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桃姫〜Please don't take my Sunshine away〜  作者: noonpa
第一章 Flower and Sunshine
2/9

第一幕 鬼と人間

 私──近衛瑠衣には双子の姉がいる。

 一卵性双生児の私達、特に子供の頃は、親でも判別困難なくらい良く似ていた。向かい合えば鏡を見ている気分に、隣合えばリアルコピー&ペースト、背中を合わせれば昔懐かしの紙相撲。そんなんだから、私は緑色の服、姉は赤色の服をよく着せられていた。正直センスはお世辞にも良いと言えるものではなかったのけれど、それでも今も私の好きな色が緑であるところを考慮すると、まあなんだかんだ言ってそれなりに気に入っていたのかも知れない。

 ある日──私がまだ五才くらいの頃だろうか?──『本当にあった恐ろしい話』なんて言う、その当時流行っていた眉唾心霊番組で、ある妖怪? の紹介をしていた。


 ──ドッペルゲンガー。


 自分と全く姿形が同じな存在。

 それだけなら、まだ、会ってみたいなとか、自分と同じってどんな子だろ? とか、そういうことを思ったりするのだが、その続きが問題だった。

 なんでもドッペルゲンガーと出会うと、例外なく不幸になるとか。

 まだ年端もいかない私は、その謳い文句に不意に、全身に冷たい何かが流れるのを感じた。

 いるではないか。

 自分には、自分と全く同じ人間が。

 小さな私はゆっくりと、気味の悪いくらい自分とそっくりな、私の姉を見る。

 目元、高めな鼻、身長、体重、血液型。

 何から何までそっくり──否、同じである存在。

 その時、私は気付いたのだ。

 双子というのは、つまり、ちょっとしたセルフドッペルゲンガーである事に。

 そして、このセルフサービスが、この世で最もいらないサービスである事に気が付いたのは、その時からそう長くはなかった。


 小学生に上がった私は、可愛いものが大好きで、趣味は読書と人形遊び。典型的な引っ込み思案の内向的な性格というやつで、友達はあまり多くなかった。負け惜しみを言うならば、別にそんなに沢山友達なんていらないのである。目立つのがそもそも好きではない。当然テンプレというか、そういう子特有な運動オンチもマスターしている。そんな意外とどこにでもいる自他共に認める超弩級ネガティブ幼女──それが小学校の頃の私だ。

 姉の方は、何と言うか……私とはいろんな意味で、人間としての次元が違った。ネガティブな妹に対してポジティブな姉──なんてテンプレ的なことを考えた人には残念賞をあげたい。大切な事なのでもう一度言う。あのドッペルゲンガーは次元が違う。

 小学生どころか幼稚園児の頃に、冒険と称して、一人で他県、それも、隣県ではないところまで遊びに行ったのが、私のかろうじて、そのくせ鮮明に憶えている一番初めの事件である。当時は警察も巻き込み大混乱に陥ったが、約36時間という冗談みたいな時が過ぎて、警察なんかは最期のあたりは半ば諦めていて、両親がずっと泣いていて、私は何ができるわけでもないくせに意味もなくあわあわとしていた時、公園で満足そうに眠っていた姉を近所のお婆さんが発見した。当然、近所のお婆さんというのは、私達の近所ではない。強いて言うなら超遠方だ。どのくらい遠方かと言うと、なんかハイビスカスが咲いてるくらいの凄まじい遠方だ。いや、どうやって行ったんだよ。

 小学校に入学して初めての誕生日に、姉にせがまれてパスポートなんぞを作ったのは、今は亡き我が両親人生最大のミスである。

 その頃になると行方不明になるのは日常茶飯事となっていたのだけれども、夕方のニュースにて、当時煙たなびく戦場で楽しそうにカメラに向かって手を振った我が姉を見た時は、家族総出で味噌汁を吹き出した。私の一家は何が誇れるわけでもないのが、親戚の数だけは偏差値70overレベルなので、その分お年玉もかなり多めではあったわけだが、まさかその金で戦地に赴いていようとは、総勢五十三人の親戚一同誰一人として予想してはいなかった。更に言えば、その資金が自分のお年玉からだけでなく、私のブタさん貯金箱から横流しされていたというのも、姉と、そして一代目だと思っていたが、実は既に何度か割られていて、その都度ブタさんの腑の一部から新しいブタさんを買う費用を捻出し、重さからばれないように一円玉を詰め込むという詐欺師顔負けの狡猾さを披露し、なんだかんだで合計十三代となるブタさん以外は誰も気付いていなかった。それに気付いた時、私は姉に明確な殺意を抱くのだが、これはまた別の話である。急遽テレビ会社にお願いして、何とか連れて帰ってもらった姉が言うには「本物の銃が見たかった」とのこと。お前はガンマンにでもなりたいのか、とその時は思ったのだけれども、西武の荒野で保安官もどきにでもなってくれていればどれだけ気楽だったか、と気づくのはそれから数年後のことだ。何にせよ、その翌年から我が家にお年玉制度が廃止されたのは言うまでもない。一見して、一番の被害者は私のように思えるのだが、私のお年玉は結局姉の交遊費に消えていたわけで、よくよく考えてみると奇跡のプラマイゼロである。

 そんな冗談みたいな姉をもつネガティブ&アンラッキーな私なのだけれど、周りの目はそんな私に全く優しくない。てか、ぐっさりだ。全盛期のマリリンモンローでさえ、ここまで釘付けにされたことはないだろうと思う。その時の同級生達の行動はあえて言わない。ただ、いつも優しい小児科の先生は、私を見た時に鬼のように真っ赤になって、母に家庭内精神的暴力の有無を問いただしてはいた。私にとってあの姉は不幸と不幸を運ぶ赤い人なのだ。幸せとか座布団とか運んでくれる赤い人とは大違いである。

 小学生高学年になった時、姉は海の向こうから帰ってこなくなった。留学というやつである。なんでも、その時には既に十三カ国語の言葉が喋れたらしい。

 それから数年は天国だった。

 私は幸せにぼっちライフを送り、小学校を卒業して、中学を卒業、高校を卒業した。

 その間、姉が海外で何をしてたのかは知らない。両親が衰弱していくのを見るに、おそらく碌でもないことばかりしてたのだろう。でも、それは自身の幸福と引き換えに親の命を売った私には関係ないことだった。

 そんな私に天罰が下る。

 ストレスで両親が身体を悪くし、少しの遺産と築三十年のオンボロアパートを受け取った私の元に私のセルフドッペルゲンガー──近衛真理子が無駄に胸を牛にして帰ってきた。あれ? 私達一応姿形だけは完コピの双子じゃなかったっけ?

 話も長くなってきたし、それからの生活については割愛する。てか割愛させてほしい。正直思い出したくない。

 一応現在の状況としては

 ・ 六室あったアパートの一室が診断室とは名ばかりの手術室になった。

 ・ 六室あったアパートの一室が世界のコインコレクション置き場になった。

 ・ 六室あったアパートの一室が恐竜みたいに巨大なトカゲ──ヨシくんに占拠された。

 ・ 住人がいなくなった。それに伴い、我が家に収入が無くなる。

 ・ これらの元凶は、現在自称配管工(実質ニート)をしている。

 てな感じである。

 もう一度言うが割愛させてもらう。誰が何と言おうと割愛する。じゃないと、私の心が持たない。

 そして、そのドッペルゲンガー姉──略してドッペル姉が「なんか素敵なことが起こりそう」と、昨日の夕方ルンルン気分の鼻歌交じりで外に出て行ってしまった。きっと素敵なこととやらは起こるのだろう。あのドッペル姉は、そんな勘だけは無駄に鋭い。

 そしてそれは往々にして、私にとっては素敵なことではない。

 ドッペル姉が出て行ったアパートの中で、ポツンとしていた私だが、しばらくしてゆっくりと立ち上がり、台所から母の形見である出刃包丁を取り出す。節制が趣味の母が生前唯一お金をかけたそれを、私はゆっくりと磨ぐ。できるだけよく斬れるように。可能ならば人の首とか斬り落とせるくらいに。

 長くなったが、ここまでが前置き。

 ピンポーンとアパートのチャイムが鳴ったのは夜中の三時。通常なら迷惑も甚だしい時間だが、寝ずに包丁を磨いでいた私にとってそのくらい笑顔で許容できた。

 はいはーい、と生まれてこの方これ程心が晴れやかだった日はあるかというテンションでドアを開けた。

 ……立っていたのは姉じゃなかった。

 上半身裸でズボンもボロボロ、瞳孔とか開き気味でなんか背中に女の子みたいなの背負ってて右手には母の包丁よりも遥かに斬れそうな時代劇とかでよく見る刀みたいなの……てか完璧に刀を持ってちゃったりする、そんな男が立ってたりした。

 私はニコリと微笑む。

 そして、全力でドアを閉めた。

 ………………。

 …………。

 ……。

「………………ふぅ」

 因果応報ってこぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええ!?

 両親を見捨てて、ドッペルゲンガー殺そうとしただけで、猟奇殺人の被害者ですか!?

 なんかもうバラバラですか!?

 リョナッリョナにしってやるゾ(星)ですか!?

 神様厳し過ぎじゃない!!?

 と、とにかく逃げなきゃ!

 そう考えて回れ右した時、なんかヒヤッとした空気が背中を襲った。

 ギギギなんて、年代物の西洋人形よろしくな擬音を出しながら背後を見ると、そこには斬られてバラバラになったらしいドアの残骸と、あの自分とは画風なんかがそもそも違う男が立っている。男というよりはまだ少年という感じがする。少なくとも自分より若い。大体中学生か高校生くらいか。

 幸の薄い人生だった。

 姉のように生きられたらもう少し違ったのかもしれないが、そんなことは所詮ただの人間である私には不可能である。

 涙も出ない。

 できるだけ優しく半分にしてほしい。もうそれだけである。

「診断室ってのはどこだ?」

 そんな覚悟を決めた瑠衣に、少年はそんなことを尋ねた。

「早くしてくれ! 早くしないと姫が!!」

「ヒイッ!?」

 もう足が自分の体重を支えることができなくなり、その場でへたれこむ瑠衣。

 そんな中、

「桃ちん。処置室は入ってから突き当たり右側なのだよ。101って書いてある」

 聞き覚えのある、呑気な、それでいて緊張感のある声が聞こえる。

「あれか!」

 少年は靴も脱がずに上がり込み、風のような速さで部屋まで飛んでいく。その跡を追うように我が家の貧乏神──近衛真理子が駆けていく。勿論土足だ。

「お姉──」

「悪いね。また後で遊んであげるから」

 そう言って、なんか玄関のドアと同じようにバラバラになった101号室に駆け込む私のドッペルゲンガー。

 ……なんかもういろいろとどうでもよくなってきたなぁ。

 そう思って、瑠衣は自分の寝室へと向かった。


 ○ ○ ○

 

「どのような毒を入れられたかわからないのだね」

「ああ」

 少女──赤井姫を処置台に乗せた後、桃は叫ぶように言った。

「だが死ぬ様な薬は盛られてないはずだ! あいつらはこいつのことを欲しがっていた!」

「ふるっふー。了解なのだよ」

 早々と手術着に着替えた真理子は部屋の中にあるよくわからない機械を、次々と姫の身体の各所に装着させていく。

「俺にできることは無いか?」

「…………」

「なあ!!」

「……人体を構成する元素を上から十言ってみるのだよ」

「……っ」

 その問に、しかし桃は答えることができない。三大栄養素くらいなら知っているが、義務教育レベルの知識すらあやふやであるのに、そんなのわかるはずもない。

「ここはね、配管工の戦場なのだよ。気持ちはわかるけれど、少し黙ってほしいのだよ」

 真理子は冷たく言い放つ。

 ──クソったれ!

