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桃姫〜Please don't take my Sunshine away〜  作者: noonpa
第一章 Flower and Sunshine
4/9

第二幕 鬼と妹

 ──世界は白で満ちている。

 前後左右上も下も、白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白白。

 そんな世界で一輪の華が咲いている。

 華は自分がいつからここにいたのかわからない。十年以上前からいたかもしれないし、ついさっきまではいなかったかもしれない。

 華は知っている。

 何故自分がこんな場所で咲いているのか。

 そして自分がこれから何をするべきなのか。


 鬼は殺す。


 華は知っている。

 この世界に太陽なんてないことを。


 ○ ○ ○


 目が覚めたら、そこは楽園だった。

「ハハ。おはようセニョリータ。今日の朝ごはんはハムエッグとほうれん草のソテーだよ。オレンジジュースはもちろん搾りたて。焼きたてのパンと一緒に召し上がれ」

 いつものテーブルには差し込まれた日光を反射する白いテーブルクロスが敷かれ、その上には宝石のようにキラキラと光輝く朝食が並ぶ。部屋全体から仄かにアロマの香りまでした。

 そして、机の脇にはエプロン姿の二人のイケメンが。一人は爽やかなお兄様系、もう一人はがっしりとしたダンディ系。タイプは真逆。でも、そこがいい。なんかグッとくるのである。

 気分はもう西洋のお姫様。

 嗚呼。

 嗚呼!

 なんて……なんて素晴らしい朝なのだ!!

 きっとこれは、昨日まで幸の薄い人生を送ってきた私に対する神様からのスペシャルギフトに違いない。

「し・あ・わ・せ」

 そんな事を思わず呟いている瑠衣──を台所の方からナニイッテンノコイツ、と見つめる桃。

 当然だけれども、料理を作ったのは桃である。主食がイタチや幼虫みたいな妖怪共にこんなものは作れない。テーブルクロス敷いたのも桃だし、景気付けに檜を燃やしたのもかれである。

 それを悪ノリした妖怪二匹に手柄を持ってかれた気がして、なんとなくつまらない。パンなんか焼くのに一時間くらいかけたのに。

 そして、それを突っ込もうと思ったら、思いの外瑠衣が感動してしまって、なんか凄く出て行きづらい。

 …………もういいや。

 美味しく食べてくれてるのにわざわざ文句を言うのは無粋というものだ。別に褒められたり感謝されたりしたいわけでもない。

「ん」

 時計を見ると、もう八時を回ってる。そろそろ姫を起こしに行くべきかもしれない。あの眠れる主人はほっといたら昼ぐらいまで起きないのである。

 水に濡れた手を、昨日キー達が買ってきた花柄のエプロンで拭く。胸の方には『LOVE♡LOVE』なんて桃色の刺繍があったりして。なにがラブラブだよ。あのクソ猛禽類。いつかぜってー焼き鳥にする。

「………………」

 ただ、どうしても、昨日の夜の事を思い出してしまう。

 てか、夜だけじゃなく、起きた時も目の前には、あのまな板が広がっていたわけで。

 ああ、もう。クソッ。

 一体どんな顔して会えってんだよ。クソッたれ。

 そんなことを考えながら、桃は姫の寝ている部屋──202号室まで戻っていく。

 もちろん、瑠衣は未だに夢の中である。


 ○ ○ ○


「むにゃ……」

 目がじゅくじゅくする。

 眠りから覚めた姫は、布団の中でそんな事を思った。

 昨日は結局泣きながら眠ったらしい。桃と一緒に。

「…………」

 これで、桃は大丈夫だとは思ってない。

 きっと自分の右腕は、これからも無茶な事をすると思う。肉体的にも、精神的にも。彼はそういう鬼で、だからこそ自分は彼を右腕にしたのだ。

 ……けれど、何もかも頼りきりにするわけにはいかない。

 青鬼は今頃、血眼になって自分の事を捜しているに違いない。

 あの時、七丸に化けた青鬼が諳んじた『鬼姫』の一節。正直姫には意味がわからなかった。

 赤鬼村を壊滅させた理由の一つが、そんなワケの分からない話だなんて、正直やりきれない。

 ……何にしても、彼らはこれからも自分達に襲いかかってくるだろう。

 この話は桃にはしていない。

 言ったところで心配の種を一つ増やすだけ。ただでもギリギリなのに、これ以上負担をかけるわけにはいかない。

 こうなると、早めに移動したいけれど、厄介な病気が発覚してしまった。

 正直、自分一人なら既にこの場にはいない。

 薬を飲まなければ数十年後……そんな物より、目と鼻の先の青鬼の方が重要だ。

 でも、それを桃は許容できない。

 逆の立場なら、自分もこの場を離れる事を許すことができないから。

 正直、真理子の言ったこと──姫の病気のことを丸々信じていいものか、とも思う。

 この状況は、あまりに彼女に優位に働き過ぎている。

 ただ、嘘を言ってる様な雰囲気も出してはいなかった。もし、そんなもの出していたら、桃はあの時彼女の頭を斬り捨てていた。

 ……もし。

 もし、本当に全部嘘だったら。

 精神だけなら、彼女はもう人間のそれではない。肝が座っているというレベルを遥かに超えており、最早狂ってるとしか思えない。

 動けない。

 自分達は完全にこの場に束縛されてしまった。

 国籍や学歴というもののこともある。

 これから自分達は人間社会で生きていかなくてはいけないのであり、こういう細かいことを怠るわけにはいかない。

 これは積極的な理由だろうか?

 いや、これも提案したのは他でもない真理子だ。

 積極的と思わせておいて、その実、結局彼女の手の平の上。

「────────」

 これが人間。

 鬼の数十分の一の力しかないくせに、世界を掌握した化け物。

 鬼の天敵。

 何にしても、彼女には気をつけなくてはいけない。

「…………ふう」

 大体、これから自分達のするべきことが決まってきた。

 とにかく暫くはここで静かに隠れていよう。

 復讐なんて考えない。

 あの父親さえ倒した相手。そんな事をしようものなら、こちらはまず無事には済まない。また、もし、無傷で確実に青鬼共を皆殺しにできる方法があったとしても、多分やらない。

 あの子を見て思ったのだ。

 まだ、あんなに小さな子が、あんなに歪な笑みで、復讐なんて口にして。

 もし、自分と桃の間に子供が生まれたとして、その子があんな顔をして、あんな事を言いながら、あんな風に狂ったように笑ったりしたら──背筋が凍る。想像しただけで吐き気さえする。

 きっと復讐はひとを狂わせるんだろう。それも、個鬼ではなく集団単位で。

 狂った鬼が元に戻るかなんて誰にもわからない。

 だったら、今のままでいい。

 桃といつまでも一緒にいることができたら、他に何もいらない。

 ふと、村の皆んなのことを思い出す。

 今頃彼らはどうしているのだろう。

「……アハハ」

 彼らのことだ。きっと、殺されたことなんて、とうの昔に忘れていて、今頃天国で派手な宴会でもしているんだろうな。

 そんな彼らを想いながら、いつまでもイジイジするのはあまりに割に合わない。そもそも、赤鬼はイジイジするのが大っ嫌いなのだ。それならまだ、自分の右腕をイジイジした方がずっといい。よしイジイジしよう。

 姫が、丁度そう結論付けた時だ。


 ──トンッ。トンッ。トンッ。


 丁度いいところに、彼の──自分の右腕の足音が聞こえてくる。歩みの間隔や、床のギシり具合からして間違いない。多分自分を起こしに来たのだ。 

 姫は慌てて狸寝入りの構えを取る。さーて。今日はどうやってからかってあげようかな、なんて想いながら。

「おい。飯が出来たから、そろそろ起きろ」

 そう言いながら桃は部屋のドアを開いた。

 きっと桃はそれでも寝ている自分を揺すりにくるだろう。その時にカウンターでこちょこちょでもするか。そう。こちょこちょ。ちょっとおしっこ出ちゃうまでこちょこちょ。こちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ──


「…………」


 桃は扉を見て立ち尽くしていた。

 なんか、すっげェ禍々しいオーラが扉の隙間から漏れ出している。

 うん。

 間違いなく、起きてるな。これ。

 しかも、何か罠的な物がある。絶対。

 もう、合わせる顔とか、どうでもよくなってきた。

 ……ふと、考えてみる。

 自分はここに何をしに来たのかと。

 眠ってるバカを起こしに来たのだ。

 少なくとも、こんなバレバレのトラップに嵌りに来たのではない。

 そして、そのバカは既に起きてる。

 となると、ここで自分がこのパンドラの匣を開ける必要性がどこにあるのかという話である。

 ……さて。

 気を取り直して洗い物でも──。


「ハハ。ここは通さないよ。我が恩鬼おんじん


「…………」

 何だろう。

 なんか、クソ梟(一応今は人間だが)が廊下の真ん中で両手を広げてる。

「いや、てめェはなんでここにいんだよ? あのお花畑の世話してたろォが」

「こっちのが面白そうだから、ノーに任せて来ちゃった」

「……面白そうって。大体、あの全否定なダンディに何ができるんだよ」

 いや、まあ。あれはあれでかなりの聞き上手ではあるのだけれど。

「どけ」

「ハハ。それはできない相談だね」

「……何でだよ」

「まだ王子様がお姫様を起こしてないからさ」

 なんかよくわからないが、ランチ志望なのだろうか? 調理される側的な意味で。

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ。お姫様バカならもう起きてる」

 察知能力なら、鬼の数倍はある猛禽類こいつのことだ。この無駄に凶悪なオーラに気付いてないわけがない。

「いいや! 仮に起きたとしても、王子は起こしに行かなくてはいけない! 何故なら、それが王子の役目だからさ!」

「既に起きてるお姫様バカをどう起こせと?」

「ハハ。王子様がお姫様を起こす方法と言えば、あれに決まってるじゃないか」

「……とりあえず、お前のにやけ顔がクソムカつく」

「そう! それはキッス!」

「………………」

「ほらそこ、『ナニイッテンノコイツ』って顔しない」

「こんな顔にさせてんのはどこのクソ猛禽類だと思う?」

 大体キスって。

 昨日の寝る前もしたし、その前もした。

 何? 右腕は主人と一日一回キスしねェといけない、とかそういう決まりでもあるの?

 もしそうなら、親方様とクソ狐も一日一回………………どうしよう。想像したら、胃の中から何か酸っぱいものが込み上げてくる。

「ハハ。というわけで、その扉を開けるんだ王子様!」

「王子様に命令するてめェは何様?」

「かみ……いや、暗黒大魔王様さ!!」

「………………」

 今、『神』って言おうとして、それを止めた。会話の流れ的に神でも良いと思うが。……少なくとも暗黒大魔王とかよりは。……まあいいけど。

「さあ、どうかな? 僕は暗黒大魔王様だ。ピョロビョロドゥーン」

「何? そのクソみてェな効果音」

「何かかっこよくない?」

「全然」

「ガーン」

 そんな事を言ってオーバーリアクションを取る。ちなみに、顔は満面の笑みだ。クソウザい。

「そういや、てめェらの仕事はいつからなんだ?」

「んー? ああ、柴田ちゃんとこのね。あれは今日の午後からだよ」

「へえ。弁当とかはいるか?」

「お客さんに食べさせてもらう職業だから、いらないね」

「あー。となると、昼も軽めがいいか。……てか、てめェら何食うの?」

「この姿なら僕もノーも人間と同じものを食べるよ」

「なるほど。……わかった。なら、サンドイッチでも──」


「早く起こしに来んかぁああああああああああああああああああああああい!!」

「ごぁあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 桃は突如と横から襲って来た扉に呆気なく吹っ飛ばされる。姫が扉ごと桃を蹴り飛ばしたのである。

 ……そして、この壊された扉を修理するのも、桃の役目であった。


 ○ ○ ○


「薬はちゃんと飲んだか?」

 桃と姫の朝食(と、扉の修理)が終わり、昨晩と同じように居間に住人全員が集まる。

「うん。血も抜いたよ」

「フルッフー。なかなか良い色をした血液だったのだよ。なんなら桃ちんにもちょっとだけ分けてもいいのだよ。夜のオ・カ・ズとかにね」

 いつの間に起きてきたのか、真理子は朝食のパンにパクつきながらそんなことを言う。

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ。俺は鬼は鬼でも吸血鬼じゃねえ。あと、飯食いながら喋んな」

「またまたぁ。本当は意味わかってるくせにぃ」

「昼抜きにされたくなかったら口を閉じて食えや」

「しょうがないよ。もものパンは、思わずお喋りしたくなるくらい美味しいんだから」

 多分姫はオカズの意味わかってない。

 てか、血液をオカズにするって、どこの変態だよ。匂いでも嗅ぐのか? 基本鉄の臭いしかしないぞ?

「……わかった。じゃあ姫は明日から、あのスーパーってとこにあった、無駄に大量の砂糖が塗してあった菓子パンってやつを朝食に出すな?」

「真理子、口を閉じなさい!!」

 桃達がそんなことを言ってる横では。

「あの。ノーさん、お趣味は?」

「ノー」

「ハハ。ノーの趣味は穴掘りとトレーニングで、僕の趣味はもっぱら桃君をからかうことさ」

「まあ。それはそれは。オホホホホ」

 また、あのお花畑が展開されていた。

「よし。今日の晩飯が決まった。よろこべ? 梟の肉なんてそうそう食えねえぞ?」

 こんな風にワイワイガヤガヤとするのは楽しいではあるけれど、そればっかりではいられないのが現状である。

「これから桃ちんと姫ちゃんはどうする、みたいなのは考えてる?」

 そんな真理子の言葉に場は一時静まりかえる。

 これから……ね。

 桃は両手を組む。

「とりあえず、俺が働ける方法を探すつもりだ。アンダーグラウンドなことでも構わない。とにかく、いつまでもキーやノーに頼るわけにもいかねェし。ゆくゆくはこの街も離れるつもりだ」

「……んー。とは言っても」

 瑠衣が困ったような顔をする。

「現在は学歴があっても厳しい時代だから。昨日も話題に上がったけど、身分証明できないと、どうにもならないのが人間社会よ? そう言えば、昨日お姉は国籍は大丈夫みたいなこと言ってたわよね?」

