではあるが、その歳にして既に医術の心得があるそうだ。
残りの皆──ノー、先程目を覚ました瑠衣にメガネの青鬼は静かにキーの話を聞いている。
本当は肝心の姫が揃ってから話をしたかったのだが、それを待っているといつになるかわからない。そして、それ以上の理由として、メガネの青鬼がキーの話を一刻も早く聞きたかったのだ。
「昔話はいいです。必要なことだけ教えてください」
そんな事を言う青鬼にキーは「ハハ」と笑う。
「昔話ねえ。さっきも言ったけど、一応君たちにとっては未来の話になるわけだから、未来話になるわけなのだけど」
「…………」
青鬼は苦虫でも噛んだかのような顔をする。
先程から彼の話していることは、曰く、全て未来に起きることだったらしい。赤井桃と出会ったのも今から半年後の話で、自分はまだ産まれてすらいないとか。
本来ならそんな三流小説、笑い飛ばすところだが、この状況下で真実を知っているのが、彼しかいない以上、黙って耳を傾けるしかない。
そんな中全く話について行けてないのが瑠衣である。
目を覚ましたら、管理人室はバラバラだし、イケメン梟キーはなんか未来から来たとか言い出すし、全く初対面で、姫達の敵であるはずの青鬼とかいるし、当の姫は重症らしいし、その原因は『桃太郎』になった桃とか言われるし。
「ハハ。でも、君が言うことも最もだよね。そうだなあ。じゃあ、僕のいた未来の世界の青鬼がどうだったのか、という話からしようか」
「……未来の私達、ですか」
確かに、それはかなり気になるところではある。
目の前にいる猛禽類曰く、彼の話す未来は、もう起こらないことではあるらしい。その原因となるキーパーソンは、猛禽類自身と、赤井桃の妹を名乗る、桃瀬日の介入とのことだ。
「結論から言えば、姫ちゃんのパパ、赤井真熊はすごく青鬼のことを苦悩していたんだ。それで、彼の右腕であり、同時に盟友でもある雲隠七丸にさえ内密に、いくらかの手助けを青鬼にしようとしてたらしい」
「なんだと!?」
メガネの青鬼は立ち上がる。
そんなわけない。
今も青鬼の村では、子供が餓え、年寄りが病気になっている。
本来鬼というのは高貴で誇り高き存在であるというのが、青鬼一般的な考え方である。人間は牛や豚と同じ家畜であり、鬼がその施しを受けるのは、酷くプライドに反していた。実際五百近く前までは、青鬼が貴族という名で、宮殿に篭り、歌を詠んで過ごしていた。人間には、重税を引き、全国から集った選りすぐりの美女だけが、宮殿に入ることを許された。それを覆した憎き人間が、桃太郎と第六天魔王──織田信長である。裏切り者の赤鬼共と共同した桃太郎は当時の若い青鬼達を鬼ヶ島に集め、一網打尽にし、全ての富を奪われた。それでも残った青鬼で再起を画策したのだが、魔王織田信長が、種子島という銃を海外から輸入し、それが鬼に有効であることを知ると、瞬く間に世界の人間達の間に広めてしまった。その瞬間に青鬼達の立場は人間達に取って代わられたのである。結局、青鬼達が帰る場所は鬼ヶ島しか残っていなかった。気候や土壌は最悪。その年その年をなんとか生き残るので精一杯になる。
一方で裏切り者の赤鬼共は、小さいではあるけれど、豊かな土地を人間から与えられた。現在でも人間との関わりが少なからずある。本当にプライドというものがない、そんな奴らなのだ。
その前頭首である赤井真熊が、手助け?
冗談にしてもタチが悪い。
「青井氷山って知ってる?」
「当然だ」
青井氷山──青鬼村の現頭首であり、メガネの祖父でもある。厳格な性格で、初めの魔法も二十代にマスターし、現在では史上最大の五つもの魔法を使える。青鬼皆から慕われ、その孫であるメガネの憧れる存在の一人だ。
「真熊はね、氷山に青鬼達が人間の世界に馴染めるように尽力を尽くそうとしたんだ。何割かは赤鬼村に来てもいい。そう話をしたんだよ」
「そんなもの……呑めるわけないだろ!!」
そんなこと、青鬼のプライドが許せるわけがない。裏切り者に施しを受けるくらいなら──
「青鬼一同で餓死する方がマシ?」
「────っ!!」
青鬼は声にならない声を上げ、優男に変身した梟の襟首を掴む。
「ハハ。つまりそういうことなんだよ。なんだかんだで君みたいな青鬼でも比較的、食料の心配のない鬼はなんとでも言える。氷山もそうだ。だけど、貧しい青鬼はゆっくりと餓死していく。プライド? それ美味しいの?」
「お前に何がわかる!!」
「何もわかってないのはあんただよ」
「──っ!?」
梟の言いたいことはわかる。
わかる……が、この短時間でそれを認めることはできない。
「それでね」
「…………」
「鏡くんが赤井真熊の脳を食べて、そのことが、青鬼中に広まるんだ。勿論、君みたいな青鬼の偉い連中は君と同じ態度をとった。でもね、そうなると、今餓えて死にかけてる青鬼達は黙ってるわけにはいかない。今から半年後に青鬼の村、鬼ヶ島において内乱が発生する。権力を持った連中ってのは力は強いかもだけど、数は少ない。村の半分が死に絶えた結果、最後には、青井氷山の首は獲られた。……首を獲ったのは誰だと思う?」
「………………」
青井氷山の強さは、年の所為もあって、体力こそ無いが、赤井真熊と負けず劣らずの実力がある。そこらの青鬼に獲れるはずがない。
そうなると、候補に挙がる青鬼も限られてくる。
「……鏡か」
消去法的に、最早彼以外ありえない。
「……違う」
「フッ。じゃあ、誰だと言うんですか? なら大石ですか? 彼には流石に荷が重いと思います──」
「君だよ」
「──っ!?」
襟首を掴まれたキーは、しかし真っ直ぐに青鬼を見る。
「青井氷晶くん。君が青井氷山を倒したんだ」
「ふ……ふざけるのもいい加減にしろぉおおおおおおおおおおお!」
メガネの青鬼──氷晶は腕を振り上げる。
ありえない。
自分が祖父を殺す?
自分の目標であるあの人を殺すだって?
ありえない。
ありえるはずがない。
「……僕が君と直接話をしたのは後にも先にも、これが初めてなんだ。だから、君の考えは僕にはわからない。僕は君じゃないから。でも、姫ちゃんは言ってた。同じ頭首の子息だからわかるって。村の為なら、自分の大切な人を殺してもおかしくないって」
「知った風な口を!」
「ハハ。よく言われるよ。お前は軽口だって。……だから、考えてみればいい。君自身が。君は誇れる祖父と村の皆、どちらの方が優先順位が高いのか」
「………………」
氷晶はポケットから携帯を取り出す。……そして
「おい! 今すぐに私の祖父、青井氷山と話をさせろ! 寝ていても、構わない! 今すぐだ!!」
そんなことを電話口に叫ぶ。
「んー。青鬼くんはもうちょいかかりそうだけど、一応話を進めておく?」
「え、えと」
瑠衣は曖昧に返事する。
正直自分だけが聞いてもしょうがない気がするのだが。
ちらりと、電話を離さない青鬼を見ると、「進めてくれ」と一言言ってきた。どうやら、こちらの話もちゃんと聞こえているらしい。
「さて。内乱の後、青井氷晶の元、新たな青鬼の基盤ができ、亡き赤井真熊の謝罪と、そして村を焼いたこと。そして、現在赤鬼村を青鬼達が受け継ぐ。それで青鬼は赤鬼を許そうということになったんだ。鬼姫伝説も、正直眉唾だと思ってる鬼が殆どだったしね」
「鬼姫伝説って?」
瑠衣が尋ね、それに対し、キーは笑って返す。
「女性の鬼って、殆どいないってのは知ってるよね?」
「う、うん。何百年に一度しか産まれないんでしょ?」
「そう。それでね。鬼姫伝説では、そんな女の子の鬼を『鬼姫』なんて呼んで、その鬼姫との間にできた子供は鬼の王になるんだってさ」
鬼の王?