 桃は心の中で悪態を突く。

 主人の危機にただ祈ることしか出来ない歯痒さに押し潰されそうだ。

 でも、今は真理子の言う通りにするべきだ。

 大丈夫。こんなところでどうにかなる女じゃない。そうでなければ、俺はこんな苦労してない筈だ。

 なあ? そうだろう?

 桃は酸素マスクをつけた姫をただただ見つめることしかできない。

 そんなシリアスな空気を醸し出す二人を他所に、真理子は目を爛々と輝かせていた。

 小学生の時、外国へと飛んだ真理子は、その非凡な才能を遺憾無く発揮し、飛び級に飛び級を重ね、日本に来る前には医師の博士号を手に入れていた。別に医療に特別興味があったわけではないのだけれども、医者という肩書きは、これから冒険を続けるのに置いて、言語の次に必要なものだと彼女は直感的に感じていた。

 彼女にとって未知とは人生である。

 同じことを何度も繰り返す人生は犬の糞ほどの価値もない。あれは発酵すると肥料になる。退屈は発酵してもストレスにしかならない。発展するから人間だ。それがなければ猿と変わらない。

 国内と海外双方の冒険で、真理子は一つの真実に辿り着いていた。

 ──一般的に妖怪や化け物、アンノウンなんて表現される者は存在する。

 しかも、研究を進めるにしたがって、その可能性が極めて高い場所の一つが、自分の両親所有のアパートがかなり近かいことがわかった。これはもう、奇跡すらも通り越して天命である。

 そして、それを証明するかの様に、自分の処置台には一人の少女が横たえている。

 なんでも追われているらしいが、それは真理子にとって、好奇心のアクセントにしかならない。


 少女の病気はただの風邪だ。


 過度の疲れとストレスが原因っぽい。

 でも、そんなことを神に祈るように、手を握りしめている少年に言う気はない。少なくとも今は。

 少女の血液、唾液、粘液などを採取する。

 どうやら麻酔をぶち込まれてるらしい。かなり強力なやつ。

 少なくとも普通の人間にこんなもの注射すれば、植物人間が出来上がる。人間にとっては間違いなく猛毒だ。

 だが少女の体液は、すごい勢いでそれを代謝していく。この分だとあと数時間もしないうちに完全に動けるようになるだろう。身体を構成する組織自体は人間とかなり似ていてるのに、でも、違う。明らかに違う。

 また、もっとわかりやすい違いに、その大きな花……のような何かがある。白い向日葵を模した髪飾りの類だと最初は思ったが、そうではない。よく見ると石膏像のようなカルシウムでできてる。装飾品にカルシウムなんてクソ重いもの使う馬鹿はこの世にいないだろうし、その生え際も額から。つまり、これは骨の一部。ヤギやシカなんかが生やしてる、俗に言う角なんてやつだ。普通の人間にはそんなもん生えてるはずがない。また、先程まで気づかなかったが、桃にも、姫ほどではないが小さな角が生えている。

 ふるっふー!

 真理子の中では、小躍りなんて軽く通り越して、盛大なカーニバルが開催されている。

 目の前にいるコレは人間じゃない。自分の追っていた、『何か』だ。

 その実感が真理子の好奇心を更に加速させる。

 真理子はその時最高に生きていた。


 ○ ○ ○


 なんか手が痛い。そのくせあんまり嫌な気がしないのは何故だろう。なんだか暖かいのだ。心の中まで行き渡るくらい凄く暖かい。

 そんなことを考えながら姫は重たい瞳をゆっくりと開ける。

 姫は白いベッドの上で寝ていた。左手には点滴針が刺さっており、その先を見ると透明な液体がポトポト落ちている。

 そして、右手を痛いくらいに握りしめながら寝息を立てている自分の大切な人。

 霧がかる頭の中で、昨日のことを少しずつ思い出す。途中で、本当に泣きそうになる。

 一緒に楽しく桃をイジめていた七丸。当然それだけではなく、厳しくも優しい彼から、様々なことを自分は学んだ。

 姫が座った時に、いの一番に飛んできて、膝の上で丸くなったピオ。最初の頃はなかなか懐いてくれなかったけど、桃と一緒に初めてピオを撫でた日のことは今でも鮮明に思い出せる。

 皆怖がっていたけど、本当は桃と同じくらい優しい父親。

 いつも忙しくてなかなかお話出来なかったけど、いつも皆んなのことを気にしてくれていたこと、姫は知ってるよ?

 他にも沢山、本当に沢山の良い鬼達があの村にいた。

 村を灼いた青鬼は絶対に許すことはできないだろう。できればこの手で殺してやりたいとすら思う。

 ……でも、そのどの感情も彼女の手を握ってくれる優しい彼の手の暖かさが飲み込んでくれる。

 生きていた。

 桃も自分も。

 それだけで胸がいっぱいになる。

 こんな状況で、そんな風に考える自分は多分後継者として相応しくなかったのだろう。

 でもいい。

 自分はこれからもこの少年と一緒に生きていく。それさえできたら他は何もいらない。

 姫は寝ている王子様の頬に、軽く、そして長い間キスをした。


 ──そして、その様子は当然のように部屋の各所に取り付けられた十二の監視カメラでバッチリ撮影されていた。


「ふるっふー」

 無粋なレンズの向こう側──現在姫と桃のいる202号室の隣である201号室で、一人の配管工は妖しく笑う。

 部屋には三つのモニターに各四つずつの映像が写っている。勿論あの人間でない何か共のストロベリーシーンがバッチリだ。

 面白い、と真理子は思う。

 人間以外であそこまで情熱的に愛を体現するのは孔雀くらいなものだろう。そのくらいあれはストロベリーだった。そう言えば最近ストロベリーを食べていない。なかなかに好きなのだけれども、かと言ってストロベリーを買う金も無い。というか、そんなもの買う余裕があるのなら、もっと他の何か──今だとアンモニア系の薬品とかだろうか、そういうのに消える。そんなことを考えながら七輪で焼いた十個で五円の椎茸をハフハフしながら食べた。あの八百屋のオヤジは谷間のチラ見せに弱いのだ。椎茸だけではなく、キノコ全般はストロベリー以上に真理子の好物であり、何より探せば何処にでも生えてるところがいい。

 自分はこれを食べて大きくなった、なんて言うと、この間瑠衣がキノコを馬鹿喰いしまくってた。「私だって、同じ遺伝子の筈なんだから」なんて言っており、一体何のことだか見当がつかないけれど、見ていてどことなく哀れだった。

「うむ……」

 嗚呼。

 もどかしい。

 なんてもどかしいのだろう。

 本当は今すぐにでもあのストロベリー空間にお邪魔したいではあるのだけれども、被験者の機嫌を損なうわけにもいかない。歯痒いではあるが、何となく悪くない気分に流されながら真理子はキノコにむしゃぶりつく。

 うん。美味い。


 ○ ○ ○


 目が覚めたら全部が嘘でした、という程神という奴は自分のことが好きではないらしい。まあ、有史以前から神に唾を吐くような生命体である鬼のために、神がどうこうしてくれるとは思えないけれど。

「おっはよー! もも!」

「………………」

 そんなことを太陽のような笑顔で言ってくる主様を見ると、まあ神なんていなくてもいいか、なんて思ってしまう。

「朝っぱらからクソうるせーよ、バカ」

「何言ってんの。もう昼過ぎだよ」

「昼だろうが何だろうが、俺が目を覚ましたらそれは朝なんだ」

「何それ」

 コロコロと笑う姫。

 いつもの笑顔……なわけない。彼女の笑顔を誰よりも見てきた自分だけがわかるしこり。けれど、今すぐ爆発することもないように思える。

「…………」

 何にせよホッとした。彼女がとりあえず元気なら、自分も含めて他の奴らがどうなっても構わない。この太陽の様な笑顔を護れるなら。

 ……てか、あれ? いつから俺はそんなことを考え始めたんだっけ? こいつの右腕になった時から? それとも、あの時姫に口づけを……

 と、そこまで考えたところで桃は姫の手を強く握った自分の両手に気付く。

 あれ? なんだこれ?

 もしかして、寝ている間ずっと握ってた? 俺、そんな曲芸いつの間にマスターしたの? てか、つか、その、なんか、めっちゃ恥ずかしいんですけど? 何だこれ? 何だこれ? うわ、汗が。なんか顔が、ねっちょりしてきた。……てか、俺の手もなんかねちゃねちゃしてきた!? ヤバい。多分姫、めっちゃ気持ち悪がってる。つか、臭いとか大丈夫? 俺、昨日風呂とか入ってないんだけど! 十代の男が一日風呂に入らないとかヤバすぎだろ!? 直径三キロ以内の森林が死滅すんぞ!? てかてか──

「ねえ、もも?」

 そんな主の声に、桃は恐る恐る顔を上げる。

「な、なんでしょう?」

「ひめね、トイレ行きたいんだけど、一緒に来る?」

 そんな姫の言葉にようやく、桃は未だに姫の手を強く握る自分の手に気づいた。思わず「わっわ!?」なんて声を出しながら、慌てて手を放す。

「い、いってらっしゃいませ! お嬢様!」

「ん。行ってきます」

 心なしかニヤニヤとしていた姫がベッドから降り部屋を出て行くのを見守りながら、桃は思った。

 とりあえず風呂に入ろう。


 ○ ○ ○


「今朝は本当に悪かった」

 結局午後の五時まで寝ていた瑠衣を、低姿勢で待っていたのは……一匹の狸だった。

「はあ」

 口調は多少問題ありげだが深々と頭を下げる狸に、瑠衣は寝ぼけた頭をなんとか働かせようとする。

 自分はどこの御伽噺の住人だっけ?