「ふるっふー。その辺は私に任せてもらっていいのだよ。そして、私に提案がある」

 なんかテンション高いなあ、なんて桃が思ってると、

「桃ちん、姫ちゃん。二人とも学校行ってみる気はないかね?」

 そんなことを言い出した。

「がっこーって、大学のこと?」

 よく赤鬼村に来ては悲惨な末路を辿る人間達は基本皆大学生という奴だ。話を聞いてると、なんでもめちゃくちゃ暇らしい。

「惜しいな。君たちが行くのは、その一つ前段階の『高校』ってとこなのだよ」

「こーこー? おやこーこー?」

 姫が首を傾げてそんな事を言う。

 いや、可愛いではあるけど、と瑠衣が苦笑する横で、桃が溜息交じりに言った。

「バッカ。んなわけないだろ?」

「桃は知ってるの?」

「当たり前だ。これでも人間の本を読むのは好きなんだ」

「へえ。本とか読むんだ」

 瑠衣は素直に驚く。

 なんとなくそんなタイプには見えなかったが。

「舐めてんじゃねェよ、クソが。文字が読めず、料理ができるか。当然数学も少しはできる」

 それもそうだけど、もう少し言葉遣いをなんとかならないだろうか、と瑠衣は思う。

「いいか、姫? 『高校』ってとこは生徒達が空を飛び、炎の魔法で攻撃してくるんだが、それを無効化の魔法で──」

「ストォオオオオオオオオオプ!」

 ダメだ。全然ダメだ。

 彼は何か大きな勘違いをしている。多分少年漫画的な何かと。

「ひめ、青鬼じゃないし」

「青鬼じゃなくても入れるから! 普通に人間が通ってるから!」

「何言ってんだ? だったら、どうやって炎の魔法を防げば良いんだよ? 丸焦げになれってか?」

「いや、高校で炎の魔法とか無いし! 丸焦げになるようなことは起きないし!」

「ああ。あのロリコン教授の髪燃やした時は楽しかったのだよ。次の週からカツラ着けてきて、それも──」

「お姉は黙ってよっか!」

 ダメだ。こんなに沢山の人(内二名鬼二名妖怪)が集まってるのに、まともにスクールライフ送ったのが自分しかいない。

「じゃあ、瑠衣さんよ。結局『高校』ってどんなとこなんだよ?」

「んー。そうね。まずは勉強して、ちょっと運動して、友達作って……あ、でも別に、そんな無理して作らなくてよくて。運動も程々にというか、マラソンの時は女の子の日で乗り切って。お弁当なんかはトイレで……」

 突如自分の暗黒歴史と闘い始めた瑠衣を、桃達は訝しみながら見つめる。そして、それは図らずしも瑠衣の語りに拍車をかけていった。

「……上履きの中には押しピンが……机にはいつも綺麗な白いお花が……ブツブツ」

 そんな時だ。


 ──ぽんぽん。


「え?」

 自身の肩が叩かれ、瑠衣は後ろを向く。そこには──

「ノー」

 彼──歩くダンディズムがいた。

 なんだろう。

 自分の暗黒歴史を、全否定してくれる、少し強面だけど、頼れる男性。

 彼はそれ以降何も言わず、ただ私の事を見てくれる。その真っ直ぐな瞳が何もかも吸い込んでくれる。この人の側にいたい。この人になら何でもあげられる。私の気持ち、あなたに届いて。ああ……

「……おい。唯一『高校』について何か知っていそうな奴が突然お花畑に行ったぞ?」

 「ノー」の一言で喪女のハートを掴む。恐ろしいモグラである。

「……まあいい。あいつらは無視だ。クソ姉、俺らがその『高校』に行くメリットとしては何が挙がる?」

「そうだね。色々あるが、とりあえず働きやすくはなると思うのだよ?」

 働きやすくなる。確かにこの状況下においてはこれ以上にない好条件だ。

 ……だが、もちろんデメリットも存在する。

「たしか、そこを出るまでに結構かかったよな」

「結構と言っても、三年程だがね」

「三年……」

 追われていて、金も全く余裕の無い自分達にとっては十分結構……いや、それ以上だ。

 けれど、現状では他に方法もないこともわかる。

 ……とりあえず、ご主人様にも訊いてみるか。

「姫。てめェはどう思う?」

「んー。ひめは、ももが行った方がいいって思うんならどこにでも行くよ?」

「…………」

 一見して、信頼されてそうな台詞だが、全然違う。

 これは、面倒くさいから桃に丸投げしてるのだ。

 はあ、と桃は溜息を吐く。

 もし、自分が高校とやらに行くとなれば、姫も一緒に行かせる他ない。姫に働かせる気はないが、離れるわけにもいかないのだ。

 さて。どうしたもんか、なんて桃が考えていると、不意に「ハハ」というあの笑い声が、部屋に響いた。

「僕は反対だよ」

 そう言い放ったのは、軽口な自由梟──キーである。

「ほう。それは何故かね?」

 真理子は不敵に笑う。自分の出した条件は、そんなに悪いものではない筈だ。少なくとも、否定をするなんて状況は予想していなかった。だが、この予想してない状況こそ、自分が最も興奮できる時であり、生きてる気がするのだ。

「ハハ。僕達は追われてる身なんだよ? 高校なんて、そんな目立ちそうなとこ行けるわけないじゃん」

「……まあ、一理あるな」

 確かに、今は職云々よりも、身の安全のが優先順位は高い。姫がいるなら尚更だ。

「『高校』ってのはそんなに目立つのか?」

「その辺は人によって、学校によって様々なのだよ。遠くの学校に行けば、私や瑠衣みたいな悪目立ちしなければ特に問題は無いと思うのだがね。必要とあれば、名前も変えるが?」

「…………」

 その辺は問題ない。

 元々名前は変えるつもりだった。

 姫はもしかしたら嫌がるかもしれないが、逃亡生活を続けるなら必要条件の一つには違いない。

 しかし、真理子の言葉を聞いてもキーは納得いかないようで「だーめ」と笑って言った。

「リスクは0.1%でも減らしておくべきだ。お金は僕らが用意する。桃君は、この家専属のお手伝いさんでもやってくれ。これで何の問題が?」

 何だろう、と桃は思う。

 さっきから、えらくキーの主張が激しい。

「お前の言い分も理解できる。けど、それだと万が一の時に──」

「ハハ。万が一って何さ?」

 キーが踊るように回っると、自分の胸に手を当てる。

「僕達が青鬼に殺られるとか? ハハ。見くびらないでほしいね。僕もノーもあいつらなんかにヘマはしない」

「あいつらって、そのあいつらが何をしてくるかもわかんねェだろ?」

「わかるよ」

「…………」

 こいつは、何を言ってる?

 桃はキーの目を見る。

 端が若干垂れるその眼の奥には、人間の姿になっても変わらない、猛禽類独特の鋭い目がある。

 確かにキーは、年がら年中ふざけてる奴だけれど、こんな時に冗談を言うような梟ではない。

「僕にはわかるのさ。あいつらがこれからどうするとか、どんな魔法を使ってくるとか、何を考えてるのかも」

 ナニイッテンノコイツ……にはならない。

 シャレにしてはあまりにつまらない。こいつらしくない。

「キー。一から話せ。俺はお前じゃないからお前が何を考えてるのかわからない」

「うん。わかんなくていいよ。わかる必要がない。これがわかるようにも絶対にしない。僕の大恩鬼、君は知らなくていいんだよ。何も知らずに幸せになればいい。姫ちゃんと結婚して、かわいらしい男の子二人くらい産んで、その子達に優しく微笑みかけて。それで僕は幸せだから」

 小鳥が囀るようにそんなことを歌う。

 キーには元々そういうところがある。

 彼は桃を恩鬼だと言うが、桃は彼に何もした憶えがない。

 訊いても喋ったことはないし、これからも何も無ければ一生話すことはないのだろう。

 桃は考える。

 彼の言葉はどれほど信頼に値するのか。

「…………ハッ」

 愚問だバーカ。

「おい、クソ姉」

「ん? 何かな?」

「今回の話はクソありがてェんだが、とりあえず延期させてほしい」

 桃は友を信じる。

 なんてことはない。

 彼がこうまで言っている。

 ならば、自分の中には信じる以外の選択肢はない。

 それだけだ。

 一体この猛禽類が何を隠してるのかは知らない。

 だが、こいつがいつも俺らの為に頑張ってくれたのは、他の誰よりも俺が知っている。

 そんな奴を疑うなんて愚の骨頂だ。

「俺も姫も、『高校』ってとこで勉強するってんならその前に勉強するための基本的な知識だって必要だろう?」

「ま、そだね」

 高校を親孝行なんて言ってしまう内は、高校どころか小学校も危ないかもしれない。

「姫も暫くは俺と勉強だ。一応てめェは俺の主人なんだ。ちったァ賢くなってもらわにゃ困る」

「さーいえっさー」

 言って姫が敬礼する。お前、そんなもんどこで覚えた。

「てなわけだ。ワリぃが、この話はとりあえず無しで頼む!」

 そう言って桃は頭を下げた。

「ふるっふー。日本の学校って四月からだから、ちょうどいいと思ったのだがね。まあ、それもいいだろう。それなら勉強は私と瑠衣で見るよ。いいよね、瑠衣?」

 そう言って、皆が瑠衣の方を見ると……

「ノー様」

 まだお花畑にいた。


 ○ ○ ○


 ──残り一切れ。

 この一切れで、この地獄のような生活も終わる。

 長かった。

 他に何も食べてはいけない。

 吐く事も許されない。

 あらゆる生物への変身。それに副作用的に伴う身体のゲル状化、対象の脳を食らうことによる、経験思考の完全なコピー。

 最強なんて言われてるけれど、当の本人である鏡にとって、これは最悪の能力だった。

 人間ですら牛の脳は滅多に食べない。人間や鬼と違って量もそんなに多くはないというのもあるけれど、同様に量の少ないタンやサーロインが焼肉屋で厚顔に振舞われているのを見れば、その理由はわかりやすい。よく言えば珍味、悪意を持てばゲロということだ。

 そのゲロ──しかもただでもクソマズい鬼のそれを食らわなくてはいけない自分の魔法を恨む。てか、この魔法自体同様にゲロなんだとすら思う。

 どっかのメガネみたく、腹太鼓で発生した雷をそのまま打ち出す魔法なら火力もあって、こんなことをしなくていいのに。

「うぷっ」

 ここ数日、毎食毎食笑顔で脳みそステーキを出してくれるメガネの顔──いや、メガネを思い出しただけで、吐き気がする。一種のパブロフの犬。完全に末期だ。

 もし吐いたら、吐いたものを食べなくてはいけない。そうしないと魔法がちゃんと発動しない。ノーマルゲロがキングゲロになるという最悪パターンだ。

 これを食べることによって、勿論赤鬼最強──赤井真熊の戦闘力も手に入るが、それよりも彼の記憶の方が大事だ。

 彼が青鬼のことをどれだけ気にかけていたか。

 それがわかる。

 それだけのことが青鬼としては非常に重要なのである。

 赤鬼の長でさえ、青鬼のことなんか、まるで気にかけていない、というのを再確認して、ようやくこの復讐が正しかったことだと証明される。

 年寄り連中に聞かされてきた、青鬼への醜悪な仕打ち。今も、決して豊かではない青鬼の村。子供は死んで年寄りは病気になる。それが終わるのだ。自分達が終わらせるのだ。

 そのために、鏡はこのゲロを喰らう。

 鏡は口を思いっきり開き、そして最後の一口を──


「だが、断るww」


「────!?」

 その声は「響く」なんて表現が、途轍もなく当てはまる。まるで鈴が振動して響く、そんな声が、突如としてその場に広がる。聞きなれない声に鏡はとりあえずゲロを皿に戻す。

「そのお肉、食べたらダメだおwww」

「お前は誰だ!」

 鈴のように高い……女の声。

 この周辺にいるのは数鬼の青鬼だけ。そして、そもそも青鬼に女なんていない。

 鏡は全身に力を込める。

 現在最強の変身は、七丸である。名刀・鬼殺しは無いとは言え、通常サイズの鉄製棍棒でも十二分に強い。

「m9(^Д^)プギャーーーッ。「お前は誰だ!( ・`ω・´)キリッ」だってぇ。ggrkswww」

「…………」

「おー。怖いなあw。私は妹だおww」

「……妹?」

 意味がわからない。当然ここにいる、いや、記録上数世紀に渡って、鬼に妹なんかいない。赤井姫も一人っ子だった筈だ。

「一体誰の妹だってんだ?」

「お兄ちゃんの妹です( ・`ω・´)キリッ」

 舐められてる。

 それならそれでいい。

 戦場で相手を舐めるような奴の末路なんて決まってる。それは自分自身体験済みだ。

 鏡は腹の中の太鼓を鳴らす。これによって生命エネルギーを、雷エネルギーに変換し、さらにその雷エネルギーによって、鏡は変身する。

「m9(^Д^)プギャーーーッ。それ絶対エネルギー効率悪いよねww。音にエネルギーを大分持ってかれるし、体から漏れてしまうイナズマも、やっぱりエネルギーの浪費。そんなんだから赤鬼に勝てないんだおwwwwww」

「抜かせ」

 七丸に変身を終えた鏡は、用意してた棍棒を手にして、声の方へ走る。

 殺してもいい。

 殺して食えば何にも勝る情報源だ。

「ジーw」

「自分で処理せーへんくせに無駄な挑発すんなや」

 そんな言葉と共に、何かの影が飛んでくる。

 鏡は棍棒で打ち返そうとする……が。

「なっ!?」

 ギィンという音が響いて、その一撃を軽々と止められた。完璧にコピーした赤鬼の一撃を。

「おー。ぼっちゃん、なかなかお強いでんなぁ」

「くっ!」

 鏡はすぐに背後へ跳ねる。ありえない。現状で最も力のある赤井姫並みの力。

 落ち着け。

 鏡は集中する。

 自分の強さは、なにも力の強さだけではない。

 ゲル状の不定形であり、傷つくことのないこの身体もまた、ゲロを食う対価の一つ。

 相手がどんな馬鹿力でも、それは全て無意味。

 鏡は一呼吸後、余裕さえ伺える笑みを浮かべる。

「ありゃ? このぼっちゃん、まだ何か力隠してるっぽいで?」

「m9(^Д^)プギャーーーッ。そりゃそうっしょw。こいつ青鬼の決死隊でも最強らしいしww」

「そら、ワイには荷が重いわ!」

「なんくるないさー精神でいけばイケるw」 

「いや、ワイ島んちゅと違うし」

「え? じゃーもーまんたい? w」

「広東語圏内とも違う」

「じゃあどこなのよ!(゜Д゜)ゴルァ!」

「この喋り方聞いててわからへん!?」

「わからへん!\(^o^)/」

「はぁ。しゃーないなぁ。ワイは……」

「ワイは……wktk」

「フィンランド人やねん!」

「なるほど。イギリス人ね……って、北欧か!(゜Д゜)ゴルァ!」

 ………………。

 …………。

 ……。

「………………」

 世界が一瞬氷河期を迎えた気がした。

「うわっ。めっちゃスベってるやん!! このぼっちゃんなんか「ナニイッテンノコイツラ」って顔しとるやんけ!!」

「あれー? おかしいな。私の調べによると、現在この国での爆笑必死の鉄板ギャグの筈なのにorz」

「死にたい。ギャグがここまで滑るとか、凄い死にたい」

「よし! この子切腹するらしいので、今までのご無礼全部許して( ・`ω・´)キリッ」

「何が「よし!( ・`ω・´)キリッ」やねん!?」

 なんだろう、こいつら。

 ほんと、何しに来たんだろ?

 笑えない一発ギャグをしに?

 わざわざ戦場の真ん中で?

