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巨乳狂の詩

作者: 瀬川潮

 今年の夏は特に蒸し暑い。

 ナイターとはいえ蒸し暑さは変わらない。特に今年はテレビ中継が減った影響か球場への客の入りもよく、シーソーゲームの乱打線をやっているからやたら声援も熱い。

 その試合、広島ピーススタジアムで行われている廣島カープ対帝都メッツ第十二回戦も、九回裏の大詰めを迎えた。得点は20対18でメッツの2点リード。メッツの先発が酔いどれ投手で、どうも広島の甘口の酒に口が合わず悪酔いしたかぴりっとせず大炎上。対する廣島はローテーションの谷間でドミニカカープ野球学校から採用したばかりの荒削りな投手が初先発し、緊張からか制球が定まらず大乱調。アメリカンフットボールもかくやのハイスコア戦となっていた。

「8番、レフト、大宗好男。8番、レフト、おおむね」

 前のバッターが四球で歩き、ウグイス嬢が俺の名を告げた。大声援が巻き起こる。

 ただしこの声援、俺に向けられたものとは言いきれない。まあ、廣島が誇る、打率は低いがここぞというときにかっ飛ばす一発屋に期待する声援も交じっているだろうが、メッツのファンの声援も負けずに大きいということは次のアナウンスに対する期待の声援といった方がいいだろう。証拠に、俺がネクストバッターズサークルから立ち上がった後、メッツの岩多鉄悟朗監督がベンチから出たところで期待のどよめきが起こる。

「ピッチャー、キャサリン」

 岩多監督が投手交代を球審に告げる。やっぱりあのアメリカ人投手だ。

 ウグイス嬢が正式にアナウンスすると、俺の時の倍の大声援が球場を震わせた。

 リリーフカーがブルペンを出る。帽子を取り金髪をなびかせながら観客に手を振る姿を、待ってましたとばかりに「キャサリン、キャサリン」の台風のような連呼が巻き起こる。無理もない、この最下位決戦にこれだけの観客が、この深夜も間近の時間にもなって残っているのはひとえに今話題の女性投手をひと目見るためだけに他ならない。

 やがてマウンドに到着し、四球を出し二死一・二塁とピンチを招いた投手からボールを受ける。ベンチに引き上げる投手に対し、「よくやった!」というかなり含みのある声が投げられる。

 俺は、ベンチを振り返る。

 今年から廣島の監督に就任しているアメリカ人監督、プラウンは「死んで来い」と一喝。代打はない。

 そうこうするうちに投球練習は終わったようで、やれやれと右バッターボックスに入る。

 こういう場面はいつもなら気合が入るが、今回ばかりは気が乗らない。というか、やりにくい。

 マウンドを見る。

 ふふん、と大きな胸を揺らしてキャサリンが仁王立ちしている。手はくびれた腰に。豊かなヒップは堂々と。すらりと伸びた足がマウンドをならす。ちくしょう、ナイスバディしてやがるぜ。特に堂々とメロンのように丸々した胸。ユニフォーム越しに弾力と張りがしっかり見て取れるのが素晴らしい。形といいゆっさという揺れ方といい、まったく巨乳のホームラン王だ。

 ゆえに、やりにくい。やりにくいぞ、まったく。

 監督をまた見る。集中してないのが分かるのだろう、「ぶっ殺すぞ、こら」。はいはい。分かってますよ。日ごろ、「ベース投げるぞ、こら」とか怒る監督で、試合中に、本当にベースを投げて怒るほどの有言実行の指揮官だ。言ったことは、やる。はいはい、やりますよ。どのみち、乱打戦のおかげでもう代打要員はいない。気持ちを入れ替えて、バットを握りなおす。ブルンブルンと素振り。キャサリンは相変わらず帽子を取りスタンドに手を振っている。ちっ。まるでアイドル気取りだ。苦々しいが、手を振るたびにぶるんぶるんと揺れまくる巨乳には思わず頬が緩む。前言撤回。サービス精神旺盛なのは悪くない。

 やがて第一球。

 がばりと振りかぶって、とはいかない。ランナーがいるのでセットポジションから、ばむん。

 ストライク。

 ちくしょう、甘い投球だったのに見逃したよ。いや、見逃してなかったんだけどね、オーバースローから右袈裟にばむんと揺れる双丘は。

 第二球。同じように、ばむん。

 またも投げられたストレートを空振り。監督がうるさい。今にも俺に駆け寄って首を締めようかという勢いだ。はいはい、分かりましたよ。ぶっ殺されたくはないからね。

 しかし、俺はプロ野球選手より、巨乳マニアの血が濃いのだなとしみじみ思う。この試合というより命の懸かった場面で、それでも目の前の巨乳に釘付けだ。それにしてもこのピッチャーからバッターボックスの距離がもどかしい。もっと近くでもいいじゃないか。近くで見ずして何のための巨乳か。いや、無論それ以上を望むがプロ野球選手はちびっ子たちに夢を与えなければならない立場だから自粛、自粛。