 なんとなく、御伽噺の狸にはあまりいいイメージがない。狐と一緒に村人を化かしたり、有名な話だと『かちかち山』なんかではおじいさんおばあさんに暴行を働いた。イタズラ好きだけれどもどこかお間抜け。そんなキャラが好きだという日本人は存外多かったりする。自分も決して嫌いというわけではないが、特別好きというわけでもない。昔はウサギが好きだったが、今は103号室を不法占拠する巨大トカゲ──ヨシくんに愛着が湧いてきた。ただ、あんまり卵は産まないでほしい。私も一応女性だし排卵日の辛さはわかるのではあるけれども、その度あのドッペル姉が目玉焼きにしようとするのだ。……流石に爬虫類の卵は勘弁してほしい。

 いや、そんなことはどうでもよくて。

「えっと……。どちらの狸様?」

 我ながら間の抜けた質問をしているのだとは思うが、これ以外にどう言えというのだろう。知ってるなら教えてほしい。てか、代わってほしい。私と人生交換してくれるなら、なんでもする。だからお願いしますどこかの優しい人。

「どちらの……って言われると、まあ隣の村ってことになるのか? あと、俺は狸じゃねえ」

 いや、どこからどう見ても狸じゃん。丸くて大きな尻尾とかめちゃくちゃチャーミングじゃん。人工衛星使おうが、赤外線カメラ使おうが、狸にしか……。

 私がそこまで考えていた時、狸は下げた頭をゆっくり上げた。

 あ、デカい。

 多分身長は170センチを超えてる。

 実は私は姉よりも1センチほど背が高いのだけれども、そんな私よりも全然高い。

 てか、よく考えてみれば、この狸見たことがある。あのドッペル姉の数少ない私服だ。いや、数は多いのだけれど、全く同じものばかりを何着も買う癖があって、多分この小さな子共が着るようなデザインの狸スーツも家に十着はあった筈だ。んなもん買う余裕があるんなら家賃払え。あと半年もしたら、うちは両親の残してくれた金も尽いて破産するんだよ。あと、あの真っ赤な作業着といい、この狸といいどんだけセンスが悪いんだ。

 ……てか、あれ?

 この人、私の姉じゃないよね?

 一応姉はハスキーボイスではあるけど、こんなに低くはないし。まるで、男みた……え? あれ? なんだろう。冷や汗が止まらない。何か忘れてない? ドッペルとか狸とかじゃなくて。そんな物よりもっと大切なものを私は忘れてる気がするんだけど。

 私は恐る恐る、センスは壊滅的なんだけれども、なんだかんだで可愛らしい、その狸スーツを着こなした人間の顔を拝む。肉食動物みたいにギザギザの歯。どこか胡乱げで吊り上がってるくせに真っ直ぐな目。男というよりまだ幼さの残る少年と言った方がしっくりくる……殺人鬼。

「きゃぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 自分ってこんな声を出せるんだ。

 現実逃避気味にそんなことを考えながら、身体は脊髄反射的に後退させる。

「お、おい。とりあえず落ち着けって」

「いぃぃいいいいやぁああああああああ!! 殺さないでぇえええええ!! むしろ優しく殺してぇえええええええ!!」

 そんな瑠衣を宥めるのに、たっぷり一時間を費やした。


 ○ ○ ○


「よーやく来たー」

「遅いのだよ、二人とも」

 場所は管理人室兼我が家の居間。げっそりとした二人を無駄に爛々とした笑顔で迎えたのは……二匹の狸だった。

「また狸かよ!」

 思わずツッコミを入れる瑠衣。

 ここは狸の楽園か何かか!

「桃ちんが風呂に入ったんだが、着替えがなくてな。仕方なくフリーサイズである私の『タヌポンスーツ』を貸したのだよ。そしたら、姫ちゃんが──」

「桃がすっっっごい可愛いから私も着たいってお願いしたの! 私の着ていた桃の上着もボロボロだったし」

「──というわけなのだよ。オーライ?」

「……じゃあ、なんであんたまで狸なのよ」

「可愛いからだが?」

「………………」

 そんな「何を当たり前な事を?」みたいな顔をしてんじゃねぇえええええええええええええええ!!

 隣の女の子も「可愛いでしょ? えへへへへ」みたいな顔をするなぁあああ!! クソ可愛いじゃねぇかぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!

 瑠衣はキッと、隣の狸──桃を見る。

 どうやら私をどうこうしようとは考えてなさそうだが、まだ完全に気を許したわけではない。ただ、この状況に呆れてるのはこの桃ちんと呼ばれた少年も一緒らしい。まず小さく「まったく」と言って、続けた。

「そうじゃなくてだな。なんでこの狸スーツをあえてチョイスしてんだよってことだろ? 確かにフリーサイズなのはありがたいが、こんなクソみたいなやつじゃなくて、他に何かしら無かったのか?」

 そうそう。もっと言ってやってくれ少年。

「こんな、モコモコして、丸い耳がちょびっと生えていて、頭に葉っぱなんか乗せて、つぶらな瞳に思わず目を奪われて、お腹の白いとことか、意外とよくて、何と言ってもこの大きな尻尾がめちゃくちゃチャーミングで……」

 あんたも意外と気に入ってんのかよぉおおおおおおおおおおおおおおお!! ちょっとほっぺ桃色じゃねぇかぁあああああああああああああああああああ!!

 …………どうしよう。まさかの味方ゼロ。四面楚歌とはこのことか。助けて孔明様!

「さて。皆揃ったことだし、食事を始めるとするのだよ」

 ドッペル姉はいつもマイペースだ。そんな姉といると、たまに……てか、結構頻繁に殺意が湧く。

 先程まで何かブツブツ言っていた少年狸は少し何か言いたげだったのか、途中で諦めたらしく少女狸の隣に腰を下ろした。それを確認すると、姉狸は私に「さあ、早くお前も座れよ」なんて感じの目線を飛ばす。

 三匹の狸。人間は私一人。

 そんな中で楽しくお食事会。

「お姉」

「ん? どうしたのだよ?」

「わ……私にもこの狸スーツ貸して!!」

 私だけシラフは絶対無理だった。

 私の中の孔明様も「長いものには巻かれろ」なんておっしゃりながら親指を立ててるし。


 狸スーツを着た瑠衣が席につくと、皆で「いただきます」と言って机に並んだ料理に手をつけた。

 別段豪華というわけではない。食材自体は冷蔵庫などにあったものを総動員させた感じである。

 ただ、美味しかった。

 ありえないくらいに。

 卵焼きはふんわりして中が半熟なのは当たり前。下味が十分に染みてるくせに、食材(スーパーで1パック10個入り88円。お一人様1パックまで)そのものの味を引き出している。安物の米のくせに、一丁前に立ち上がり口の中で本場ブラジルのサンバを踊るご飯。その姿は心なしか輝いてさえ見える。隣には赤味噌と白味噌を独自の配合でブレンドした味噌汁。アクセントとなるネギと豆腐の切り具合もグッド。サラダは切ったキュウリとトマト、そしてあえて手で千切ったキャベツ。それを醤油ベースの手作りオリジナルドレッシングで頂く。美味しくないわけがない。

 実は瑠衣の趣味の一つに料理がある。高校時代は料理研究部に所属していたし、両親を生贄に捧げる前であっても一日一食は瑠衣が作っていた。勿論、その腕に自信あり。少なくともそこらの素人……どころか現役の主婦にだって負けない。

 そして、机に並ぶ料理の数々はその瑠衣の自信を超大リーグ級のホームランで遥か彼方へとぶっ飛ばした。

 負けた。完敗である。あまりの次元の違いに涙すら出ない。

 問題は、だ。

 これらの究極的な料理を誰が作ったのかである。

 まず、ドッペル姉は、ない。

 いつもキノコを炙ってるのしか見たことない。過去に一度だけ、何を思い至ったか台所に立ち、怪しげな薬品や、見たことのない動植物を鍋にぶちこもうとしてた。「大丈夫。新世界の神になるのだよ」なんて、なんか人間やめてる顔で言ってたので、慌てて蹴り飛ばした。

 なら、客人(?)のどちらかなのだろうが、やっぱりこのニコニコ可愛い女の子狸さんだろうか?

「ふるっふー! こりゃあうっまいのだよ! 桃ちんすごいね!?」

 ……え? 今、なんて?

 桃ちん……って一見女の子みたいな名前だけど、たしか……

「うっせぇよ、クソ配管工。食事中は静かにしやがれ」

 そう言いながら、なんか満更でもない顔を浮かべる少年狸。そして、その横で何故か「ふふん」と無駄に自慢気な少女狸。……え? マジで?

「うちの瑠衣も一応料理が趣味らしいし、作る料理もそれなりなのだがね。でも、これ程は美味しくないぞ」

「お、お姉!」

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ。んなわけあるか」

 少年タヌキが言う。

「料理っつーのはちゃんと心さえ込めれば誰でも美味く作れんだよ。えっと、瑠衣さんだっけ? 多分この人は、誰よりも、てめェのことを考えて包丁を握ってんだ。今回のは、初めて食べるから多少美味しく感じるだけであって。本来、俺の料理なんざ足元にも及ばんよ」

 ………………負けた。

 何もかも負けた。

 料理人としても。人間としても! まだたかだか中学生か高校生くらいの少年に!!

 最近なんか、いつもあのドッペル姉に向かって殺意を抱きながら包丁を握ってた。

 彼の言葉を聞いた今でさえ、「そーなのかね?」と首を傾げながら小指を鼻に突っ込むアレにどう心を込めればいいのかわからない!!

「失礼だけど、あなた、えっと、桃ちんだっけ?」

「ちんはいらん」

「ああ、じゃあ桃くん。君はどこで料理を学んだの? なんかバイトでもしてたの?」

「いや、バイトはしてないけど」

「ももはひめの右腕なんだよ」

 そんなことをドヤ顔で言う女の子狸。……右腕って何?

「それよりもも、ケーキ焼いて!」

「あぁ? なんだよ急に」

「だって、今日ももの誕生日じゃん!」

「ふるっふー。そうなのかね?」

 囃し立てる二人の狸に、桃は難しそうな顔になる。

 正直、そんな気分にはなれない。あんなことがあって、まだ一日も経っていないのだ。

「い、いや、機材はなんか充実してんだけど、材料無いし。てか、あってもこれ以上冷蔵庫のもん使うのは流石に──」

「それなら心配いらないのだよ」

 姉狸はそう言うと徐に机の中に手を突っ込む。その様子に妹狸はまさか!? と思うがもう遅い。

「たったらたったっんたーん!瑠衣のへそくり袋(ダミ声)」

「────っ!?」

 そう言って、妹狸が血の滲むような思いをして貯めた一万円(in封筒)を得意気に掲げる姉狸と、声にならない悲鳴を上げる妹狸。

「お姉! いつからそれを!」

「ん? 大体一週間前くらいかね?」

 なんてこった。

 彼女の言葉が正しければ、三日も隠し通せていない。机の裏ならば灯台下暗しだと思ったのに。

「いや、いいのかよ?」

 なんとなく気乗りしない風の男の子狸だが、姉狸は陽気に「ふるっふー」と言って応える。

「お姉ちゃん権力で問題ナッシングなのだよ」

「んな制度いつできたんじゃぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 そんな絶対王政認めるかぁああ! 自然権舐めんなぁあああああああああああああああああ! と姉狸の襟首を捕みブンブン揺らす。

「じゃあなんだね? 瑠衣は桃ちんの誕生日祝いたくないのだね?」

「それとこれとは話が別じゃぼけぇえええええ!」

「桃ちんの作ったケーキとか食べてみたくないのかね?」

「うっ……」

 それを言われると弱い。

 多分この少年狸の料理の腕は三ツ星レストラン(食べたことないけど)級。そんな彼がケーキとか作ったら……とか考えると思わずヨダレが出そうになる。

 当然妹狸にとっても、ケーキは大好物。一万円だって全部使うわけでもあるまい。更に言えば、姉狸の言う通り、今日は彼の誕生日とのこと。これを蔑ろにするなんて、日本人としてどうなんだ。