 鏡は改めて二人の姿を視認する。

 一方は先程鏡の──赤鬼最強クラスの攻撃を受け止めた男。彼の姿を一言で言えば『坊主』である。袈裟を身に付けたハゲ頭。おそらく鏡の攻撃を止めたのは右手に携えた異形な錫杖であろう。不規則に刃のついたそれは死人よりも生者をあの世に送る方が得意そうだ。

 もう一方──自称妹は、碧眼の瞳、黄金のツインテール、そして血のように真っ赤なワンピースを身に付けた丸腰の少女。歳は十三くらいか。額から小さな角を二本、そして青白い肌から青鬼だというのがわかる……が、少なくとも青鬼で女が産まれたなんて聞いたことがない。女の鬼──鬼姫が産まれたらそれこそ大騒動になるはず。そして、一つの時代に鬼姫は二人存在し得ない。一瞬赤井姫が死んだかとも思ったが、仮にそうだとしても、次の鬼姫がこんなに成長しているわけがない。なら……

「オカマ──」

「いや、それは流石に傷つくorz」

 ……確かに、あの線の細い顔立ちは女性のそれではある。だが、それはありえない。

「お前は鬼か?」

「まあ、分類上はそうなるかなw」

「それで、女……と?」

「イエス。アイアムアプリティガール(^_−)−☆」

「じゃあ……鬼姫なのか?」

「……違うおw」

 少女は、歌うように語る。

「私は鬼で女。でも鬼姫ではない。正直あなた達の前に姿を表す気もなかった。あと二十年はニートみたいにロムってようかと思ってた。でもね、なんかお兄ちゃんのとこに、インチキがいるみたいでさ、とりあえず、そのインチキだけでも消さなくてはいけない……だおw」

「……何を言っている?」

 鏡のその問いに、少女はあえて答えない。

「私をこの青鬼決死隊に入れて欲しいんだおw。実力は保証するおw。 お兄ちゃん達も一週間くらいで見つけてあげるw。一ヶ月の観察とかマジ無理ww。あなた達は鬼姫さえ手に入ればいいw。そうすれば極論、赤井真熊の記憶すらいらないw。なら、私と利害は一致してるはずだおw」

「………………」

 鏡は黙って話を聞く。

 何故だろう。提示された話は実際その通りで、それが本当にできるのであれば、悪くない条件だ。実力も、さっきの坊主の、赤鬼さえも超越し得る力を見れば申し分ない。……それなのに、鏡には目の前にいる少女が開けてはいけないパンドラの匣のように思えてならないのだ。鬼が出るか蛇が出るか。いや、目の前にいるのは既に鬼なわけだからもっと酷い物が出るのではないか。

「このハゲwの名前はジー。見た目はオッさんwだけど、一応まだ三歳くらい? 私は……そうだなあ。親しみと嫌味を込めて、桃瀬ももせデイとでも名乗っとこうかなww」

 まだまだ日中。

 夢を見るには早過ぎる。


 ──それから丁度一週間で彼らは確かに赤井姫を見つけることになる。

 そして鏡は結局最期の一切れを食べることはなかった。


 ○ ○ ○


「1+1は1でしょ? だって泥だんご1個と1個合わせたら1個だもん」

「いや、それは……」

 あれから少しばかり時が過ぎた。この間思わず拍子抜けしてしまうほどに何事もなく、一日一日をだらだらと過ごしていた。桃と姫は現在瑠衣に数学を教わっている……と言っても、その進行具合はかなり差があった。

 桃はどうやら根っからの理系らしく、予備知識もそこそこあったので、数学理科の分野はもう中学生レベルだった。因数分解に多少戸惑ったりもしたが、普通の学生に比べたらかなり早い。

 一方姫は……

「でね、1+1+1+1も1になるの」

「うぅ……」

 かなり難航してた。

 かの有名な逸話みたいなこと言ってるから、もしかしたら天才なのかもしれないが、正直天才は自分の姉でいっぱいいっぱいだ、と瑠衣は嘆く。

 そして、うちの天才はと言えば、色々と任せろというのは口ばかりで、この数日はずっと自室に篭ってる。ご飯は必ず食べていくし、その際に姫に薬を渡す、血液の採取だってしっかりしている。でもそれだけだ。基本的に四六時中研究室に籠城し、時折異臭やらよくわからない爆発音やらしてたりする。ちゃんと睡眠をとっているのかもわからない。

「いいか姫」

 瑠衣が頭を抱えていると、姫の隣でグラフに放物線を書いていた桃が姫に話しかける。

「お前は頭が良すぎるんだ」

「そうなの?」

「そうなの!?」

 思わず叫ぶように聞き返してしまう瑠衣。

「確かに1+1が1の場合もある。だが、人間にはそれがわからない」

「あー。人間馬鹿だもんね」

 どうしよう。そこはかとなくムカつく。お隣の国が日本を馬鹿にしてくるのと同じくらいムカつく。

「だけどな、この問題を作ったのは人間だろ? だったら、ちょいと思考のランクを落として、人間ならこう答えるって回答をしてやればいい」

「なるほど。私は天才だからしょうがないんだね」

 その言葉に瑠衣の何か大切な血管が弾けそうになる。

「そういうことだ。じゃあ、ここで人間の作った問題だ。1+1は?」

「フッ。本当は1なんだけど、まあ人間的には2かな?(ドヤッ)」

「………………」

 な、なんだろうこの釈然としない正解は。なんか桃くんは「おー偉いぞー(棒読み)」なんて言いながら、姫ちゃんの頭を撫でてるし。姫ちゃんは満更でもなさそうにニコニコだし、なんて瑠衣は考えるが流石に口には出せない。

「よし。後は瑠衣の問題を幾つか解いとけ。俺はぼちぼち、夕飯の買い出しに行ってくる。俺が戻ってくるまでに10問くらい正解してたら、食後のプリンでも作ってやるよ」

 そう言って、桃は席を立つ。

「おお! 瑠衣さん、早く問題出して! 五千問正解してプリン五百個もらうから!」

「え!? 今割り算したよね!? しかも、小三くらいの!?」

 桃は財布を持って外に出る。

 姫は天才とは言わないが、そこまで頭は弱くない。ただ、どんな奴でも暗い気分の時は頭の回転が鈍るのだ。例えば、むしゃくしゃした時に辺りの物に八つ当たりするのだって、そうだ。冷静に考えれば、そんなことをしても何も変わらないことがわかっているはずなのに、何故か手が出る。脳のことはよく知らないが、きっとその時はそんな簡単なこともわからなくなってしまうのだろう。……今思えば、あの時自分が七丸に化けた鏡とかいう青鬼に、我武者羅に突撃した時もきっと同じようなものだったのかもしれない。

 そこまでわかれば、解決方法は簡単で、適当に褒めればいい。テンションが上がれば頭の回転も幾分かマシになる。あまりやりすぎるとかえって逆効果になったりすることもあるが、そこはちゃんと調節して。

「じゃ、行ってきます」

「うん。行ってらっしゃい!!」

 さて。今日の夕食は何にしよう。鍋は昨日した。まだ寒い時期だし、身体が暖まるんだよな。それなりに大勢で食べると更に美味くなるし。途中で真理子が紫色の液体を入れようとした時は全力で止めたが。今日もまだ寒いし、あったまる系──しょうがでも入れた料理にでもしようか。しょうが、しょうが……うどんなんかいいかもな。手打ちにすると結構な時間がかかるが、コシが出て美味しくなる。身体もあったまるし、俺らのために頑張ってくれてるあいつらのためなら、しゃーないか。

 そんなことを考えながら、「フフ」と一人笑った──そんな時だった。

 目の前に絶望が現れたのは。


 ○ ○ ○


「ねえ、るいるい」

「どうしたの、姫ちゃん」

 桃が買い物に出て十数分。

 五千問には流石に届かないけれど、百問近く解いている。今迄のペースを鑑みると、最早別人の様だ。流石というかなんと言うかである。

「人間の世界って、もうそろそろばれんたいんっていうのがあるんでしょ?」

「……あー。そう言えば、そうかも」

 喪女の自分には、殆ど関係の無いイベントだし、すっかり忘れていた。……いや、忘れるという表現は正しくないかも。何たって、バレンタインと言えば製菓会社の一大イベント。二月も二週目に突入したのだから、その勢いは凄まじい。街を歩けば桃色一色、テレビをつけても何かにつけてチョコレート臭がし、自分の購読する少女漫画雑誌にも、これでもかと言うほど押し出している。それに気づかない筈が無いのだ。

 ……つまり、無意識にバレンタインの存在をデリートしていた。モテない女の特殊能力……なんだろう、涙が出そう。

「るいるいは、キーとノーにチョコレート渡すの?」

「────っ!?」

 そんな、姫の何気ない一言が、瑠衣にとっては、正に青天の霹靂であった。

 そうだ。

 今年の自分は去年までとは一味違うのだった。

 今年は、相手がいるのだ。

 王子様が、それも二人も。

「…………がとう」

「ん?」

 小首を傾げる姫の手をがしりと握り、瑠衣は目から涙をドボドボ流す。

「ありがとう姫ちゃん! 私、チョコレート作る!!」

 こうしてはいられない。

 今すぐにでもガーナ辺りから最高級カカオを輸入しなくては。

「うん。それでね、少しお願いがあるの」

「ん……。あ、そういうことね」

 同じ女性。

 ここまで言われて、分からない方がおかしい。

 つまり、あれなのだ。この子もあの口が悪い彼にチョコレートを渡したいのだろう。それで、自分に作り方を教えて欲しいと。

 当然、ただ料理をするだけならば、彼に教わるのが一番なのだろうけど、でもそれではサプライズ的な催しができないし、何より乙女心としてそれはアウトだ。

 正直、最初は彼の良さがイマイチ分からなかった。

 勿論、料理は美味しいし、掃除や雑用も完璧。家の修理までしてしまう。

 しかし、口が悪くて、人相なんかお世辞にも良いとは言えない。正直自分の最も苦手なタイプだ。

 ──でも、この数日一緒に生活して、わかった。

 彼の、そのぶっきら棒な口調の裏にある暖かな優しさ。常に相手のことを思い遣り、他人の幸せを自分の幸せにできる、そんなタイプ。

 そして、姫ちゃんの方もそれを分かった上で、優しく甘える。彼ができるだけ負担にならないように、甘える。

 初めは、幼馴染だからこんなに仲が良いんだと思ったけど、それは違う。

 この二人は凄く相性がいいんだ。

 彼にとって、彼女以上に彼女な存在はおらず、彼女にとって、彼以上に彼な存在がいない。

 それはまるでパズルのピースが、世界にただ一つだけのピースとかっちりと結びつくように。

「……桃くんの好みとかわかる?」

「んーとね。意外と甘いものが好きなんだよ。苦いのはちょっと苦手」

「わかった。じゃあ、とびっきり甘いチョコレートを作ってあげよっか」

「うん!!」

 目の前の少女は、とびっきりの輝くような笑顔でそう言った。

 まるで、太陽の様な笑顔で。

 さて、じゃあ何を作ろうかな。

 料理初心者姫ちゃんが手伝うのなら、あんまり難しすぎるのはできないし、逆に溶かして固めるだけというのも満足しては貰えないだろう。

 定番だと生チョコやフォンデショコラあたりだと、あんまり手間がかから──


 トンッ。


「…………ふぇっ?」

 ──ガタン。

 突然、瑠衣がその場で倒れた。何の脈絡もなく。まるで糸の切れた操り人形のように。

「────」

 姫は一瞬で全身を緊張させる。

 突如と部屋に現れたのは三鬼。内、一鬼は以前に見た青鬼の子だ。

 ──居場所がバレた。思っていたよりも全然早く。

 病的なまでに青白い肌をした男達。きっと、いや間違いなく全員青鬼である。

 その内のメガネをかけた男が口を開く。

「私とは初めましてですね。もっとも、私達はずっとあなた達のことを見ていましたが」

「…………」

 冷静になれ。

 姫は目を閉じる。

 桃は買い物。

 おそらく、自分達が離れるタイミングを待ってたのだろう。

 これは数十分程度の外出なら問題無いと高を括っていたこちらのミスだ。

 キーとノーは仕事に行ってる。

 真理子はよくわからない。でも、そもそも彼らが彼女に興味があるわけでは無いだろうし、それに、何となくただでやられるような人ではない気がするから、大丈夫だと思う。

 それを踏まえた上で、この状況。

「────っ」

 とにかく不味いのは、桃である。

 一応刀は持って行っているけど、それでも多分青鬼一鬼よりも弱い。良くも悪くも仲間がいなければ、力を殆ど発揮出来ないタイプなのだから。

「なんか用かな? ストーカーさん」

 逃げる。

 とにかく逃げて、なんとか彼と合流する。

 一対三。

 やって勝てないこともないかもしれない。

 でも、それ以上に一刻も早く桃と落ち合いたいし、青鬼の魔法は何が起こるかわからない。

 ある程度情報の割れている鏡でさえ、今目の前で傷一つ無い姿で立っている。あれほど桃が痛めつけた筈なのに。

「ほう。なかなかどうして。赤鬼らしい猪突猛進タイプかと思ってましたが、なかなかどうして。意外と冷静なんですね」

「おとめはタフじゃないと、生き残れないの。あなた達蛆虫と違って」

 その言葉に、鏡と大男が怒気の孕んだ気配を発する。

 けれど、メガネの男は逆に涼しさすら感じる顔で、

「虫けらと扱いは……なかなかお厳しい」

 なんて言う。

「同じ鬼なのに、慈悲もなく殺して、脳を食べるなんて、そんなの共食いをする虫けら共と何が違うの?」

「共食いとは同じ種族同士のことを言います。青鬼と赤鬼、一緒にしてもらいたくないのですけどね?」

「ああそうだね。ひめもあなた達みたいな奴らと一緒にしてもらいたくないよ」

「因果応報です。あなた達は過去私達に同じようなことをしたのです。その報いがあっただけのこと」

「その辺が陰険なんだよ。一体何百年前の話をしてるんだか。ひめ達はね、もうあなた達に関わりたくないの。あなた達みたいに復讐なんて馬鹿なこともしない。だから、そっとしててくれない? あんまりしつこいと、怪我じゃ済まないよ?」