何それ?
「ハハ。意味わかんないでしょ? 王様って、皆に慕われて、信頼されるから王様なわけで、『鬼姫』なんて三毛猫のオスみたいな存在から産まれれば王様、ってのは流石におかしい。それこそ眉唾以外の何者でもない」
「それでも、私達には必要だったんだ」
電話から耳を離さず青鬼が言う。
「私達が赤鬼に産まれた鬼姫を奪い取り、青鬼の精で鬼の王を産ませることで、ようやく私達は赤鬼に勝ったと思えるようになる。仮にそれが眉唾の迷信でも関係ない」
だから一刻も早く、赤井桃から赤井姫を奪取したかった。万が一二人の間に子供──鬼の王ができてしまったら、青鬼は劣等感から抜け出せない。
だから、桃瀬日の条件を、多少の葛藤はあったものの、青鬼達は比較的すんなりと受け入れた。
「ハハ。でも、それはあながち大きく間違ったことでもないって、あいつは言ってたどね」
「え?」
キーの言葉に瑠衣は呆けた声を出すが、それをあえてキーは無視する。
「それから、赤鬼と青鬼は和平条約を結ぶ。お互い思うとこが無いわけでもなかったけど、それが最善だってのはなんのなく理解してた」
「その、和平条約って、具体的にどんな内容だったの?」
「簡単に言うとね。赤鬼と青鬼は今後迎え撃つ形以外の交戦をしない。全ての事は話し合いによって解決する。それだけさ」
「……なるほど」
結局赤鬼も青鬼も良い意味で、仲間を大切にする種族なのだ。
戦力的には赤鬼が圧倒的不利なのは間違いないのだが、下手に手を出すと火傷ではすまない事は青鬼も理解している。それほど、桃と姫は危険視されていた。
「青鬼との関わりはここまで。条約は結んでも、もうお互いのことはお互いに干渉しないのが一番なのはわかってた。それから二十年くらい。僕たちは平和で……本当に幸せな日々を過ごしたんだよ。あんまり言うのはどうかと思うけどね、桃くんと姫ちゃんは結婚して。その時は本当にいろんな人や動物、妖怪たちが二人の祝福に来て。そのすぐ後に子供も産まれたよ。男の子が二人」
キーは遠い目で語る。
「その二人は鬼の王に!?」
「ハハ。どうなんだろうね。まあ、桃くんと姫ちゃんの王子様ではあったのは間違いないけれど、その王子様達は結局長生きできなかったんだ」
その時。
いつも笑っている、キーの瞳から涙が零れた。
「僕もね。子供ができたんだ。君たちが度肝を抜くような綺麗な奥さんもいてね。本当に幸せだったんだよ。きっと、あの時桃くんが僕を助けてくれなかったら、僕は彼女とあの子達と出会えなかった。そう考えると、僕にとって桃くんほどの恩人は他にいない。……でもね。そんな時、あいつが現れたんだ」
「あいつ……」
「桃瀬日か」
「………………」
○ ○ ○
桃くんは、高校に入って、世界中の動物達の現状を知ってから、大学で生物学の准教授までになった。絶滅危惧種のために全力を尽くしたいって言って。それは勿論真理子の力も多少はあったかもしれないけれど、でも殆ど彼の実力だった。彼は本当に凄い鬼だったんだ。
そんな時、彼の元に学生としてやって来たのが……あの桃瀬日。
彼女は当初から、桃の妹を名乗っていて、よくわからない修羅場になりかけたけれど、でも、とても優秀な学生だった。
そんな時だった。
大学の研究室で爆発事故が起こり、たまたま、同大学の生徒となっていた青鬼の大石の息子がそれに巻き込まれて亡くなったのは。
○ ○ ○
「大石……」
形の上では、桃に殺された自分の仲間の名前を聞いてメガネの青鬼が下唇を噛む。
彼は非常に無口だが、同時に努力家であった。努力の量だけで言えば、青鬼決死隊の中でも随一だっただろう。同時に、自分と鏡が揉めた時はよく彼がストッパーとなってくれていた。
彼の遺体は、氷晶が雷で燃やした。何分時間が無く、かといってそのまま埋めて、微生物の餌にするのは、どうしても抵抗があったのだ。
「勿論、それは桃瀬日の仕向けた罠だった。日に好意を抱いていた彼は彼女の呼び出しに応え、なんの疑いもなく研究室に入った。そして、そこに仕掛けられた数百のダイナマイトで……。過程はどうであれ、桃くんの研究室で起こった爆発だからね。桃くんは自分の所為だと思い込んだんだろう。……で、それが引き鉄になって、桃くんの中の『桃太郎』は目覚めた」
静まり返る室内。
瑠衣としては、この重苦しい空気はかなりキツいものがある。正直なところキーの言う言葉の殆どは信じがたいものばかりだ。
大体、『桃太郎』って何なの?
瑠衣の知ってる桃太郎は、日本に昔からある御伽噺で悪さをした鬼達を懲らしめた、ちょっとした英雄伝である。
それに桃くんがなった? つまり英雄の誕生? あ、でもこの場合、鬼はこっちの味方なわけで。つまりは桃くんは大悪党? あー! もう!
「この世にはね、神と天使と暗黒大魔王と悪魔がいるらしいんだ」
ドカァアアン!!
そんなキーの言葉に、瑠衣の中の常識ハードディスクが爆発する。
もう無理わけわからない。
少年漫画じゃないんだから!
「らしいってのは、誰かが言っていたってことか?」
氷晶も若干ナニイッテンダコイツ顔になってる。
「うん。自称暗黒大魔王さんから」
自称暗黒大魔王って何!?
「それでね。神様が思ったんだって。人間ウザいって」
神様意外と若者!?
「だから世界に鬼を作った」
そんな突拍子もない話に、青鬼が大きく目を開く。だが、それを気にせずに、キーは続ける。
「でもね。一時期鬼が増え過ぎちゃってさ、これじゃ人類全滅じゃん。ちょっとヤバくね? ってなって、鬼を殺す為のシステムを作った。それが『桃太郎システム』」
「システム……ですか?」
「うん。神様も、鬼みたいに新しい生物を作って食物連鎖の頂点を殺して行くと、結局その生物が頂点になってしまうから、意味が無いってことに気づいたんだよね。だから前回の──御伽噺になった『桃太郎』は新しい生命体ではない。ただの『桃太郎システム』が体内に眠ってる人間だったらしい。で、その初代『桃太郎』はとある切っ掛けによって『桃太郎システム』が発動し、彼が『桃太郎』になって、邪魔な鬼達を殺す。仮に『桃太郎』が子供を作っても『桃太郎システム』は遺伝しない。そんな感じにしたんだよね」
「切っ掛けって?」
「初代『桃太郎』の切っ掛けは僕にはわからない。重要でもないし、興味もないしね。ただ、桃くんの絶対押してはいけないトリガーは、鬼を殺すこと、であって、それによって桃くんは対鬼専用の殺戮マシーン『桃太郎』になったわけだ」
桃くんが、殺戮マシーン?
瑠衣には、やはりキーの言ったことが俄かには信じられないし、信じたくもななかった。
確かに初対面は最悪だった。ボロボロの服で刀持って、どこの殺人鬼かと思った。でも、今日まで一緒に暮らしてきて、彼がとても優しい性格なのがわかった。口や目つきはお世辞にも良いとは言えないけれど、その素っ気なさの中にはいつでも暖かさが滲み出ていた。
特に姫ちゃんに対してはそれが顕著だった。
彼女が寂しい時はしかめっ面をしながら遊び相手になっていた。彼女がどんな失敗をしても、いやいや言いながら、一緒に後始末をしていた。彼女が笑顔になると、つられて笑顔になっていた。
そんな彼が、姫ちゃん達鬼を殺す殺戮マシーン?
