第29話 記憶の底
再照合区画の扉が開く。
ユリは、職員二人に挟まれるようにして中へ入った。
壁際に並ぶ端末。
ガラスの向こうに待機する観測員。
端末の数が増えている。
中央の椅子には、前回はなかった測定具まで準備されていた。
ただの再確認ではない。
ユリは、部屋へ入った瞬間にそう感じた。
「SP-07。着席してください」
白衣の職員が言った。
ユリは立ち止まる。
「御崎ユリです」
職員の指が、一瞬だけ端末の上で止まった。
だが、すぐに何事もなかったように視線を戻す。
「着席してください」
ユリはそれ以上言わず、椅子に座った。
左右の腕に固定具が下りる。
首元に細い測定具が当てられる。
指先にセンサーがつけられ、胸元にも端子が貼られた。
金属の冷たさが肌に残る。
零室で見た映像が、一瞬だけ頭をよぎった。
幼い自分。
大きすぎる検査着。
腕に巻かれた測定具。
何も知らずに、ただ座っていた。
ユリは目を閉じかけ、すぐに開いた。
今は違う。
自分が何をされているのか、見届ける。
「追加再照合を開始します」
職員の声とともに、端末が起動した。
画面に文字が流れる。
SP-07。
A-Prime反応、確認。
血液安定値、基準内。
神経同調、正常。
母胎適合候補、再判定中。
ユリの視線が止まった。
零室で見た言葉が、今も自分の検査項目として使われている。
「母胎適合候補とは何ですか」
ユリが問う。
職員は答えない。
「私の記録にありました」
「今も検査項目に入っている」
「説明してください」
端末を見ていた女性職員が、ようやく口を開いた。
「照合項目の詳細について、被検体へ説明する義務はありません」
ユリの目が静かに動く。
「被検体」
女性職員は表情を変えなかった。
「検査を続行します」
「私は物ではありません」
今度は、職員たちの手が一瞬だけ止まった。
それでも誰も返さない。
固定椅子の横で測定音が鳴る。
新しい数値が画面に上がった。
「A-Prime反応、維持」
「適合値に低下なし」
「母胎適合判定、基準内」
読み上げられる言葉が、耳に残る。
ユリは腕の固定具を見た。
動かせないわけではない。
けれど、動こうとすればすぐに制止されるだろう。
見た目だけなら、穏やかな検査室だ。
だが、ここで決められることは、自分の人生に触れている。
「次段階照合に必要な基準は満たしています」
奥にいた観測員が言った。
ユリの視線が上がる。
「次段階?」
今度も、誰も説明しなかった。
女性職員は端末を操作する。
「上層承認を申請します」
ユリの胸が強く脈打つ。
「待ってください」
職員たちは止まらない。
「次段階とは何ですか」
「私に何をするつもりですか」
返ってきたのは、平らな声だった。
「必要な処理です」
その言葉を聞いた瞬間、零室の映像がはっきり蘇った。
『保持対象へ移行』
『母胎適合候補として登録』
『国内中枢施設へ移送する』
幼い自分は、何も知らないまま進められた。
そして今も、同じことが続いている。
大人になっただけ。
言葉を理解できるようになっただけ。
それでも、決めるのは自分ではない。
「……また、私抜きで決めるんですね」
ユリの声は震えていなかった。
女性職員がわずかに顔を上げる。
「何か?」
「昔もそうだった」
「今もそうするつもりなんですね」
職員は答えず、検査を続けた。
◇
別区画で、南條は制限された端末を見ていた。
SP-07。
追加再照合、進行中。
詳細項目、閲覧不可。
上位確認対象。
南條はさらに開こうとする。
画面が切り替わる。
WD-00。
当該処理への介入権限はありません。
南條の指が止まった。
もう一度、別経路から開く。
結果は同じ。
権限がありません。
「……先手を打たれたか。」
低く呟く。
零室に触れた翌日。
啓介の黒血検証が前倒しされ、ユリの再照合まで進められた。
上層部は、ためらわず動いている。
このままでは、啓介たちが次の判断を下す前に、TAIDAが先に動く。
南條は端末を閉じた。
だが、何もできないまま席を立つことはなかった。
◇
「再照合、終了します」
女性職員の声で、ユリは現実へ戻った。
腕の固定具が外れる。
首元の測定具も取り払われる。
職員が淡々と告げる。
「結果は後日通知されます」
ユリは椅子から立ち上がらなかった。
「私の意思は」
職員が止まる。
「結果に含まれますか」
誰も答えなかった。
ユリは静かに立ち上がる。
それで十分だった。
自分の意思など、最初から評価項目にない。
少なくともTAIDAは、そう考えている。
扉の前で、同行の職員が待っていた。
「御崎ユリさん、退出を」
ユリは無言で部屋を出た。
◇
夜。
コミュニティルー厶の端で、啓介は窓のない壁を見ていた。
手元には紙コップ。
中身は冷めている。
そこへユリが来た。
顔を合わせるのは、連絡通路ですれ違って以来だった。
周囲には他の隊員もいる。
だから、長く話すことはできない。
ユリは啓介の向かいに座った。
「検査、終わったのか」
啓介が聞く。
「うん」
「何をされた」
ユリは少しだけ黙った。
「母胎適合候補の再判定」
「それが、今も私の検査項目に入ってた」
啓介の目がわずかに変わる。
「……そうか」
「次段階照合って言ってた」
「上層承認を申請する、とも」
「内容は」
「教えてくれなかった」
ユリは自分の両手を見た。
「私は、何に使われるのかも知らされない」
「それなのに、向こうは次へ進める気でいる」
啓介は何も言わず聞いていた。
ユリは続ける。
「昨日、零室で見た映像が、昔のことだと思えなかった」
「今日の検査と、何も変わってなかった」
啓介は、紙コップを持つ指に力を込めた。
「俺も同じだ」
ユリが顔を上げる。
「黒血を出させるために追い込まれた」
「出せるなら使う。抑えられるならもっと使う」
「そういう目で見られてる」
ユリは静かに息を吐いた。
「このままここにいても、物としか見られない……」
「ああ」
啓介は短く返した。
「俺たちがどうしたいかなんて関係なく」
ユリはしばらく黙っていた。
それから、はっきりと言った。
「じっとしてたら、手遅れになる」
啓介は頷く。
「こちらから動こう」
その言葉に、ユリは目を閉じた。
恐怖が消えたわけではない。
何をすればいいのかも、まだ決まっていない。
それでも、ただ従うだけではいられない。
自分のことを、自分抜きで決めさせるわけにはいかなかった。