 あーだこーだ考えること丸一分。

「……………わかったわよ」

 そう妹狸は観念したように言った。

「よし、悪は屈した! すぐにスーパーへ行くのだよ! あそこは無駄に食品系のラインナップも多い!」

「誰が悪よ!」

 ぎゃあぎゃあと騒いでる姉妹はとりあえず置いておき。

 少年狸は、女の子狸──姫の耳に口を寄せた。

「本当にいいのかよ?」

「いいって、何が?」

 姫は小首を傾げる。

「こんな時に呑気にケーキなんぞ食ってていいのかって、ことだよ」

 きっと青鬼は今も自分たちのことを探してる。一箇所に留まるのは愚策だと桃は思った。出来るだけ早く、遠くに移動すべきだ。

「だって、今日はももの誕生日じゃん」

「いや、俺の事はどうでもいいから」

 まあ、プレゼントを貰う側からすれば、多少惜しいかもしれないけれど、何なら移動中に適当な物を見繕ったりすればいい。

「ももだけじゃないよ」

「ああん? てめェの誕生日は夏だろうがよ。それとも、あの二人でも祝えってか?」

「違うよ。今日はひめの──」

「だからてめェの誕生日は夏だっつってんだろ。毎年村中の蝉がミンミン鳴いてんじゃ──」

「ひめの、右腕ができた記念日だよ」

「ねェ……か…………」

 右腕ができた記念日。

 自分は今日、姫の右腕になった。

 そもそもこの右腕というものに、現在どれ程の意味があるのだろう。

 赤井真熊の右腕──雲隠七丸は、村を留守にしがちな真熊に代わって、主に村鬼むらびとの指揮を執っていた。

 勿論、姫曰くの下僕だったり、逆にご意見番としての役割もあるけれど、最も重要なのはやはり主人の代行人だろう。

 けれど、もう村鬼はいない。

 桃と姫以外は皆んなあの雷の龍に殺された。

 なら、結局、自分は姫の下僕且つご意見番をするのが仕事となるのだろうか。

「…………嫌だ」

 すごく嫌だ。

 なんか、もう、他に無いの?

 右腕になった特典的なものは。

 桃はチラリと姫を見る。

 狸の着ぐるみに包まれた少女は、こっちの気も知らず、ニッコニッコとしている。

「…………」

 桃には本当の親がいない。

 いるかもしれないが、それがどこなのか見当もつかないし、探す気もない。

 けれど、姫は違う。

 彼女は父──赤井真熊の深大な愛を受け、すくすくと育っていった。最初は村の皆に疎まれていた桃と違い、姫は誰からも愛されていた。

 だから、絶対に姫の方が辛いはずなのだ。自分なんかよりも断然。

 それなのに、ニッコニッコと笑っている。

 ──俺は。

 俺はどうすればいいだろう。

 この笑顔を護るために俺は何が出来るだろう。

「二人とも。スーパー行くのだよ」

「うん!」

 ああ。

 何となくだが、わかった。

 多分それが、右腕としての最初の試練なんだ。

「もも。これは命令だよ」

 この能天気な笑顔を死んでも護る。

「ひめに、今まで食べたことのない、とびっきりおいしいケーキを作って」

「…………」

 …………クソ面倒くさい。

 やっぱ、右腕なんかなるもんじゃねェや。

 はあ。こいつは、俺の気も知らないんだろうなあ。

 ……ったく。

「はっ。誰に向かって物を言ってやがんだ、クソボケ」

 俺がしっかりしねェとな。

 残念なことに、俺はこいつの右腕なんだから。

 桃は立ち上がる。

「んなもん、言われるまでもねェんだよ。今まで食ってきたもんがどれだけクソだったか教えてやる」

 そして、姫は、

「うん」

 そう言って、また太陽のように笑った。

 

 ──世界は汚物で満ちている。

 夜が明け、陽射しが華を照らす。

 嗚呼。

 なんて暖かいんだろう。

 なんて──


 ──夜のスーパーに行くと四匹の狸がケーキの材料を買っているのが見られる。

 そんな都市伝説が町中に駆け巡り、いつしか町の名前に『狸』の一文字が加わることになったのは、また別の話だ。

 ちなみに、その時使われた一万円札は勿論純然たる一万円札であり、決して広葉樹の葉っぱ、とかそういうものではない、というのは狸達の名誉のために付け加えておきたい。


 ○ ○ ○


 ──努力を楽しめ。

 過去、あらゆる偉業をこなしてきたどの天才達も、まず一番初めに着手したのが『熱中』である。楽しくないならどうせ凡人にしかならないので、とっととやめるべきだ。

 僕の師は当時神童なんて呼ばれた僕に向かって恥ずかしげもなくそんなことを言う奴だった。

 あいつがいなければ今の僕はいない、なんてムカつきが過ぎて口がどれほど裂けようとも言う気は無いのだけれども、僕の人格形成に一役買っていたというのが紛れもない事実というのは大変遺憾であるが認めざるを得ない。

 一方、あの男──赤井桃の師匠である雲隠七丸という奴は、僕の師匠と全く違うくせして、だけれども本質的には似通った思考の持ち主らしかった。

 己を向上させる最短の方法は、『実践』であると、生前、雲隠七丸は考えていた。成功するかしないかの緊張感──それによって集中力が何倍にも増す。強固な経験にもなる。

 だからこそ、赤井桃の日課となっていた『逃亡』を、七丸は賛同こそしないものの、許容していたのであろう。確かにあれ程良い実践はなかなかできるものではない。僕があの時、あいつから感じた戦闘センスや頭の柔軟さはここから来ているに違いない。

 楽しんでいたかどうかは定かではないのだが、僕の師推奨の『熱中』もしていた筈だ。こんな方法もあると師匠に伝えたらどんな顔をするだろうか。しかも、そんな奴に僕が一杯喰わされたと聞いたら、発狂して僕をバラバラにするかもしれない。……まあ、その程度では死なない僕も僕だが。

 そんな彼──雲隠七丸の記憶から彼の主である赤井真熊について探ってみたのだけれども、あまり有益な情報は得られなかった。それは私たちにとっては予想外であり、逆に予想通りでもあった。

 どうやら真熊は一年の殆ど、姿を眩ませていたらしい。彼が何をしているのか、その右腕にも定かではないようだった。

 あくまで僕の中の先入観ではあるのだけれども、青鬼に裏表の無いなんて奴はいない。顔で笑っていても心では怒りが爆発している。そういうことを常日頃から繰り返している。人間で言うところの、セールスマン、もしくは詐欺師みたいなものだ。そうやって生きる方が馬鹿正直に生きるよりも、ずっと楽でいられる、なんて遺伝子が言っている。実際、僕はあの時、赤鬼を騙した。そこから逃れるために、魔法のことについて嘘をついたし、胸の中では完全敗北を悟り涙していたが、口では僕たちの勝ちだなんぞのたまった。ああ。負け惜しみというやつだよ。濃度百二十パーセント、純水よりも純粋な捨て台詞だ。

 対して、赤鬼は前後ろ両方が表という製造ミスコインみたいなやつである。レア度プレミアレベルの今時あり得ない馬鹿。それが集団になったから、あそこまで居心地の良い空間になったのだろう。僕は生まれ変わるのなら絶対に青鬼だけは御免だが、赤鬼達は絶対に赤鬼になりたいと言うのだろう。まあ、その生まれ変わるための赤鬼は殆ど全滅させたではあるのだけれども。赤鬼は人間で言うと、小学校の先生だったり、町のチンピラみたいなものか。右腕だのなんだの言ってるし。当然、赤井真熊もその例に漏れない。隠し事なんかない。いつも心と身体が一致していた。だから、僕たちは容易に真熊のことを調べられたし、調べた以上のことを右腕は知らない。

 残念なことに僕たちはそれで満足するわけにはいかない。

 両方表に見えても、片方に目に見えないような小さな傷があったりするものだ。その右腕にも見えないような傷を僕たちは知りたい。

 というわけで

「うへぇ」

 僕の目の前には大きなステーキがある。ちなみに今で二食目、これが最終八食まで続く予定。

 言わずと知れた、赤鬼元頭首の脳である。

 多少の加工は僕の魔法的に問題はなく、生で喰わされるよりは全然マシだが、それでも陰鬱な気分にならざるを得ない。臭い。本当に臭い。なんかブヨブヨする。ゲロマズ。しかも無駄にでかい。どうせそんなにものを考えてるわけでも無いくせに。脳みそばかり何食も食わされる身になってほしい。

 願わくは、現在絶賛逃亡中の赤鬼共は自分以下の食生活を営んでほしいものである。これで普通にケーキとか焼いてたら、もう、理性が保てない。

「早く食べてください。何ならおかわりもありますよ?」

「うるさいメガネ。ハゲろ」

「残念でしたね。私の家系は十代遡っても皆フサフサです」

 僕の食事を監視するメガネ。誰の許可を得てるのか、厚顔でリーダーぶってるのだが、僕はこいつの名前すら覚えていない。

「こっち見るな。お前のメガネを見ていると、ただでもマズイ飯が更にマズくなる。どーせやることは山盛りなんだ。そっち行け。メガネ爆発しろ」

「私のメガネに自爆機能は搭載されておりません」

 僕のセンス抜群なユーモアを、無粋で、ナンセンスな返しをしやがるメガネ。

「予想通り、鬼姫の姿は森や山、焼いた村にも見つかりませんでした。友人の小鬼や可愛らしい飼い猫をよく見えるところに放置して、あわよくばちょっとした足止めにねると思ったのですけれども、そこは腐っても鬼と言ったところでしょうか。そんなものは手付かずに放置してスタコラさっさとのことです。一応GPSとかつけてみたのに残念ですよ。あれ、結構高いんですが」

「流石メガネ殿。その鬼畜さは鬼の鏡だ。僕を信じていなかったのかよとは言わないよ。実際逃げられたわけなのだから」

「信じていましたとも。正直ボロボロなあなたを目にして驚いたくらいですよ」

 メガネは持参したお茶に口をつける。

「ただ、信頼だけで動くわけにはいかないでしょう。私達は青鬼なのだから」

「…………ああ。あんたの言う通りだよ」

 もうそろそろ作戦開始から24時間が経過する。

 満天の星空が僕には何故かとても不気味に見えた。


 ○ ○ ○


 なんとか日付が変わる前にはケーキのデコレーションが終わる。

「もも! 早く早く! こういうのはその日にやらなきゃ意味ないんだから!」

 なんて姫が急かしまくったのは正直クソウザかった。いや、そもそもお前、なんでそんなに元気なんだよ? なんか知らんが生死の境を行ったり来たり(真理子談)してたんじゃねェのかよ?