そんなの哀し過ぎる。あまりにも可哀想だ。もし本当なら、その神というのに、憎悪さえ覚える。
「その話が本当だとするなら、何故神は今更赤井桃をこの世界に派遣したのでしょうか? 今はそんなに鬼が多いとは思えません」
「今更と言っても、神ってのは地球が出来る前から生きてたりするらしいからね。僕達とは時間の観念が違うんじゃないかな。前回の『桃太郎』が失敗してから、桃くんを送り込んだのはかなり迅速的な行動なんだと思うよ」
「失敗?」
え? だって『桃太郎』は鬼ヶ島で鬼を退治したわけで、それはもう成功なんじゃないの?
「うん。失敗って、暗黒大魔王さんは言ってた。本当は鬼を絶滅させる気だったんだって。でも、こうやってまだ鬼は生きている」
キーは氷晶を見る。
「多分、今回は成功するんじゃないかな? 前回は人間の身で『桃太郎』をさせたけど、これじゃ体力が持たなかったんだろうね。でも、今回の『桃太郎』──桃くんは鬼だ。多分最後までやり切るだろう」
「ま、待って! それじゃ、桃くんという鬼が残っちゃうし、その子供……え?」
瑠衣は気付いた。
キーが桃の子供を思って涙した理由。それって……。
「……僕は最期まで生きることができなかった。鬼を殺そうとする彼を皆で、全力になって止めた。皆死んじゃったよ。真理子ちゃんも、ノーも、ヨシくんも、姫ちゃんも。……そして、僕のお嫁さんや子供達。挙句の果ては桃くんと姫ちゃんの子供まで。桃くんは僕の恩人だけでなく、決して──文字通り死んでも許すことのできない仇人になったのさ。……あ。心配しないで。瑠衣ちゃんは何気に皆を見捨てて逃げたから」
「…………」
そんなことを言われたって。
つまり、桃くんが鬼の子供を産んでも、自分で殺してしまう。あとは桃くんの寿命が尽きれば鬼は絶滅。……非道過ぎる。
「それで、日は? 桃瀬日は一体何なんです? そして、あのお供のジーは?」
氷晶が尋ねる。
彼女のことは初めからおかしいと思っていた。
女の鬼。でも鬼姫じゃないと言う。
そして、魔法だ。
一般的に青鬼が一生をかけてマスターする魔法を、彼女は私達三人の魔法を一目見ただけで全てマスターしてしまった。しかも、生体エネルギーを雷エネルギーに変える行程──腹太鼓を全くせずに魔法を発動する。青鬼の常識では考えられないことだ。
「ジーというのは知らない。少なくとも僕は未来の世界では見ていない。彼女は神、つまり天の使いの天使様さ。桃くんに『桃太郎』になるための引き鉄を引かせるためにやってきた。桃くんの妹を名乗る理由はよくわからないけど、それはあまり重要ではないように思う」
「では、何故彼女が鬼を殺さないのですか? 彼女程の実力があればそれも可能でしょうに」
赤鬼は姫を残し殆ど全て死に絶え、青鬼もまともに戦闘ができるのは今や数人しかいない。これなら彼女だけでも十分に殺し尽くせる。
「ゴメンね。僕もその辺を詳しく知ってるわけではないんだ。神が下界に直接手を下すのはご法度だと暗黒大魔王さんは言っていた。その使いである天使にもできるだけ生殺与奪には関わってほしくないそうだ」
「……どんな理由があるかは知りませんが、自分の手を汚さず生物を絶滅させる。……あまり良い趣味ではないですね。神と言いながらまるで人間のようです」
「人間って……」
瑠衣は非難めいた目で、青鬼を見る。
「間違ってはないでしょう? 人間は今まで何種類の生物を絶滅させましたか? きっと、それを思って、神は我々鬼を作ったんでしょうね」
「………………」
瑠衣は、しかし何も言い返せない。自分が何を言ったところで、彼の考えを変えられるとも思えない。
そんな彼女に青鬼は「ふんっ」と鼻を鳴らし、再びキーの方を見る。
「あなたは一度死んだのですのね? その後、どのようにして、この過去の世界に来たのですか?」
その問にキーは微笑混じりに言った。
「暗黒大魔王様直々に取引をさせてもらったんだ」
○ ○ ○
桃に殺された。
それは自分の死以上に耐え難い事実だった。
桃くんは僕を助けてくれた恩人。
桃くんは僕を僕の奥さんと出会わせてくれた恩人。
桃くんは僕を僕の子供と出会わせてくれた恩人。
桃くんは僕の子供を殺した仇人。
桃くんは僕の奥さんを殺した仇人。
桃くんは僕を殺した仇人。
僕達だけじゃない。
たくさんの仲間、友達が彼に殺された。
姫ちゃんや子供達にまで手をかけた。
もう頭がぐちゃぐちゃになりそうだ。
僕は彼を恨めばいいのか?
でも、そんなの出来るはずはない。
──そんな時だった。
「ケッケッケッケッケ」
あの、身体の芯から冷え渡るような笑い声が聞こえてきたのは。
「まーた、神のカスがやらかしやがったか」
君は?
そんな声にならない声が届いたらしい。その何かは「ほう」と、驚いた、というより面白そうな声でそれに応える。
「オレの声が聞けるやつもいたのか。鬼……じゃねえな。鳥か。何にせよ優秀優秀。チキンの分際で才能あるぜてめェ」
才能って何の才能だろう。
「ケッケッケ。オレは暗黒大魔王様だ」
「…………」
………………。
…………。
……。
どうしよう。なんか凄く胡散臭い。
「そう「ナニイッテンダコイツ」って顔をすんなよ。チキンの分際で。唐揚げにすんぞ?」
そう言って自称暗黒大魔王は「ケッケッケ」と嘲けるように笑う。
もう何がなんだか。
正直、こんなのに付き合ってる気分ではないのだが。
そんな僕の気持ちを察したのか、笑いながら言った。
「なんか悩みがあるみたいだな。ちょっとおっちゃんに喋ってみろよ?」
その時に、僕は今回の事が全て神に仕組まれた事だと知った。
余りの酷い話に吐き気を催すが、如何せん肉体が無いので、何も吐き出すことができない。
「ケッケッケ。そう喜ぶなって」
こいつには、僕のどこをみて喜んでる要素を見出したのだろうか。
「まあ、袖振り合うも多生の縁だ。ここでお前にステキなプレゼントをやろう」
プレゼント?
「ちゃんちゃかちゃんちゃんちゃーん。『悪魔の懐中時計』(ダミ声)」
いや、眼球無いから見えないし。
「こいつを使えば、お前は過去に戻って生き返ることができる」
……いや、嘘でしょ?
そんな都合のいいものがあるのならかの織田信長は暗殺されてない。
「ケッケッケ。勿論代償はある」
代償?
「お前は才能あるから、やろうと思えば今から妖怪っぽくなるのもできる。除霊とかされない限り、永久に生きることができる。でもな、こいつを使うと、それができなくなる。天国にも地獄にも行けなくなる。妖怪以上に不安定な肉体だから、いつ消えるのかもわからない。まさに、悪魔の道具だな。ケケ」
悪魔というのは、願いを幾つか叶える代わりに魂を頂くというあれだろうか。確かにあれを思えば時間回帰くらいわけでもないように思える。てか、その親玉を自称してるんなら、もうちょい豪華にしてもよくないか?
「嫌ならいいぜ? このまま幸せに妖怪になるのが、絶対にいいとオレは思う。ケケ」
誰がやらないと言った。
僕はこんな現実は嫌だ。
桃くんと姫ちゃんにはしっかり幸せになってもらいたい。
こんなのあんまりだ。
いいだろう。
悪魔だか暗黒大魔王だか知らないけれど、使ってやるよそれを。
魂でもなんでもくれてやる。
僕は今度は絶対に桃くんを『桃太郎』なんかにさせやしない!
「ケッケッケッケッケ。何、その少年漫画の主人公みたいなセリフ。クソうぜぇ」
ウザくても構わない。
早く送ってくれ! 過去に!!