 ピリピリとする空気。

 そうだ。怒れ。

 そうすればそうするだけ、網膜かが血色に染まることを姫は知っている。そうなればなるだけ、自分はかなり逃げやすくなる。

「……話を戻します。私達はあなたと交渉したいだけなのです」

「虫けらとなんか喋ることは無いよ」

 ドアは青鬼達が塞いでいる。瑠衣には悪いが……。

「そう言わずに聞くだけ聞いてみてください」

「嫌だ」

「聞いてください」

「嫌」

「…………」

「…………」

 メガネはチッと舌打ちをする。

「こっちが下手に出たら、調子にのりやがって。聞けっつってんのがわかんねえのか、このクソアマ!!」

「聞かねえつってんだよ、この三下があ!!」

 姫は吠えると同時に勉強で使っていた鉛筆を眼鏡に投げつける。

 身体能力は赤鬼に及ばない青鬼だが、なんとか紙一重で鉛筆を躱した、と同時にドォオオン! と巨大な音が響き渡る。

 頬から血がたらりと流れ、一瞬でも回避が遅れたらと思うと、背筋が凍る。

 発生した砂埃に視界が曇り、それが消えた頃には部屋には姫の姿は既になかった。

「大石!」

「わかってる」

 メガネの青鬼の声に、後ろに控えていた大男が呼応する。身体の中から「ドンドコドンドコドンドドン」という、打楽器の音を響かせ、大男──大石は走った。

 大石の魔法は加速アクセル。生成した雷エネルギーを運動エネルギーに変換する。それから織りされる速度は、地上最速の生物、チーターすらも上回り、あの鬼姫よりもわずかに上だ。

 逃げる者と追われる者にはある法則がある。

 逃げる側は追われる側よりも一定以上速くなくてはいけない。逃げる側は方向転換や、姫なら壁を破壊するなどで時間をロスしがちだが、追う側はほぼ直線距離で追うことができる。余程の速度差があるか、見失わない限り、逃げる側は逃げ切ることができない。

「鏡はサポートを頼みます!」

「わかってるよ」

 そう言って鏡が返信したのはツバメだ。ただ、その大きさはかなりのものだった。鳥に変身して空から俯瞰することで見失う危険性を少なくする。質量保存の法則で重量は変えることができないので、飛行するためにはどうしても巨大になってしまうのが玉に瑕だが。メガネの青鬼が鏡の首にカメラを取り付けると、鏡はすぐに飛んでいく。

 私も急がなくては。

 二人に続いてメガネの青鬼も走る。姫や彼らには遠く及ばないが、彼も鬼、逃げる姫に引き離されないくらいの速度はある。あの二人がいくら優秀だからといって、あの姫を無傷で捕らえるのも難しいだろう。

「逃がしません」

 このチャンスを逃すようでは、おそらく永遠に彼女を捕らえることはできない。

 『鬼姫』は青鬼の物でなくてはいけない。絶対に。


 ○ ○ ○


 前方から歩いて来たのは、姫よりも少しだけ小さな少女だった。歳も一つか二つは下。そのくせ、姫よりもスタイルが良さげ……

「なんて言ったらぶっ殺されるな」

 桃は少女から目を離さず独りごちる。

 あれは人間じゃないのがすぐにわかった。人間が失った第六感だか七感がビンビン反応している。かと言ってキーやノーの親戚にも思えない。

 どちらかと言えば鬼に近い。

 見てると胸糞が悪くなる青白い肌に額に生えた二本の角も、桃にとっては重要な点だ。つまり、女の青鬼。姫がいるくらいなのだから、そんなのがいても不思議ではない。問題はそいつが今自分の目の前に現れてること。

 クソ。

 これは買い物なんか行くべきではなかった。

 きっと、ずっと見張られていたのだろう。このタイミングを。虎視眈々と。

 逃げ切れるなんて思ってなかったが、こんなに早いとは予想外である。

「やあ。お兄ちゃんw」

 少女は鈴が響くような声でそんなことを言ってきた。

 ──お兄ちゃん。

 また、クソ訳の分からんことを。

 別に本物の兄弟でなくても、幼い子が歳上の親しい男性を呼ぶのにも使うが、彼女と自分は親しいどころか、覚えてる限り面識がない。

「てめェは?」

「私の名前は桃瀬日。お兄ちゃんの妹だお( ̄▽ ̄)」

 ……とにかく、真面目に話をする気が無いのはわかった。

「凄く会いたかったおww。とは言ってもあと二十年は会う気がなかったけどwwww」

「ああそうかい。よくわからんが、なら今日は見逃してくれ。こっちはクソ忙しいんだ。遊びなら二十年でも三十年でも後に付き合ってやっからよ」

「そういうわけにもいかないんでゴザルww。ズルしたのはそっちなのでゴザルww」

 そんなことを胸の前で印を結びながら言う。完全にお遊び気分だ。

 それに、なんだろう。

 なんか知らないけど、なんとなく喋ることが一々イラつく。特に語尾あたりが他鬼を馬鹿にしてるような印象を受ける。

 あー。もういい。

 とにかく今は姫と、そしてできればキーとノーと一刻も早く落合う必要がある。

 桃は自分の力を過信しない。

 きっと、現況じゃ、自分は目の前の少女に勝てない。

 刀は一流かもしれないが、使い手が三流以下なのだ。

 それに、多分アパートにもそれなりの青鬼が攻めてる筈。

「ズル……ってのに覚えはねェが、急いでんだ。じゃ」

 桃は回れ右する。

 無理に撒く必要は無い。どうせ行きアパートはバレてる。

 なら、下手なことするより、直線距離でダッシュするのが一番賢い。

 桃は買い物袋を投げ、走──

「連れないなー(-ε-)ブーブー」

「あん!?」

 気がつけば少女は再び桃の前に立っていた。

 速い。少なくとも桃よりは段違いに速い。並の赤鬼、下手したら姫よりも速いかもしれない。

「チィッ!」

 青鬼にこんな機動力があるなんて聞いてねェよ!

「もっとお喋りしよーよ?(≧∇≦)」

「はっ!」

 少女が言い終える前に桃はズボンに隠していた刀を抜く。

 相手が女子供だろうが臆しはしない。相手は自分より強い化け物。どうせ、この程度の攻撃くらい軽く避けてくるだろう。そして、彼女の何億倍も大事な主人が危険に晒されてるかもしれない中、躊躇なんてしている場合じゃない。

 即座に間合いを詰め、一閃。

 そして、直ぐに進む……べきなのに、

「────!?」

 桃は思わず立ち止まってしまう。

 彼の足を止めたものは、二つの違和感。

 一つ目が、青鬼の少女が、何の抵抗も無く斬られたこと。

 さっきの速度を見て、絶対に避けられた筈の一撃を、しかし、彼女は避けなかった。

 そして、二つ目は抵抗が無さすぎたこと。

 いかなる名刀と言えど、鬼を斬ればそれなりの感触が生じる筈。でも、今のそれはまるで水でも斬る程度のものしかなく、それで、実際少女は真っ二つに裂かれた。

 この二つの抵抗の無さ。

 不気味なまでの違和感。

 そして、


「あー。それ知ってるお( ´ ▽ ` )ノ」


「────っ!?」

 その鈴が鳴る様な声で、否応なく、その違和感を確信に変える。

 相手が自分の想像を遥かに上回る化け物であるという確信に。

「名刀・鬼殺しw」

 両断された上半身が地面にぶち当たり、下半身は血液を噴水のように噴出してる。

 でも、何事もないように、少女は語る。

「鬼の肉骨をもぶった斬る最強の刀ww。うん。皮肉もいい感じだし、お兄ちゃんにはピッタリだおwww」

 パッと、斬り口を見る。

 下半身の方は噴水だが、上半身は何やらブヨブヨとしていた。青鬼には、青鬼目アメーバ科でもあるのだろうか。

「…………チッ」

 だめだ。立ち止まってはだめだ。

 相手がどれだけ不気味な化け物だろうが、自分は早く彼女の元へと向かわなくてはならないのだから。

 桃は再び足を動かす。

 そんな彼をに、少女の上半身は手を伸ばす。

「だから、おしゃべ……あれ?」

 少女──桃瀬日は首を傾げる。

 身体が前に進まない。青鬼から得た加速アクセルの魔法が使えない。

 そこでようやく思い出す。今、自分には下半身がないのだった。当の下半身は自分の隣で噴水のモノマネして……あ、倒れた。

「(´・ω・`)」

 青鬼の少年──鏡から得た不定形なゲル状の身体は確かに便利である。物理防御なら多分最強だ。

 でも、あんまり調子にのってると、こうなる。おそらく鏡も最初は自分の肉体に過大評価していただろう。でも、こんな感じの失敗を繰り返したから、同化を身につけた、と日は考えている。

 実はそれは正確ではない。

 鏡はまず初めに同化の能力を身につけ、その副作用的にゲル状になる身体を得た。完全に偶然の産物である。

 けれど、現状、そんなことあまり重要ではない。

「ああん。動けないよぉ(T ^ T)」

 そう言って上半身だけでジタバタしてたそんな時だ。

「うわぁ。グロテスクやわぁ。めっちゃ引くわぁ」

 そんなことを言う付き人──ジーが現れたのは。

「お経でも唱えたろか?」

「やめてよ、私仏教徒じゃないし」

「ワイも違うけどな」

 そう言ってジーは笑う。

 いや、ハゲで袈裟着けてて、そのくせ仏教徒じゃないとか、お前はどこの変態だよと日は思う。

「上半身と下半身どっち持ってほしい?」

「上半身持ったらエロ(゜Д゜)ゴルァ!」

「なら下半身?」

「下半身持ったら超エロ(゜Д゜)ゴルァ!(゜Д゜)ゴルァ!」

「どないせいっちゅーねん」

「えー。だってジーくんかくんかしそうだしjk」

「待って!? jk《常識的に考える》と、お前の中のワイってどんなんなん!?」

「モチロン私ノ大事ナ仲間ダオ(棒読み)」

「もうちょい心を込めて!?」

「『フッ。私がジーのこと見下してるわけないじゃないか』」

「うわっ! うさんくさっ!?」

「だってー私超いい匂いだしjk」

「だから、どこの世界の常識やねん。自分はケツからラベンダーの匂いでもするんかい」

 ジーはそう言いながら下半身を持ち、私の上半身とくっつける。

「まさかの超エロ。引くわーw」

「うっさい」

「いい匂いだった? 私のお尻wktk」

「うんこ臭かった。自分ちゃんと紙でケツ拭いとるんか?」

 よし。元に戻ったらこの坊主殺そう。

「自分、あのアンちゃん追うん? 今なら間に合うで?」

「めんどくさいw」

 日は首を横に振る。

「ちょっと頑張り過ぎたからねww 私はここで一回お休みなのだおww」

「いや、自分、斬られただけやん」

「ああ。空が青いなあ♪(´ε` )」

「惚けんなや!!」

 それに、今は自分が頑張って動かない方がかえって面白い──そんな気がする。

 自分の予感は馬鹿当たりする。何故ならば自分が神様から最も愛された存在だから。だから、神様に逆らってるインチキはちょっと許せない。会ったら、色々聞き出してからバラバラにしようと思う。

「さて。とりあえず、青鬼さん、よろしくw」

 

 世界は白で満ちている。

 もうすぐだ。

 もうすぐ、終わりが始まる。

 華はその時を静かに待つ。

 ただただ静かに待つ。

 太陽の無い真っ白な世界で。


 ○ ○ ○


 キーのところに桃から姫が攫われたと連絡が来たのは、時計が五時を回った頃だった。

 店にとってはもっとも忙しい時間帯で、キーもノーも代わる代わる様々な女性とお喋りする。純粋にキー(人間ver.)のようなイケメンとお喋りしたい人もいれば、友人関係に悩む学生、子育てにノイローゼ気味のお母様、旦那さんが亡くなって、これしか楽しみがないと豪語するマダムと、その職種や年齢層は非常にに様々だ。ここは、お値段も比較的お安めなので、その影響もあると思う。

「──それでね。うちの旦那、本当に臭くて。服なんか洗濯機二度は回さないと臭いが取れないのよ」

「ハハ。男の人の臭いは頑張ってるって証拠なんだから、同じ男としては、多めに見てあげて欲しいな……と、ちょっとゴメン。なんかケータイが鳴ってる」

 スボンに入ってるスマートフォンがバイブする。この長さはメールじゃなくて電話っぽい。誰がかけてきてるのだろうか。

 桃や姫はあまり電話を使わず、大体をメールで済ます。……あまりいい予感がしない。

「セニョリータ。本当に申し訳ない。急用で出なくちゃいけないんだ」

「ええー」

 不満な声を漏らすマダムに、キーは心ない笑顔を彼女にプレゼントする。

「その代わり、次回来た時は僕が君の専属ホステスになってあげる。もちろん指名料もいらないよ」

「……わかったわよ。今の言葉忘れないでね。絶対よ?」

「僕は嘘はつくけど、約束は死んでも守るよ」

 そんなことをマダムの耳元で嘯いて、キーはスタッフルームまで行った。

『キーか!』

 電話口からいかにも異常事態発生って感じの声が聞こえる。

「どうしたんだい?」


『青鬼に見つかった』


「………………えっ?」

 何だそれ?

『さっきまで所用で出ていて、それで連中の一鬼に襲われた。今そいつを撒いてアパートに向かってるが、姫が電話に出ねェ。……クソ。俺のミスだ』

 ありえない。

 ありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえないありえない。

 こんなこと、自分は知らない。

 確かに自分達は彼らに見つかる。

 でも、それは約一年も後のことで、その時には赤鬼と青鬼で和平条約が結ばれた時の筈だ。

 思わず携帯を持つ手に力が入る。

「……その、君を襲った青鬼って」

『女の青鬼だった。名前は確か……』

 女の……青鬼だって?

 まさか……そんな……。


『桃瀬……日だっけか?』


「〜〜〜〜っ!?」

 キーは大きく目を見開く。

 あれが。

 あれが、もうここまで。

 早すぎる。

 明らかに早すぎる。

 もう、終わりなのか?

 今まで自分のしてきたことは全て無駄だとでも言うのか?

