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【短編】生きていて、生きていた。   【シリーズ】

彼女は死んでいた。

作者: FRIDAY

 彼女は死んでいた。

 彼女は死んでいた。彼女は確かに死んでいた。そりゃあもう、嘘偽りなく、紛いなく、一分の隙もなく、僅かの妥協もなく、明らかに、確実に、どうしようもなく、泣きそうなほどどうしようもなく、笑いそうなほどどうしようもなく。

 そして綺麗に死んでいた。

 化粧師の腕がよかったんだろう。彼女の死に顔は本当に綺麗だった。

 ひとしきり棺の中の彼女を睨み付けた後で、俺は席に戻った。そのままむすっと中空を見据える。周りには人が驚くほどたくさんいたが、目立った声は聞こえない。教会を満たしているのは参列者の布ずれの音と、囁くような話し声、すすり泣く音。一人ひとりは囁きでも、これだけ多くの人が一様に囁いているのでどこか奇妙な空間が出来上がっていた。

 それにしてもずいぶんとたくさん人がいる。全員が彼女の直接の知り合いってことはないと思うけど、友達多かったんだな、と俺は純粋に驚いた。彼女の人格に難を入れるわけじゃないけど、葬式にまでわざわざ参加してくれる人がこれほどたくさんいるとは。それともこれが普通なのだろうか。俺の葬式が開かれたって、必死で探してもこの十分の一も呼べる相手がいない気がするが。参列者の中には大学時代の同輩や、俺も講義を受けたことのある教授もいた。

 だが、俺にとっては他に誰がいようとどうでもいい。

 約束。

 何でお前が先に死んでるんだよ。

 俺はまだ生きてるぞ。

 俺より長生きするんじゃなかったのかよ。

 まだ五年だぞ。俺たちまだ三十歳にもなってないんだぞ。

 約束破ってんじゃねーよ。

 悲しいどころかよっぽど腹立たしかった。無性にイライラした。近くで遠くで同輩の女たちのすすり泣きが聞こえてくるほど苛立ちは増した。

 葬式に似つかわしくない態度でいる俺の周りの席は、未だぽっかりと空いていた。誰も近寄りたくないだろう。俺の知り合いもちらほら視界の隅に見かけたが、誰もわざわざ話しかけてくる奴はいなかった。それだけ俺は不機嫌そうなんだろう。実際俺は機嫌が悪い。

 ところが、そんな俺へもの好きにも話しかけてくる奴がいた。

「どうしてそんなに不機嫌なんだい。朗らかになれるわけもないけど、君のそれは皆とは少し違う」

「ーーーー斎藤か」

 懐かしい顔だった。気弱そうに微笑している男が俺の横に座る。

「その仏頂面の理由は、聞けば答えてもらえるのかい?」

「いや………いろいろとな」

 約束の話なんて、人に話す話でもない。二人だけの約束だったんだから。最後の別れのときに笑いながらした約束。

 でも約束した相手はいなくなって、約束は俺一人のものになった。いや、違う。約束はなくなったのか。約束ってのは、二人いなきゃできないんだから。

 斎藤は一言「そうか」と言っただけで、座席に深く沈んで前を向いた。

「早かったね」

「そうだな」

「綺麗だったね」

「そうだな」

「卒業してから………五年か。久々の再会が、こんな形でとはね」

「………そうだな」

 全くだ。次に会うときは世界一幸せな女になっててやる、とか言ってたくせに、何でさっさと死んでんだ。

 お前はまだまだ途中だっただろうが。

「死んだら全部お終いだろーが」

「そうだね………次に会うときはあの世かな」

「俺はあの世なんざあるとは思ってないぞ斎藤。死んだら全部お終いなんだよ。全部、一つ残らず」

 斎藤はまたぼんやりと微笑んだ。

「ああ、そうだったね。死後の話も魂も、全部生き続ける人たちの感傷………なんだっけ。でもさ」

 でもさ、と斎藤は言った。でも、でもだよ、と。

「またどこかで会いたいじゃないか。あの世があるかないかなんて誰にもわからないんだから、それならあるって思ってた方がいいと思わないか? そしたら、またどこかで会えると思えるじゃないか」

「お前は早死にしたいのか? 斎藤」

 俺の言葉には棘が混ざったが、斎藤は緩やかに首を振った。

「もちろん、そういうんじゃないよ」

「………悪い」

「いいさ」

 斎藤は終始弱々しく穏やかだった。


 式場を出て、橙色の混ざり始めた空を見上げる。煙草を咥えて、斎藤にも示したがやんわりと断った。

「や、僕は吸わないんだ」

「お前は、確か高校の保健医だったか」

「そうだけど、それはあんまり関係ないかな。ただ単純に苦手なんだ」

 そうか、と返して俺も咥えたまま火は付けなかった。二人して何となく式場の玄関横に突っ立ち、それぞれ適当な方向へ視線を向けている。

「君は泣かないんだね」

 不意にぽつりと斎藤が言った。どこか含むものを感じて、でも俺は素っ気なく、

「お前だって泣いてないじゃないか」

 うん、と斎藤は頷いた。

「まだ泣けないよ。まだ泣いちゃだめだと思うんだ。いつかはきっと泣くけど、今はまだ泣かない」

「そうか………奇遇だな。俺も今はそんな気分なんだ」

 そろそろ行くよ、と斎藤は時計を確認した。その様子を見て、彼女が右利きのくせに右腕に時計をしていたのをふと思い出し、瞬間的にグラッときた。

 でもギリギリで踏みとどまる。

「ーーーー死ぬなよ、斎藤」

 思わず言ってしまっていた。斎藤はこちらを見てじんわりと微笑した。

「わからないよ。わからない。いつ死ぬのかなんて、君にも僕にもわからないよ………でもまあ」

 斎藤は、スッと手を目の高さまで持ち上げた。

「また、お互い生きて会おうよ」

「………ああ、そうだな」

 音も軽く手を打ち合わせ、ようやく俺も微笑した。


 なあ。俺はお前の分まで生きるなんて言わないし、言えないけどさ。俺は俺の分の人生しか生きられないけどさ。

 でも、そうだな。もしあの世なんてところがあって、お前がそこにいるのなら。もうしばらくそこで待っててくれよ。

 俺がいつかそっちに行ったとき、たっぷり自慢話聞かせて、悔しがらせてやるからさ。

 俺はこれだけ精一杯生きて、俺はお前よりずっと長生きして、俺はお前よりずっとずっと幸せになってやったんだぜ、ってさ。


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