「ケケ。まったくしょうがねえなあ。一応忠告はしたぜ?『悪魔の懐中時計』この馬鹿の魂を喰らえ」
○ ○ ○
「……と、そんなわけだよ」
………………。
…………。
……。
う、嘘くせぇええええええええ。
そんな感情がこの場にいる全員を襲う。
「しかも、それからが面倒でさ。飛ばされた場所がまさかの中世ヨーロッパ。いやどこに飛ばしてくれちゃってるの! みたいな」
「は、はあ……」
瑠衣は愛想笑いを浮かべる。
多分本当だとは思う。思うのだが……なんか釈然としないのだ。
と、そんな時だ。
「!? お祖父様!」
メガネの青鬼がそんなことを叫んだのは。
てか、この人ずっと携帯掛けっぱなしだったの? 電話料金どんだけ取られるんだよ。なんて瑠衣が貧乏臭いことを考えている間、青鬼は「はい」「ですが」「…………わかりました」とか言って、電話の電源を切る。
「キー……さんでしたっけ?」
「気軽にキーでいいよ」
「私にはあなたの言うことが本当かどうかわかりません。……お祖父様を疑ってまであなたを信じる気もありません」
「そっか」
キーは寂しそうな顔をして、ハハと笑う。
「……ですが」
「ん?」
「そのことは、今考える問題ではない。とにかく今は『桃太郎』をどうにかするべきだ。そして、その後は、私の優先順位に則って行動します」
それが氷晶の答えだ。
おそらくキーの話は正しいのだと思う。
先程の電話からも、青井氷山の口から「青鬼の誇り」「青鬼の気高き魂」なんて、言葉が幾つも紡がれていた。きっと、数刻前の自分ならそれに目を輝かせながら聞いていたに違いない。
だが、そんな綺麗事では、きっと村の人々は幸せになれない。
一朝一夕で片付けていい問題ではない。
自分自身、優先順位を時間を掛けてしっかりと考えるべきだ。
キーの世界の自分がどうだったかなんて関係ない。
だが、きっと……。
「とは言ってもね……」
キーは真っ直ぐな瞳をした青鬼の少年を苦笑交じりに見つめる。
今更信じられたところで遅い。
桃は『桃太郎』になってしまった。
もう、ゲームオーバーなのである。
コンティニューも使い果たした。
全て終わったのだ。
キーは初め、桃が学校に行かなければ、大学で桃瀬日と出会うこともないと思った。
でも、結果的にそれが裏目に出た。
日は自分のことを「インチキ」と呼び、恐らく自分について全てを知っている。その上で、今回のようなことが起きた。
しかも、今は二十年後よりも味方が圧倒的に少ない。
「もう諦めるしかないんじゃないかな」
結局何も変えることはできなかった。
自分達は桃に殺される。それで終わりだ……キーがそう思った時だ。
「ノォオ!!」
「え?」
先程まで、ずっと黙っていたダンディなモグラが、キーをその精悍な顔で睨みつけ、今初めてこの場で言葉を発したのは。ダンディな彼らしくもなく声を荒げて。
一体何で?
実は前の世界では今ほどノーと仲が良くなかった。
ダンディではあったが、何を考えてるのかイマイチわからない彼に抵抗のようなものがあった。
ぶっちゃけると、実は今でもあまり彼には近づき難い印象が拭えていない。……でも、この世界では、いつも自分の一番近くにいて、そして今、彼は「ノー」と叫んだ。
──考える。
何故、彼は自分を全否定したのかと。
そして、それが考えるまでもないことに気づいた。
彼はまだ信じているのだ。
早々に諦めた自分と違い、自分達を、そして桃を。
「……ノー」
「………………」
ノーはもう何も言わない。ただ無言で僕を見る。
「キーさんは」
瑠衣が目を赤く腫らして
「諦めるために、この未来に来たんですか?」
そんなことを言う。それに、
「そんなわけないだろ!!」
キーは叫んだ。
絶対に諦めない。
その気持ちであの『悪魔の懐中時計』を使った。
今でも諦めたくない。ない……ないのだ。
キーは歯を食いしばり、目からは大粒の涙が溢れる。
「でも、どうすれば──」
「ふるっふー! 何か面白そうな話をしてるじゃないか!」
そんな事を言いながら、202号室の部屋を蹴り破ったのは、
「私も混ぜてくれ」
自称配管工──近衛真理子である。
「お姉! 姫ちゃんは!」
「フンっ。愚問だ。この姉が脇腹刺されて小腸大腸がぐちゃぐちゃになった程度、治せないと思っているのか?」
赤い作業着姿の真理子は余裕の表情を見せる。
「話は全部聞かせてもらった」
「……いや、お姉手術してたじゃん」
「多分この部屋結構な数の盗聴器とか付いてるよ」
そんなことを言いながら入って来たのは、手術着の代用に瑠衣のエプロンを装着した鏡だ。
「家賃がゼロだとしても、ここだけには住みたくないね」
「ここは鬼の雌雄がいる部屋なのだ。二十四時間体制で見張るのは当然」
「お姉。後でお話しあるから」
なんか拳を握り締めてる姉に、冷静に突っ込む妹。だが、それをガン無視して、姉は続ける。
「ふむつまりその未来の世界とやらは予備知識がなかったわけだろ?」
「……予備知識?」
「そう。つまり、桃ちんや、その妹がどんな魔法を使うかわからず、私達は死んでしまったわけだ」
「まあ、そうなるね」
と、キーは応える。
間違いではない。でも、あの強さは予備知識でどうこうなるものだとは思えない。
「ふるっふー!なら作戦会議だ」
「いや、でも……」
「フッ。不可能だとでも言いたいのか? それは私に対する挑戦だと受け取るぞ?」
……そうだ。
この人はそういう人だ。
前の世界でも、決して諦めるなんてしない人だった。死ぬ直前まで、その目の光は消えていなかった。
彼女を止められるものなんて、
「ふるっふー! 敵は『桃太郎』と天使。どちらも興味ありまくりだ。どっちも捕まえてホルマリン漬けにしてやるぞ!!」
神を含めても一人として存在しない。
「微力ながら」
そう言いながら立ち上がるメガネの青鬼。
「私達も参加させてもらいます。私達をコケにし、大石を殺したあれをただで済ませはしません」
同じく、「やれやれ」と言いながら、しかし真剣な目になる鏡。
そして、
「私も…出る……わ」
そんなことを言うのは、右手で輸血パックを押す──姫だった。
まだフラフラで目も虚ろであるのに、まさに執念だけで動いている。
「姫ちゃん!? 病室に戻って!」
「ほう。さすが赤鬼。もう麻酔が切れたか」
同じ顔立ちなのにまったく別のリアクションを取る姉妹。
「ちょっと……待ってね。私は……そこのチ……キンにきっち……言ってやんなきゃ……いけないの」
言って、姫はキーを見る。
「あなたの……優先……順位い……ち位……は何? 逃げる……こと?」
その言葉に、キーはハッとなる。
そんなの決まってる。
彼に助けられたその時からずっと、キーの優先順位一位は恩返しであるはず。
「……わかっ…たんなら……とっとと」
そこで姫は大きく息を吸い込んで、そして、
「シャキッとしろっ!! あんま甘えてっと焼き鳥にすんぞ!!」
叫んだ。
それに対しキーは、涙が止まらなくなる。けど、そんなことを気にせず、姫の前で頭を下げる。
「見苦しい姿をお見せして申し訳ありませんでした! 及ばずながら、全力で桃くんを取り戻してみせます!」
姫は、ニカッと笑い、
「それでこそ、桃と私のともだ──」
倒れる。
「姫ちゃん!?」
「そりゃ、まあ倒れるか」
「鏡、赤井姫を病室まで連れていきますよ」
「りょーかい」
僕には友達がいる。
前回死んだからって何なのだ。
今度は絶対勝つ。
負けるわけがない。
◯ ◯ ◯
辺り一面の白い世界。
そこに、俺とそいつ──『桃太郎』はいた。
と言っても、その待遇には大きな違いがある。
あいつは自由に動けるのに対して、俺は指一本動かすことすら叶わない。
「ぐっ……」
「…………」
わかる。
俺は今喰われている。
こいつに。
『桃太郎』なんて名ばかりの、石膏像みたいな、全身真っ白の化物に。
おそらく三日もすれば、俺はもう完全に無くなり、こいつの一部になるだろう。
それはつまり、俺が俺でなくなって、そして姫を──
「……させねえ」
「…………」
あくまで無言で俺を喰らうそいつ。そんな石膏野郎を俺は力いっぱい睨む。
姫を刀で串刺しにした感触は、今も手に残っている。あいつの、いつも笑顔でいなきゃいけない、あいつの絶望に歪んだ顔が、瞼に焼き付いてしまってる。ちくしょう。なんで俺が……あいつの右腕の俺が、あいつを傷つけなきゃなんねえんだよ。なんで、あんな顔をさせなきゃなんねえんだよ! ふざけんなよ。ほんと、ふざけんじゃねえよ。クソッ。クソォッ!