 また、あの悲劇を──

「………………くっ」

 落ち着け。今は狼狽えてる場合じゃない。

 少なくとも今、自分は『桃君の友人であるキー』として動かなくてはいけない。

「了解。すぐに行く」

 キーは電話を切って、マダム柴田のところに行く。

「なんだ。この封印された右眼が疼くから誰が来たかと思えば、お前か、キー」

 自称深窓の令嬢、その実態は十四歳を二回分迎えているのに、中二病から脱出のできないマダム柴田が、お呼びじゃないという目でこちらを見つめる。ちなみに、封印された右目とやらにはご丁寧に金色の十字架があしらわれた眼帯がつけられている。自分とノーが雇われた理由はその中にある封印されたなんとやらが、マダムを自分達に導いたとか。キーには可愛らしい円なお目々にしかみえなかったのだけれども。

 そんな彼女だが、この『闇の国』をわずか数年で、他の追随を許さないほどのホストクラブにしてしまったのだから侮れない。

「マダム! すいませんが、今日はノーと一緒に休ませてください!」

「私をマダムと呼ぶな! まだまだピチピチの十四歳だぞ!」

 厳密に言えば十四歳と百九十八ヶ月だが。

「今の時間は忙しいんだが……。まあ、しょうがない。お前も私と同じ選ばれし者。きっとこの世界の存在が揺らぐようなのっぴきならない事件が起きたのだろう、と私の封印されし右眼が語っている」

「ご明察ですマダム」

「だからマダムって言うな! 今回は代わりの奴を来させる。……帰ってきたらそれなりの労働と、土産話をしてもらうからな」

「ありがとうございます!!」

 キーはノーを呼んでアパートへ急ぐ。

 もう嫌だ。

 もう二度とあの日の悲劇を繰り返すわけにはいかない。

 自分はその為に今ここにいる。

「諦めるもんか」


 ○ ○ ○


「まちがえちゃったなあ」

 下手に撒こうとしたのがまずかった。何よりもまず、桃と落ち合うことを優先すべきだった。

 現在姫がいるのは、村外れの山中。余りに彼と離れすぎた。

 予想外だったのは、青鬼共の脚力。

 特にあの大石と呼ばれた大男。

 直線速度だけなら自分よりも速いかもしれない。

 少なくともただの追いかけっこなら自分は既に捕まっていただろう。

「……ハア。ハア。……グッ。ハアア」

「フゥ……フゥ……」

 青鬼の大男、そして遅れてきたメガネの青鬼は息も絶え絶えな様子だった。それもそのはず。姫はただ逃げていたわけじゃない。道中で石やゴミ等を拾い、立ち止まってそれを青鬼達に投げつけた。

 突然立ち止まる姫に数瞬呆気にとられ、しかも豪速の何かが飛んでくる。特に大石は姫と同等以上の速度で走ってる為、その体感速度はメジャーリーガーの豪速級を遥かに超える。当たれば痛いでは済まない。当たりどころが悪ければ即死である。

 そんな物がいつ飛んでくるかわからない状態。神経が嫌でも削られる。

 更に言えば、これは姫の知るとろこではないが、大石の加速は酷く燃費が悪い。短距離ならともかく、長距離走るのは大分キツイ。

 一転、姫はまるで息が上がってる様子もない。流石は赤鬼。体力は化け物並みだ。

「ねえ? ひめね、ももに会いたいの。もうこの辺で諦めてくれない?」

「……フゥ。そんな……訳に……は」

 とにかく交渉。

 交渉しなくてはいけない。

「あっそ? じゃあ、ちょっといたいよ?」

 言って、姫は拳を握る。

 マズい。

 長い間彼女の身辺調査を行ってきたが、彼女の強さは未知数なのだ。七丸の記憶から探っても、彼女が本気で暴れたのはもう何年も前の話。その時でさえ、かなりの力で村が吹き飛ばされたとのことだ。

 先程の投石から推察しても、その筋力は地球上のどの生物よりも高いに違いない。

 だから、赤鬼村を襲ったあの日も、彼女に不意打ちのような形で薬を注射した。真っ向から止められるとは思えなかった。

 そして、こうして向き合い、この痛いくらいの威圧感に晒されて、悟る。


 ──これが伝説の『鬼姫』か。


「……フゥ。うぐ……鬼姫様! どうか拳をお収めください! 私達は交渉がしたいだけなのです!!」

 正直、こんな化け物でも勝てない相手ではない。

 メガネの男の魔法は一撃必殺。まともに食らえば、いかに『鬼姫』といえど、再起不能となる。

 けど、それは最後の手段。

 自分達は『鬼姫』を殺しにきたのではないのだから。

「だから、その『おにひめ』って何なの? ひめはひめ。他のなんでもないよ」

「それも説明します。ですからとにかく拳を──」

「説明なんかいらない。ごめんなさいもいらないし、命もいらない。だからさ。消えてくれない? ひめとももの前から」

「お願いですから話を聞いてください!!」

「あなた達が消えてくれるなら、いいよ」

「────っ!!」

 この分からず屋が。

「私たちは、『鬼姫』であるあなたに青鬼の村まで来てほしいだけなのです。少なくともあなたは傷つける意思はありません」

「それが、村を焼いてか弱いれでぃをレイプしようとした奴らの言葉?」

 レイプ。なるほど、と青鬼は思う。鏡が「ちょっとやり過ぎた」なんて言っていたがそういうことのか。彼は天才だがまだまだ子供。それもちょっとしたイタズラの一つなのかもしれない。まったく。あまり余計なことはしないでほしいのだが。

「それは申し訳ないことをしました。おい鏡、こっちに来い。鬼姫様に全力で土下座しろ!」

 言うと同時、鳥に化けた鏡は渋々といった風に降りてくる。

「言ったよね? 今更ごめんなさいなんていらないよ。そんなことをしても誰も帰ってこないんだから。ひめたちは絶対あなたたちを赦さない。……でも、赦す。ひめは赦せないかもしれないけど、ひめの子供はあなたたちを赦す。だからもうひめたちに何もしないで」

「……子供ですか」

 きっと、彼女は彼との子のことを言っているのだろう。

 赤井桃、青鬼最強の鏡を倒した男。出自に不明な点が多い、鬼姫の付き人。

 ……いけない。

 彼と鬼姫に子を作らせてはいけない。

「『鬼姫』の伝説。その多くは眉唾です。私達青鬼も馬鹿じゃない。そんな物、ほとんど信じてはいない」

「…………」

 何が言いたい?

 姫はメガネの男を見る。

「でも、単純な遺伝子学としてわかることもある。子は親に似る。片親の半分は子供に受け継がれる。青鬼の子は青鬼らしくなり、赤鬼の子は赤鬼らしくなる。……では、赤鬼と青鬼の子はどんな子が生まれると思います?」

「っ!?」

 わかった。

 こいつが言いたいこと。

 こいつの最低な計画。

「世界の何よりも強い力とタフネス、そして再生能力を持ち、世界の何よりも、膨大な魔力を持つ。そんな子供──それこそ、鬼の王となるのに相応しい子が誕生するとは思いませんか?」

「…………死ねよ」

「あなたには、最低でも三人は子供を産んで「死ね」もらう予定です。その後は好きにするといい。そこ「死ね」までしてくれたら、私達も全て赦しますよ。彼と添い遂げるのも自由「死ね」です。ああ、でも反乱「死ね」分子とかできても困りますですので、子供を産み終わっ「死ね」たら、基本子宮は摘出──」


「死ねっつってんだろうがぁあああああああああああああああああ!!」


 姫の握られた拳が、メガネの青鬼を襲う……が、それよりも一瞬だけ速く、その姫の拳を鏡が受け止めた。

 姫の父親、赤井真熊に変身した鏡が。

「あぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 その姿は姫の怒りのボルテージを更に上げる。

 殺す。

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

「おい、メガネ!! 何が交渉だ!! 煽ってどうすんだよ!! マジで死ねよボケ!!」

 姫の拳を厳しそうに防ぐ鏡が怒鳴る。

 鏡が真熊に変身したのは、知り得る限り防御力の最も高いのが、この変身だからだ。単純に攻撃を受けるだけなら、完全同化も必要ない。

 けど、これは受け切れない。

 予想遥か上の拳。

 赤鬼最強が、押し負ける。

 そんな風に鏡が悪戦苦闘してる間、しかし、メガネの男が涼し気な顔をして、


「私、青井あおい氷晶ひょうしょうの子を産んでください」


 なんて言う。

「ふざけんなぁああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「バカメガネぇえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 二つの雄叫びが妙な唸りをつくる。

「ふぅ。だめですか?」

「脳に蛆でも湧いてんのか、てめェはよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 キョトンとするメガネの男──青井氷晶に味方である筈の鏡がブチ切れる。こんなの、交渉どころか妄言だ。

 しかし、その妄言はまだ終わってはいなかった。


「そうですか。それは残念です。……仕方ありませんね。では、我々青鬼は『鬼姫』を諦めます」


「「────っ!?」」

 氷晶の言葉に、姫と鏡はぎょっとして彼を見る。

「お、おいバカメガネ。それって……」

「本当なの?」

「ええ。これにて我々の復讐は完結です」

 言ってニコリと笑う。

「………………」

 これで、終わった?

 全部、終わり?

 もう、ひめとももはずっと二人で一緒に暮らせるの?

「おい! ふざけないでよバカメガネ!!」

 未だ真熊に変身している鏡が氷晶に詰め寄る。

「何言ってるんだよ」

 今まで。

 今まで青鬼は散々赤鬼の所為で苦しめられてきた。

 だから復讐した。

 仲間が何人も死んで、それでよくやく、この復讐が果たされようとしている。それなのに──

「しょうがないでしょう」

 そんな鏡の憤りを氷晶は一言で握りつぶす。

「仲間が死にすぎました。現状の我々では、彼女を生きたまま束縛するなんて不可能だ。それは今の彼女の攻撃を受けたあなたが一番よくわかってるはず」

「…………で、でも!!」

「諦めましょう。私達は精一杯頑張ったのです。むしろ、頑張り過ぎた」

 姫はそんな彼らを見る。

 ……もう。

 もう、これで。

 姫の身体から力が抜ける。

 終わったんだ。

 終わったんだ。

 もう終わったんだ。

 姫の目尻から涙が一粒零れる。

 そんな彼女を横目に、氷晶は胸ポケットから今時珍しいガラパゴス携帯を取りだす。

 スマートフォンが流行っているらしいのだが、あまりデザインが好きではない。こちらの方が個人的なセンスに合う。

 そして、その行動が、何故だか非常に姫の心をざわめかせる。

「……どこに電話するの?」

「いえ。私の部下に」

「どんなこと?」

「プライバシーです」

「いいから言ってよ」

「あなたは私達の言うことを聞いてくれませんでした。なら私もあなたの言うことを聞かないのは道理──」

「んなことどうでもいい。言えよ」

「………………はあ。わかりました」

 そんな三文芝居を演じながら溜息をつく。そして──


「赤井桃を殺せ」


 なんて、言う。

 酷く冷たい、それこそ氷のように冷たい声で、そんな事を言う。

 …………ももを……殺す?

「…………ハア?」

 瞬間、世界が沸騰する。

「────!?」

 際限無く発せられる灼熱の太陽光。地を灼き海を枯らせ、星を砕く。

 鏡と大石は彼女の威圧感に圧倒され動けない。

 ただ、彼だけは違う。

「ほう。凄いですね」

 氷晶は氷の微笑を浮かべその様子を見る。

「流石『鬼姫』。放つオーラも一流ですか」

「黙れよ。潰すぞ?」

「おやおや。そんなに彼が殺されるのが嫌ですか?」

「黙れ」

「言えよと言ったり黙れよと言ったり。では私はどうすればいいのですか?」

「復讐は終わったっつっただろ?」

「これは復讐なんてものじゃないですよ。百パーセント純然たる八つ当たりです」

「ふざけてんの?」

「いいえ? 真剣に八つ当たりするつもりです」

「死ねよ」

「いえ。八つ当たりするまでは死ねません」

 メガネの青鬼は、下衆の笑みを浮かべる。

「私も鬼だ。こんだけ労力を使って、あなたを手に入れることができない。どうしてもね、ストレスが溜まるのです。思わずあなたの最も大切な鬼を殺してしまいたくなるくらい」

 言って氷晶は笑う。

 しかし、その目は全く笑ってはいなかった。

「────っ!?」

 わかる。

 この目は本気だ。

 本気でこいつらはももを──


 ──ももを殺す気だ。


 なんで? どうして? ももを殺す?何で殺すの? 誰が殺すの?どうやって殺すの? 惨たらしく殺すの? あなたは誰? 殺すって何?korosuって何? 私は誰? ももって──


「おい、姫。飯できたぞ」

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ、姫」

「イェーイ。さっすが姫様」

「べ、別に姫のことなんか見てねェし」

「姫」

「姫」

「姫」


「う……うぁぁあああァアああァああアああァあああァアああァあああァああァああアああアああァあああアああァああアああアああ!!」

 太陽が唸る。

 既に世界は壊れていた。

 最早何も無い世界で、太陽は狂ったように呻く。

 そして──

「………………どうしたらいいの?」

 訊く。

「どうすれば、ももに手を出さないでいてくれるの?」

 それに対し青鬼は

「自分で考えてください」

 あくまで冷たく突っ返す。

「………ねが…」

「はい?」

「……お願いします。ひめを青鬼の村まで連れて行ってください」

「それだけ?」

「お願いですから、私にあなたの子を産ませてください。十人でも百人でも産みます。……だから、」

 太陽は──

「お願いだから、ももには手を出さないでぇええええええええええ」

 砕けた。


 ○ ○ ○


 アパートは酷い状態だった。

 桃が到着した時には、管理人室の壁は完全に破壊されており、中では瑠衣が倒れていた。一応軽く調べてみたが、どうやら気絶しているだけのようで、呼吸も安定していた。病院には行くべきろうが、今すぐどうこうというわけでもない。何より、先程から「んー。ノー様ぁ」とか言ってたりするので心配する気が毛ほども無くなった。

 真理子とヨシくんの無事も気にはなるが、正直桃にとって今はそれどころじゃない。

 姫がいない。

 この力任せな破壊跡はおそらく姫の仕業だ。おそらく外へ逃げたのだろう。

「チッ」

 なら、一秒でも早く自分は彼女の右腕としてそのサポートへ行かなくてはいけないのだが、残念なことに彼女の居場所を探る方法が皆無だ。

 逆に彼女が自分を捜すと、一瞬で見つけられるのだが、その理由を考えると軽く鬱になるので、やめる。

「キーはまだか」

 あいつがいたら空から捜すことができるのに。

 もどかしい。

 無駄に時間が流れる。

 一秒が一万年くらいに感じる。

「…………ふう」

 焦るな落ち着け。

 自分自身にそう言い聞かせる。

 下手に動き回っても場所がわからなくては意味がない。

 それに戦力も若干不安が残る。自分はタイマンタイプではない。周りに仲間がいて、初めて力を出せる。……だが、しかし。

 その時だ。


 ──うぁぁあああァアああァああアああァあああァアああァあああァああァああアああアああァあああアああァああアああアああ!!


「────っ!?」

 聞き違えることはありえない。

 幼い頃からずっと聞いてきたあの声が、桃の鼓膜を、脳髄を激しく刺激する。

 そして、その振動は桃の理性を吹き飛ばすには十分なものだった。


 ○ ○ ○


 咆哮はアパートに向かうキーとノーにも聞こえた。

「くっ」

 ノーもキー、二匹とも本来の姿に戻っていた。身体能力も走る速度もこちらの方が上だからである。

 マズい。

 これはマズい。

 森の方からだから、アパートにも聞こえているはずだ。そうなると、彼が動かないはずがない。

「ノー。予定は変更しない。ゆっくりいくよ」

「ノー」

 間に合え。

 桃を青鬼と対峙させてはいけない。それは考え得る限り最悪のパターン。これでは自分の意味がない。

 間に合え。

 間に合え。

「間に合えぇえええええええ!」


 ○ ○ ○


 ──その頃。

「おかしい」

 201号室に篭った才女──近衛真理子は独りごちる。

 姫の咆哮も、すぐ近くで起きた筈の管理人室での爆音さえも彼女の耳には届いていない。それほどまでに彼女の集中力は凄まじい。

 真理子はモニターに映る二つの遺伝子情報を見比べる。

 一つは血液検査の時に採取した姫の血液から。もう一つは、一応とっておくということで半ば無理やり採取させてもらった桃の血液から抽出した物である。

 でもおかしい。

 常識なんてものは馬鹿な猿が生み出した老害みたいなものだと思っている。

 だが、そんな彼女ですらありえないと感じる。

 二つの遺伝子を比べると、大部分を見ればあまり差異がない。人間とは多少のそれとは多少ズレてるので、これが鬼の遺伝子というやつなんだろう。遺伝子からは男女違いも読み取れる。両親の違いもあるだろう。……けれど、それらとは全く違う、何かが、一方の遺伝子に付いている。これは明らかに身体構成状必要のないものだ。

 青鬼の血液は採取できてないが、多分こんなものは付いていないだろう。

「これは一体何だ?」

 ああ、もっと色々なサンプルがほしい。赤鬼青鬼双方の。

 結局彼女がアパートの変貌に気づいたのは時計が午前零時を回ってからだった。


 ○ ○ ○


 ──世界は汚物で満ちている。


 ○ ○ ○


「…………」

 目の前に広がるのはクソみたいに青い空。

 何だこれ?

