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しあわせはミルクティとキミ。

陽だまりと、あなたのそば。

作者: 栗栖ひよ子

「2月ももうすぐ終わりだなあ」

 携帯のカレンダーを見ながら、思わず独り言を呟いてしまった。

 2月は、師走なんかよりも、気付いたらあっという間に終わってしまっている気がする。

 日数が少ないのもあるけれど、冬の寒さと、春のはじまりの暖かさが混じったりしていて、その慌ただしさがなんとなく、2月を実感しにくくさせているのかもしれない。

 春一番が吹いて、今日は冬の合間に顔を出した、束の間の小春日和。

 今日は日曜日だから大学もお休みで、喫茶店でのアルバイトもなかったけど、嬉しくて家でじっとしていられなくて、春の陽気に誘われるかたちで晴れ空の下に出てきたのだ。

 暖かくなったのが嬉しくてじっとしてられないなんて、冬眠してたカエルみたいと、自分でもちょっと苦笑してしまう。

 こうやって自転車を漕いでいても、トレンチコートの前をあけなきゃ汗ばむくらいの日差し。

 春に向けて買った、桜色のスプリングコート。落ち着いたピンク色に一目惚れして、迷った末に奮発して購入してしまった。

 アルバイトのお給料では、ちょっとだけ贅沢品だったけれど、毎年、なにかしら新しい服を買って、春からの生活を心機一転させようとするのが私の習慣みたいなもの。

 実際には、春になっても生活はほとんど変わらないけど、他の季節のはじまりと違って、春のはじまりには、希望みたいなものがあると思う。

 暖かい陽気と、芽吹いた緑と、元気になった動物たちを見ていると、春って喜びの象徴のように思ってしまうんだ。

 こうやって川沿いの道を走っていると、いつもより外に出ている人も多く、私と同じようなことを、たくさんの人も感じてるんだなぁと思って、自然に顔も綻んでしまう。


「休館日……」

 図書館で、本を借りようと思って出てきたけれど、今日は棚整理のための臨時のお休みだったみたい。

 暖かい時期には、図書館のテラスで課題をしたり、本を読んだりするのが私の楽しみ。

 木漏れ日の出来るテラス。木で出来たどっしりとした大きなテーブルと、長椅子。陽だまりと、微かに流れてくる河のにおい。私の大好きな時間。

 ここの図書館は新しくて広くて、内装もモダンで、なかなかおしゃれ。川べりにあって、ポプラがたくさん植わっている。

 去年、大学に入学するためにこの街に引っ越してきて、一目で気に入ってしまった。

「うーん、どうしよう」

 ここに立ってても仕方ないし、大人しく帰ろうかな。でもせっかく、こんなにいいお天気なのにもったいないな。

 携帯を見ると、時間はまだお昼より前。あまり朝ごはんを食べていなかったお腹が、ちょっと空き始めた気がして、

「うーん、よし!」

 私はアルバイト先の喫茶店に行くことに決めた。

 メニューにないけど、マスターの気まぐれパスタは、私の大好物。いつも、私の好きな具材や、季節の美味しい野菜を入れてくれる。

 でもほんとはお腹が空いたからじゃなくて、こんなぽかぽか暖かい日だから、あったかいマスターに、会いたくなったんだ。

 今日はいいお天気だよって、マスターに教えたくなったの。


「いらっしゃいませ……。あ、恵麻ちゃん! どうしたの、今日はシフトは休みなのに」

 ドアを開けると、カランカラン、とベルが鳴って、カウンターにいるマスターの声が出迎えてくれた。

 ランチタイムに入る少し前だから、ちょうどお客さんは誰もいなくて、マスターは手を休めて入り口まで来てくれた。

「えっと……。あ、ランチを食べにきたの! 図書館が休館日だったから、早めにお昼にしようと思って」

 いつもと同じに穏やかに笑うマスターを目の前にしちゃうと、「いい天気だからマスターに会いたくなった」、なんて言えるはずもなく、そんなことを考えた自分が急に恥ずかしく思えた。

 しどろもどろになりながら言った言い訳は、嘘ではない。ただ、二番目の理由だけど。

「そっかー、残念だったね」

 と、素直に納得してくれるマスター。

「座りなよ。まだ早いけど、好きなもの作ってあげる。」

 そう言いながら、カウンターの椅子を引いてくれる。

 さりげない、こんな優しさとか、目が細くなる優しい笑顔とか、マスターはいつも私にあったかい落ち着きをくれる。

 アルバイト先の上司と店員として付き合ってきて、もうすぐ一年。きっと私は、マスターを上司としてじゃなくて、もっと近しい気持ちで、好き。

 身近な人でいちばん好きな人は誰って聞かれたら、きっとマスターの笑顔が浮かんでしまうんだろうなあって思う。

「マスター、あのね」

「ん? 何が食べたいか決まった?」

「……いつもの、マスターの気まぐれパスタが食べたい」

 だめ。恋の告白をするわけでもないのに、言えない。なんで言えないのかな。

 いい天気だから、マスターに会いに来たんだよって。ただそれだけ、伝えたいのに。

「ん、オッケイ。……今日、いい天気だねー」

 目を細めて、窓の外を見るマスター。

 幾何学的模様の入っている、透明なステンドグラスみたいな窓からは、キラキラした日差しが入ってる。

「さっき、いいお天気だなあってボーっとしてたら、なんだか恵麻ちゃんに会いたいなあって思ったんだ」

「え」

「なんでだろうね。きっと恵麻ちゃんがいつもほんわかしてるからかなあ。……だから嬉しいよ。来てくれて」

 マスターは普段はのほほんとし過ぎているような人だから、まったくしょうがないなぁ、なんて頼りなく思ってしまうこともある。

 でもそれよりもっとたくさん、こんなふうに、やっぱりかなわないなあって思ってしまう。それはたぶん、年齢のせいだけじゃないんだろうな。

 その理由はちょっとだけ分かりかけてるけど、あんまり悔しいから、絶対教えてあげない。

 でも、こんなに満面の笑みをしてしまったら、嬉しいのはマスターにバレバレなんだろうな。

 私の笑顔を引き出してくれる場所。木漏れ日の図書館。マスターのそば。

 私よりマスターのほうがずうっと、春の日差しに似ているよ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 心地好い午前の幸せなひととき、そんなゆったりと流れる時間が素敵です。すごくあったかい感じ。 奮発して買ったコート、ピンクに一目惚れ。解るなぁって思います。私にもそういう経験あるので共感し…
2019/11/13 23:31 退会済み
管理
[良い点] 一人称できちんと書かれていて読み易く、物語にも入り込みやすかったです。また、一人称でも、視線として情景を上手く描かれていたのが良かったと思います。 心の動きも、良く表現出来ていたと感じまし…
2011/05/26 23:05 退会済み
管理
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