あいつはあの程度で死ぬような奴じゃない。だが、この石膏野郎はまた姫を殺しに行く。悔しがってる場合じゃない。
「絶対にこれ以上、姫に、俺の仲間達に手出しはさせねえ!」
「…………」
そいつは、それでも無言で俺を食っていく。
◯ ◯ ◯
「もーもたろさん、ももたろさん、お腰につけた黍団子、一つわたしに下さいな♪( ´▽`)」
人気のない山奥で誰もが知ってる童謡を鈴の鳴るような声で陽気に歌う少女がいた。
「殺ーりましょー、殺りましょー、これから鬼の征伐に、ついて行くなら殺りましょう(≧∇≦)」
童謡にしてはあまりに残虐な歌詞。場所によっては一番しか歌わせなかったり、歌詞を変えたりする所もあるそうだ。
少女──桃瀬日の隣では男が一人眠っている。
あと一日。
あと一日で、赤井桃は完全な『桃太郎』になる。
そうすれば、今の弱体化した鬼達なんてあっという間だ。天界にも早く帰れる。正直下界の料理は口に合わないのだ。
ノリにのった日が歌の三番目を歌おうとしたその時だった。
「まーけました。負けました」
そんな高いソプラノの声が聞こえたのは。
「鬼さん本当に強いです。天使は尻尾を巻いて逃げました」
「………………」
そんなことをドヤ顔で歌う彼女を日はジト目で見つめた。
「どうしてここがわかったの(-。-;」
「人間の文明の利器って凄いよね。そりゃあ鬼も負ける筈だよ」
「……着てたものは全部捨てたはずだお(・・?)」
GPSを初めとした発信機の類は無いはずだ。木で囲まれているので人工衛星にも映るはずがない。
もしかして、刀──名刀・鬼殺しだろうか。流石にあれは捨てられないが、それでもちゃんと調べた筈。
「だって、あんたは桃のゾウさん潰したわけじゃないでしょ?」
「………………まさかΣ(゜д゜lll)」
「( ̄▽ ̄)」
一体、どこにGPSしこんでんだぁああああああああああああああああああああああああ!!
ドン引きだよ。
味方からもドン引きされてるよ。
日の現時点で視認できる敵は五人。鬼姫と、畜生二匹、猿二匹だ。一目で人材不足がわかる。
猿達は何やら武装してるようだけれど、そんなのに後れを取る自分達ではない。
「つまりあれ? やらずに後悔するよりはやって後悔したい( ・`ω・´)キリッ みたいな? w」
「やって後悔しないつもりだけど?」
「勝算があるとか((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル」
「喧嘩に勝算どうこう考えるような無粋なことはしないわ」
あー。なるほど。
「つまり、ただのバカってこと(^O^)」
日ははあ、と溜息をつく。
正直まだ動かしたくないけれど、私があまり積極的に動いてしまったら、神様に怒られてしまう。
「お兄ちゃん、起きてw。そして全員殺してwww」
日のその言葉に『桃太郎』は目を覚ます。
「えっ!?」
姫はその変わり果てた姿にしばし呆気に取られてしまった。もう彼は自分の知っている幼馴染ではない。認めざるを得ない。
姫は俯きプルプルと震える。
「あはははは! どう? これが『桃太──」
「ぶふっ!」
姫は日の言葉を待てず噴き出してしまう。そして、
「あっはっはっはっはっは!!」
大笑いしだした。
日は思わず「え?」と呆けた声を出してしまう。
何を笑ってる。何がおかしいのだ? 姫だけではない。敵の全員が多少の差こそあれ、大爆笑していたのだ。
「桃くん、流石にそれは……ぶぶっ」
「み、皆、失礼だよ。彼は彼なりに……ぷはっ」
「……ノー」
「ふるっふー! なるほどそれはそういう……あっはっはっ!!」
一体どうしたというのだ!?
日はもう一度、桃の超カッチョイイ姿を見る。
羽織の服で身を包み、腰には名刀・鬼殺しを指し、そして、背には自身の名を刻んだ旗を掲げ、髪は日本男児の象徴であるチョンマゲ、額には己を表す『日本一』の文字。
そう。
それはいつ童話の世界に駆け込んでも恥ずかしくない、完璧なる『桃太郎』の姿なのであった。
爆笑する理由は無い。
だというのに、
「も、桃。……流石にそれは…ない……ぶふ! あっはっはっはっはっは!! とりあえず、その、顔……やめて!」
顔?
馬鹿な。力が入り引き締まった口元。まっすぐ透き通り瞳は真剣そのもの。凛とした面構えとはまさにこのことだ。少なくとも下界の猿にまで笑われる筋合いはない。
なのに彼女らの中には口元を抑えながらスマホでパシャパシャしてる始末。くそっ!
「いい加減にしろぉおおおおお!(゜Д゜)ゴルァ!」
日は右腕を振り上げ、青井水晶から奪った落雷の魔法を発動する。
もういい。一人くらい殺しても問題ないだろう。ここまで笑われて黙ってるのは天使の名折れ。天に唾を吐いて何もないと思うな!
日は野球の球を投げるように高電位のエネルギー弾を敵に放つ……が、
「え?(゜Д゜)」
「フヒッ」
イタズラ心満載の顔で姫は笑ったのだ。
見ると、誰もダメージを受けた様子はない。
落雷の魔法は、手に電気エネルギーを貯めて一気に落とす簡単な魔法だ。生命エネルギーを一旦雷エネルギーに変換する青鬼にとっては最もロスが少ない。更に日は生命エネルギーを雷エネルギーに変換するための腹太皷の過程もすっとばせるので、本家であるメガネの青鬼よりもより早く強力な攻撃を放てる……筈なのに。
「やあやあ、ダルビッシュ選手。中々いい投球フォームじゃない。契約金払うからうちのチームに来てくれよ」
──ブチン。
ニヤニヤしながら余裕の表情でそんなことを言われ、日は何が大事なものが切れる音がした。
「そんなに死にたいんなら、いいよ。うん。お兄ちゃん、こいつら全員殺して(^_^*)」
「………………」
すると、無言の桃の背後に三つのヒビのような物が生まれる。
キーの言っていた通りだ。
姫は拳を握りしめる。
そのヒビから、まるで子が母から生まれるかのようにゆっくりと何かが這いずり出てくる。
何かは、それぞれ犬、猿、そして雉の形をしていた。
『桃太郎』の魔法、『吉備団子』である。異世界から、三匹の眷属を呼び出して使役する。個々から繰り出される技もそうであるが、それ以上に『桃太郎』も組み合わさったコンビネーションが凶悪であり、それによって前『桃太郎』は多くの鬼を、キーのいた世界では、全ての仲間を殺した。だから──
「作戦開始!」
姫の掛け声と共に、仲間達があらかじめ決めていた敵に突っ込んで行く。
決して五対五になってはいけない。
一対一を五つ作る。
コンビネーションだけは作らせてはいけない。
「ハハ。君の相手は僕さ」
「ピャァアアアア!」
最初にぶつかったのは、機動力の高いキーと雉である。
そもそも飛行できるのがキーしかいないので、雉の相手は彼にしか務まらない。
「ハハ。だからと言って僕みたいな非力な奴を戦わせるとか、間違ってるよね」
「ピャァアアアア!!」
キーの軽口に雉は雄叫びで返す。
けれど、キーは続けた。
「本当はね、できれば桃くんか桃瀬日と戦いたかったんだ。でも、君を止められるのは、残念ながら僕しかいないんだよね。ハハ。まったく、なんて貧乏くじだ」
雉はそんなキーに向かって突撃する。多少大きな梟ではあるが、自分の敵ではない。こんな奴早く倒して、『桃太郎』達の加勢に行かなくてくては。
向かってくる巨大鳥。だが、キーは焦らない。
「地獄の陽炎よ、踊れ!」
「────!?」
突如、雉の身体を漆黒の焔が包む。しかも尋常な熱量ではない。雉はなんとか羽を羽ばたかせそれを消そうとするが、消えるどころかかえって大きくなっていく。
これは……魔法? ありえない、だって目の前にいるのは、ただの梟なのだ。
「ハハ。魔法を使えるのが、青鬼とか天使とか『桃太郎』とか、それだけだとか思ってた?」
見透かしたようにキーは語る。
魔法と科学の違いはどこにあるのだろうか?