 何で俺は空を飛んでいる?

 ──ああ、そうか。

 俺は殴り飛ばされたんだった。

 あのクソボケに。

「……グッ!」

 予想外の一撃に、まともに食らってしまった。……いや、手加減はされてる。本気なら今頃粉微塵だ。それでも、多分肋骨は何本かイってる。内臓のダメージもデカい。クソったれ。

 刀は手から離れ、肉体は大地をバウンドした。肺から全ての酸素が吐き出され、まともに呼吸もできない。

「……はぁ。はぁ……うぐっ!」

 かと言って、このまま馬鹿みたいに空を見ながら寝転がってるわけにもいかない。

 口の中では血の味が満ち、全身の骨が軋むのを感じながら、ゆっくりと立ち上がる。

「…………」

 そこには。

 太陽はいなかった。

 クソしかいない。

 三鬼の青鬼のクソに。

 そして、クソ。

 太陽じゃなくて、クソ。

「…………あー。クソったれ」

 なんちゅー不景気なツラしてんだよ。

 俺はこんな奴のために、今から命やらなんやら懸けにゃいかんのかい。やっすいもんだなあ、俺の命って。

 そんな桃の心情を知ってか知らずか、姫は一言、

「帰って」

 と言う。

 そこにはまるで感情というものが感じられない。一瞬青鬼の怪しげな魔法で操られているのでは、とも思ったが、それでは今の拳の説明がつかない。姫が全力で打ったら、こんなもんじゃない。

「…………あー」

 なんとなく、この空気が読めてきた。

 どうせ、青鬼の連中にクソみてェなこと吹き込まれたんだろ。

 桃は思わず溜息をつく。

 妙に頭の中は冷静だった。

 ……というか、もう考える必要なんて何も無い。

「おいクソボ──」

「帰って」

 どこに帰れと? 田舎燃えてアパートは未確認生命体Xの所為でバラバラだぞ?

「これはあれか? そこにいるクソ共ぶっ殺せば終わりってパターンか?」

「簡単に言ってくれますね」

 妙に殴りたくなる余裕の笑みを浮かべてる氷晶が言う。

「あなたのことは調べてます。見た所、今はあなた一鬼。こっちは三……いえ、四鬼」

「………………」

 四鬼ねえ。

「分が悪いとは思わないんですか?」

「勝てる喧嘩しかしねェような弱虫じゃないんで」

「やめて!!」

 姫が叫ぶ。

「お願いだから帰って! もうひめなんて放っておいて。……ひめは、こいつと……」

 姫はチラリと氷晶を見る。

 ──嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ。

 こんな奴と……でも、じゃないとももが……。

 もも。

 もも。

 姫は歯を食いしばる。そして──


「ひめはこいつと、結婚するんだから!!」


 言い放つ。

 血反吐が出るような想い。

 でも、こうしないと、自分の最も大事な鬼が──


「勝手にしろよ」


「…………え?」

 自分の右腕であり、何より幼馴染みである筈の彼が、そんなことを言う。

 その目は溝川の如く濁りきっており、まるで、十年前に初めて出会った時の様な──

「結婚だか決闘だか知らんがな、てめェがどこのクソメガネと何をしようが、俺にゃ心底興味がねェ。好きにすれば?」

「も……もも……?」

 姫が手を伸ばす。

 どうしたの?

 どうしたの、も──


 ──パァン!


「──え?」

 伸ばした手を、叩き落とされた。

 桃に。

 自分の世界で一番大切な彼に。

「言ってんだろ。てめェにはもう興味ねェんだよ。触んな、クソが」

「…………なん……で……」

 なんでそんなことを言うの?

 なんで……どうして?

「男のジェラシーというやつですか?」

「あァん?」

 氷晶にとっても、彼のリアクションはかなり予想外だった。もっと、違う意味で取り乱してくれると思った。……それなのに。

 ただ、そんなことを相手に悟らせるわけにもいかない。

 氷晶は極めて冷静な態度を取る。

「好きな女を、他の男に取られた。それも、世界で一番憎む相手に。そりゃあ、冷たくもなりますよね。わかりますよ、そのきも──」

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ」

 桃は鬼達のことなんて、心底どうでも良さげに、落とした刀を拾い、埃を払う。

「俺に好きな女だあ? んな上等なもんいねェよ。そいつはくれてやる。そんな暴力クソゴリラ、貰ってくれるなんて万々歳だ」

「そんな言い方ないだろ!!」

 言ったのは、青鬼の子供、鏡だ。

「鏡!!」

 氷晶が彼を制そうとするが、鏡は止まらない。

「そいつはな! 『鬼姫』はな! お前のために、僕達と来るって言ったんだ! そのバカメガネに脅されてな!!」

 お前、どっちの味方だよ。

 思わず心の中で氷晶バカメガネが突っ込みを入れる。

「へえ。成る程な」

 言って、桃は笑みを浮かべる。

 全く笑ってない、笑みを浮かべる。

「つまり、あれか。俺がいるから、そこのクソはそんなクソみてェなツラしてやがんのか?」

「そうだよ!!」

「鏡!! お前はこれ以上何も言うな!!」

 何やら内輪揉めのようなものが始まったが、桃にとって、それはどうでもいいことだった。

「そいつは良いことを聞いた。つまりは──」

「──えっ?」

 桃は、持っていた刀を──


「こういうことだろ?」


 自分の首に添える。その鈍く煌めく刃は彼の頸動脈に向いていた。

「ももっ!?」「なっ!?」「はあ!?」

 その場にいた桃以外の鬼達が皆一様に驚いた表情を見せる。

 だが、そんな中でも、桃は変わらず続ける。

「俺がいるから、てめェがそんなクソヅラしてるってんなら、こんな首、いらねェよ」

「もも、やめて!!」

 姫が悲痛な声をあげる。

 これじゃあ、何のために自分が──

「黙れよクソ。俺の命、俺がどうしようと勝手な筈だ」

「そんなわけないでしょ!! ももは、ひめの──」

「ああ、そういや、右腕だっけか。……くだらねェ。もう辞めるぜ、んなもん。退職金はまけてやらァ」

 気付いてしまった。

 俺が何に忠誠を誓ったのか。

 それは赤井姫、なんてクソみたいな小娘じゃない。

「てめェのあの馬鹿みたいな笑顔に俺ァ──」

 想い返すのは、あの日──桃が七丸に預けられた次の日のことだ。


「やっほー!」

「……なんだよ、お前」

 七丸にこれでもかと言うほど殴られた桃は身体中包帯だらけだった。それでも、生まれて初めての暖かな布団はそう悪いものでも無かった。いつもは布切れのような物に包まってなんとか寒さを凌いでいたのだから。

「ひめは、ひめだよ!! あなたはももだよね!! かわいい名前!!」

 目の前の、まるで空気の読めてない少女が笑う。

 なんだってんだよ。

 なんで、こいつは、こんなにニコニコ笑ってんだよ。

 こんなクソみてェな世界でよ。

「何がかわいいだ。こっちはこの名前で、何度因縁つけられたか」

 『桃』

 鬼の世界で、これほどまでに忌み嫌われた字は無い。

 何故親がこんな名前を自分に付けたのかはわからない。

 だが、わかる。

 自分は全く愛されていなかった。

 それだけはヒシヒシと伝わってくる。

 それだと言うのに、こいつは──

「いいじゃん。超かわいいじゃん。ひめもそれがよかったなあ」

 そんなことを言う。

 ウザい。

 ほんと、ウザい。

 ……こいつだけじゃない。

「……もういいよ」

 どうせこの世界はクソだらけ。

 一分一秒永らえたところで、待っているのはクソばかり。

 それならいっそのこと──

「ねえ!」

「……なんだよ」

 こっちは真剣に悩んでるのに。さっきからこいつはなんなんだよ。

 なんて空気の読めないやつなのだ。

 ……馬鹿らしい。

「これから、よろしくね!! もーも!!」

 そう言って、バカみたいにとびっきりの笑顔をこちらに向ける。

 空気を読まない、そのくせ無駄に暖かい、輝くような笑顔。

 そう。

 それはまるで、あの太陽の様な、そんな笑顔だった。

「………………」

 馬鹿らしい。

 本当馬鹿らしい。

 こいつの笑顔を見てると、クソだらけとか、死ねばよかったとか、そんなこと考えるのが、本当馬鹿らしく思える。

 あーあ。

「……うっせーよ。クソボケ」

 しょうがないから、こいつがこうやって笑顔でいる間くらい、死ぬのはやめておこう。


 ──本当馬鹿らしい。

 その結果がこれかよ、クソが。

 結局こいつもクソだった。

 輝いて見えたのは、前日に金粉でも馬鹿食いしたんだろう。金は消化なんかされないから、そのまま出てきた。ただ、それだけだ。

 結局皆んなクソなんだ。

「やめて!! もも!! やめてぇえええええええええええ!!」

 クソが喚く。

 けど、知らん。

 どうでもいい。

 こんなクソだらけの世界──

「こっちから願い下げじゃ、クソが──」


 バジィイイイイイインッ!!


「────っ!?」

 突如と、桃の頬に強い衝撃が走る。

 そして、脳がそれを認識する頃には、身体が宙を舞っていた。本日二度目である。

 そんなんだから着地もまともに出来はしなかった。鬼にしてはあまりにみっともない体制で転がる。

「…………いてェ」

 ンだよ。このクソ空気読めてねェビンタはよォ。

 今のは完璧俺が死んでチャンチャンって流れだったじゃねェか。

 ざけんなよ。

 漢が鬼生の締めで一等輝いているって時に、ギャグ漫画みたいな攻撃ぶちかましやがって。どこのどいつか知らんが、空気読めや。

 ……どこのどいつ…………な。

 ああ。

 うっせェ。わァってんだよ。

 何年一緒にいると思ってやがる。

 自慢じゃねェが、俺はあいつの何から何まで知っている。

 いつもクソみてェなことばっかり言ってやがるが、実は俺よりも面倒くせェこと考えてたりしてることも知ってる。

 我儘放題の箱入り娘だと思われてるが、実は誰よりも他の奴のことを想いやれる、俺なんかよりも全然優しい奴だって知っている。

 空気が読めないんじゃなくて、あえて空気を読まずにヘラヘラしてるのも知っている。そうすることで、どんなに暗い世界も、一瞬で明るくしてしまう、そんなすっげえ奴だって知っている。

 だからな。

 てめェがあんなツラぶら下げて、それが俺の所為ってんなら、そりゃあもう首を斬る以外ねェだろうがよ。

 てめェが笑顔でいられない──そんな世界にどんな価値があるってんだ。クソの価値もねェよ。

 なあ、おい?

「この……クソKY」

「KYはもう死語だよ。今はかわいらしく、不思議ちゃんっていうのがトレンドなんだから」

「不思議ちゃんってか、不可思議ちゃんだよ。理解できねェんだよ」

「そりゃそうだよ。乙女心が男の子なんかに理解できるわけないよ」

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ。どこに乙女なんかいるんだ。ここにいるのは、むっさい男共とゴリラが一匹だ」

「違うもーん。ひめはゴリラじゃないもーん。かわいいかわいい乙女だもーん」

「もーんもーんクソうっっぜェんだよ。そんなに言うんなら見せてみろよ。その乙女のツラってのをよ」

「あー。もも見たいんだあ。ひめのキャワイイ顔見たいんだあ」

「……やっぱいいわ。もうてめェはどっか行っていいですよ。青鬼さんとこでもどこでも。どうかお元気にお股を開いててくださーい」

「ひっどーい」

 言って、コロコロと笑う。

 そして、横になって青空を眺めてる桃の視界に、何かが入ってくる。

 なんか、目が真っ赤で、色々とぐちゃぐちゃで、かわいいなんて世事でも言えないような、

「もーも」

 俺の太陽が。

 ………………。

 あーあ。

 めんどくさっ。

 これじゃあ、懸けないわけにはいかんだろうがよ。

 この太陽のために。

 命を。

 こっちとら、首チョンボで安らかに死のうと思ったのに。

 クソが染み込んだ泥水を啜ってでも生き残らにゃいかんじゃねェかよ。

「なあ? 俺の御主人様よ」

「なあに、ひめの右腕」

「何か命令はあるかい?」

「んー。そうだね。それじゃあ、あの青鬼君達、一緒にイジめない?」

「うわっ。俺、クソ良い子だから心痛むわァ。超痛むわァ」

「ももがクソ良い子なら、ひめはクソクソ良い子だね」

「クソクソって何だよ。繰り返せば良いってもんじゃねェんだよ」

 言って、桃は立ち上がる。

 正直、色々限界だ。

 今のKYビンタがかなり効いてる。最初のボディブローよりも強く打ちやがった。

 ただでも頭数的に不利だというのに。

 ……でも。

 なんだろう。

「さあ」

 このクソボケといると。

 自分がどんだけボロボロで。

 相手がどんな化け物だろうが、

「じゃあボチボチ始めようかね。鬼退治をよ!!」

 誰にも負ける気がしない。

 そんな桃の迫力に慄く青鬼の面々。

 大体、なんで彼がここにいるんだ。

 彼のことは、あの自称妹──桃瀬日に任せた筈なのに。

 得体の知れない存在だったが、その実力は折り紙つき。姫と桃の潜伏先を見つけたのもさることながら、氷晶達三鬼の魔法まで、この数日でマスターしてしまった。しかも、彼女なりの工夫も加えられている。

 鏡は間違いなく神童であるが、彼女はそれを遥かに超える。

 神童なんて生易しいものではなく、本物の神のような。

 そんな彼女のたっての希望で、桃の相手は彼女に任せて、自分たちはより重要な姫との交渉に全力を尽くしたというのに。

「…………」

 今は彼女のことどうこう考えてる場合じゃない。

 氷晶は桃達を睨むようにして見る。

「鬼退治ですか。流石『桃』。洒落が効いてます」

「…………」

 それに、敢えて桃は応えない。

「大体、あなた本当に赤鬼なんですか? 角は小さく、肌も白い。肝心の腕力だって人間に毛が生えた程度。知ってますよ。あなたは幼少の頃、毎日、他の鬼から虐げられてきた。まあ、最後に多少の和解があったにせよ、そこまでして赤鬼の頭首を護る義理は流石に無い筈だ。赤鬼なんかに仕えてないで、我々と一緒に来ませんか? 我々はあなたを優遇し──」