「て、手伝いましょうか?」

「…………いいから座っとけ」

 健気にそんなことを言ってくれる瑠衣を見ると、ついて行く奴の人選間違えたかな、とか思ってしまう。

 できたケーキを居間に持って行くと、「待ってましたー!」「イェーイ!」なんて歓声が上がる。声の主は姫と真理子。まるで何年も前から親友だったかのようなユニゾンぶりである。

「うっせえ。時間考えろや」

 よく考えれば、姫に同性の友人なんかできたことなかった。鬼に女は姫しかいないから当然ではある。ある日、姫が半泣きで真っ赤にしたパンツを持って来た時にはかなりビビった。医者だなんだと、その場は騒然となったが、それを解決したのが、まさかの人間の奴隷。なんでもセーリとかいうやつらしくて、あのくらいの女だと、むしろ健康なことらしい。その奴隷は、セーリの知識を提供する代わりに解放してやった。そういや、あの時「村のことを喋らないか見張りとしてついて行く」なんて言ったあいつは結局それきり音信不通となったなぁ。今は元気にしているだろうか。

 何にせよ、やはりそういうことを相談できる同性の友人はいた方がいいのかもしれない。

「ん? そういやあいつらどこ行った?」

 暫く軽口梟とダンディモグラの姿を久しく見てない気がする。

 まあ、彼等のことだ。そう変なことになっちゃいないとは思うけれど。

「き、綺麗」

 机に置かれたケーキを見て、瑠衣は慄くように呟く。シンプルなイチゴのショートケーキではあるのだけど、クリームによって彩られたそのフォルムはまさに芸術といっていい。ちゃんとチョコレートのプレートまで乗っている。ちなみにプレートには『もも。たんじょうびおめでとう!!』なんて丸っこい字が書かれてあった。勿論これを書いたのは姫だ。

「さて! 最後の仕上げだ!」「おー!」

 なんて言って、桃の年齢である十五本のろうそくを刺したが、瑠衣にはそれさえも無粋に見えた程ケーキは美しかった。

 そのロウソク一本一本に火を着けて部屋の電気を消す。ほんのりと灯る小さな火が、真っ白なケーキの上で踊るのは非常に幻想的だった。

 この火を消したら、桃は十五になると同時に姫の右腕になる。

 そう思うと、桃にはなんだか感慨深く思えた。

 明日のこともどうなるかまだまだわからない。きっと、背負ったものだけで言えば、あの七丸以上だろう。

 でも、決めた。

 もう後ろは振り向かない。

 隣で自分のことを祝ってくれてる少女の笑顔を守ることだけに専念していこう。

 そのためなら、村の人々、七丸、真熊、そしてピオの骸だって躊躇なく踏みつけよう。

「じゃあ、歌おっか?」

 姫が伺うように桃の顔を見た。

「良いけど静かにな」

「……うん」

 電気の消えた部屋で、しかし、桃は気付くことができない。

 姫が桃を見て憂いを帯びた表情をしていることに。


 ○ ○ ○

 

 結構大きめに作った筈のケーキはものの数分で手品の如く消えてしまった。

 意外と食べたのは瑠衣である。なんか涙を流しながら食べてた。「ウェッウォッウァッ」とか喚いた時は、砂糖と塩でも間違えたかと心配になった程だ。

 諸々の片付けを終えて、改めて四人は居間に集まる。

 当然、このまま楽しいだけで終わらせるわけにはいかない。

「本当に世話になった」

 桃は椅子から立ち、頭を下げる。

「この恩は必ず返させてもらう」

「い、いや、別にそんなにかしこまっていただかなくても」

 実際、瑠衣的には初めこそ最悪であった。

 けれど、そんな気持ちはもう殆ど払拭されている。

 先程までの涙が出るくらいに美味しい食事やデザートを作ってもらったのもそうだが、気がつけば家の中がピカピカになっていたり、壊された玄関と101号室のドアは何やら高級感あふれる物に替えられていたり、壊れかかった天井が直ってたり等、いっその事お手伝いさんとして雇いたいくらいの働きをしてくれた。

 それだけに、逆に疑い深くもなる。

 絶対何か裏があると瑠衣は睨んでいた。

 あの姉が連れて来た人間が、普通の人であるわけがない。

「いえ」

 姫がニコニコとした笑顔を崩さず、そのくせ有無を言わせない迫力を持って口を開いた。

「そういうわけにはございません。赤井家現頭首として、ここで食い逃げなどしようものなら、私の先祖に殴られ、子孫に指を向けられてしまいます」

 いつもとは違う口調と迫力に、桃は戦慄する。これが、赤鬼頭首としてのこいつ。

「ほう。頭首なのだね」

 真理子はニヤニヤとしながら姫を見る。

「じゃあ、早速だがその頭首様に恩返しとやらをしてもらいたいのだよ」

「ちょっ、お姉!?」

 予想外の姉の言葉に瑠衣は慌てて戒めるのだが、その他の鬼と人間はその表情を変えない。

「言っておくが、現時点で金銭の類は持ち合わせていない。強いて言うならこの刀くらいだ」

 桃はドアを修理する際に、並行して作った臨時の鞘に納められた名刀・鬼殺しを差し出す。

 これを寄越せと言うなら、全く構わない。七丸の遺品ではあるものの、ここで渋ればそれこそあの世で七丸に何をされるかわからない。

「そんなガラクタはいらないのだよ」

 真理子はそう言い放った。

「私が欲しいのは知識。君ら知ってること全部吐いていくのだよ」

「知識……ね」

 やはり人間っつーのは、と桃は思う。

 ここは深入りすべきではない。きっと人間以外であれば、それに気づけるだろう。

 目の前にいるそいつは、それがまるでわかっていない。洞窟に虎子がいる気がしたら、まだ親がいるかもしれないのに、どうどうと足を踏み入れる。……赤鬼村に来た人間達と同じように。

「俺としては、『それを教えない』というのも一つの恩返しの形ではあると考えている」

「そんなのは嫌がらせなのだよ。恩返しとは言わない」

「金が欲しいならくれてやる。この刀も売ればそれなりになるだろう」

「金なんざいらない」

 真理子は笑みを絶やさない。

「人間というのは、浪漫を求める生き物なのだよ。それをやめたら私は人間じゃなくなる。この妹みたいな猿になっちまうのだよ」

「誰が猿だ」

 狸である、とは言わない。

「なら猿のが幾分か賢いな」

「どうだかね。ちなみに、そこのお姫様」

「なーに?」

 姫はニコニコと返事をする。

「君にこれを飲んでもらいたい」

 そう言って差し出したのは二錠の黄色のカプセルだ。

「……これはなんだ?」

 桃が真理子を睨む。

 そんな彼にまるで臆すること無く、むしろ心地良さそうに笑って言った。


「いやあな? 今朝方、治療の時にそこの姫ちゃんから、面白い病原菌を採取してしまったのだよ」


「……病原菌……だと?」

 桃の表情が更に険しくなる。

「いやいや、そんなに怖い顔することはないのだよ」

 反面、狂科学者マッドサイエンティストは、笑みを浮かべる。まるで悪魔の様な笑みを。


 かなり進行の遅い菌でね。体内に潜伏こそしているものの、多分三十年は発症もしない。自覚症状が出るのは更に三十年後。まあ、その頃にはそろそろ良いぐらいのお歳だろうから不満は無いと思うのだよ。


 ──六十年。つまり姫が七十台半ば。

 確かに、その頃には自然なお迎えが来てもおかしいわけではない。

 だが、んな問題じゃねえ、と桃は舌打ちをする。

「結構新種な病原菌だし、まだ治療薬もできていない。だが、それは猿達の話なのだよ。人間である私は、暇つぶしに、こいつの特効薬を作った……と言っても、この病原菌を一度に完全に殺し切ってしまうと、人体自体にも程々に影響が出てしまう。だから、私特製のこのカプセルを一日二錠服用してもらいたいなあと思うのだが?」

「……そのカプセルは何錠ある?」

「二錠なのだよ。明日──厳密に言えば今日の朝の分だけ」

 悪魔の笑みは終わらない。

「で、明日も私は二錠しか作らないのだよ」

「────っ!!」

 瞬間、桃は大きく目を見開き抜刀する。

 瑠衣は「ひぃ!?」と小さく悲鳴を上げるが、姫と真理子は涼しい顔だ。

「今からそいつを十万錠作れ」

「嫌だね。仮に作ったとしても一年と保存出来ないだろうし、何より材料もない」

 一人と一鬼は睨み合う。

 ──さて。


 実はこの薬、真理子のブラフである。


 机に置かれたカプセルは偽薬──ただのビタミン剤だ。これを毎日飲み続けても、お肌の調子が良くなるくらいの効力しかない。

 生きてる間、姫とそして桃を飼い殺しにするための罠。

「奴隷にでもされたいか? 作り方を無理矢理聞き出すこともできるんだぞ?」

 そんな事を知る術もない桃は、瞳孔を開き、刀に力を込める。

「奴隷か。怖い怖い。……でもね、説明して分かるものでもないのだよ。六法全書持ってたら弁護士になれるわけでもないのと同じことだ。それに、こんな時に便利な自害用カプセルも勿論完備してるのだよ」

 真理子は胸のポケットから赤と紫色のカプセルを取り出す。

 桃としてはそれを即座に奪えばいい。

 実践したことこそないものの、女を性の苗床にするための方法もある程度知っている。嫌がる女を無理矢理、というのは鬼のお家芸だ。

「俺はあんた達に恩を感じてる。不義理な真似をしたくない」

「なら、とっとと吐けばいいのだよ。ついでに私の被験体になってくれるならなおよし」

「それはダメ」

 姫が言う。

「だれにもももを傷つけさせはしない」

 姫の父親譲りの威圧感がこの場を制した。

 瑠衣は背中が寒くなるのを感じた。

「別に、傷つけるって程でもないのだよ。毎日10ccほどの血液を提供してほしい。貧血にもならない」

「そう」

 姫はそう言って、またにこりと笑った。


「なら取引は成立ね」


「姫!」

 叫ぶ桃に姫は顔を向ける。

「ねえ、もも? この茶番をあなたが──ひめの右腕が、出る幕にしたいの? それってひめのこと舐めてるってこと?」

「………………」

 桃は、しかし何も返せない。

 ここで自分が出る、つまり右腕として姫を戒めることは、自分の主鬼しゅじんの発言力の低さを知らしめる、それは彼女の格を落とすことになりかねない。それは桃の本望では決してないのだ。

「はあ。クソったれが。もう勝手にしやがれ」

「ん。もも、大好きよ」

「ああ、俺も……ってええ!?」

 こんな時に突然何を言い出してんだこいつ!?

 桃は慌てながら顔を桃色に染める。

「わー。もももなんだ。じゃあそーしそーあいだね」

「い、いや、ま、待ってくれ」

「もも、だーいすき」

 姫はそう言ってコロコロと笑う。

 そしてそんな二人を見ていた瑠衣──二十歳独身彼氏いない歴=年齢現在絶賛喪女人生爆走中は、

「桃くん、とりあえず、その危ないのしまってくれませんか?」

 場のストロベリー臭に耐え切れなかった。


「とりあえず、君たちは何なのだよ? 普通の人間では無いだろ?」

 その問いに桃は、

「俺達は赤鬼だ」

 そう答える。

「……赤……鬼?」

 瑠衣にとって、それはあまりに想像斜め上の回答であった。

 何それ?

 アニメとか漫画とかの──所謂厨二病ってやつ?