現代人間達は当たり前のように電子レンジを使って料理を温め、テレビをみて家族団欒し、携帯で遠くの友人とおしゃべりをする。だが、その理屈をわかっている者などごく少数。それなら、最早多くの家電の数々は魔法と称して問題ないのではないか。
キーは電子レンジを手に入れただけである。
多くの人間がまるで信じなかった西洋の黒魔術を死ぬ気で体得した。もう、あんな思いをしたくないから。もう、誰にも死んで欲しくないから。そして、その努力が現在こうして敵を穿つ。
青鬼が赤鬼村に襲撃して来た際、キーがあえて戦闘を避けたのは、あまり自分が出しゃばりすぎると未来が予想できなくなってしまうと考えたためだ。
でも、もうそんなことを気にする意味はない。
「ハハ。焼き鳥は嫌いかい?」
「────!!」
雉は動けない。
その他召還された動物は、犬はノー、猿は人間である近衛真理子と対峙していた。
「………………」
「………………」
一方は静かに火花を散らし、
「フルッフー! 避けたな? とある国から持ってきた、幻の火を噴く花弁、『炎華』の炎を避けたな? つまり、お前はそこらの漫画でよくいるなんでもすり抜ける存在じゃなくて、殴られりゃ痛いし、呼吸もする、ただの肺呼吸脊椎動物なわけだ!!」
「ウッキィイイイイイイ!」
一方は賑やかに殺し合いをしていた。
そして、彼──『桃太郎』の相手は勿論──
「うぉりゃぁぁああああああああああああああああああああ!」
「…………」
現赤鬼頭首──赤井姫である。
真理子特性の鉄板入りグローブを装着した拳と、名刀・鬼殺しの刃が幾度となく火花を散らす。
鬼殺しは鬼の皮膚をも斬る。たぶん、このグローブだって真っ二つだ。けれども、どんな名刀であれ刃が立たなければ何も斬ることができないのは道理。姫は桃の攻撃を避け、逸らし、隙をついて一撃必殺の攻撃を加える。
だが、『桃太郎』も負けてはいない。
赤鬼の剣豪──七丸直伝の身体捌きはもちろんだが、『桃太郎』になったことにより、桃のタフさと力強さは姫並みになっている。姫がどんな攻撃を放ったところで、まともに喰らわなければ堪えることができる。
二人の実力は互角。僅かの違いも存在しない。
姫は桃の目を見る。
いつも桃は私を助けてくれた。
ぶつくさ言いながらも私のことを一番に理解してくれた。
キーが言っていた。
私と桃は未来に結婚して子供を産むのだと。
とてもとてもかわいい小鬼なんだと。
それって凄く嬉しいことだと思う。
桃の子供を産みたい。
名前も桃や私みたいに、嫌がらせみたいな可愛い名前をつけたい。
そして、凄く凄く可愛がるんだ。
勿論、そのそばには桃がいて。
他にも沢山の友達がいて。
……だから。
「この喧嘩、絶対負けてあげないんだからぁあああああああああああああああ!」
「────!?」
『桃太郎』は大きく目を見開いた。
なんて凄まじい攻撃。
まともに食らったら、流石に耐えられない……けれど。
「…………」
──見つけた。
○ ○ ○
その頃、残った二人はお互い呆然と見つめ合っていた。
「えーっと。私の相手って……お姉ちゃん(・・?)」
一人は、今回の火付け役である天使──桃瀬日。
「そう……みたいですね」
もう一人は、アパート『水の国』のオーナーにして、近衛家次女──近衛瑠衣。
「…………(⌒-⌒; )」
「…………」
………………。
…………。
……。
ノー達と違う、何とも気まずい空気が二人の間に流れる。
……完全にミスキャストじゃね?
何か仰々しい道具を持って来ているようだが、不定形の自分は仮にガトリングガンをぶっ放されても死なないし、火炎放射器で焼かれる前に目の前の猿くらい一捻りだ。
なんか、いたたまれない。
目の前にいる女性は、見るからに幸が薄そうな人相をしていた。もう一人、彼女によく顔立ちが似た女性がいたが、表情だけでここまで印象が変わるものなのかと少し驚いてしまう。
ちょっと脅かしてやろう。
それで逃げるなら追わない。
彼女から漂う哀愁に少し涙が出そうになった日はそう決めて、右手を高く挙げる。
「あの?」
そんな日に、瑠衣はおずおずと手を挙げる。
「質問いいですか?」
「う、うん。別にいいけど……(⌒-⌒; )」
なんだろう。凄く調子が狂う。
皆でテンション高くしながら騒いでたのに、突然暗い子がやって来て、なんとなく全体の雰囲気が暗くなってしまうみたいな。
「あなたは天使さんなんですよね?」
「うん。まあ、そんな感じ(⌒-⌒; )」
場所によって結構呼ばれ方は変わるのだが、天の使いという意味では間違ってない。むしろかなり的確だ。
「色々と話は伺いました。人間が悪いところも、鬼が悪いところもあると思います。正直桃くんのことは許せませんが、一概にあなたを一方的に責めることは私にはできません」
別に責められたところで問題があるわけでもなし。
そう言えば、これで鬼を全部殺したら次は人間なんだろうか。
そう考えると、日はちょっと「うへぇ(~_~;)」ってなる。
人間は数が多く、生息地も広い。多分対人間用『桃太郎』が数万人単位で必要だろう。絶対疲れる。めんどくさい。嫌だ。次は誰かに担当を代わってもらおう。
「ただ、私がそれとは別にどうしてもあなたに尋ねたいことがあるんです」
「尋ねたいこと(・・?)」
「はい。何故あなたは桃くんの妹を名乗っているのでしょう?」
その問いに、日は思わず「ほへっ?(o_o)」と間の抜けた声を出す。
この状況でそんなことを訊いて何になると言うのだ?
「あなたは、桃くんと血が繋がってないんですよね?」
「んー。まあそうだね( ̄▽ ̄)」
それもまた微妙ではある。
日も桃も神の手によって生み出されたわけだけれども、それを言ってしまったら、全ての生き物は例外なく神から生み出されたわけで、生き物皆兄弟になってしまいかねない。
「では、何故?」
「何となくだお。それに、なんか可愛いじゃん。下界でも流行ってるんでしょ? 妹萌えだっけwww」
「……それだけの理由で?」
「まあ、そんなとこかな」
「では、質問を変えます。──あなたは兄に殺意を抱いたことはありますか?」
………………。
…………。
……。
ナニイッテンノコイツ。
「答えてください。あなたは、兄に──桃くんを殺したいほど憎んだことはありますか?」
「い、いや。無いけど(o_o)」
それが何だと言うのだろうか?
何となく、現在進行形で鬼姫と少年漫画ってる桃を見つめる。
別に殺したいとか思わない。
むしろ、これから頑張って鬼を皆殺しにしてもらわなければならないのだから、何がなんでも生きてもらわなくてはいけない。
「そんなの普通あるわけないでしょ(・・?)」
「……いえ。あなたは妹というのを何もわかってません」
瑠衣は、不気味に、ニコリと微笑んだ。
何だろう。
目の前にいるのは、運動不足気味の下界の猿の筈だ。
それなのに、気がつけば日の手の平がねちょっと、湿っていた。自分が彼女の気迫に負けているとでも言うのか?