 第三球目。ばむ。

 またストレート。しかし今までより速い。しかもストライクゾーンにきっちり来ている。

 マウンドの巨乳に集中するあまり気がはやっていたので、球速が上がったストレートに何とか感覚が追いつき、カットした。というか、今までのストレートだったら早く振りすぎて空振りしてただろう、危ない危ない。こんな美味しい場面を三球で終わらせようとは、なんと不届き千万。ボールを投げろ、ボールを。

 第四球。ばむむん。

 おっと、高速スライダー。危うくカット。打球は一塁側ファールグラウンドを転がる。

 しかしこの高速スライダー。やっかいだ。二球目までのストレートと同じスピードで軌道がスライドするがごとく沈む。大半のプロ選手が今の球は空振りするだろう。実際、今まで各球団の好打者・強打者が餌食になっている。いや、巨乳を前にしているのだから昇天しているといった方がいいか。俺も危うく昇天しかけた。というか、昇天したいぞ。その胸で。

 ともかく、すでに見切っているこの俺に高速スライダーなど通じない。直球と同じフォームから、同じスピードで投げられるという触れ込みだが、どいつもこいつも見る目がない。いや、俺は球筋を見切っているわけでもフォームを見切っているわけでもないがね。

 第五球。ばむむん。

 高速スライダーが外角へ外れる。当然見送る。ボール。キャサリンはマウンドで呆然としている。気持ちは分かる。普通の打者なら手を出しているだろうが、この俺は巨乳マニア。いわば巨乳のプロ。その野球と巨乳のプロにかかれば、決してフォームには表れない胸の微妙な揺れの違いを見切るのはわけないのだよ。ただの野球のプロなら、この違いは分かるまい。巨乳のプロなら違いは分かるが、打つことはできまい。野球&巨乳のプロだけが攻略可能なのだよ。ちなみに、個人的には高速スライダーの時の方が、こう、アレな揺れ方で燃える。うん、萌えるのだ。

 バットを数回ぐるんと回して立てて、あらためてマウンドのキャサリンを見る。

 うお。

 な、なんと。

 キャサリンの奴、「オーゥ、暑イデスネェ」とか片言の日本語をしゃべりながらユニフォームの襟元を外し始めたではないか。しかも、その下は白い素肌があられもなく覗いている。

 な、なんと、ノーアンダーシャツ。

「おい審判。あれいいのかよ」

 釘付けになった目を何とか引きはがして審判に抗議する。このまま投げられたらうれしすぎて集中できない。

「プロ野球選手にもクール・ビズは認められている」

 審判は毅然と応じた。

 第六球目。ばむちら。

 入魂のストレート。手元でぐんと伸び、内角高めにずばっと刺さる。

 判定は、ボール。

 うおお、危なかった。おそらく勝負球だったのだろう。打ち気の打者に手を出させスイングアウトを狙う、ボールになるストレートだ。はっきり言って、まったく手が出なかった。いやもちろん、キャサリンの首元の白く輝くデルタに目がくらんでいてそれどころじゃなかったのだが。それまで積極的にカットしてたのでバッテリーは打ち気にはやっていると勘違いしてくれたのだろう。まったく危なかった。

「オーゥ、暑過ギテ集中デキマセーン」

 キャッチャーからの返球を受けたキャサリンはぼやきながらさらにボタンを外した。白くみずみずしい豊かな双丘と人の業を思わせるほど深い谷間があらわになる。

 キャサリン、こっちをちらっと盗み見て、にやっ。そして「暑イ、アツイ」。

 ぐああああ。ぜ、絶対にわざとだよ。畜生、万歳。いや、万歳だがしかし。

「審判、あれ」

「うるさいうるさい。いいんだよ。そもそもプロ野球選手は青少年に夢を与えなければならないんだぞ」

 抗議するが、審判は興奮しながらマウンドを向いてこっちを見もせず言い放つ。いやまあ、俺も夢をもらってるしいいといえばいいんだが、ここで凡退するとウチの監督に殺される状況なんでそうも言ってられんのよ。

「しかしね、審判」

「退場、したいか?」

 はいはい。分かりましたよ。万歳、夢。

 仕方なくバッターボックスに収まり、マウンドを見る。我がことながら「いやよいやよもいいのうち」という名言を深く考えさせられる。

 マウンドでは、左膝に伸ばした両手を置いて前屈みにキャッチャーのサインを覗き込むキャサリン。

 う、うほーっ! 