「そうだな……。どっからどう話したもんか」

「私達人間も、人間とは何だという問いに答えにくいものなのだよ。ゆっくりでいい。しかし、正確で確実な知識を提供してくれ」

 真理子が目を爛々と輝かせながらそう言った。

「……まあ、基本的には人間と大きな差は無いと思うぜ? 姫を見てもらえばわかるが、俺ら赤鬼は、肌が比較的赤黒く、角が生えていて、ついでに、特に姫なんかはわけのわからんくらいの馬鹿力を持っている。そのくらいだ」

「ふむ」

 いや、それだけではない、と真理子は思う。

 身体的特徴だけ言えば、見えるところでは、歯が違う。人間の歯は肉と野菜どちらも食べるので、肉食動物と草食動物を足して二で割った様な形をしているが、この鬼達の歯は、全てギザギザ。完全に肉食動物のそれだ。けれど、先程桃が作った食事には、確かに肉が多めではあったけれど、野菜もちゃんとあった。そのあたりは研究すると面白そうだ。

 目に見えない部分だと、更に面白い。超高速で毒物を消化していく細胞もそうだし、桃の完全に折れていた筈の鼻も起きた時には治っていた。そんなの人間ではありえない。

「食事は桃ちんが作ったような物を?」

「…………今回は冷蔵庫にあったもんを調理したに過ぎない。赤鬼の食域は人間よりも更に広い。肉がある生き物なら、基本何でも食う」

「……それは人間も?」

「────ッ!?」

 真理子の返しに、瑠衣は真っ青になる。

 この二人がそんな──

「否定はしない」

「えっ?」

「鬼は多くの動物から恐れられている。殆どの動物は俺らの村に寄り付かない。本能が叫ぶんだよ。ここは危険だ……ってな。……ただなあ。中にはクソ鈍い動物もいたりする。……なあ、人間。それが何だかわかるか?」

 目を白黒させている瑠衣を横目に桃は続ける。

「一応遠征で狩りもするし、畑も耕す。人間が食わないような動物だって食う。鬼ってのはな。……だが、それでも大食らいな鬼には十分ではなくてよ。だから、俺たちは『釣り』をする」

「……釣り、かね?」

 まるで、親が読む絵本を興味深く聴いている子供のような表情で、桃を見る真理子。

 正直瑠衣にはその神経がわからない。

「ああ。そうだ。」


 人間。てめェらは強いよ。この世界にいるどんな生物もそれを否定しはしないだろう。例え、神っつーのがいたとしてもな。

 でもな。強いからっつって、自分達が常に捕食者側だと思うのなら、それは大きな間違いだ。

 俺らは釣り糸を垂らす。

 この人間の世界にな。

 ここにいる仲間が、出版社に働きかけて、俺らの村をミステリースポットやら、難易度の高い修練場なんて風に紹介する。それが餌だ。そうしたら、馬鹿面引っさげた人間がわんさか餌に食いつく。それも、若くて健康な人間が。

 まあ、あんまり食うと、人間共に気付かれるからな。実際に胃袋に入ってもらうのは、その中の一割くらいだよ。


 瑠衣の顔色が青を通り越して紫色になる。目の前の少年は何を言っているの?

「なるほどね。……ところで、人間というのも丸々太っていて、脂の乗ったものの方がうまいのかね?」

「…………ああ。その方が好まれるな」

 奇怪な質問をする、と桃は思う。

 自分の仲間が喰われる話だってのに。やっぱり、人間って奴は……。

「なら、やはり比較的肉付きのいい女なんかには目が無いのか?」

 桃はその質問に、しかし、一瞬言い淀んで、

「……鬼は女を喰わん」

 と言う。

「ほう? それは紳士的な理由でもあるのか?」

「…………そこの女を寝室に連れてってやれ。顔色がクソ悪過ぎる」

 桃は瑠衣を見て、顎をくいっとさせる。

「話を逸らすのでは無いのだよ。今はこの猿の精神状態よりも、話の続きのが余程大事だ」

 瑠衣には、しかし、その暴言を戒める程の体力は無かった。

 桃にも、そこまで言われて、これ以上強く彼女を気遣う理由は無い。

 ならば、と寧ろ吹っ切れた風に桃は言う。


「メスは基本子を産ませるのに使う」


「…………えっ?」

 桃の言葉を瑠衣は最初理解ができなかった。

「姫みたいな例外もいるが、俺らは基本的に全員が男でな。俺らだけだと繁殖ってのができねェんだ」

「ふるっふー! だとすると何か? 君たち鬼は、異種族の身で、人間の女を孕ませる事が出来るのか?」

「……ああ。そうだ。つっても、人間の方は鬼を産むのに適した身体をしているわけじゃねェ。人間を産む何倍もエネルギーを食う。鬼を産み終わった人間ってのは、九割死んで、一割廃人だ」

 これは面白い。面白すぎる。

 彼の話がどこまで本当かは、検証が必要だが、とにかく、鬼の精液を採取してみなくてはいけない。必要なら、自分が苗床にでも何でもなろう。…….いや、寧ろなりたい。

 子供を産んで、それがどんなものなのか調べ尽くしたい。

 話を聞く限り、そして彼らの身なり等を考慮すると、女が死ぬ理由は、やはり栄養失調なのだろう。

 見聞きする限り、彼らの文明的なレベルは低いとも言わないが、高いとも言えない。

 その点我が家にはそれなりの施設がある。皮算用だが、彼の言う一割を最低でも八割くらいには伸ばすこともできるだろう。最悪、途中で堕胎してもいい。

「フッ」

 目の前にいるのはオスだ。

 ここまで人間と似通っているのなら自慰くらいするだろう。

 その時に出た物を掠め取り──

 そんな事を真理子が考える横で、瑠衣は、他の三人──一人と二鬼──の真剣さに背筋を凍らせた。

「も、桃くん。それって本当なの? あなた達が、人間を食べちゃったり、女の人を……その……犯して、子供を産ませるって」

「彼は犯す、とまでは言っていないのだよ。まあ、同じ様なものだろうがね」

 顔は同じ。

 だが、その顔色は天と地ほどの差がある。全体を真っ青に染めてる瑠衣とは対照的に、真理子は目を爛々と輝かせていた。

「信じたくないなら、この場から立ち去るべきだ。夜も遅い。とっとと眠って朝起きて、ああ嫌な夢を見たな、ってことにすれば全てが丸く収まる」

「うぅ……」

 瑠衣は改めて姫の顔──その頭に付けた白い向日葵のような……角を見る。

 確かに、変だなとは思っていた。

 髪飾りにしては随分と大きいし、よく見ると重量感もある。

 その視線に気づいた姫はにこりと微笑み「触ってみる?」なんて言うが、とてもそんな気分にはなれない。

 人間を食い、犯す化け物。

 先程まで一緒に笑ってた二人が、まさかそんなものだったなんて。

「何にしてもだよ。これは、俄然研究意欲が湧く。姫ちゃんの馬鹿力というのも見たのだよ。ちょっと待ってくれ。今この家にある一番硬いもの持ってくる」

「お、お姉ぇ!」

 飛び出していこうとする姉の腕を瑠衣は縋る様に掴む。

「け、警察。い、いや自衛隊にお願いしよ? 私達じゃ、無理だよ」

「何をふざけたこと言ってるのだよ。そんなことしたら、この大事なモルモットがお国に渡ってしまう。実験するならいいけど、多分あの猿共はこの子達殺してしまうのだよ」

「そ、それでも、私達よりは全然マシだから。だから早く──」


「まずは血抜きだ」


「え?」

 桃は瑠衣の顔色をあえて無視して続ける。

「独特の臭みがあるからな。それを取り払うためにハーブなんかと一緒に調理する。けど、あまり香辛料を使うと、逆に素材そのものの味まで消してしまう。味付けは塩コショウ以上の物は使わない。まあ、添え付けとしてレモンを絞る奴はいるがな。基本は丸焼きだが、時には生で食いたいってのもいる。加工が多少面倒で、需要も低いから滅多にやらんがな。……これが、人間の調理法だ」

 桃は笑う。

「確かに鬼は女は喰わねェもんだ。だが、時と場合ってのはやっぱりあってな。俺が一時期働いてた調理場のレシピには載ってたぜ? 子宮の煮込み方。なんでもコリコリっとして美味いらしい」

「────ひっ!?」

 瑠衣は声にならない悲鳴を上げる。身体の震えが止まらない。ヘビに睨まれたカエルとはこのことだろう。

「なあ? 言ったよな、俺は? 言わないのが恩返しだって。でもてめェらは聞いてしまった。その上で、まだクソ調子こいたこと抜かすんならしょうがねェ。……わかるよな、俺が言いたいこと?」

 桃が、まるで獲物を狙う獣で二人の人間を見つめる。

 …………しかし、


「別に問題無いのだよ」


 そんなことを、真理子は何ともないように言った。

「今日の食事を見る限り、絶対人間を食べなきゃいけないわけではないのだろ?」

「………………ああ。食域こそ広いが、基本的な趣味はあまり人間と変わらん。人間よりも豚や牛のがうまいしな」

 他に食料さえあれば、桃個鬼としてはあまり食べたい部類の物でもない。人間の肉というのは、よく言えば珍味だが、悪く言えばゲテモノ。独特な臭みと言えば聞こえがいいが、その実は大層な悪臭である。それが良いと言う鬼もいないわけではないが、桃はその数少ない内には含まれていない。

