起点Vol.1
六月。地球温暖化の進行を痛感させるような気温だった。窓の外では、遠くを走る車の音がかすかに聞こえる。
白瀬 恒一は机に向かったまま、モニターに映る数式を睨んでいた。開きっぱなしのノートには、何本もの線と数字が乱雑に書き込まれている。
不意に、部屋のドアが勢いよく開いた。
「うぇーい!ねぇねぇ白瀬、これ見た?」
後輩の夏目 陽菜だった。片手にスマートフォンを持ったまま、彼女はずかずかと部屋へ入ってくる。
「ノック」
「した」
「してない」
「細かいこと気にしてたらハゲちゃうよ?」
白瀬はため息をつき、ようやくモニターから目を離した。
「で、何?」
「失踪事件だってさ」
陽菜はそう言って、スマホの画面を突き出した。画面にはネットニュースの記事が表示されている。
『会社員男性が深夜に失踪 最後に目撃されたのは○○区の歩道付近』
「昨日からちょっと話題になってるんだって。SNSでもめっちゃ流れてきた」
「ただの失踪じゃないのか?」
「それがさ、なんか変なの」
陽菜はベッドに腰掛けながら続ける。
「現場の歩道に、軍手だけ落ちてたんだって」
「軍手?」
「うん。片方だけ」
白瀬は少しだけ眉を動かした。
陽菜はそこで、わざと声を潜める。しかし、口元は完全に緩み切っている。彼女はこういった類の話が大好きなのだ。
「知ってる? “軍手を落とすバイト”って都市伝説」
「またそういうの見てるのか」
「でも実際ごくまれにあるじゃん。道端の軍手。あれ何なのって話」
「トラックだろ」
白瀬は即答した。
「燃料タンクのキャップに付けてるやつ。振動で落ちるらしい。見たことないけどさ」
「え、何それ初耳」
「割と有名」
陽菜は「へぇー」と感心したように頷いたあと、再びスマホへ視線を落とした。
「......でもさ」
「?」
「その歩道、車入れないらしいよ」
部屋の空気が、少しだけ静かになった。
白瀬は画面を見つめたまま、ゆっくり椅子にもたれかかる。
記事の表紙に添えられた現場写真。
白く光る街灯。細い歩道。
そして、端に転がる片方の軍手。
その違和感だけが、妙に頭に残った。
ご高覧いただきありがとうございました。この作品は少しずつ不定期ながら更新していくので、興味を持っていただけた方はぜひまた読んでくださると嬉しいです。