「世界の妹は例外なく、姉や兄を一度は殺そうと思ったことがある筈なんです」
マジで?
「理由は様々ですが、多くは親からの愛を独占したかったり、よく喧嘩して殴られたり、私の場合は……まあ、それは置いといて」
いや、何を言おうとしたの?
あなたは歳上の兄か姉にどんな怨みがあるの?
「それが無いのに可愛いなんて理由で妹を語るあなた。そんなあなたに一言言わせてもらいたい」
瑠衣は日をまるでゴミ屑を見るかのような目で見つめ、
「妹、舐めんな」
言い放つ。
ダメだ。
こいつ、なんかダメだ。
何か大切なネジがどっかに飛んでいってる。
こんなところに来てる暇があるなら、精神科とか行った方がいい。絶対。
瑠衣はそんな日にむかってホースのような物を向ける。
やっぱり火炎放射器?
加速の魔法がある日としては、そんなのまったく怖くない。
とりあえず気絶させよう。
それで出来るだけふかふかのベッドで眠ってほしい。檻付きの。
瑠衣はカチッと機会のスイッチを押す。
それに合わせて日は加速の魔法をはつど──
びゅぅぅううううううううううん!!
「え!?」
出てきたのは炎ではなかった。
風である。掃除機と同じ吸引タイプの。
馬鹿にしてるか?
そんな小さなノズルに吸い込まれるわけ……あれ?
「腕が……」
気がついたら、日の右腕が無くなっていた。それどころか、ゲル状になった身体が今もどんどんどんどんと吸い込まれていってる。
不定形の肉体ではこの吸引力に耐え切れないのだ。
まずい!?
とにかく、ゲル状化の魔法を解かなくては。
日は身体を元に戻す……が。
「あぁああああああああああああああ!!」
激痛。
肉体がゲル状の時は脳に痛みの信号が行かないようにしていた。
だが、ゲル状化が解け、脳は、突然右腕が無くなったことを認識し、とんでもない信号を脳に送り込む。
それだけじゃない。
心臓は常に全身に血流を流すためポンプのように膨縮を繰り返すが、現在の右肩には大きな穴があるため、血液の多くは抵抗の少ない傷口の外へと旅立とうとする。
ダメだ。死ぬ。
日はすぐにまたゲル状化するが、また身体があのマシンに吸い込まれる。
ゲル状化したら身体が吸い込まれ、解いたら激痛と血液の大量出血。
最強の防御だと思っていたものが、今完全に足手まといになってる。
「ジー! 早く来て! そんで、あの女殺して!!(゜Д゜)ゴルァ!」
「おー。また、いつに無く大ピンチやんか、自分」
そう言ってどこからともなく現れた坊主の男。
「いいから、早く殺せ!」
「ほいな」
そう言ってジーは瑠衣の元に突っ込む……が、
「そうはさせませんよ」
「前回のリターンマッチといこうじゃないか」
「おっ!?」
瑠衣の後ろから二人の青鬼──水晶と鏡が飛び出す。
姫たちは日達を見つけた時に一番に気になったのが、ジーの姿が見当たらないことだった。
そしてジーの実力もよくわからない。ただ、赤鬼並みの怪力を持っているということだけ。
なので、メンバーの内最も応用の効き、一度ジーと交戦した経験のある水晶と鏡のコンビがジーの担当となったのだ。
鏡は既に七丸に変身しており、当然ゲル状化はしていない。
「お前が何が出来るか知らんが」
「流石に、桃瀬日が吸い込まれ切るまでに私達二人を殺すことはできないでしょう?」
ジーはマズいという顔をするが、もう時既に遅し。
瑠衣の掃除機はもう日の手足を全て吸い込み残るは胸より上だけになっていた。
「こんな、こんな下界の猿にこの私がぁああああああああああああああ!!(つД`)ノ」
「猿って言うなぁああああああああああああああああああああああ!!」
最後は「シュポン\(^o^)/」というなんとも間抜けな音を出して、掃除機は日を残すことなく吸い込んだ。
ジーはそれを見て、やっちまったーという顔をする。
日の強みは、見た青鬼の魔法をマスター出来るということだが、それは同時に見たことのない魔法はマスターできない、という弱点でもある。
しかも、姫側には魔法を真似された青鬼がいる。
落雷で感電しないように絶縁体スーツを纏ったり、ゲル状化を逆手にとった掃除機作戦も鏡のアイディアだ(作ったのは真理子だが)。彼らは自分が長年研究して来た魔法の弱点を知り尽くしているが、魔法の良い部分だけしか見ておらず、ろくに研究もせず魔法を身につけた彼女にはそれがわからない。
それだけで、人間一人のちからであっさりと天使を圧倒することができた。
ジーも、己の不利を悟り両手を挙げる。流石に青鬼ツートップ相手に逆らう気は無いらしい。
瑠衣は拳を高々と挙げる。
彼女の人生においてこれまでに無いほどの完全勝利だった。
一方
「あっああ!」
「…………」
姫は悲痛な声をあげ、『桃太郎』は尚も無言だった。
『桃太郎』の発見したのは姫の隙だった。
具体的に言えば彼女の右側。ピオから付けられた傷で右目の見えない姫はできるだけ右側に攻撃が来ないようにしていたのだけれど、それを彼に見抜かれてしまう。
あとは一方的だった。
何とか致命傷は避けているものの、このままだと、出血多量で意識が保てない。
それでも姫は諦めない。
彼と歩む未来のため、姫は拳を振り上げる……けれど、
──ザクッ。
「あああああああああああああああああ!!」
右腕の筋肉に刀が刺さる。これではもう、腕が動かせない。
元より体力も限界だった。
脳がどれほど信号を送ろうとも、身体がそれに応えてくれない。
とうとう両手両足に力が入らなくなり、姫は両手をぶらんとさせる。
桃はそんな彼女の銀髪を掴み上げ、強制的につま先立ちにさせる。
「はぁ……はぁ……ゴホッ」
「…………」
姫が吐血するが、『桃太郎』は眉一つ動かすことはない。
そもそも、二日前に串刺しにしたばかり。こんなことが出来るほど回復なんてしてるわけもない。
「はぁ……も…も…。あなた……はぁ…御主人様に向かって……何してくれてんの?」
「…………」
「はあ……はあ……」
息も絶え絶えに、姫はプルプル震える左腕をゆっくり桃の首に回す。
一瞬身体を強張らせた『桃太郎』だが、次の瞬間、
──ちゅ。
と、自分の唇に柔らかい、温かい感触が襲う。
「桃」
「……」
「今まで」
「……」
「本当に」
「……」
「ありがとう」
そう言って、姫はとうとう気を失った。
その時だ。
「……………」
『桃太郎』の瞳から、水滴が一つ零れ落ちた。
「────!?」
その予想外の出来事に、『桃太郎』は狼狽える。
…………ヒ……メ……。
更に襲ってくる頭痛。何だ何なのだ!?
………ヒ…メ……。
頭が痛い。頭が──
「……ヒ…メ…」
掴んでいた少女の髪を、そして鬼殺しを離し、両手で頭を抱える──刹那。
てめえ! 姫に何てことをしてんだよ!!
「!!?」
脳内で、あいつの叫び声が聞こえる。
ありえない。
まだ全部でないにしろ、殆ど喰ったのだ。
なのに、彼の意識が逆流して──
「地獄の蛇よ、鳴け!」
「!?」
突然現れた漆黒の鎖が『桃太郎』の身体に巻きついていく。キーの魔法だ。
直後、
「お薬の時間だ」
そんなことを言った、服をボロボロにした真理子が『桃太郎』の首筋に注射を打ち付ける。
──ドクン!
ヤバい。
どんどんと意識が消えていく。
瞼が途轍もなく重くなる。
そんな場合じゃない。早くこの鎖を──
「ノー」
ガツン!