 そして、それは姫も同様だった。

 過去に一度だけ、姫の皿に調理した人間の肉を盛った事があるが、その時は皿ごと投げつけられた。

「女を犯す、と言っても別に普通にセックスするだけなのだろ?」

「せっ……」

 途端桃色になる桃。

「んー。この反応見る限り、口だけのチェリー野郎っぽいのだよ」

「だ、誰がチェリーだ!」


「なんなら私とするかね?」


 そんなことを言いながら、おもむろにタヌキスーツを脱ごうとする真理子。

「なっ……」

「何やってんですか、バカビチ姉!」

「私はそこの猿と違って処女膜に執着ない。桃ちんの精液のが数万倍興味があるのだよ」

 それに処女膜なんて、どうせ出産の時に破れるので問題ない。

 ちらりとその豊満な谷間が目について、桃の顔色が桃色を通り越して、それこそサクランボ色まで変化する。

 すると、

「ねえ、もも?」

 桃の隣から、

「まさか」

 笑顔になった主から

「真理子とやりたいの?」

 絶対零度の殺意が放出される。

 ヤバい。死ぬ。

 ここで選択肢ミスったら、青鬼と出会ってすらないのにバラバラになる。

「滅相も無いです!!」

 桃は刀を放り投げ、姫の前で土下座した。

「ん。わかったよ、もも」

 そう言って、姫はコロコロ笑った。

 その一連の流れを見ていた瑠衣は、少し拍子抜けしてしまう。

 あっ、これ問題ないわ。

 中学や高校時代の男子生徒と一緒だ。

 口ばかり大きくて、その実やれる事なんかごく限られている。

「……お姉。確か庭にいらないコンクリートブロックあったと思うから、持ってこようか?」

「せっかくだからダイヤモンドとか握り潰して欲しいのだが?」

 ちぇーっといった顔をした真理子が、そんな事を言う。

 ……この姉は本気で犯して貰いたかったのかもしれない。うちはラブホじゃねえ。

「そんなもんうちにはありません」

 そう言って、瑠衣は席を立つ。ちょっと一人になって整理したかったのだ。

 瑠衣を見送るのもそこそこに、真理子は口を開く。

「で、そんな鬼君たちがここに来た理由は?」


 ○ ○ ○


 桃は昨日から今日にかけてまでのことを簡潔に真理子に話した。詳しく話せるものなら話しても良かったが、いかんせん桃たちにさえわからないことが多すぎる。

「なるほど。当面の問題は青鬼なのだね?」

 正直、青鬼の魔法とやらに凄まじく興味があるので、真理子としてはなんとか生け捕りにしてほしいところではある。

「生活基盤もどうすっか、考えねぇとな」

「えー? ここに住むんじゃないの?」

「いや、そんなわけにはいかないだろうよ」

 人間社会では金というのがとても大事であるということは知っている。

 赤鬼村では結構なあなあにできた部分もあったが、ここではそうはいかない。逃走資金も必要だ。

 最初の一月程度は、それこそ刀を質にでも出せばいいが、それ以降は何かしらの方法で生計を立てるべきだ。

 村には今も青鬼がいるだろうし。

「でも、桃ちん、学歴とかないのだろ?」

「学歴?」

「ふむ。この分だと国籍も怪しいのだよ。普通のとこじゃ雇ってくれないだろうね」

「………………クソ」

 なかなか厳しい現実だ。

 家事や力仕事には自信があるが、確かにどこの誰だかわからん奴に手伝わせたくはないというのは鬼である自分にだって理解できる。

「まあ、伝に頼めば国籍や学歴くらいはなんとかなるのだよ。だが、すぐにってのは無理だがね」

「…………」

 桃が真理子の言葉に黙ったそんな時だ。

「す、すいません。運ぶの手伝ってもらっちゃって」

「ハハ。こんなのお安い御用だよセニョリータ。こんなことであなたの綺麗な手を守れるならやすいものだ。ノーだってそう思わないだろう?」

「ノー」

 そんな、何やらえらく聞き覚えのある台詞と共に、瑠衣と二人の胸元が開いた礼服をまとった男が入ってきた。

 一人は黄金のウエーブがかった髪に優しくやや垂れた青い瞳。180センチほどの細身で、瑠衣を貴族の様にエスコートしている。ちなみに手には紙袋が二つほど。

 もう一人はの金髪よりも更に大きく、190センチ程あり、身体はがっしりとした黒い短髪である。体育会系ではあるが、その真っ直ぐで寡黙な瞳はまるで何かを見通しているようだ。胸には桃の見覚えがあるサングラスが刺さっている。ちなみに、両手でコンクリートブロックを二つずつ持っている。

「おい猿。そいつら誰なのかね?」

「ああ、これはセニョリータ。僕は──」

「てめェ、キーかぁああああああ!?」

「ハハ。さすが僕の恩鬼おんじんだね」

 その軽口、全身から滲み出す自由人臭、間違いなく桃の友達である梟である。……そう梟である。妖怪化してるかなんだか知らないが、少なくとも姿はただのデカい梟だった筈だ。

「そんでもって、お前はノー」

「ノー」

 違うらしい。……いや違わない。

 この寡黙さとか、溢れ出るダンディさ、そして何より全否定な返事、完全にあのナイスガイモグラのそれである。

「……てめェら、そのクソみてェな格好なんなんだよ?」

「ハハ。かっこいいでしょ? 僕がノーの分と一緒に見繕ったんだよ。あ、これは桃君と姫ちゃんの服さ。その狸さんも可愛いらしいけど、これも着てみて」

「わーありがとう」

「ああ、すまねえな……じゃなくてぇえええ!!」

 桃はビシッと金髪男に指を向ける。

「お前らなんで人間の格好してんだよ!」

「ハハ。嫌だなぁ。僕ら妖怪だよ? その日の気分で人間にくらいなれるさ」

「そんな設定初めて聞いたわぁああ!!」

 人間になる気分ってどんな気分だ!! てか、どんだけ自由なんだ、この猛禽類は!!!

「ふるっふー! では、この二人があの桃君と姫ちゃんのお友達ってことなのかね?」

 真理子は「また面白そうなの来たぁあああ!」って感じの顔で二人を見る。

 二人──というか、桃的には、二匹の妖怪もどきなんだが。

「うん。そうだよ。そうじゃないよね、ノー」

「ノー」

 ああ、もういい。もう何も言わん。

「へえ。そうなんだ」

 そんな事をあまり驚いた風もなく呟く瑠衣。

「ん? 瑠衣は知らないでこの人達中にいれたのかね?」

「うん。だって、イケメンじゃん」

「……イケメン?」

「お姉知らないの? イケメンに悪い人はいないんだよ?」

 駄目だ。なんか、妹は大丈夫そうだとか思ってたけど、やっぱりなんか駄目だ。

 桃は頭を抱えるのだった。


「ハハ。つまりはお金さえあれば良いんだよね?」

 今までのことを桃は二人──二匹の化物に説明する。

「大体いくらくらいあれば良いの?」

「え? あ、はい」

 瑠衣は慌てて引き出しから電卓を取り出すと、カタカタと計算を始める。

 六室あって三室は最早貸し出せない。残りの内一室は姉が占拠してる。

 アパートの維持費もあるので、どうしても割高になってしまうが。

「一月このくらいで、敷金礼金無しで一部屋お貸しできます」

 そう言って、電卓をキーに差し出す。

「ハハ。なるほど。じゃあ、桃くんと姫ちゃん、それと僕のノーの部屋で二部屋。それとちょっと色をつけて……これで手を打ってもらえないかな?」

 カタカタっと電卓を打ち、瑠衣に返す。

 そして、その表示された金額を見て、瑠衣は大きく目を見開いた。

「こ、こんなに!」

「ハハ。迷惑料と、そして、近衛姉妹の美人料だよ。全く。罪な方々だ」

 絶好調に軽口を叩くキーを桃はナニイッテンノコイツという顔で見る。

「てめェ、そんな金どっから持ってきた?」

「ハハ。実はね、商店街の方をノーと歩いていましたら、とても美しいマダムに声をかけられちゃって」

 そう言うと、キーは胸ポケットから一枚の名刺を取り出す。

「マダムだあ?」

 キーから受け取った名刺には

『深窓の令嬢 柴田』

 なんて書かれてある。

「…………っ」

 なんかパチモンくせぇえええええ! 自分のこと令嬢って、なんだよ! てか、深窓ってなんて読むんだよ!!

「ハハ。マダムに、私のところで働かない? なんて言われてさ、それでノーと一緒に行ったんだよね。なんか、マダム達のお話の相手になりながらお酒を飲む場所なんだ」

 ……いや、ノーってどうやってお話しするの? 常に全否定だよ、こいつ。まあ、その分ダンディだけど。ナイスガイだけど。

「ハハ。このくらいは僕の恩返しとしては序の口さ。とりあえず、お金のことで君たちを困らせたりしないよ」

「……………….」

 実は、桃はこの猛禽類が自分のどんなところに恩を感じたのかは知らない。なんか、突然恩鬼恩鬼言い出したのだ。昨日もなんか命とか賭けられたし、その癖気がつけばどっかに行ってるし。自分は一体知らぬ間にどんな恩を売ったのだろうか。

 まあ、そんなことは一先ず置いといて。

「……ああ、ありがとな」

 桃は友達にお礼を言った。


 ○ ○ ○

 

 流石に昼夜逆転のまま過ごすというのもどうかとという話になったので、今日はこの場で解散の運びになった。ちなみに、コンクリートブロックはバラバラにすると掃除が面倒なので、姫が指を貫通させる程度に留めた。その時の姉妹の反応は上々だったので、まあ、問題あるまい。各々割り振られた部屋に行くことにする。

 桃と姫は先ほど二人が寝ていた202号室である。

 別に一緒に寝ることくらいは問題ない、と桃は思う。それこそチビの時は二人して森の木陰で昼寝をしたものだ。

「ねえ、もも」

 寝床の準備をする桃に姫が話しかけてきた。布団はアパートで貸してくれる。キッチントイレ風呂は共同。一部屋ワンルームの簡素な作り。この状況だ。文句なんてない。……でも、あまり姫を長いこといさせるわけにもいかない。そんなことを考えながら、桃は「なんだ?」と姫に返した。


「ひめとセックスしたい?」


「…………」

 ……。

 …………。

 ………………。

 その瞬間、世界の時間が凍結した。

 ナニイッテンノコイツ。

 桃は胡乱な表情で姫を見る。なんか両の頬を手の平で添えながら、きゃーきゃー言ってる。

 いや、なんだよ、その「言っちゃったー!」みたいなリアクション。

「ヴァッッッカじゃねェの?」

「えー。でも、ももだって男の子なんだし、こうやって美人の女の子と一緒に寝ると、ムラムラとかするんでしょ?」

 なんだよムラムラって。

「クソみてェなこと言ってんじゃねェよ。そういうのは、てめェの胸を見てからにしろや、このクソまな板が」

「あー。じゃあ、まりりんなら良いんだ?」

「ブッ」

 思わず先程の光景を思い出す。

 綺麗な谷間だった。おそらく緑が青々しく茂り、流れる河だって綺麗なのだろう。動物や魚達も穏やかに暮らし………………。

「い、いやいやいやいや」

 何を考えてんだよ、俺は。

 なんで、あんな化物女の胸元からアルプス山脈に突入してるんだよ。

「まさに突乳」

「人の心の中読んどいて寒い事言ってんじゃねェ!」

 突乳ってなんだ! 国語辞典にある言葉以外使ってんじゃねェ!!

「まあ心配しなくても、あと何年かしたら、ひめちゃんは『えれべすと』ですから」

「『エベレスト』だバカ。大体まな板の分際で何を抜かしてんだよ。お前なんか良くて丘だ。このクソ丘女」

「ひどーい。そんな事言うももにはひめが『えれべすと』になっても、おっぱい触らせてあげないんだから」

 そう言って姫はコロコロ笑う。

 桃は、ああ、もうこんな奴なんかほっといて、俺だけ逃げれば良かった、なんて、心ないことを思う。

 俺の──俺と姫の目的は何だろう。

 正直なところ青鬼は憎い。

 だが、それ以上に関わりたくない。

 当の青鬼は復讐だなんだと無駄に辛気臭いこと言ってたが、そんなの赤鬼である自分達のガラでもない。

 赤鬼の復興とかも特に考えていない。その辺はもうじたばたする様な話ではない。なるようにしかならないだろうから。

「んー」

 我ながら向上心的なものがないなぁ、と思う。それこそ真理子の言うところの猿である。

 とりあえずは、国籍とかいうのを取ればいいのだろうか。今のままでは働けもしないらしい。あの猛禽類達に頼りっぱなしなのも何かムカつく。

 結局、自分と姫が溶け込んでいくしかないのだ。

 自分と姫が人間になるしかないのだ。

 それしか、この人間社会で生き残る方法はない。

 俺はいい。それで構わない。角無しの俺は、そもそも鬼としてのプライドなんて高尚な物、持ち合わせていない。

 でも、姫はどうなんだろう?