「くっせえ」

 桃は左手で鼻を摘んで、そんな事を言う。

「さっきから、くっせえんだよ。クソみてェなことをベラベラと。もう喋んな。自然破壊だ。森が腐る」

「……………」

「大体な。メクソの分際でハナクソ嗤ってんじゃねェ。どっちにせよクソだ。上下なんざねェんだよ」

「……では、なぜあなたは赤鬼ハナクソ側についておられるのですか?」

「…………」

 桃はチラリと姫を見る。

 自分が赤鬼につく理由。

 そんなの決まってる。

 桃はダルそうな顔で再び青鬼の方を向いた。

「こっちのが、多少陽当たりが良いからだよ」

 同じクソの上。

 ならば、せめて暖かくて光溢れる場所にいたい。

「そんだけだ」

「…………」

 気怠げな眼の奥から、途轍もない光が漏れている。

 きっとあの光をどうこうするのは自分には不可能だ。

 氷晶に一目でそう確信させるほど、桃の決意は固かった。

「…………また、交渉決裂ですか」と、氷晶はひとりごちる。

 何ともまあ上手くいかない日だ。

 念密に練った筈のプランが悉くお釈迦にされる、

 そして、それらの原因の中心となっているのが、彼なのだろう。

 自分達は間違えていた。

 本当に意識すべきが、『鬼姫』──赤井姫でも、赤鬼最強の赤井真熊でもない。

 ここにいる、現赤鬼頭首が右腕──赤井桃だったのだ。

「てめェらは今回ちょいとばかしオイタが過ぎた。俺らはてめェらを許すつもりだったんだが、流石にここで目を瞑っちゃ、鬼が廃る」

 桃はニッと笑って青鬼達を見る。

「とりあえず、この場にいる面子で戦争でもすっか?」

 その言葉に一瞬身体を緊張させた青鬼。しかし、

「………フフ」

 氷晶は、


「ハッハッハッハッハ!!」


 心底おかしそうに笑った。

 ああ。

 こんなに笑ったのは何年振り──いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。何せ、自我が芽生えた頃には、周りの大鬼おとな達から、「赤鬼を恨め」とばかり言われてきたのだ。笑顔なんて作れるわけがない。あの赤井真熊を殺し、赤鬼達を殲滅した時でさえ、達成感を超える、原因不明の圧倒的な虚しさが全身を襲った。そんな中で誰が笑えると言うのだろうか。

 今わかった。

 あの虚しさの原因。

 自分の中に自分が存在しないからだ。

 周りから押し付けられた『赤鬼を憎む存在』という薄っぺらな皮しかない。

 そして、その憎むべき存在が消えたのだ。それは、虚しさだって覚えるだろう。何たって、中身が無いのだから。虚いのだから。

 彼にはある。

 皮だけ見れば、赤鬼にも青鬼にも見えない半端な姿だが、しかし、その中は、濃く、とても濃く詰まっている。

 ならば──

「三文芝居の後は戦争ですか?」

 氷晶は言って、ピタリと笑うことをやめる。

「おう。つっても、この人数だとただの喧嘩っぽいけどな」

「いえいえ。上等じゃないですか。喧嘩」

 ならば、私はあなたを倒し──

「では私達が勝ったら彼女を頂きますが」

 あなたから赤井姫《中身》を奪ってやる。

「よろしいですよね?」

「ほう。だったら、こっちが勝ったら、てめェらは全員下僕だ。奴隷の様にこき使ってやらァ!」

「そっちは一人なのに、こちらは全員ですか?」

「あったりめェだクソメガネ。頭数が違うんだから、景品もハンデ分豪華なのは当然だ」

「それを言ってしまえば、こっちは三、そっちは二。景品がそっちが三であるなら、こっちは二を要求しても良いのでは?」

「みみっちぃんだよ、クソメガネ。大体、二つってんなら、あと一つはなんだ? 俺にガキでも産ませるか? ホモか、テメェ?」

「フッ。あなたに興味はありませんよ。それよりも、赤井姫あなたに──」

 氷晶はメガネをキラリと輝かせ、


「私の厳選したメガネをかけていただきたい」


 ………………。

 …………。

 ……。

「「「…………………………はあ?」」」

 その場にいた氷晶以外全員が、ナニイッテンノコイツという顔をする。

「め……メガ……ネ?」

 あの姫でさえ、若干引き気味だった。

「私、今まで誰にも言ったことが無いんですが、実はメガネをかけてもらわないと勃たな──」

「誰がここでテメェの性癖を暴露しろっつったよ、クソメガネ!!」

 ああ。

 もう、なんかどうでも良くなってきた。

 ここまで来てメガネかよ。

「ねえ、もも?」

「何だよ、バカ」

「ももって、めがねっこ、もえ?」

「よーし。じゃあ、喧嘩のルール決めようぜっ!!」

 バカの妄言を全力で無視する桃。

「その条件なら、お互い全員死亡的なノリはクソゴメンな筈だ」

「そうですね。では、チーム内の一鬼が死亡するか、降参するまでってのはどうでしょう?」

 ……なるほど。

 つまりあれだ。

 青鬼的には姫が死んでもらうわけにはいかなくて。で、そうなると、攻撃対象が必然と決まってくるわけで。

「………………」

「あれ? どうかしましたか?」

「な、なんでもねェよ」

「怖かったらルール変えてもいいですよ?」

「何でもねェつってんだろ!! 耳クソでぎゅうぎゅうなのか、テメェの耳は!!」

 もういい。こうなりゃ、ヤケだ。

 桃が内心覚悟を決める。

 赤鬼側からすれば、この喧嘩にさえ勝てば、全てが解決するのだ。多少不利でも飲まない理由はない。

 そして、それは青鬼側も同様だった。

 多分、二度と今回のような手は通じない。仮にもう一度桃を捕らえたところで、桃はなんの躊躇もなく自らの命を絶つだろう。そうなれば、姫を無傷で手に入れることが難しくなる。

「…………フッ」

 それに、何よりも念願のメガ──

「おい、バカメガネ」

「…………何ですか、鏡」

「いいの? こんなんで」

「…………」

 鏡が言いたいこともわかる。

 これは復讐だ。

 青鬼が過去との決別をするために、何よりも大切なこと。

 それが、こんな子供の遊びの様なもので決着をつけていいのだろうか。

 彼はそれに悩んでいるのだろう。

 氷晶は、そんな彼の意図を汲み取り、鏡と大石だけが聞こえるように小さな声で言う。

「この勝負私達に負けはありません」

「…………」

「鏡、あなたは赤井真熊の姿になり、先程の様に赤井姫の攻撃を止めてください」

「簡単に言うな」

「大石。あなたは、スピードを使って撹乱をお願いします」

「了解」

「そして、私が、ガード及び回避不可能の魔法、電龍アンペアで、赤井桃を仕留めます」

 氷晶の魔法、電龍は一撃必殺の強力な魔法であるが、タメに時間がかかる。その時間を二人に稼いでもらう作戦だ。これは赤鬼最強の男──赤井真熊にも通じた作戦。まず、万が一はない。

「いや、まあそれで勝てると思うけど……」

「それにですね」

 氷晶が、小さな鏡の頭を撫でる。


「ここまで、堂々と喧嘩を売られたのです。ここで逃げるのは青鬼が廃ります」


 その、姫とは違った、冷たい、静かな迫力に、鏡は暫し圧倒されてしまう。

 何かと頼りない彼であるが、それでも、確かに彼は──蒼井氷晶は青鬼のリーダーだった。

「…………おい、デカブツ。お前も黙ってないでなんか言ってよ」

 苦虫を噛み潰した様な顔をした鏡が大石の方を見る……が。

「考えるのは私の仕事では無い」

 なんて言う。

 彼はいつもそうだ。

 寡黙で、いつも言われたことだけきっちりこなす。だから、扱いやすいではあるのだけれど……。

「それに、」

「ん?」

「この状況、嫌いじゃない」

「…………」

 初めてかもしれない。

 彼の、こんな感情的な意見を聞いたのは。

 彼にそうまでさせる、赤鬼共と、そして自分たちのリーダー。

 そして、また鏡もそんな彼らをかっこよく思い始めていた。

 …………あー。もう。

「わかったよ。もう勝手にすればいいじゃんか」

「そう拗ねないでください。多分、この作戦であなたが一番頑張らなきゃいけないんですから」

「……七歳の子供にそんなこと言うとか恥ずかしくないの?」

 しかも、頑張った後の報酬が姫のメガネ姿くらいしかないとか。……僕は何でここにいるんだっけ?

 クソ不味い鬼の脳みそ食べさせられたり、訳の分からん深さの穴に生き埋めにされたり、目の前でストロベリー見せつけられたり。

 ……どうしよう。本当に碌な目にあってない。

「おい! クソ青鬼共! 作戦会議は終いか?」

 鏡が内心涙を流していると、桃のそんな声が聞こえてきた。

「はい。問題ありませんよ」

「おっし。なら、とっとと始めるぞ!」

 桃は刀を構え、姫は拳を握る。

 とはいっても、桃はもう殆ど動けない筈だ。姫の動きにだけ気を付ければ──


「やぁああああああああああ!!」


「────っ!?」

 突然姫がこちらに襲いかかってくる。

「油断してんじゃねェ。喧嘩に、よーいドンなんて必要ねェんだよ、坊ちゃん共がッ!!」

 そんな桃の嫌味を気にしてる場合じゃない。

「鏡!!」

「わかってる!!」

 鏡は即座に赤井真熊に変身して、姫の攻撃を受ける……が。

「姫ッ! 今だッ!!」

 桃の瞳がキラリと光る。


「そのゲリガキ、世界の果てまで投げ飛ばせぇええええええええええ!!」

「何ぃいいいいいいいいいいいいいい!!?」

「うぉおおおおおおおおおおおおおお!!」

「うえぇえええええええええええええええええん!!!!?」


 質量保存の法則というものがある。

 どんなに化学変化したところで、物質の質量は変化しない。

 因みに、七歳の鏡の体重は十七キロ。それは、赤鬼一の巨漢であった赤井真熊に変身したところで変わらない。

 気が付いた時には。

 鏡はお星様になっていた。

「「……………………」」

 呆然とする二鬼の青鬼。

「あ、あいつは別にノーカンでいいぞ? どうせ、死んでねェだろうし」

 そんなことをニヤニヤしながら言う……悪魔。鬼じゃない、悪魔だ。

 桃は知っていた。

 一番初めの鏡との接触で、落とし穴に落ちた鏡を持ち上げた時、姿は七丸のはずなのに、体重が明らかに軽かった。そして、鏡の本来の姿も確認している。だから、変身しても体重は変えられない、その結論に至るのはそう難しいことではなかった。

 そして、あの程度の重さであれば、大きさの大小に関わらず、姫がぶん投げられることを、知っている。

 鏡が星になった今、氷晶の盾になれる奴なんかいない。生身の鬼である二鬼じゃ姫の攻撃は防げない。

 くそッ。

「大石!! 私がやられる前に、赤井桃を殺せ!!」

「……了解」

 大石は即座に腹太鼓を鳴らし、同時に得物であるサバイバルナイフを抜く。

 超高速状態で敵を殴ると、威力は絶大だが、同時に自分の拳まで砕いてしまう諸刃の剣となってしまう。

 だが、ナイフを利用することで、威力を倍増し、衝撃は半減以下に抑えることができる。


 ──さて。

 結果だけ先に言ってしまえば、この二鬼の闘い、赤井桃が勝利する。

 これは青鬼側の準備不足が理由ではない。寧ろ、青鬼達はこのような状況を想定して、過剰な程のシミュレーションを繰り返した。

 鏡の完全同化による七丸の記憶から、桃の現時点で想定されるスペックを再現し、それに勝てるよう演習を積んだ。

 その結果、大石と桃とでのタイマンに持ち込めれば、ほぼ確実に勝利できる状態にまでなったのだ。

 

 大石は魔法アクセルを発動させ、桃に迫る。

 鏡の変身した七丸の記憶から、彼に自分を上回る身体能力は無いとわかっている。それどころか、自分の動きを目で捉えることも困難。鏡も桃が大石の攻撃を防ぐ事ができないと結論付けた。ましてや全身ボロボロの現状では絶対に──


 ──キィイイインッ!!