ノー(ver.人間)に殴られ、とうとう『桃太郎』──桃は気を喪った。
○ ○ ○
………………。
…………。
……。
「桃は!?」
そんな言葉と共に姫は身体を上げる……が。
「ぐぅ」
全身を巡る激痛が姫を襲う。
見ると、体は包帯だらけで、右手には点滴の針がついていた。けれど、そんなことどうでもいい。
ここはどこ?
一体どうなったの?
そんな疑問が頭を巡った時、
「ふるっふー。流石だねえ」
姫がいる部屋の中に、聞き覚えのある声と共に誰かが入ってきた。
「真理子」
「いやあ。まさかあの傷で身体を起こせるとか、オペから半日も経って無いぞ?」
そう言ってヘラヘラ笑う配管工──近衛真理子。彼女も姫ほどではないが、身体の至る所に包帯や絆創膏がついてた。
「そんなことはどうでもいいの! 桃は!」
「少なくとも君よりは無事だよ」
その言葉に、本当に、本当に、ホッとする姫。
「会わせて」
「………………」
途端、何故か困ったような笑顔で黙り込む真理子。彼女らしくない反応だ。
そんな彼女に、姫は無性に不安になる。
「ねえ? 私より大丈夫なら、会わせてよ」
「………………」
しかし、真理子は何も応えない。
ただただ、無言で姫を見る。
「……何かあったの?」
「……むしろ何にもならないというのが正しいんだろうね」
「どういうこと?」
○ ○ ○
「こんなのあんまりだよ」
瑠衣が顔を伏せながら言う。
その隣には、顔に包帯を巻きながら、それでもそのダンディズムの衰えないノーが、お茶を飲んでいた。
「こんなに皆頑張って、桃くんが戻ってきて、皆無事で……ならハッピーエンドでいいじゃない!」
もう、神には祈らないと決めた。
でも、本当に奇跡なるものを起こせるなら祈りたくなる。
あの二人のために、何とか彼を……。
そんな瑠衣の肩をノーは優しく抱いた。
○ ○ ○
猫をどんなに治したところで、猫をエラ呼吸にし、水のなかに住まわせることなんてできない。
それと同じだと、真理子は言った。
○ ○ ○
姫は真理子に頼んで、桃のベッドを姫の隣まで持ってきてもらう。桃は、姫と同じく点滴もあったが、それと同時に麻酔が常に体内を循環されており、鬼だろうが『桃太郎』だろうが、目を覚ますことができない。
「もーも」
それでも姫は、手を差し出し桃の手を握る。
いつも頭を乱暴に撫でてきた手は、ゴツゴツしていたが、とても暖かい、そんな桃らしい手をしていた。
○ ○ ○
拘束した日やジーの証言、そして人体に精通している真理子と鏡の見解から、桃から『桃太郎システム』を外すことは不可能だということがわかった。『桃太郎システム』は桃の全ての遺伝子に付着しており、これを取り換えると、それはもう桃でなくなる。
桃はこれからも、鬼を認識すれば無条件に殺しにいく、そんな生き物なのだ。
○ ○ ○
「くそったれ!!」
そう言ってキーは壁を殴る。
何が魔法だ。
何が努力だ。
結局何一つとして解決できてはいない。
これでは、桃と姫は二人で幸せになることができない。
なら、何のために自分はここにいるのだ。
恩返しが聞いて呆れる。
「くそ! くそぉおおおおおおおおおお!!」
壁を殴る。
何度も何度も殴る。
すると、手から痛みがなくなってくる。
「え?」
どういうことだ?
キーは自身の両手を見る。
「────っ!?」
手はガラスのように透き通っていた。
「待て」
気がつけば全身が無数の光の粒となって、それに伴い段々と身体が透けていっている。
キーはあの暗黒大魔王の言葉を思い出す。
──天国にも地獄にも行けなくなる。妖怪以上に不安定な肉体だから、いつ消えるのかもわからない。
それが、今だと言うのか?
「待ってくれよ!」
キーはそう叫ぶけれど、もう時間は来てしまった。
「こんなの!」
こんなのあんまりじゃないか。
まだ自分は何も恩返しが──
──そして、その場には誰もいなくなった。
○ ○ ○
真理子からはあまり動くなと言われたが、姫はうつ伏せになって桃の上に乗る。目の前には、自分の子供の頃から見てきた、大好きな顔がある。
「もーも」
桃の胸に甘えるように自分の頬を擦り付ける姫。
胸板も男らしく硬い。
鼻腔に彼独特のの若草のような匂いが広がる
姫はこの香りが大好きだった。
○ ○ ○
そんな中、真理子は二つの方法を姫に提示した。
一つは、このまま永遠に麻酔を体内で循環させること。
当然彼は永遠に眠り続ける植物状態になるが、常に彼は姫のことを見続けるだろう。
二つ目の方法は──
○ ○ ○
「桃、私とチューしよっか」
「…………」
桃は当然何も答えない
○ ○ ○
「お世話になりました」
「なりました」
水晶と鏡は身支度を整え、アパート『水の国』の玄関前に立つ。
それをアパートオーナーである瑠衣が見送る形だった。
「いえ。そんな。こちらこそ、家の修理頼んじゃって」
姫に壊された管理人室は今や以前よりも何倍も綺麗になっていた。この数日で数名の青鬼が直しに来たのだ。
桃が初めてやってきたときもそうだったが、このアパートは破壊されるたびに綺麗になって戻ってくる。ある意味不気味だ。
「元はと言えば、私達の責任なんです。このくらい当然ですよ」
「皆さんに、よろしく伝えてください」
「承りました」
そう言って二人の青鬼は帰っていく。やることは山ほどある。
突如としてキーが消えてしまった。
散々探したがどこにも見当たらなかった。
逃げたわけでないだろう。
多分、彼の言っていた時が来たのだ。
無念だったと思う。
これは決して彼の望んだ結果ではないだろうから。
……自分達は、彼のように後悔の残る生き方をしてはいけない。
酷ではあるが、そうとしか言えない。
救える命を救いたい。
あれから色々考えた結果、出た結論だ。
そのためなら、あの祖父ですら手にかけよう。
多分、亡くなった二人も、自分達と同じ結論に至るだろう。
「行くぞ、鏡」
「……リーダー面すんなや」
二人は歩み出す。
大切な。
大切な一歩を。
○ ○ ○
「えと。前髪は上げた方が可愛いんだっけ? まったくしょうがないなあ」
そう言って、桃は右目を隠していた前髪を大胆に捲くし上げる。
大きな傷になってる右目もバッチリ見えるけれど、この方が好きならそれもいい。
「じゃあ、いくよ?」
そう言って姫は桃と最期のキスをする。
○ ○ ○
二つ目の方法、それは記憶を真っさらな状態にし、今後一切鬼とは関わらせない、というものだ。
真理子曰くオンになった『桃太郎システム』をオフにすることはできるという。だが、今後鬼を感知すれば、いつどこでもまたオンになる危険性が付きまとう。
逆に言えば、結局鬼を認識しなければ、『桃太郎システム』は動かないのだから、あとは記憶を無くして、姫が二度と桃の前に姿を表さなければ問題ないのである。
○ ○ ○
長い長い間キスをする。
私の唇にあなたの感触を植え付けるために。
あなたが私を忘れてしまっても
私はあなたを永遠に忘れない。
どのくらい経っただろうか。
姫はゆっくりと桃から顔を離す。
そして──
「バイバイ桃。またね」
これであとはエピローグだけですね。
なんか最近沢山の人が見てるみたいで、ちょっと驚いてます。こんな駄作を見てくれてありがとうございます。
エピローグが終わったら、幾らか推敲して文章の修正をかけていこうと思ってます。
誤字脱字説明不足なんかが幾つかありますしね。
それが終わって、10ptくらい貯まったら続編書こうと思ってます。
桃と姫のお話はもう少し書きたいので
9/21
ちょっと青鬼側のエピソードを長くしてみました。
それに伴い……というわけではありませんが、多分、エピローグと、間幕は大幅に変更します。