 自分と何もかも違う、恵まれたお姫様。

 そんな彼女が鬼をやめることなんてできるのだろうか。

「おい。姫、布団敷いたぞ」

「おー。さっすがもも。真っ直ぐだね」

「なんでもかんでも、おだてりゃいいってもんじゃないっつーの」

 貸してもらって文句は言うべきではないのだろうが、この布団はちょっと埃臭い。明日は早く起きて天日干ししなければ。

「じゃあさ、もも」

「ん?」


「おやすみのチューして?」


「………………」

 ナニイッテンノコイツ?

「あー。またその顔」

「当たり前だクソボケ。お前はどこの幼女だ」

「だって、ひめはいつも寝る時はパパとチューしてから寝てたんだもん」

 ……なんだと?

「てめェ、この前ファーストキスがうんたらくんたら言ってただろうが」

 てか、あの強面にキスとか。キスマークどころか、魂吸い取られるんじゃね?

 親方フェチの七丸なら喜んでしそうだが。…………うぇ。ちょっと想像してしちまった。

「パパとのキスはノーカンだよ」

「あー。そーかよ」

 そう言って桃は電気を消す。

「チュー顔見られたくない派?」

「夜は電気消して寝る派」

 桃は毛布を被って姫とは逆の方を向く。

「ケチんぼ」

「ケチんぼで結構」

「童貞野郎」

「明日は早いぞ?」

「チェリー」

「残念。桃は英語でピーチだ」

「むー」

 なんか唸ってるけど、無視である。

 しばらくして、ようやく諦めたらしく静かになった。

 寝たか。

 一応確認の為に、姫の方を向く。

 そこには、姫の可愛らしい──天使のような寝顔があった。

 くそっ。

 いつも見てる顔なのに。

 ちょっとドキドキするのがムカつく。

 あー! もういい。寝る。寝るぞ、俺は。ね──

「ん」

「────!?」

 ちゅっ、と姫の唇が桃のそれに触れる。

 あ? え? な?

 柔らかな感触。

 仄かに香る石鹸の匂い。

 唇から伝わる体温。

 興奮しているのか、不規則になっている吐息。

 桃にとっては二度目のキス(実際は三度目だが)。

 初めてでは無いからと言って、そう慣れるものではない。

 暫く気が動転して動けずにいたが、なんとか正気を取り戻すと、直ぐに頭を後ろにやった。

「て、てめェ、狸寝入りぶっこいてやがったのか!!」

 顔が真っ赤に染める桃。

 姫も劣らず顔が赤く、自分の唇を、何が大切なものに触れる様に、優しく撫でる。

「タヌキちゃんが狸寝入りして何が悪いの?」

 言ってコロコロと笑う姫。

「お前本当いい加減に──」

「わー。ももが怒った」

 そう言って、姫は仰向けになる。

 ああ、もう、くそっ。

 こいつ、ほんとなんなんだよ。

 そんなに俺をからかって楽しいかよ。

 ………………もう疲れた。寝よ。

 桃は天井を見て目を閉じる。

「ねえもも」

「布団に潜った分際で喋ってんじゃねえ。寝ろ」

「ひめはこれで大丈夫だから、今度はももがひめにぎゅーってしていいよ」

「寝ろクソボケ」

 何がぎゅーっだ。

 そんな事を考えながら瞼を閉じた、その時だ。


「だってさ、もも、ずっと泣きそうな顔をしてるんだもん」


 そんな事を姫が言ったのは。

「……んだと?」

 自分のどこが悲しそうだというのか。

 そんな顔しているわけがない。そんな暇なんか無い。やる事が山の様にあるのだ。だから──

「もも」

「な、何だよ」

 姫は桃を優しい眼差しで見る。

「桃はね。ずっと嘘ついてるの」

「はあ!? 何が嘘だってんだ! クソみてェなこと言ってんじゃねェよ! 俺はお前に嘘なんかついてねェ!!」

「うん。ひめには嘘ついてないよ」

「何が言いたい!!? 俺が誰に、どんな嘘をついているって!!?」

「ももはね──」

 姫はニコリと笑い、


「ももに嘘ついてるんだよ」


 そんなことを言う。

「────ッ!?」

 俺が、俺に嘘を?

 わけわからん。

 一体、こいつは何を──

「もも、皆んなのこと大好きだったもんね」

「……皆んな?」

「だけど、ももは右腕になって、頑張ろうって張り切っちゃったんだよね」

 姫が桃の頬に触れる。

 優しく、そして暖かく、まるで母親が赤子に触れるかの様に。

「ひめはもう大丈夫。ももにチューしたから平気。だからもも。ももはね。ガマンしなくていいんだよ?」

「…………だから、てめェは一体何を──」


 にゃあ。


「〜〜〜〜っ!?」

 不意に、何処からか鳴き声が聴こえた気がした。

 可愛くて、そしてどこかふてぶてしい、あの声が。


 ────。

「も……」「ももさん」

「あー。何だよ、てめェら。確かこの間、弱いもんイジメしてたクソじゃねェか。名前は確か……」

「の、ノコッス」「パタっていいます」

「あー。何でもいいけど、こんなクソみてェな時間に何の用だよ? 大体、もも『さん』って──」

「お、オイラ達、ももさんの漢気に惚れたッス!!」「僕達を舎弟にしてください!!」

「…………何言ってんの、お前ら」


 ────。

「うがぁあああああああああああああああああああああ!?」

「フッ。どうだ。この五十三代目弟子修行マシーン、名付けて『拷問君スーパー』の具合は?」

「おいクソ狐!! それ修行と拷問ごっちゃになってるから!! 修行≠拷問だから!!」

「これもお前が立派な右腕になれるようにな」

「だから右腕になる気なんかねェええええええええええ!!」

「ふむ。まだそんな口がきけるか。よし。では、スーパーモードからスーパースーパーモードにするか」

「ネーミングセンスぅうううううううううう!!!」


 ────。

「ほう。そんなにこの村から出たいか」

「ったりめェだろ? こんなとこにいたら死んじまう。それに他の連中も」

「ふむ。他の連中がどうした?」

「……俺のこと角無しだって言うし、そもそも俺、赤鬼っぽくないし」

「……小さい」

「え?」

「小さ過ぎるぞ、童。男のくせに外見ばかり気にしおってからに」

「……で、でも、周りが見た目でしか俺のこと見ねェし、しょうがねェじゃん」

「ふむ……よし。わかった。つまり、外見を気にされなければ、お前は漢となるのだな?」

「…………へ?」

「なら、お前は、今から赤井の性を名乗れ」

「…………あ、あの。親方様?」

「この村で赤井を名乗れば、少なくとも外見のみでお前を判断する奴はいなくなる。赤井桃、それがお前の名前であり、お前はワシの息子だ」

「え……えええええええええええええええええええええええ!!?」


 ────。

「あらぁ。モモキュンじゃなあい。うちのお店に寄ってかない? サービスするわよ?」

「黙れクソオカマが。こっちはてめェらと遊ぶ時間なんざねェんだよ」

「聞いたわよ。お料理の勉強してるんですって?」

「はぁあああああ!? おい!! 誰だ!! 誰から聞いた!!?」

「オヒメちゃんから」

「あんのクソボケぇえええええええええ!! 今度という今度はぶっ殺してやらぁあああああ!!!」

「そこで提案なんだけどねえ」

「あぁん?」

「暫くの間、アタシ達とお料理してみない?」


 ────。

「フォフォ。よく手伝ってくれるのお。いつもありがとの。」

「うっせェよジジイ。とっとと布団の中入れや」

「フォッフォッフォッ」

「おー。桃はここにおるのかね」

「んだよ、何か文句でもあんのか?」

「今年はトマトがいい感じに育っての」

「おお。そりゃいいじゃんか。後で買いに行くから、幾つか見繕ってくれ」

「いや。お金はいらんよ」

「はあ?」

「いつも、村のために頑張ってくれてるからな。私からのささやかなお礼だよ」

「頑張るって、大袈裟な──」

「おう! だったらうちんとこのネギも持ってけ!」

「あんたは、三河んちの?」

「これ、ピーマン」「キュウリもあるぞ」「ブロッコリーなんかどうだ?」

「あぁあああああっ!! もううるせえなあ!! そんなに余ってんなら、野菜祭すんぞ!! 俺とオカマ共で料理するから、クソいらねえ野菜は皆んな持って来いやぁああああああ!!」

「おお。野菜祭か」「いいなあ」「小僧の料理も楽しみだ」


 ────。

「てめェ、俺の魚返せや!!」

 にゃあ。

「あ、クソ。丸呑みしやがった。喉に骨が引っかかっても知らんぞ」

 にゃっ!?

「あー。言わんこっちゃない。ちょっと来い。見てやるから」

 にゃあ。

「……ふう。これなら水飲めばなんとかなるか。ったく。気をつけろよ。大体、てめェの飯は骨抜いた奴がもう出来てんだよ」

 にゃあっ!?

「食い意地張りまくってんのは、誰に似たんかねえ。……いや、まあ大分見当はついてるが」

「もも。ひめのこと呼んだ?」

「いっ、いや俺じゃねえ。ピオが!!」

 にゃっ!!

「ふーん。まあいいけどね。あ、台所にあったほぐした魚ひめが食べたからね?」

「はああ!? てめェ、さっき自分の分食ってただろうが!!」

「だって、誰も食べてないんだもん。勿体無いじゃん」

「勿体無い……って。はあ」

 にゃあ。


 ────。

 ────。

 ────。


 ──気がつけば。

 桃の視界はぐにゃりと曲がっていた。

 何かしょっからいものが、眼から流れる。

 ──何が。

 何がしっかりしないと、だ。

 姫のため?

 ふざけんな。

 俺の気も知らない?

 ちげェよ。

 俺の気を知らないのは、他の誰でもない、俺自身だったんだ。

 何が右腕だ。

 全部、全部、バカに見透かされといて。

「姫さ」

「…………」

「ももと一緒なら、どんなことも平気だよ。人間と仲良くすることもできるし、青鬼のことも許せると思う。でも、もものそんな顔見たくないな」

「…………うっせ」

「だからね。今日はぎゅーってしてもいいよ。ひめもぎゅーってしてあげる。明日から大変だから、今日はね」

 姫は、

「沢山泣いていいよ」

 太陽の様な笑顔でそう言った。

「………………クソが」

 言って、桃は姫の胸に顔を埋めた。

 もう匂いとかわからない。

 鼻が鼻水で詰まってる。

 ただ、暖かさと、胸の鼓動が嫌という程伝わってくる。

「俺が泣くわけないだろ」

「うん」

「俺はお前を護らないといけねェんだ」

「うん」

「俺は泣いてる暇なんか」

 その時、思い浮かんだのは村の皆んなの顔。

 ピオ、親方様、七丸、ノコ、パタ、それから──

「ぐっ……あぐぁっ……。俺は……泣いてなんか……ぐっ」

「うん」

 クッソ。

 クソ。

 クソ。

 ……………クソ。

 そんな桃を見て、

「うん」

 姫も優しく涙を流した。


 ──世界は汚物で満ちている。

 華は知る。

 その汚物は太陽に負けないくらい大切なものだったと。

 汚物がなくなって、ようやく気付く。

 華は静かに涙を流す。

 太陽も静かに涙を流す。

 その日、世界は雨だった。




2/10

ちょい因果関係を見直しました。

二章はどうなるかな。

ちょっと予想がつきません

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