「あんまり、舐めてくれんなや。クソ野郎」

「────!?」

 完全に。

 完全に防いでいた。

 心臓を狙った一撃を。

 それを桃は、名刀・鬼殺しで完璧に弾いた。


 ──なんてことはない。

 これは必然なのだ。

 桃は小さい頃からイジメられていた。

 森の中。毎日の様に。

 自分よりも何倍も大きく。

 自分よりも何倍も力が強く。

 自分よりも何倍も速い。

 そんな七丸達に、毎日の様に扱か《イジメら》れた。

 高速の敵が狙う場所と言えば、急所と相場は決まっている。ならばそこを防ぐように獲物を添えれば良いだけ。

 今まで何百何千と繰り返してきた。

 今更ただ速いだけの突撃チャージに怯みはしない。

 ……けれど、それだけであるなら青鬼──七丸の記憶は予想できた。

 それを込みでも桃は大石の攻撃を受けきれない筈だったのだ。

 桃は赤鬼村を出るまで、真剣に修行に励んだことなんて一度として無かった。

 右腕になる気なんて更々無く、七丸達の手から逃れる為の最低限の実力があればそれで良いと思っていた。

 でも、今は違う。

 もう、見たくなかった。

 灼かれる村を眺める、姫の死んだような顔を、もう二度と見たくなかったのだ。

 桃は生まれて初めて、強さを熱望した。

 大切な鬼に二度とあんな顔をさせない、そのための力を全力で欲した。

 桃はこの人間の世界に来て、可能な限り刀を握った。

 確かに、それでも成長期以上の伸びはないだろう。

 だが、成長期を最大限活かした伸びはある。

 それは、ほんの少し、ななまるの予想を上回っていた。

 それに何の不思議があろうか。


「バカだろ、お前」

「────っ!?」

 桃は攻める。

 期せずして手に入れた、名刀・鬼殺し。それまで刀など一度として握ったことがない。

 けれど、桃はずっと師を見てきた。

 何とか、彼の癖を見抜き、村から逃亡するために、型の入り方から、筋肉の動きまで、隈なく観察してきた。

 だから、この数日で、荒いながらも習得することができた。

 雲隠ぜん七丸みぎうで直伝の剣術。

 それで主鬼が敵を──

「スピード自慢が、足を止めてんじゃねえよ」

 討つ。

「…………がッ!?」

 刀の峰で脳を揺らす。

 生前、七丸が逃げる桃によく使っていた技だ。

 これで、暫く彼はまともに動けない。

 そんな、桃達の様子を、氷晶は絶望した目で見つめる。

 あの時、鏡が言ったことを思い出す。


 ──甘く見たら足元を掬われる。


 決して軽視したつもりは無かった。

 だが、現状を鑑みると、そう考えることすらも傲慢だったと認識せざるを得ない。

 詰み、である。

 完全なる敗北だ。

 ……だが。

 だが、ここで死ぬわけにはいかない。

 鏡も、大石も、そして自分も。

 自尊心プライドが狂ったような悲鳴を上げる。

 しかし、氷晶は奥歯でそいつを噛み砕く。

 そして──

「ギブアッ──ふぐぁッ!?」

 突如と、口の中に入る異物。

 赤井姫が氷晶の口の中に乙女の嗜みであるハンカチを突っ込んだのだ。

「ナーイス、姫。そのクソメガネにはもう何も喋らすなよ?」

「サーイエッサー」

 桃と姫が悪魔の笑みを見せる。

「ふがぁッ! ふがッ!!?」

 氷晶が必死に口からハンカチを出そうとするが、姫の剛力に対し、それはあまりに無意味だった。

「さーて。ここからは、運動不足気味な青鬼君達のために、クソ狐直伝の赤鬼流拷問じ……じゃなくて、特訓術無料体験講座を実施してやろうじゃねェか」

「わあ。夢の逆三角系が君のモノに、だね」

 姫の目が爛々と輝き、拳がボキリと鳴る。

 まさか、こんなに呆気なく終わるなんて。

 青鬼の復讐は、これで終わりということなのか。こんなことで……。


「ノー」「待って!」


 そんな空気をまるで読んでない声に一同は振り向く。

「キー。それにノー」

 そこにいたのは軽口梟のキーと、ダンディズム振りまくノーであった。因みに、二匹とも現在本来の姿である。

「おい。なんだなんだ。今、最高にクソクライマックスなんだけど?」

 なんとなく肩透かしをくらった気がして桃は一瞬げんなりした顔をするが、すぐに、何やら二匹の様子がおかしいことに気がつく。特に、キーの方の焦り具合が尋常じゃない。

「ダメなんだよ闘っちゃ!! この闘いは仕組まれてるんだよ!! 鏡くんはどこ!!」

「いや、あのクソガキは今星に──」

「じゃあ、氷晶さん!」

「……何故、私の名前を?」

「そんなのは今はどうでもいいから! 鏡くんは、ちゃんと赤井真熊さんの脳を食べた?」

「「「────っ!?」」」

 そこにいる鬼達全員が、キーのそんな言葉に緊張する。

「何言ってやがんだ、クソ梟。なんのつもりか知らんが、姫の前で言っていいことと悪いことがあるぞ」

「桃くんは黙ってて!」

「ああん?」

 桃はキーを睨むが、キーはずっと氷晶を見つめる。

「どうなんだい?」

「……いや。食べていません」

 ああ……クソ。

 やっぱりか。

 食べていればこんな事になっていない筈。それに、電話での桃の話も加味すると──

「とにかく、今は話し合いの席を設けたい。あいつに気付かれる前に、早く」

「おい、キー。さすがにテンパり過ぎだ。言ってることの意味がわからん。てか、あいつってだ──」


「呼ばれて飛び出てジャッジャジャーンwww」


「「「────!?」」」

 それは本当に突然のことだった。

 話し合う鬼と動物達の背後に、あいつ──桃瀬日が現れたのだ。無駄にポーズをキメながら。

 その場にいる全員が彼女のいきなり過ぎる登場に面食らうが、ただ一匹──キーだけは瞬きもせず日を見つめる。

「桃瀬……日……」

「ほえ? 私産まれてこの方梟さんに自己紹介なんてメルヘンなことしたことは……あー。なるほどねw。君がインチキ君でゴザルかww。まさかの梟さんwww」

 日は納得したようでケラケラ笑う。

 ──さっき、ここに来る前に見た女。

 桃は彼女を注視する。

 胴体に全く切れ込みが無いところを見ると、やっぱりあれは全く効いてなかったということだ。

「インチキはお互い様だ。何故お前がこの時期にいる」

 普段のキーからは考えられない、凄みのある言動。

 けど、それで少女が怯むことはない。

「いやあ、本当はもうちょいロムってようと思ったんだけどね……って、この説明もう結構やってて、なんか面倒なんですけどww」

 キーは日の言葉を最後まで聞かず、桃達の方を見て、

「皆! こいつがラスボスだ! 全員が一丸となってこいつを殺してくれ!」

 と、叫ぶ。

 殆ど全員がその言葉に某然とする中、ただ一人──桃だけは妹を自称する少女に突っ込んでいた。

 桃は信じている。

 キーは自分の味方だと。

 だから、彼がすぐに殺せと言うのであれば、迷う事はない。

 全くの躊躇を持たず、今ある全力の一撃を少女の腹にぶち込む……が。

「あー。ひどーい( ̄ρ ̄)」

「……クソ」

 少女は未だケラケラと笑っていた。拳は少女の腹を確かに貫通してる。けれど、全く手ごたえがない。

 あえて斬撃でなく、拳にしたのは、その方が体積の減り具合が多少多くなると思ったのだが、あまり効果はないようだ。

「これは立派な家庭内DVだおjk。お兄ちゃん(゜Д゜)ゴルァ!」

「ちっ」

 桃は慌てて腕を抜く。

 腹に風穴が開きながら笑う少女。不気味どころの話ではない。

「私は家族なの。こんな鳥より私を疑うわけ?(T ^ T)」

「うっせー。俺の中の優先順位じゃ、お前はランク外だ」

 順位が上であるキーをとにかく信じる。七丸から教わった、赤鬼の極意である。

 遅れて姫も動く。なんだかよくわからないが、桃と同じで友達のキーを信じることにした。

 対して青鬼側の動きは鈍い。

 一応、姫を見つけるまでの同盟関係を結んだ仲である。それを突然現れた梟に殺せと言われたから殺す、なんてことは到底できない。

 ただ、奇妙な点は確かにある。

 まず、青鬼の女である筈の彼女を青鬼達は誰も知らなかった点。彼女の勘とやらで、桃達の潜伏していたアパートがあまりにもあっさり見つかった点。そして、先程梟の言った「赤井真熊の脳を鏡が食べなかった」というのが当たってる点だ。

「………………」

 何にせよ、とりあえず捕らえた方がいいかもしれない。そして、梟と彼女の双方から話を聞く。

「大石! 行けるか!」

「…………問題無い」

 先程の桃の攻撃からようやく立ち直った大石は再びナイフを構える。

「よし」

 腹の中で「ドンドコドンドコドンドコドン」と打楽器の音を響かせ、二鬼は、電龍、加速の魔法をそれぞれ発動すした。

 キーとノーも参戦する。

 六対一。普通に考えるとまず負けない……筈なのに、全員の攻撃は日は、体術や不定形化、加速による超速度などで踊る躱していく。

 強い。

 体裁きは、あの七丸並だ。そして、不定形化が厄介すぎる。加速だって馬鹿にできない。

 とにかくだ。

 先程は胴を真っ二つにしたら、動けなくなった。なら、今度も同じことをすればいい。

「うぉおおおおおおおおおお!」

 桃は少女に向かって斬りかかる。

 そんな彼を見てニコッとした日は、瞬間、超速度でその場から脱した。キーが「止まって! 桃くん!!」と叫ぶが、その時には全て遅かった。


「あ……あ……」


「「────!?」」

 止まれない刃は、桃と日を点対称方向にいた、大石という大柄の青鬼に直撃した。あろうことか、刃は彼の心臓を貫いている。

「大石ぃいいいいいいい!」

 叫ぶ氷晶。

 それはもう、誰が見ても、明らかな致命傷で、大石は、バランスを崩したブリキ玩具のように、無機質に倒れていく。

 そして、これが悪夢の始まりだと知るのに、そう時間はかからなかった。

 ──俺が殺した。

 鬼を殺した。

 ……だから何だ?

 何だってんだ?

 

 ──世界は汚物で満ちている。


 殺す事に何の罪悪感も無い。だってあいつは赤鬼村を襲った奴だ。喜びこそすれ、悔やむ気持ちなんて欠片もあるはずが無い。


 ──世界は汚物で満ちている。


 なのに何だ?

 この胸の動悸は。

 心臓の奥からせり上がってくる様な、このドロドロしたもんは何だ?

 

 ──世界はおぶ……。


 何だ?

 何が起こってる?

 俺の中で何が起こってる?


 ──世界は。

 世界は世界は世界は世界は世界はせかッ。「・ネ・せかい鬣ヌ・」・キ・逾ハ・・「ナ?せかいハ、ノ。「。「。せかい「 」ネ」メ。「」ネ」ヘ、マせかい、チ、遉テ、ネ せかい・鬣ク・ェせかい、鯤ケ、、、ニ、せかいニ、筅せかせかいハ、ォ、ハせかい、ォウレせかい、キ、、、


 俺は、俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は俺は……。


 ──世界は……で満ちている。

 満ちている? 何に?

 この何もない、空気も水も大地も汚物でさえ、本当に何もない世界に、一体何が満ちていると?

 何もない、真っ白な世界。

 華は気付いた。

 もう一輪、華が咲いていることに。

 ──君は誰? ここはどこ?

 華が尋ねる。

 ──僕は君。ここは始まり。

 華が答える。

 ──始まり?

 ──うん。始まり。お伽話の始まり。

 ──ごめん。よくわからない。

 ──わかるわけないよ。これから始まるんだから。この白で満ちた世界に、物語が紡がれる。

 ──わからない。

 ──わからなくていいよ。だって君は僕なんだ。僕は一つだ。だから君はいない。

 ──いない? 僕はここにいるよ?

 ──いないよ。僕は僕だけ。だから君はいない。


「ああァぁああぁァああアアぁああああぁあぁああァアアァあああアあぁぁああァああアあぁあああぁああああァアああぁあアああアァあア!!?」


 突然、桃が頭を抱えて呻き出した。

「ももっ!?」

 両の足が痙攣し、地に倒れる。

 慌てて姫が桃の元へ駆け寄る。

「しっかりして! ももっ!!」

 肌は土色になり、目は焦点があっていない。呼吸は不規則で、時折嘔吐をする。

「どうしたの!? ねえっ! ももっ!!」

 何とか介抱したいが、あまりに尋常でない桃の様子に、どうすればいいのかわからない。


 ──世界は白で満ちている。

 華は華と語り合う。

 ──僕がいないのなら、今ここで喋っている僕は何?

 ──君は幻想だよ。僕の幻想。

 ──じゃあ、僕が今まで見てきたものは? 世界中に埋め尽くされた汚物と、そしてあの輝く太陽は?

 ──ここに汚物は無いよ。太陽は──


「ダメだ!! 姫ちゃん!!」

「き、キー!?」

 キーが突然人間の姿に変わり、姫の手を握る。

「どうしたの? 何がダメなの?」


「……残念だけど、もう桃君は無理だ」


「…………え?」

「ここにいてはいけない。早くここから逃げよう!!」

 言って、キーは姫の腕を引っ張る。

「何を言ってるのっ!? ふざけないで!! 」

「ふざけてこんなことが言えるかっ!!」

「────っ!?」

 キーの並々ならぬ剣幕に、一瞬姫は怖気付く。

 でも、決して姫はここから動かない。

 一体今彼がどんな状況なのかわからない。

 それでも諦めるわけにはいかないのだ。

 自分は彼のご主鬼様であり、なりより、彼は自分の大切な鬼なのだから。

「姫ちゃん!!」

「何が起きてるかは知らない。でも、ここで、ももの手を握れなかったらひめは──」

 その時だった。


 姫の脇腹から銀色の光が生えたのは。


「…………え?」

 瞬間、その場の時が止まった。

 なに?

 なにが起きたの?

 お腹のこれはなに?

 刀?

 七丸の?

 一体誰が?

「…………も……も……?」

「………………」

 先程まで全身を痙攣させていた桃は、一転気味が悪い程静かになって、そして、姫の腹を刺していた。


 ──世界は白で満ちている。

 華は答える。

 ──太陽は、いらないよ。この世界に太陽はいらない。太陽おにはいらない。


「ノォオオオオオオオオオオ!!」

 いち早く我に返ったのはダンディモグラのノーだった。未だ無言で姫を刺してる桃に突っ込む。

「………………」

 桃は、何の迷いもなく姫から刀を抜くと、ノーに刀を──

「…………?」

 動かない。

 身体が言うことを聞かない。

「ノォオ!!」

 そうこうしている内に、ノーの蹴りが桃にクリーンヒットする。

「………………」

 元々、姫の攻撃を食らってボロボロであった桃の身体は、その攻撃でとうとう限界がきた。

 再び地に伏した桃はもう起き上がってこれない。

 だが、キーは今はそんな彼を気にかけている余裕なんて無い。

「姫ちゃんっ!!」

「…………も……も……コプッ」

 姫が口から大量の血を吐く。

 マズい。早く治療しないと。

 慌てて我を取り戻したキーは、一瞬苦渋に満ちた顔をした後、大声を出した。

「全員今は逃げて! とりあえずアパートで落ち合おう!!」

 言って、キーはなるべく優しく姫を背負う。

 その声に、全員が、戦況の不利を実感して、蜘蛛の子を散らすようにその場から撤退する。

「姫ちゃん。ごめん。ちょっと揺れるよ」

 言って、それでもなるべく揺らさない様にキーも退散する。

 背中で息も絶え絶えな姫が「ももぉ……ももぉ……」と唸ってる姫を見ると、死にたくなってくる。

 結局未来は変えられなかった。

 それどころか、自分の所為で運命を早めてしまった。

 けど、今は落胆している場合ではない。とにかく逃げなくては。

 彼から。

 『桃太郎』から。

「あーあ。逃げられちゃった(`ω´ )」

 ちっとも悔しそうじゃなさそうな顔で彼女──日は言う。

 予定は順調過ぎるくらい順調だ。

 この兄がこんなに早く、覚醒してくれるなんて。

「お兄ちゃん、誰か追う?」

 そんな言葉に、しかし桃は応えずに

「……ひめ……ひめ」

 と唸ってた。

 まだ完全に覚醒できたわけではないらしい。

「ま、今日はもういいか( ^ω^ )」

 傷も深い。多分今日はもう動けないだろう。

 それでも、あと三日もすれば兄も本調子になるに違いない。

 そして一週間すれば鬼は全滅だ。

 

 ──世界は白で満ちている。

 この世界に太陽はいらない。

 華は太陽を食らった。

 


2/16

更新させていただきましたが、最後の方が微妙なので、ちょい変えるかも。

第三幕は厳しいですね。

大きく話を変える気は更々ないのですが、ちょっと弄るのも一苦労な感じです。

新規の方で続きを見たいと思われたら、読んで頂いても勿論構いませんが、辻褄が合わないところも多々あると思いますのでご了承を

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