 た、谷間がもう、うきゅーっと、うきゅーっと。

 サインが決まったか、上体を上げるキャサリン。谷間とおさらばは残念だが上下にぶるるんと揺れる胸にまたうきゅー。

 はっ。

 ま、まさか、この揺れ具合はノーブラなんじゃなかろうか。いや、たしかにブラなんぞ関係無しにプラブラする立派な胸だが、この揺れ具合は間違いあるまい。いや、大自然の脅威を見るような大渓谷を拝んだときにそう思ったしスリークォーターのカップかもしれないとかも思ったしでぐるぐるしてたけどこりゃもう確定……。

 おっと、イカンイカン。こんな浮ついてちゃまずいだろ、浮き足立ってちゃ駄目だろ。しかし、プロ野球選手でこんなダイナマイトな体型は――。

 第七球、ばむむんちらちらっと、来た。

「けしからーーーーーんっ!」

 かきーんと快音を残し、打球は幼女の胸のようなラインドライブを描きセンターをオーバー。スコアボードにぐっさりと突き刺さった。がっくりとうなだれるキャサリン。おいおい。豊満なヒップを堪能できるのはいいが、プロの巨乳マニアとしてはこっちを向いてうなだれろと言いたい。

「タイム、タ~~~~~イム!」

 それはそれとして、奇声を上げて審判がコール。

 ま、そりゃそうだろう。投球の寸前に審判がタイムをコールした。バックスクリーンに白い鳥が舞い込んでいたのだ。それでも集中していたキャサリンが投げたので、同じく集中していた俺も真剣巨乳勝負に水色ブラを差した……ではなく水を差した白い鳥を追い払うべくそこに打ったというわけだ。

「今のが本番からアウトだ。次の打席は気を付けるように」

 命中とはいかなくとも見事追い払いいい気分になっていた俺に審判が水を差す。

 一体どういうことだと食って掛かると足元を指差された。

 見ると、俺の右足がバッターボックスから出ているではないか。

「な。アウト」

 自慢げに言う審判。

 ぐぐぐぐ。浮き足だって足元がお留守だったあぁぁぁぁ。

 うなだれる俺のそばを、タイムを取ったキャッチャーが駆けていく。マウンドのキャサリンのところに行く気のだろう。

「ヘイ、ムネスキー! 地獄見たいか」

 ベンチからプラウン監督が吠えた。ちくしょう。地獄ならここで天国にも上りそうな気分で見てるよ。っていうか、そのあだ名はやめてくれ。

 何を話していたか、キャッチャーがマウンドから戻ってきてプレー再開。2点差の九回裏は二死一・二塁の大詰め。カウントはツーストライクツーボール。大詰め一歩手前の勝負所だ。

 しかし、今の打球はプロの巨乳マニアとして失格だろ。あんな貧乳ライナーなんて何の魅力もない。やっぱりホームランといったら、滞空時間も長々とした高~い放物線を描く、青少年も夢見るようないわゆる「巨乳の架け橋」でないと。

 そんな決心をしているとキャサリン、第八球。

 な、なんとこの土壇場でフォームを変えた! 豊かな双丘をぶらりと重力にさらしながらのアンダースロー。

 しかも! リリース間近には正面を向いて下屈みから胸の谷間を惜しげもなく開帳しながら上体をぐぐーんと突き出して打者の目の前にどばーんとアップで迫り来る正に、正に……。

「ドリームボールッ!」

 素晴らしい、素晴らしい、素晴らしいぞッ。

 もう、球筋なんか関係ない。この最高のボールに応えるには、最高の打球を描きだすしかない!

 懇身の力を込める。

「描けドリーム、巨乳アーチッ!」

 おたけびと同時に響く快音。

 打球は廣島の夜空高々、天まで届けとばかりに突き上がる。

 大きな、大きな放物線。これぞ夢の「巨乳の架け橋」。全国のチビッ子も憧れの視線で見上げるだろう。これが、プロ。これこそ、プロ。プロの巨乳マニアここにあり。

「――アウトッ。ゲームセット」

 え? 何。何だ。

 打撃の余韻に浸ってバッターボックスにスイング後のポーズのままでいたが、突然現れた警官に左右を固められ連行された。打球はあまりに高く上がりすぎてセンターにフェンス手前で取られたことがかろうじて分かったが、なぜ警官に連れて行かれなければならんのだ。

 マウンドではだけた胸元を押さえながら「オー、セクハラデース」と涙混じりに訴えるキャサリンの姿と、「神聖なグラウンドで今の発言は犯罪だろう」と冷ややかに言う審判、「いよっ、一発屋。一発やりやがったな」とはやし立てる観客の声が映画のスクリーンを見ているような遠さで感じられた。

 ゲームセット。

 広島の夜はやたら熱かった。




   おしまい

 ふらっと、瀬川です。


 ごく希に、こういう作品も書きます。


 では、読んでいただきありがとうございました。


※20117年04月18日

ルールの記憶違いによる間違いを修正

(バッターボックスから足が出た場合の打撃はアウト扱いでした。敬遠した球に飛びついてスクイズを成功させた場合? 審判がアウトコールしてないのなら出ていないのでしょう)

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